第31話 魔王殺しの焼肉屋 ~胃袋的に殺されそう~
魔王殺し。そう書かれた看板を見た時には、2つの印象を同時に抱いた。
1つは、ここエルクレアが既に事実上の魔族領となっているのに、よくそんな物騒な名前で営業できるな、と。
そしてもう1つは、地球で鬼ころしって酒があったが、酒場の名ならともかく分からんでもない。が、如何にも匂いが焼肉店なのに、その名付けはなんだろう? と。
ヒューさんの後について店に足を踏み入れた。
すれ違いに赤ら顔の店員さんが、表に出ていた看板を下げに出てきてた。ギリギリだったっぽい。
多分、あの店員さんは魔族だ。赤みがまるで赤鬼のそれ。酒に酔った色などとは完全に違う。
「おおっ、ヒューさんか! あんたが本日最後の客たぁ縁起が良い。っと、ご友人方で? 随分若いのを」
のれんの様な布をひょいと手が除け、厨房から頭にハチマキの、若いガテン系イケメンが顔を見せる。
こちらのガテン系さんも、赤肌だ。ヒューさんにしては、こうも魔族魔族した人がやってる店の常連、というのは意外だ。
「おお大将、久しぶりだの。この方々はわたしの上官の様な方々でな。若くてもわたしより偉いぞ?」
「そうかっ。若いお偉方、うちの店は接待にゃ向かないただ食べるだけの店だ。そこは大丈夫か?」
と、アリアとフェリクシアの視線が俺に集まる。
「あの、多分焼き肉屋さんですよね。俺のいた世界……えっと、故郷の国にも、この香りで肉焼くお店があったので」
「ほおー、やっぱり単純な調理工程だと、『うちが絶対のオリジナルだ!』なんて、あぐらかけねぇな。良かったらテーブルの冊子、見といてくれ! この店のあらましがあるから」
言うと引っ込んだイケメンが、ヒューさんの席にビール4つーっ、と威勢の良い声を飛ばしていた。
大将が言う、絶対のオリジナル、というのは、きっとこの業態の店は、この世界ではここが最初、という事なんだろう。
実際、エルクレアどころかローリスでも、また何でも買えるオーフェンでさえも、この香りには出会っていない。
取りあえずヒューさんが奥の方の大きなテーブル席に進むので、そこに行き座る。
「シューッヘ様、こちらが先ほど大将が言っておった『あらまし』でございます」
座るや、地球の飲食店でよく見かけるメニュー的な本が目の前に置かれる。
手に取って開いてみる。そこには「魔王殺しとは」の大書から始まるストーリーがあった。
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遠い昔のある時、遠征途中の魔王様が、魔王城から遠く離れたエルクレアの地で、床に伏せた。
その時に従軍していた調理長は、「肉をたんと食べて頂き、元気になって頂こう」と考えた。
だが当時の魔王様は、その時の身体の寿命が尽きかけており元気も無く、肉など食べたくない、と調理長に伝えた。
普通の調理人であれば、そこで粥などに考えを変えるだろう。が、その調理人、つまりこの店の初代店主は、違った。
普段食するような、荒く切った肉に塩などを掛け焼いたものでは、弱った魔王様では食べづらかろう。もっと優しく食べられるようにすれば良い、と。
肉の部位をよく見立て、柔らかく食べやすそうな部位を薄く削ぎ、それを数種の果実を搾った液に漬け込んだ。
こうすることで肉が柔らかくなる事を、調理人は知っていた。更に味付けも、塩ばかりが前面に出るものではと、甘ダレをその場で調合した。
夕餉の時間となり、調理人は小さな皿に盛り付けた生肉と、それを焼くのに適した小さな火鉢を持って御前に出た。
魔王様は見るなり溜息を吐かれ、どうしても肉でなければいかんのか、と問われた。これに対して調理人は首肯して御前で肉を焼き始めた。
肉の焼ける音と共に、丁寧に下処理された薄切りの肉が、絶妙な香りを醸し出した。これには魔王様も目を見開いた。
調理人は、肉の芯までしっかり火が通るまでじっくりと肉を焼いた。魔王様は乗り出して、まだかまだ食べられぬのかと待っていた。
いよいよ肉が焼け、小皿に乗せたその1枚が御前に供された。魔王様は一口にそれを平らげて、言った。
「この肉は、此度の命の頂上にある」
意味を問おうとした調理人だったが、その時、魔王様の手から小皿が地に落ち、割れた。
感動した顔のまま天を仰いでいた魔王様は、既に絶命なされていた。
その時から、この肉食法は魔王殺しの異名があり、遙か昔からエルクレア地方に伝えられている。
なお、新しい命を得て蘇った魔王様は、肉が食べられるまでに成長されるとすぐにエルクレアへと向かった、と伝えられている。
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……のだそうだ。
死ぬほど美味い、って、表現じゃあるけれど、リアルに死んでしまうのはどうかと思う。生き返るタイプの魔物だったから良い様なものの。
魔王様が死にっぱなしだったとしたら、その調理人の首と胴は泣き別れだったろうに。
まぁ、全部創作ってオチもあるけどな。
こういう与太話は、話はデカいほど面白いものだ。
と、ビールが来た。
