第39話 重い頭の対処法
再び馬車に乗り込み、馬車旅が再開された。
やはり敵襲の後だからか、馬車の速度は先ほどまでよりかなり遅い。
さっきまでのスピードは高速道路並に思えた。
今の速度は、普通の道路を制限速度で走ってるみたいな遅さだ。
まぁそもそも論、普通の馬の速度を俺は知らないので、馬車旅の速度としてはまだ早い方なのかも知れない。
アリアは俺の横のソファーベッドでごろ寝。フェリクシアは冷蔵庫のところで冷エルレ茶の仕込み。
ヒューさんはソファーとは逆サイドの、森側の窓から外を見てて、俺はソファーでぼんやりしていた。
と、エルレ茶を仕込んでいたフェリクシアが言った。
「そう言えばご主人様、このスリッパは存外丈夫だな。馬車道に降りても支障が無かったぞ」
うっ……俺も見た。俺以外全員、スリッパで戦闘する羽目になった。俺がバザールで購入して、皆に配ったあのスリッパだ。
馬車は安全だからと、渋るヒューさんの意見を押して、履くように強く言った覚えがある。
その結果がコレだ。スリッパで敵襲に対応。あの時ヒューさんから、突然の敵襲に対応出来ない、そうハッキリ言われていた。
「まさかこの速度の馬車が、強制的に敵に止められるとは思ってなくて……」
「ご主人様は、戦闘については素人でいらっしゃるからな。敵の想像が至らぬのは無理もない」
フェリクシアは冷蔵庫にグラスとピッチャーをしまいながら、普段通りの口調・表情で言う。
しかし……ヒューさんの『予言』が的中してしまったのだ。やはり年長者の意見は、重く受け止めるべきだった……
「シューッヘ様。このスリッパに関しては、わたしもフェリクシア殿と同意見でございます。
底が比較的頑丈でしたので、平坦な馬車道に降りるのに支障もございませんでした。どうかご自身をお責めにならぬよう」
ヒューさんまでも、そう擁護してくれる。が……
やっぱり平和ボケの日本人の感覚では、いつか壮大に『やらかす』。
その時には、味方にも怪我人が出たり、最悪……誰かを失うかも知れない。
「シューッヘ、あんまり自分を責めないで、ね? ほら、誰も怪我もしてないし、死んでもいないよ!」
「う、う……ん」
俺が、馬車の中はスリッパにする、そう指示を出したから、全員スリッパになったのだ。
幸い地面に降りても支障ないスリッパだった。ただそれは、あくまで『たまたま』であり『幸い』でしかない。
俺の口から、勝手に深い溜息が漏れる。その溜息に引っ張られる様に、視線も床に落ちる。
「俺が指示を出すと、ろくな事にならない……」
「何を言われるか。今回の戦闘は圧倒的な完勝だぞ。特に奥様が魔法を放たれる直前の指示は、まさに的確であった」
「左様にございます。シューッヘ様のご指示と行動がもし僅かにでも遅れていれば、皆あの森の様に、灰すら残さずこの世から消えておりました」
森……その言葉に、重い頭を持ち上げ、正面の窓を見る。
さっきの地点から大分進んだはずだが、窓の外に見える範囲に、相変わらず立木は無い。
爆風で根こそぎ吹き飛んだのだろう深い穴と、炭色の黒い大地が延々続く。より遠くを見ても、吹き飛んだ木は見当たらない。
もし全てを焼き尽くしたのだとしたら、改めてアリアの『たった一発』の凄まじさに、少々寒気すらする思いだ。
「もし俺が、最初の結界の大きささえ誤らなければ、もっと……戦いも楽だったはず、ですよね……」
俺の溜息交じりの言葉に、すぐには言葉は返ってこなかった。
失望されたのかな……そう思いながらまた勝手に下がった視線を持ち上げてみると、フェリクシアとヒューさんが困ったような顔付きで互いを見ていた。
その様子に、更にズーンと頭が重たくなるのを感じ、視線が維持出来ずまた床に落ちる。
サッ、サッと床を擦る様な音が近付いてくる。ヒューさんは、馬車の中では何故か、こういう歩き方をする。
「シューッヘ様。戦いは、生きるか死ぬか、その二択にございます。こちらの側は、誰ひとり、馬すら含め、死んでおりません。
指揮官の心得をご存じでないシューッヘ様にあっては、敵からの急襲に自軍が思う様に動かず、お気に召さぬのかも知れません。
しかし、戦いは端的に、勝てば良いのです。更に良いのは、自軍側に犠牲が出ぬ事。そのいずれも成し遂げたのですから、些事はお気になさいませぬよう」
「……戦いの中身に、不満とかそう言うのは無いです。あくまで俺の、指揮官としての素質が無いから……
今回は、指揮官としてもそうだけど、パーティーのリーダーとして、スリッパでも大丈夫だって、その判断が間違ってて。
運良く、勝てました。確かに誰も死ななかった。けれど、全然ベストじゃない。戦闘に限らず外交も、俺がとやかく言っても、きっと上手くは……」
俺の頭の中がグルグルした黒い渦巻きに占拠され始めたその時。
不意に、横のソファーベッドのアリアがポーンとこちらのベッドに飛び込んできて、そのまま押し倒された。
「あ、アリア?」
