第32話 旅行先での「のどかな朝」ってこんな感じ? って程、のんびり。
ヒューさんの思わぬプチ報復を喰らって、宿に着くやベッドに突っ伏した。
俺と、妻達であるアリアとフェリクシアでひと部屋。ヒューさんがひと部屋。そういう部屋割。
なので、俺とアリアが共々にベッドに突っ伏したところで、どうこう言う人はいなかった。
翌朝。既にカーテン越しに部屋が随分明るかった。部屋の掛け時計を見ると、もう10時過ぎだった。
「ふぁぁあぁぁ……随分寝ちゃったな」
「お目覚めか」
フェリクシアは、ソファーに腰掛けて悠然と読書をしていた。
昨日の焼き肉、俺らが喰いきれなかった分を全部食べてくれたんだが、フェリクシアはあくまで通常運転だ。
「はぁぁ、昨日は助かったフェリクシア。美味いもんでも、量が多すぎるのはなぁ」
「ヒュー殿の小さな悪戯はそれはそれとして、エルクレアの文化だからな。たらふく食べさせるのは」
「そういやそうだった。昨日の『魔王殺し』だけじゃなくて、どこ行っても足らないって事は無かったもんな……」
エルクレアに着いてからの食事。この宿での朝ご飯もそうだし、それ以外に外の店で食べたのも皆そう。
どこも量は大盛りがデフォルト。更に大盛り、の注文は当然の如く無料。しかも沢山食べると店の人の機嫌が良かったりする。
「でフェリクシア、あれだけ食べといてこう言うのもアレなんだけど、朝ご飯まだ作ってくれる時間かな」
「ああ、朝食のことであれば」
フェリクシアは立ち上がり、丁度壁がせり出ていて見えない所にあったワゴンをカラカラと押してきた。
「2人分の、軽食程度に留めたが、取り置いておいた。この量ではさすがに足りないか?」
ワゴンの上には大皿が乗っており、そこにサンドイッチが山積みにしてある。下段には水差しとグラスが配備されていて、準備が良い。
しかし、いつからサンドイッチって山盛りに盛る物になったんだっけと思ったが、俺とアリアだけの分にしては、見るからに多い。
「いや多いってそれ」
「そうか? 中の具材で重いのは卵程度で、他は野菜を中心に、甘い果物のサンドもあるぞ?」
「フルーツサンドも? デザートに良いね」
「果物を『ふるうつ』と呼ぶのか。まぁ、果実自体はまるで別物だったりするかも知れないが、ここにあるのは見る限り、あっさりした甘みのふるうつのサンドだ」
俺がベッドの中でぼんやりしていたら、フェリクシアがワゴンを俺の真横まで押してきてくれた。
因みに、そのワゴンの向こうのベッドでアリアは、くうくう寝息を立ててまだ夢の中だ。
「ありがとう。早速頂くよ」
少し座り位置をベッドの端に寄せて、サンドイッチに手を伸ばす。
ゆで卵をマッシュしたシンプルなたまごサンドにかぶりつこうとすると、ふと、俺をじっと見ているフェリクシアと視線が合った。
「ん? あっ、フェリクシアは朝食食べたの? まだだったら、遠慮せずに食べて」
「ああ、ありがたい気遣いだが問題無い。朝は少し早く目覚めたので、軽い走り込みの後でしっかり朝食を食べた」
そっか。なんかじっと見られてたので、俺が食べるまで待ってたとかそんな話かと思った。
気にするのはやめにして、サンドを口に放り込む。たまごサンドと言っても、具材はうっすら程度だ。確かに重くはない。
塩とコショウの味付けがシンプルで良い。日本だと、ここにマヨネーズが入るのがデフォだが、そう言えばマヨネーズはこの世界あるのかな。
……マヨネーズで経済無双、って、古典のラノベにあったらしいな。後はトランプで巨万の富とか。実際の作品は、知らんが。
こんな剣と魔法のファンタジーの世界に来る事が分かってたなら、もっとラノベも読んだんだけどな。参考程度にはなりそうだし。
「ん゛」