続いてロースなのか、赤身の多い肉が来た。
かなり薄切りで、日本で食べてきた焼き肉より更に薄い気がする。
「おー、これが魔王殺しの……」
呟いた俺にヒューさんが、
「はい。今では単なる屋号になっておりますが、どうやら昔から、この食べ方は『魔王殺し』と呼ばれていた事実はあるようです」
と情報を付け加えてくれた。
ふむふむと頷いていると、看板を下げてた赤鬼色の魔族さんが、地球の七輪に似た形の大きな火鉢を、俺の前にドンと置いた。
パチパチ鳴る火鉢に、テーブル焦げないのかな、と思ったが……七輪っぽいのの底面は色違いの、レンガの様な風合いで、これで熱を受けてテーブルを守っているようだ。
「では、初めの数枚はお焼きいたします。その後は、どうぞご自由に」
ヒューさんがニコッとして肉を箸でつまんで火鉢の網にひょいひょいと乗せていく。
ふと。あくまでふとなんだが、ヒューさんの笑顔に何か引っかかるものを感じた。
が、きっとこれは俺が過敏になってるんだろうな、と思い、肉に視線を移した。
「わぁー美味しそうな香り! まだ食べちゃダメなの?」
「これアリア。シューッヘ様より先に食べようとするでない、はしたない」
制されてちょっとシュンとした様子のアリアだったが、いやもう肉は焼けた頃合いだ。
だが、ヒューさんはじっと肉を見つめて動かない。ロースもよく焼きにするのかな。
と、肉に注目している間に、いつの間にか次の肉の皿が次々とテーブルを埋めていた。
これは食べ応えがありそうだ。薄切りだから、たくさん食べた気にもなれそうだし。
「ではどうぞ、こちらのタレを掛けて頂くも良し、そのまま頂かれるのも美味しゅうございます」
「じゃ、最初のはそのまま……むぉ! 美味い!!」
思わず叫んでしまった。
赤身なロースだからさっぱり系と思っていたが、そもそも牛とは違うのか、芳醇に溶ける脂の旨みが口いっぱいに広がった。
「あたしもいただきまーす、はむ」
網から掴んでそのまま口に放り込んだアリアは、口だけ動かしてるが目が固まってた。
「……アリア?」
「これ……肉、焼いただけだよね? え? なにこれ、こんなの食べた事ない!」
「ほう、そんなにか。では私もご相伴にあずかる事としよう」
次いでフェリクシアが橋を伸ばす。フェリクシアは一度皿に受けて、ちょっと観察するようにしてから、パクッと行った。
こっちもアリアと似たり寄ったりで、目は刮目って感じにかっ開いていながらも、口だけもぐもぐし続けている。
「これなら幾らでも食べられそうですヒューさん。後は自分で焼きますね」
「ええ、是非どうか、腹の底まで、ご堪能頂けるところまで、お召し上がりください……」
と、ヒューさんの目が笑ってない。で、口角が上がっている。
何か企んでる? ってか、裏があるのかな。
まぁ、裏があろうが無かろうが、美味いから良いや!
……
…………
そう思ってた瞬間が、確かにありました。はい。
しばらくしたら大将が奥から出てきて、テーブルの向こうに椅子を置いて座った。そして、
「まだまだ余裕だな、どんどん食べてくれ!」
そう言った。その言葉にまさかそんな裏があるとは思わずに、俺は勢いよく食べ続けた。
……
…………
「も、もう腹い、いっぱい」
「いや、俺の眼からは逃れられねぇ! あと赤肉で3枚、白肉は1枚行ける!」
「あたしも、もう……」
「そっちのお嬢さんは白肉2枚でビール追加、そこから赤肉5枚は入る!」
大将が細かい枚数まで挙げて、とにかく喰わせようとしてくる。
これは一体なんなんだ、と思った時に、フェリクシアが呟いた。
「大将。それはいわゆる『魔眼』か?」
そう言った。
魔眼、という言葉に聞き覚えは無かったが、確かに俺の眼からはとか言ってたが……
「ああ、そうだ! 客の胃袋の限界が分かる魔眼なんだ。だから、限界まで喰ってもらうぞ!」
「……その魔眼、誰か得をするのか?」
そう言いつつフェリクシアは淡々と食べている。まだ苦しくも無さそうだ。
「ふう。わたしはこれで目一杯ですな。大将、どうだね」
「ああ間違いねぇ。ヒューさんはそのまま10分その場で動かず食休みだ。後の連中は、まだ喰える!」
ヒューさんはこれに慣れているのか、腹はパンパンっぽいが余裕はある。
一方の俺もアリアも、もう飲み込むのがいっぱいいっぱいって位。
「シューッヘ様。食べ損ねたメインディッシュの分には遠く及ばぬと思いますが、いかがでしたかな?」
と、ヒューさんが宿で見せたニヤァ顔をわざとらしくして来た。
「も、もう意地悪言ったりしないので、俺もアリアも食事終了にさせて……」
「だそうだが、大将?」
「それは通さねぇ! ……と、言いたいところだが、まぁヒューさんの上官をいびる訳にはいかねぇからな。そこのメイドさんよ、並んでるのは全部いけるな?」
静かに黙々と食べているフェリクシアが、コクンと頷いた。
フェリクシアも相当食べてるはずなんだが……元来の体育会系なフェリクシアの胃袋は、無制限なのか……?
こうして、ヒューさんの「歓待のようでいて実はプチ復讐」は、俺の胃袋を肉で埋め尽くして終わった。




