第37話 守れたもの、守れなかったもの
大量に中身がこぼれたエルレ茶の樽に向かって、アリアは実にゆっくりと進んでいく。
幸い馬車周囲の土色小人は全て始末できた様で、アリアに襲いかかるのはいなかった。
樽のほんの少し手前で止まったアリアは、樽を見ているのかこぼれ落ちたエルレ茶を見ているのか、視線を落としていた。
少し遠くで、戦闘中のフェリクシアの声が聞こえる。フレアなんちゃらと叫んでいたので、火魔法だろう。
さっきまでの魔法と異なり、フェリクシアの前に爆煙が起きて、その余波の熱がこちらにまで届く。
と、フェリクシアに気を取られていたが、アリアが何か言ったのでそちらに目を戻す。
アリアは肩をふるわせ、両手を握り込んでいる。
俺は、何を言えば良いか分からないがともかく励まそうと、一歩踏み出した、その時。
「許さない」
少し離れているのだが、アリアのその言葉はハッキリと聞こえた。
そうか、悲しみで肩をふるわせているのかと思ったが、怒りか。
そう理解が追いついた、その瞬間、
「あたしのエルレ茶をっ!! ぜったい許さないんだからぁっ!!!」
咆吼とも言える程の絶叫。ここまで怒りを露わにしたアリアは初めてだったので、俺は戸惑いを覚えた。
が、更に次の言葉で、戸惑ってる余裕さえ無い事に青ざめた。
「全部死んじゃえ!! レット! マギ!! フル!!!」
あの身体の何処からあれだけの大声が出るのかと思う程の声で、魔力リミッターを外すフレーズを叫んだ。
俺は直感した。このまま行くと、その『全部』に、俺達も馬も、下手するとアリア自身も入ってしまう、と。
「フェリクシア、ヒューさん! 馬車の中へ! フライスさんも!!」
俺は出る限りの大声で叫んだ。喉が痛んだがそれどころではない。
次の詠唱内容は予想がつくが、ウロボロスの瞳で強化されたアリアの得意魔法、その威力を俺は伝聞でしか知らない。
その伝聞内容が正しければ。
まごまごしていたら、自動結界ありの俺以外、周囲5キロの範囲で生物は全て、仲間も込みで死滅する。
「[フレア・ボール]っ、[プレス]!!」
アリアの得意魔法、火炎圧縮魔法は、4つの段階を踏むらしい。
最初の2つは同じで、火の玉を生み出す魔法とそれを圧縮する魔法のセット。
それから……
「[フレア・ボール]っ! [プレス]!!」
って悠長に考えている余裕が無いっ! まずアリア自身の保護をっ。
「[可視光透過結界]っ!!」
アリアに向けて、対象をアリアにだけ意識して絞って、結界を張る。可視光まで防いでしまうと、変な方向に魔法を撃たれてもマズい。
幸い女神様の結界は内側からの魔法は通すので、アリアを含む範囲で包めていれば多少大きくても小さくても良い、細かい事を気にしてる時間は無いっ!
俺は駆けて馬車に戻る。既にフェリクシアとヒューさん、それからフライスさんも、客車の中に入っていた。
「フライスさんっ、馬も込みで、この馬車の全長は?!」
「お、およそ25レアです!」
客車の出入口は、おおよそだが馬車の前後の中央。
これで最小限の範囲は
「[ダブルプレス]っっ!!」
だーーーっ、細かい事考えてる時間がっ!
とにかく展開してしまう他に無い!
「[絶対結界 範囲15メートル]っ!」
言い切った瞬間、視界が暗転し、全ての音が消失した。
自分の手も見えない真っ暗闇。さっきまでの喧噪が、まるで無かったような静寂。
その中で、自分の呼吸音が一番大きい。焦っていたからな……息も乱れたままだ。
静まり返った世界の中で、俺は考えながら、ゆっくり秒数をカウントする。
5、6、7……
果たして何秒待てば、女神様の大理石製テーブルセットを吹き飛ばす爆風が収まっているのか。
着弾時の熱風が過ぎ去れば、果たしてそれで安全か。
アリアのフルパワー魔法、実際にこの目で見ていないので、安全マージンが分からない。
11、12、13……
アリア自身は、果たして無事でいられるだろうか。
アリアに張った女神様の結界で、熱や炎は完全に防げる。が、もしアリアが水平に撃ったとしたら。
単純に考えれば、爆風が正面から直撃する。石のテーブルを吹き飛ばす程の強烈な力で『結界もろとも』爆風で吹き飛ばされるかも知れない。
結界を張った状態ならば、爆風も防げるのか? 分からない、実際に試した事が無い。
こんなことになるなら、皮剥いたリモージでも使って、結界に包んで壁当てで中身無事かとか、そんなことをやってみるべきだった。
18、19、20……
さすがにもう魔法の行使は終了してるだろう。
一瞬、とても嫌なビジョンが頭をよぎる。一度それが現実に起きているだけに、そのリアルさに吐き気がする。
ウロボロスの瞳があれば、それでも何とかなるかも知れない。が、アリアが今日それを身に着けていたかどうか、見覚えがない。
……幾ら悩んでも、もう結果は確定してるんだ。
いつまでもこのままでいても、何の意味も無い。
どんな結果でも。受け入れるしか、ない。
「……[絶対結界 解除]」
言うやパッと朝の日の光が馬車を照らす。非常にまぶしく、目を開いていられない。
