第48話 バトンタッチ
「魔王様。つかぬ事をお伺いしても宜しいでしょうか」
「ん? 別に構わないけれど、なんだい? 随分と仰々しい」
魔王が仰々しいと思うのももっともで、ヒューさんは両腕を胸の前で水平に重ね、ソファーから降り膝を折った姿勢でいる。
「人間は、過去数々の文明が、勃興しては滅び、というのを繰り返していると聞きます。あくまで伝承でしかございませんが」
「それは、伝承となってる事実、だね。1つ前の人間の文明破滅は、どれ位前になるだろう。少なくとも十数万年、長ければ数十万年も前だけれど」
「先ほど魔王様は、人間を害獣と仰せになりました。恐らく事実、人間は害獣と言われても仕方のない生物なのでしょう。滅びの歴史がそれを証明している、わたしはそう思います」
ヒューさんはうやうやしく屈んだまま、更に言葉を紡ぐ。
「人間は、その多くは、目の前の事しか見えませぬし見ませぬ。魔族の方々の様に、何千年という単位で物事を見ることなど、到底出来ることではございません。
また、ひとりの人間の寿命はせいぜい80年、よくもって90年でございます。長命種の多い魔族の方々と、生き方と時間と、いずれも全く異なっているものと思います。
辛うじてローリスで似たような事例として、エルフの血を引く者たちが、ひとつの仕事の成果を短くても5年10年という単位で見ます。人間との違いを、やはり強く感じます」
ヒューさんの言いたい事が、イマイチ分からない。
敢えて話の焦点をぼかして、害獣の話からフォーカスをずらす作戦とか……?
「魔王様は、長命種とお呼びして差し支えないかも分からない、死すると再生する、事実上不死の生命体と聞いております。それは間違いはございませんか?」
「そうだね。細かい部分はさすがに伝わっていそうに無いけれど、死と再生が対になっているのが僕の命というのは、それは全く事実だ」
魔王もヒューさんの狙いが見えていないのか、さっきまでの突き刺さる様な言葉は鳴りを潜め、ヒューさんの言葉にただ応える調子になっている。
それを狙っていたのか分からないが、ヒューさんはその姿勢のまま一度深く頭を下げ、ゆっくり戻すと、魔王をじっと見つめて話し出した。
「人間にとって、また恐らく通常のあらゆる生物にとって、死は本来、絶対的な『終了』でございます。避けようも無ければ、逃げようもない。
ただ、死、というのは必ずしも自然に訪れるばかりではありません。アリアがゴブリン達にそうした様に、いきなりの魔法で死を迎えなければならない生き物もいましょう。
また中には、単に食料として育てられ、喰われるためだけに生きておる家畜類の様な命もあります。命と、一言で言えない多様な形がございます。
魔王様のお考えを推察いたしますに、家畜であれ野生生物であれ、また野生に住む魔族らも等しく、皆その命は尊重されるべき。そうお考えと思いますが、いかがですか」
「うーん、痛い所を突かれちゃったね。さすがローリスの高位貴族、伊達に政治的駆け引きやってないって事かな」
魔王の、刺さる様に鋭かった視線が、ふっと緩む。
笑ってはいない。目も、口元も。見下している表情、と言われれば、多分俺はそれを信じてしまう。そんな表情だ。
「僕ら魔族も、牧畜はするし、狩りもしばしばする。だって、各領地の民のお腹は満たさなければ、領主の地位すら危ないじゃない。
だから領地を預けてる者には、積極的に食料を生産できる体制を、なによりまず優先して作る様にと、これはいつも指導している内容だ。
魔族は多彩だから、単一の家畜の大規模畜産じゃ、上手く行かない。色々な家畜の肉が要る。民が求める多種の肉を、どう安定供給していくか。ただその政策には必ず、単に食べられるだけの『命』が存在する。
彼ら家畜動物、家畜魔族からすれば、僕らはエサをくれる相手であると同時に、死を運んでくる相手でもある。ただ家畜らは深い思考を持たないから、屠殺される寸前まで、死の足音には気付かない」
魔王が、魔族を統べる者としての立場で物を言う。
言葉自体は長いが淡々としていて、あまり抑揚の無い話し方をしていた。
が、不意に黙り込んだ。
と共に、目線が床に落ち、その目元、特に眉間には、深い皺が寄っている。
「……ただ、家畜は深い思考を持たないと思うのは、もしかすると事実ではないかも知れない。彼らも実は僕らと同じ様に、何年も先の未来を望み、夢見て、その為に今日の日を生きている、のかも知れない。
けれど僕らが、牧畜や狩猟を辞めたり禁じたりするつもりは、毛頭無い。捕食者と被食者の間の関係は絶対で、捕食者たる我々は、被食者たる家畜類の命を、決して考えたりはしない。
それが果たして、家畜の身として命を持つ彼らの尊厳を無視することかどうかは、僕の様に長く生きていても、簡単な結論は持ち合わせない。せいぜい出来るのは、余計な苦しみを与えずに命を狩る事くらいなものだ」
