第40話 違和感
「ガルマの砦までおよそ700レア。そのまま通過で宜しいですか?」
開いた小窓から、フライスさんが顔を覗かせる。
収まらない頬の赤らみに恥ずかしさを痛感しつつも、目の前に迫るガルマの砦。通過か停止か、俺には情報が無い。
「ヒューさん、ガルマの砦ですが、通過してしまって問題無いですか?」
ここはやはり、一度ここまでは来ているというヒューさんに判断を任せることにした。
「通過でも構いませんが、もしシューッヘ様が魔族戦の歴史にご興味があるようであれば、現地にてご説明も可能です。いかがなさいますか」
既にヒューさんはモードを切り替えている。さっきまでと、目が違った。
歴史、か。
対魔族との戦争は、この世界では国の有り様さえ規定している。
今は滅びたルナレーイ軍事王国が最前線を担って防波堤となり……アレ? その時エルクレアはどういう立ち位置だったのかな。
ローリスとオーフェンが、四国同盟とか三国同盟でつながってて、資金援助をしてたのは知ってるが、エルクレアも戦ったか、資金を出したんだよなきっと。
分かっているつもりでいたのだが、思いの外、よくよく考えてみると知識が曖昧だ。
魔族との戦争の歴史……遡れば、ローリスだって魔族の手に落ちていた時代があった。
そこも含め、魔王と会うのなら、少なくとも人間側からの歴史認識は正しく持っておくべきかもしれない。
「ヒューさん、旅程的に無理ならいいんですが、もし可能なら、ガルマの砦での歴史の授業、お願い出来ますか?」
「かしこまりました。フライス! ガルマの砦の手前150レアで馬車を停めてくれ!」
ヒューさんの大きな声に、閉じた小窓の向こうから、止まりまーすと声が届く。
すぐ強めの減速が掛かる。敵襲の際の急停止ほどではないし、幸い今は座っているので踏ん張る必要も無いが、原則Gは強く、身体が一方向に傾いた。
少しして外の景色の動きが止まった。
フライスさんが馬に掛け声を飛ばし、その馬達が応える様にいなないている。
「では、実際に現地に降りましょう」
俺は頷いて、スリッパからブーツに履き替える。皆も同じ様に靴を変える。
そうこうしている内に馬車の鍵が外側から外され、扉が開放された。
「わたしに続いてお進み下さい。ただ、先ほどの襲撃もあった事ですので、先に安全確保をした方が良いやも知れません」
「そこは私に任せてもらえるか? さっきの者たちに隠蔽偽装の知恵は無さそうだったが、そういう相手も含め、付近一帯の危険排除をしてくる」
ステップを降りかけたヒューさんは振り向いて、フェリクシアの言葉を受けた。
ヒューさんが静かに頷くと、一言「では」と言葉を残してフェリクシアが馬車の中からポーンと外へと飛び、そのまま砦の方へと走っていった。
「さすがフェリクね、凄い速度」
「だね」
先に降りた俺がアリアの手を支え、アリアもステップをタンタンと素早く降りた。
「ヒューさん、確かここまでは来た事があるんでしたよね」
「はい。偵察当時が丁度『定期訓練』の日程に当たったらしく、両軍とも兵を出しておりました」
言われて、周りを眺める。
馬車の裏は見えないが、先ほどのアリアの魔法もここまでは届いておらず、森林と言って良さそうな規模の森が広がっている。
目の前には、横の広ーい壁。ビルの3階建てくらいの高さの壁が、森林の始めの所からずーっと続き、平原を「こっちとあっち」に分けている。
教科書で見たベルリンの壁みたいだな。
あれは、1つのドイツって国を2つに分けた壁。こちらは、人間の領域と魔族の領域を分けた壁。
この高さでもって、大型の魔族の侵入も防いだって事なのかな。
ベルリンの壁も当然現地で見た訳でもなく、この世界で砦と言う物も初めて見るので、少し新鮮な気分がす……
……?
あれ? 何だろ。何か、違和感。
ま、いいや。
「偵察は、あの森の中から?」
「ええ。夜間でしたが遠見の魔法を用いて、森の中、砦の遠くから、人間の面側からの観察を行いました」
「やっぱり、砦を挟んでにらみ合う感じの布陣ですか? こう、魔族の領土と人間の領土の境界線的な」
「いえそこは。砦の高さのため向こう側は、門からの部分以外見えませんので推測を含みますが、魔法部隊が砦の魔族領側に、陸戦部隊がエルクレア側に展開し、一般的な訓練をしていた様に見えました」
訓練、か。
軍隊は鍛錬しての練度が命らしいからな。以前の敵と訓練出来るのなら、練度はより上がるのかも知れない。
……ん? ……あれ?