視界が戻る前に、俺の鼻に焦げ臭さが届いた。アリアの魔法自体は成功した様だ。
何とか目を開け、アリアのいた辺りを見る。
はっきりとは見えない。が、座り込んだ様な人影が見えた。
「アリアっ!!」
俺は駆け出した。足下の薄い草が、馬車からしばらく駆けると一面真っ黒になっており、踏むとザクザクと鳴った。
「アリアっ、大丈夫か?!」
視界も少しずつ戻ってくる。膝立ちのアリアの周囲2メートル程、円形に、草が緑色のままの領域がある。
結界自体は問題無く機能したようだ。アリアは放心状態なのか、ぼんやりした様子のまま動かない。
「アリア、アリアっ!!」
俺は叫びながらアリアに向かって駆けていき、思いっきり結界に弾かれて後ろに激しく吹き飛んだ。
仰向けにぶっ倒れて、そう言えばアリアの周りも結界があったわと思い出し、急ぎアリアの周りの結界解除を強く意識し念じた。
改めてアリアの下に駆け寄る。アリアの真横で膝を付き、アリアの肩を持って揺さぶった。
アリアは不意にハッとした様に目を見開いて、ようやく我に返ったのか、俺の方に視線が向く。
「アリアっ、大丈夫か?! 怪我とか痛いとか辛いとかっ、だ、大丈夫か?!」
半ば叫ぶ様に言いながら、アリアの外観に変化が無いか、つぶさに観察をする。
見る限り、アリアの身体や衣服に異常は無かった。
「シューッヘ、ごめんちょっと痛い」
俺が掴んでいる肩の手に、アリアの手が乗る。今度は俺の方がハッとなって、アリアの肩から急いで手を引いた。
アリアは手を地面についてひょっと立ち上がり、膝の辺りを手で払っている。良かった、大丈夫だったようだ。
「あーあ、はぁー……とりあえず、レット・マギ・フロー」
身体全体で溜息を吐くような動きの最後に、アリア専用の魔力制御コードが乗った。
さっき目にしたアリアの壮絶な怒りは、収まったようだ。そう言えばその魔法の結果はどう……
「うげっ」
森の方を見て、俺は一言呟いたきりになってしまう。
街道に沿うようにあったはずの緑豊かな森が、穴だらけの焦土な土地に一変していた。
また、俺の周りが黒焦げているからそのくらいの破壊力だと肌感で思い込んでいたが、それも間違っていた。
馬車から100メートル範囲の外周の結界、目でその結界自体の境目は視認できないが、その外側。明らかに、地面が。
あるラインから向こうの地面が、随分と抉られて下がっている。黒焦げ焦土なのは、結界の中も外もあまり変わらない。
馬車の進行方向斜め左。丁度フェリクシアが土色小人に対処した方向が一番酷い。その方向の延長に、立っている木は、見通す限り無い。
「アリア……魔法、どこに向けたの……?」
破壊の程度から概ね想像は付いたが、結界の内側まで地面が随分焼かれているのが不可思議だった。
結界の外まで撃ち放ったのなら、外周も女神様の結界であるから、内側に魔法は絶対に来ない。可視光以外は通らないから、熱波も熱線も、当然爆風もブロックされる。
逆に、内側で爆裂させたのであれば、その位置にこそ、地面が消失する程の大破壊が起こるはずだ。しかし、一番破壊されているのはどうも今見ている一直線方向に長く広く、だ。
「あっちの方に、へんなのが一杯、透明な壁に貼り付いてたの。あたしのエルレ茶を奪った、あのへんなの達の仲間」
「透明な壁? ああ、結界」
「それでね? そのへんなの達が、結構上の方までよじ登ってたの、この位の高さ。それであたしは、そのてっぺんの一匹の頭に、ぶちこんでやったのよ」
アリアが手で指し示す。ちょっと顎を上げないと直視できないくらいには、高い角度だ。
結界って、そんなにヒョイヒョイよじ登れるものなのか? 特に定義無く外側の結界を張ったから、形はドーム状になってるはずだ。ただ、触れてるだけでも相当痛いはずなんだが……
しかしホラーだな。
土色のあれらが、透明な結界にたくさん、うじゃっと。
曲面のガラスの様な結界面を、この高さまで占拠してうぞうぞしてるってのは、ゾッとする。
「……アリアの魔法が、結界の外側か内側か、どちらで炸裂したかは分かる?」
俺の問いかけに、アリアは首を縦に振った。
「あたしのあの魔法はゆっくりしか飛ばないから、見てたよ。狙ってたへんなのの顔にぶつかって、そいつが少し持ち上げられてから、パって強く光ったの。だから多分、半分外で、半分中だと思う」
アリアの言葉に、少し納得出来る思いだった。なるほど境界線をまたいで炸裂したのなら、この足下の焼け焦げも、魔法弾の進行方向側の惨事も、タイミング次第でこうなるのか。
「そっか……ちなみにアリアは何で膝立ちに? 爆風が来たりした?」
「ううん。魔法が光って、目の前の何もかもが火が付いて吹き飛んでくのをじっと見てたんだけど、あーエルレ茶は戻ってこないんだよなぁって思ったら、何だか虚しくなっちゃって」
それで力を落として膝立ち、な訳か。
ふと傍らを見ると、エルレ茶の樽は斜めに削がれた様な形で樽の切片は黒焦げ、中身のエルレ茶も見える部分は真っ黒だった。ここもまた、結界の境界線にあたったようだ。
守れなかった。許せエルレ茶。