「まーた悩み虫が出てきちゃったね、シューッヘ。大丈夫! ベストなんて目指さなくたって、誰もあなたを責めたりしないんだから!」
「で、でもアリ、むぐっ」
唐突にアリアが顔を寄せてきて、そのまま唇を塞がれる。
突然の事でまずびっくりして、頭の中は空っぽになった。しかしその後もキスは続いて、柔らかなアリアの唇がふわふわで、そこは気持ちがほわっとするのだが、そう言えば今はこの馬車の中に目が4つある事を思い出して、顔から火が出そうな程、頬が熱くなるのを感じた。
「んー……ふぅ。どう? 悩み虫はいなくなったかな?」
紛れもなく全開の笑顔でそう言ったアリアに、俺はほわほわした頭で、ピッチの速い赤べこの様にコクコク頷くしかなかった。
「なるほど。荒療治ではあるが、ご主人様への効果は実に高そうだ。さすが本来の第一夫人」
「なによその『本来の』って。現職の第一夫人ならもっと虫除けになるんじゃないかしら?」
「わ、私は、ご主人様を押し倒す様な事は……」
不意に言葉尻がしぼんだのでフェリクシアに目を遣ると、頬は真っ赤で目線は斜め下方向に逃げていた。
「ふふーん。このまま行けばあたしが第一夫人に返り咲く日も近いかもね! ねっ? シューッヘ」
俺の身体にどっかり乗ったままのアリアが、そのままで俺に少し顔を近づける。
ふわっと甘くて良い香りの黒髪が、俺の顔をくすぐる。むずがゆさもそうだが……ムラッ、とする。
「第一夫人、それ以上見せつけてくれるな。こちらの方が恥ずかしくなってくる。ヒュー殿もおられるのだぞ、ここには」
「あら、あたしったら。はしたない」
そう言葉では言ってるが、悪びれる様子ゼロなアリアが、多分わざわざだろう、俺の胸板にしっとりと手をついて、その身体を反らすように起こした。
「これで良いかしら?」
「もしそれがはしたなくないのだとすれば、世の中に、はしたない事は何一つとして無いだろう」
「そう? ヒューさんもそう思います?」
「……まぁ……ご夫婦の間でなさっておられる事ですので、仲良きことは宜しきこと、と言うに留めます」
言ってるヒューさんのビミョーそうな顔。初めて見る、あんな明らかに言葉に困りました、って顔。
「前方1クーレアにガルマの……これは失礼いたしましたっ」
小窓が開いたと思ったら閉じた。
うん。そりゃ、裸では無いにせよ、女性が男性の腰の上に座ってる図は、直視はしない、したくはないものだろう。
「あ、アリア。フライスさんにまで見られちゃったよ」
「そ……そうね。ちょっとそこまでするつもりは、無かったんだけど」
そう言うと、少しだけ頬を赤らめたアリアがようやく俺の上からどいてくれた。
ふう……俺の理性的に、実に危ない。顔を甘い香りの髪でくすぐられた挙げ句、モロその部分に馬乗りになられた。
ここが屋敷なら、と強く思った。残念ながらここには、アリアの養親としてのヒューさんもいるし。フェリクシアもいるし。フライスさんまで出てきたし。
「防音と遮光の結界ならばすぐ作れるが、必要か?」
ぶふっ。
フェリクシアの冷静そうな追撃に、俺は思わず吹いた。
当のフェリクシアに目を向けると、聞こえてきた言葉こそ普段通りの冷静なものだったが、真っ赤な顔でどっか下の方を向いたままだ。
「フェリクシア……」
「いや、すまない。あまりに当てられたので、少し言いたくなってな……」
赤い顔のまま、弁解した。それはそれで、フェリクシアも何とも可愛らしい。
いやいかんっ、どうにも頭の中がピンク色になってる気がするぞ、これは場所柄良くないっ!
「ふーっ! 俺はっ。そこまで積極的じゃないの! ここも馬車の中だし!」
「まぁまぁシューッヘ様、赤い顔のままで仰せになっても、説得力がございません」
「ヒューさんまでーっ!」
ヒューさんは言うだけ言うと、笑うのをかみ殺すように口元をヒクヒクさせながら、目がもう笑っている。
完全にみんなのおもちゃにされている感があるが、幸いと言うか、さっきまであった頭の中の黒い渦は完全に消えていた。
「そ、そうだシューッヘ、フライスさんが何か言いかけてたわよね?」
「え、ああ、そうだったね。聞いてみようか」
俺はベッド……もとい今はソファーなそれから立ち上がり、小窓まで進んだ。
フライスさんが不意に顔を出しても良いようにちょっと横にずれて、コンコンと小窓を2回、ノックした。
すると小窓が、ちょっとだけ開いた。あれ、いつもサッと全部開くのに、と思っていたら。
その開いた隙間に。
目。
しばらくその目が中を伺う。
俺は小窓の横から、そのうち出っ張るんじゃないかと思えるギョロ目を見て、思った。
やっぱりさっきのは、アレはさすがにやり過ぎだわ、と。
俺が思わず顔に手が行ってしまうと、ようやく目の前の小窓が金属の擦れる音を立てつつ、ゆっくり開いた。
「……もう、お済みで?」
「何も始まってないですっ!」
俺はいっそのこと、うずくまって丸まりたいくらい、本気の本気で恥ずかしかった。