おかしいな、どうしてもなんか引っかかる。
何が引っかかってるのかよく分からないが、何か重要な事が抜け落ちてる気がする。
うーん……
唸ったところで何か出てくる訳でもない。
分かってる『抜け落ち』から、まず分かりそうな人に聞くか。
「歴史的な話で質問なんですけど、ルナレーイ軍事王国が戦っていた頃って、エルクレアは何をしていたんですか?」
「エルクレアは主に、結界師部隊がルナレーイ軍と共闘しておったと聞きます」
「じゃ、単に守られるだけって訳でも無かったんだ」
ちゃんと軍事同盟的な行動はしてた。
ナグルザム卿が言うには、そのルナレーイ軍事王国は、当時の敵であった魔族側と年単位での秘密協議を経て、寝返った、と。
その寝返った末に確か、魔王の魔法で魔族領内の別の所に転移した、って言ってたよな。
国1つの単位で移動させてしまうってとんでもない規模の魔法だな。
いやでも……アレか、単に転移するのなら、この世界じゃそういうスクロールもある。俺がオーフェンに出張した時も武官の人が持ってたらしい。
それらと同列でただ規模のデカい奴、と思えば、別にそこまでおかしい訳では無い。
あ、でも違うかも。
ナグルザム卿は、よくよく思い出すと、『一人一匹残らず』って言い方をしてた。特徴的な言い方だったからそこはよく覚えている。
それぞれの生命体に、別個の移動魔法という筋も、あり得る訳か。
でも。あっれー、何だろう……。
なんかずっと引っかかってるんだよな。
エルクレア、ルナレーイ、結界師、ガルマの砦……
「……ヒューさん。軍隊って、つまりエルクレア軍と魔族軍ですよね?」
「はい。正規軍として、エルクレア国章旗を掲げた本陣が、丁度この辺りにございました」
「エルクレア国章旗……でも、エルクレアの人達って、かなり魔族が多かったですよね。人間だけでもって軍の編成が出来たんですか?」
「……どうでしょうな。言われてみれば、エルクレアに於ける魔族の割合は、見る限り半々、と言った程度でしたな」
「んー? んー……エルクレアって、ずっと昔から魔族の人達を受け入れてた、って訳じゃあ、無いんですよねきっと」
「はい。10年前には少なくとも、我らが陛下、それからオーフェン王もエルクレアに揃い、トップ会談をしております。その際の報告に、魔族の姿はございません」
ん~? 何かおかしい。エルクレアはその10年間で、魔族が半分、人間が半分の国になった。
としたら、最初にいたはずの人間たちは、どこへ消えたんだ?
「魔族がエルクレアに入って、住み始めた、と。じゃそれまでにいた『人間』は、何処へ行ったんですかね。住居も無限じゃないのに」
「考えられるとすれば、エルクレア王族と共に故郷を捨て、新しい地に移り住んだ、でしょうか」
「でも、エルクレアの今の国民の間で、王族や貴族がいなくなったのは『みんな知ってるけど言っちゃいけない秘密』でしたよね、たしか」
「はい。その話には触れてくれるな、という空気が、2ヶ月前の滞在の時も今回も、強く感じられました」
ふむ。これについては、俺は少しだけだが、現地の魔族の声を聞いている。
泊まってた宿の女将さん。俺が回復魔法で怪我させてしまった時に、少し話した。
あの女将さんが言うには、ロザンドという所に土地交換で移動したと。城付きの土地だと。
……だがそれも、考えるとどこかおかしいぞ?
ルナレーイ軍事王国が滅んだ。いや、全ての人々・生き物が転移で移動した。
どちらにせよ、城は残存しうる。石造りの城しかこの世界では見かけないから、何年経とうが建物としての城が残っても、そこまで不思議ではない。
そこに、新たに最近、いや最近か? 分からないがエルクレアの人々が移住する事になった、と。
その場所が、ロザンド。俺はこの辺りの地理を知らないが、一応成り立たない話というわけでもない。
「ヒューさん。俺、宿の女将さんと話したんですよ。そしたら、エルクレアは『ロザンド』という所に移住した、と言っていました」
「ロザンド。聞きませんな……」
ヒューさんが首を捻る。ロザンドの地名は、ヒューさんにとって初耳のようだ。
「でその女将さんが言うには、ロザンドにはルナレーイ軍事王国の残した城があると。これ、本当ですかね」
「ううむ……難しいところですな。人間側の地名としてロザンドは初めて聞きますが、魔族がそのように呼称している地域、という可能性はあります」
「でも肝心のルナレーイ軍事王国って、魔王の転移魔法? で、全ての生き物が別の場所に転移した、んでしたよね、たしか」
「はい。ナグルザム卿が確かにあの場で、わたしとのやり取りの中で、ルナレーイ軍事王国は一夜で滅んだのではなく、魔法で別の地に移動したと、そう言っておりました」
「うーん……ルナレーイに関しては、ナグルザム卿だけが、その過去を知ってる……なんでナグルザム卿だけ? いや、魔族の中じゃみんな知ってるのかなぁ……」
俺は再び、自分の中の違和感に向き合う。
ヒューさんと会話をし、少しでも糸口がつかめればと考えたのだが、何か違う。
俺が引っかかりを感じている事と、別口で怪しいと思える話は出てきたが、それとは違う。そこじゃない感がある。
俺の違和感、これは……なんだ?
「……ここまで来る時に、それらしい街も村すらも、1つも無かったですよね。すると『ロザンド』はもっと魔族領の奥深く?」
「過去のルナレーイ軍事王国の首都とすれば、地図で言えばあの山の手前になりますが……シューッヘ様、気に掛かる事があるご様子。いったんエルクレアへ戻りますか?」
「いやそこまですべきとは……うーんでも……」
俺がついには腕組みしてしまった時に、フェリクシアがスタスタと戻ってきた。
「ヒュー殿。ここは本当に、人間の最終防衛線であったガルマの砦か?」
「フェリクシア殿、そう仰ると?」
「構造があまりに簡素に過ぎる上、その壁面にあるべき矢や魔法による傷跡が無い。ここで激しい戦闘があった、とは考えづらい」
「なんですと?!」
ヒューさんの顔が、露骨に変わった。