迷いがあるのだろうか、魔王にさっきまでの余裕が無くなっている。
チラリとヒューさんを覗くと、機を見ているのだろうか、引き締まった表情で、魔王だけを強く見つめる視線で、身動きひとつしない。
「もし君達が今回あの森に、あのゴブリン族にした事を、捕食者の論理で片付けるのであれば、それはひとつの方向かも知れないね。彼らの中には、もちろん全員では無いが、君達に襲い掛かった者が含まれるのだから。
家畜と違う点で言えば、食に供される事も無く、ただ焼き尽くされ灰も残らぬ程にされた。だが考えようによっては、生存者ゼロであれば、この事態を悲しむべき家族も親類も、みな揃って死んでいる。それはそれで、幾らか幸せだったとも言えるかも知れない」
そこまで言うと、魔王はその視線をゆっくりと俺に向けた。
感じてはいたが、魔王の視線に力が無い。睨むどころか、ぼんやり眺めている、くらいの目力しか、その瞳からは感じられなかった。
「英雄、シューッヘ。君としては、ゴブリン族を骨一本、灰一つ残さず大規模に、壮絶に屠って、それで気分が晴れたり、スッキリしたりしたかい?」
名指しされているので当然答えるべきは俺なんだが、魔王の視線が、敵意でも無ければ興味関心の目線でも無く、ただこちらを向いているだけ。
俺が心配するのはお門違いだとは思うが、この魔王様とやら、メンタルがそこまで強くないのかも知れないと、俺はそう感じた。
「スッキリも何も……俺達は、多数のゴブリンに急襲されました。位置取りとして、戦端の奥には森があり、そこから敵の増援が次々湧いてきました。
アリアの魔法のおかげで、目の前で対処していた一部のゴブリン以外の全て、いつまた馬車の横腹を突かれるか分からない潜在的な敵すらも全て、撃退する事が出来ました。
俺がゴブリンに対して抱いたのは、あくまで目の前に現れた野盗の様なもので、その野盗を根っから排除出来た事に、なんだろう……ホッとした、辺りでしょうか」
「君がホッとする、気持ちに余裕が出来る為には、数千、場合によっては万の単位のゴブリン達の命が、供物として必要なんだね?」
「い、いえっ、そうじゃないです! 俺は、あのゴブリンがそれこそ自分から退いてくれれば、追撃するつもりも無かったです。森への魔法砲撃も同様です」
「では君自身の為ではなく、エルレ茶を供養する為に、かな」
敢えて言っているんだろう、魔王の片目の目尻が少し吊り上がる。
「それも……確かに魔法を、アリアがとんでもない強烈なのを放ったきっかけは、エルレ茶にありました。ただエルレ茶も、元を辿れば俺達の馬車の荷台車に積まれていた『俺達の物』です。
物がエルレ茶であろうが金銀財宝であろうが、強盗の類に対応することは罪ですか? 俺は、そうは考えません。自分たちの命も財産も、全てそれらを守る為の『力の行使』は、責められるべきではないと思います」
「なるほど、自らに属する何かしらを守る為であれば、苛烈な暴力である大魔法の行使も、簡単に容認される。君はそう考えるんだね?」
「その……魔王様。俺はっ」
さすがにグチグチ言ってくる魔王に苛ついてきて、強く言ってやろうと思ったその時だった。
ヒューさんが膝立ちのままの数歩前へ進み出て、俺と魔王との直線の間に入った。
「魔王様。此度の森林消失、及びそれに関連する損害について、御存念がおありでしたらローリス国宛に賠償請求をなさって下さいませ。
ローリスが宝である英雄と、その妻とが、この度の森林消失、並びにゴブリン族集団死滅の直接の原因なれば、それは英雄を有するローリス国が、その責を全て負いまする」
そこまで言うと、ヒューさんは着けているローブの胸の中から、ゆっくりと例のアレを取りだした。
ローリス国、国王陛下の……厳重に封印されている、陛下の親書。
ヒューさんも敢えてそうしているのだろうが、ロウの封緘を魔王に見せつける様に、ゆっくりだがずいっと前に押し出す。
「魔王様の御前ではございますが、玉璽封印がされております故、封印解除の魔法を用いたいと思います。宜しいですか」
「御璽封印か。ローリスは王の印を相当大切に、代々引き継いできたんだね。御璽を押印しただけで封印が掛かるほどその御璽に魔力が宿るのは、並大抵な『歴史』では、あり得ない」
「仰せの通りにございます。ローリス国開国の国父様が直々に鉱山に入り、資材を選定なさり自ら刻印されたと伝えられております。堅い封印ですので、相応の魔法となります」
「それは構わない。御璽が持つ魔力に負けないだけの、しっかりとした魔法で扱ってくれれば良い」
ヒューさんは一度深く、膝付きのままで頭を下げた。
再び頭を上げると、ヒューさんは今までに聞いた中でダントツに遅い詠唱の魔法を唱え始めた。