うぐ。不意に、口の中でジャリって。この食感は、あぁ、いつまで経っても全く慣れない。
卵の殻が入っていた様だ。これ以上またジャリジャリするのは嫌なので、グイッと丸飲みにしてしまう。
「む? 水程度しか無いが、要るか?」
「ん、んんん」
ちょっと引っかかりかけたのを、受け取った水で押し流す。
あまり噛めてないサンドが胃にズドンと落ちる感触に、俺はふうと息をついた。
「突然どうした、ご主人様」
「いや、卵の殻がさ。アレ、また噛むとすっごい嫌な歯触りだから、飲んじゃえって」
「卵の殻か? そうか、すると……うむ、それでいてあの量を、か。エルクレアは全く凄いな」
何だかひとり納得してるんだが、何がどうなってエルクレアが全く凄いのか、まるで伝わらない。
「フェリクシア、卵の殻からエルクレアが凄いに繋がるのはどういう話?」
「ん? あぁ済まない。卵の殻が残る、という事は、調理魔法の類を一切使っていないという事だ。卵の殻、魚のうろこなどの不可食部位を排除する魔法は、よほど魔法の才が無い者でも簡単に使える、生活魔法の基本なんだ」
「ほう。魔法を使わない料理……って、それって俺の屋敷じゃ料理に当たり前に魔法が使われてたって事?」
「ああもちろん。ご主人様の口に入ってはならない部位が混入する事態は、絶対に避けなければいけないからな」
「へぇー……そんなところまで魔法が使われるのか。元いた世界じゃ、卵の茹で方と冷やし方だけで、あとはよく気をつけて殻をむく程度だったなぁ、魔法は無いし」
「よほど神経質なシェフでないと、色々と不都合が出そうな世界なのだな、以前おられた世界は」
改めてここが地球とはまるで違う所だと、つくづく思い知る。
たかがゆで卵、されどゆで卵。魔法があると、卵の殻をかじってしまうジャリジャリ事故は防げるらしい。
「んーー……んぁあー……ふぇ? アレ? 昨日の飾り付け、無くなってる……」
「奥様もお目覚めか。昨日の飾り付けは、そのままにしておく訳にもいかないので撤去させてもらった」
「あーん結構苦労してコソコソ作ったのにぃー」
「はは、まぁ奥様も起き抜けに水の一杯もどうだ? それかご主人様と同じく、いきなりサンドの方が良いか?」
3つ目のサンドにかじり付いているとアリアが目を覚まし、まだ寝ぼけまなこといった調子でフェリクシアとやり取りをしている。
結局まずは水、になったようで、グラスを受け取ってごくごくと一気に飲み干していく。
「ぷはっ。あーお酒飲んだ次の日のお水は格別よね。フェリクもそう思うでしょ?」
「ああ。酒でも特に強い物を飲んだ翌朝は、身体がカサカサに乾いてる気がする。そこにグッと飲む冷たい水は、実に格別だ」
酒飲み同士な会話で朝が始まる。
俺の、個人的な……凄く小さな、そしてガキっぽい悩みと恨みと、スッキリ晴らして。
そのスッキリの『お返し』もしっかり喰らって。アレはアレでヒューさんなりの『ガキっぽい報復』だったのかも知れない。あおいこ、的な。
更にサンドをつまみながら、ベッドの上で肩に首にとをぐるぐる回し、動く為の準備動作をしていく。
「さ、て……今日もブーツ履いて、1日頑張りますか」
お気に入りのドラゴン(ワイバーン)ブーツに足を突っ込む。ヒモなども無く、ジャストサイズのこの靴は、長時間履いていても疲れ知らずだ。
ベッドから、しっかり立ち上がる。うーんと伸びをして、頭と身体に「朝だよ」と知らせる。眠気は無いが、まだ何となくけだるいな。
「フェリクシア、今日の予定は?」
「今日は予定が無い。ナグルザム卿が地図と書簡を宿に届けると言っていたのは、明日だしな」
「あぁ、そっか。それが揃えば、エルクレアからも出発か……思い残す事のないようにしないとな」
「ねぇシューッヘ、どこかエルレ茶売ってるお店探して、行かない? あたし、買って帰りたい」
「良いね。フェリクシアも付き合ってくれる?」
「もちろんだ。ローリスに戻るとまず手に入れられなくなるので、輸出用のロットサイズで購入しても良いかも知れない」
と、そんな話をしていると、コンコン、とドアが2度ノックされた。
いつもながらその音にピクッと反応したフェリクシアは、足音も立てず、それでいて駆け込む速度で、ドアの横に陣取る。
片手は背中のナイフに、もう一方の手は魔法の準備なのか、開いて力が入っている。
「どちら様であるか」
「ヒューでございます。お目覚めのご様子と思いまして、参りました」
なんだ、ヒューさんか。そう安堵したのはフェリクシアも同じ様で、途端肩の力が抜けた自然体の格好に戻って、ドアを開いた。
「む? これは?」
「今朝、どうにか手に入らぬかと王宮に掛け合いまして、手に入れました。晩餐会で饗される予定であった、エルレ茶にございます」
カラカラとワゴンが動いてくる音と共に、ヒューさんの姿が見えた。
「ヒューさん、おはようございます」
「シューッヘ様。おはようございます。お身体の方、大丈夫でしたか?」
「はは……幸い、胃もたれも残らなくて、いま朝ご飯でコレ食べてるんですよ」
そう言って、手に持ってるサンドをちょっと掲げてみせる。
「左様でしたか。フェリクシア殿にも少しお話ししましたが、王宮の調理場に出向きまして、お心残りのエルレ茶、手に入れて参りました」
聞き間違いかと思ったが、マジだったか……
最高級の、エルレ茶……
あいやいや、それより先に言うべき事がある。
「ヒューさん、俺のワガママの為に動いてもらって、何だか本当にすいません」
「いえ。これも一つ、けじめにございます。過ぎ去ってしまった物事は謝る他に術はありませんが、物がまだあるのなら、持ってきてしまえば良いだけのことです」
言ってる事はもっともなんだが、王宮の台所が一時的に準備してた茶葉をもらってくるとか、きっと恥ずかしい思いもしただろうに……
「ヒューさん、そこまでしなくても」
言いかけた俺の横から
「エルレ茶って、あの時飲めるはずだったエルレ茶?!」
随分寝ぼけた様子だったアリアが、突然大きな声で言った。
ヒューさんは少し驚いた様に見開いたが、静かに大きく、首を縦に1度だけ振った。
「やった! シューッヘが言うだけで諦めちゃったから、もう飲めないなって、残念だったのよ! ありがとう、ヒューさん!」
「シューッヘ様よりもアリアは、エルレ茶が気に入ったようであったからな。最高級、と言われて、みすみす飲み逃したのは悔しかろう。シューッヘ様のご相伴にあずかりなさい」
「はいっ!」
と……朝からのどかなお茶会となった。
その日は結局本当に何も無く、名残を思いつつエルクレアの店を見て回ったり、アリアとフェリクシアに耳飾りを買ってあげたり。
フェリクシアが言ってた輸出サイズのエルレ茶ってどんなよ、と思ったが、店でそのサイズを頼むと出てくる物だった。
樽1つ。しかも、俺の胸ぐらいまである、大きめの樽、1つに満載状態らしい。
中身が茶葉なので俺でも何とか持ち上げられたが、片手でひょいと持ち上げ肩に乗せて馬車まで運んだフェリクシアは、メイドさんの鑑だと思う。
えっ、朝のエルレ茶がどうだったか?
朝からもう「これが人生最後のお茶です」でも良いよなぁ……ってくらいに美味かった。香りも味ものどごしも。
淹れ立てホットは勿論のこと、氷を持ってきてもらってアイスにもしたんだが、これも「砂漠で水20リットルとこのお茶1杯、どちらかです」と言われたら、俺はきっとこのエルレ茶を飲んで果てる方を選ぶ。
そんな変な生き死にを妄想してしまうほど、次元の違う格別な旨さだった。しばらく口中に香りが残り、水さえ飲みたくなかった程だった。




