第30話 俺とヒューさんと ~色々理解してくれる仲間がありがたい~
俺の、かなり身勝手でガキっぽい欲求は満たされた。
ヒューさんに怒鳴り散らして、息が切れる辺りになった時には、頭の中、腹の中で悶々と渦巻いていた何かは、既に消失していた。
そこへ持ってきて、ヒューさんの返答は俺の気持ちを更に満たしてくれるものだった。
ヒューさんの言葉を聞いて、フェリクシアの様子を目の端に捉えて。フッと肩に入っていた最後の力が抜けた。
俺はフラフラとソファーに向かい、そのままドシンと腰掛けた。そのまま首をコキッと天井に向けて倒した。いや、勝手に倒れた感じだ。
「ねぇシューッヘ、ヒューさん、さっきからあんな感じで、ずっと座ってるけど……」
「えっ、あぁ、ヒューさん楽にして下さい。俺のワガママに付き合ってくれて、ありがとうございます」
しっかり声を張ったつもりだったが、顔は天井を向いているし首も伸びてる状態なので、自分でも声が小さいなと思った。
それでも正面からガサガサと音がしたので、ヒューさんが土下座を解除したであろう事は分かった。
「あー……俺自身、あんなにもガキっぽいつもりはなかったんだけど……」
天井を眺めながら、浮かんでくる言葉がそのまま口から漏れる。
いや実際、公的な食事の場面で出されたメインディッシュの話なんて、どうでも良いだろうに。
理性的には、そうなんだよ。どうでもいいんだよそんなの。
だけど、俺のガキっぽい心の底の何かは、それを良しとしなかった。
「シューッヘ様」
少し近い距離から声は聞こえた。
胸が勝手に、少しドキッと、嫌な締め付け感を出してくる。
「は、はい」
「ヒューさん、シューッヘ緊張してるみたいだから、その……」
アリアが割って入ってくれるが、視線が天井に固定されてしまっている俺には、やり取りの調子はイマイチ分からない。
「シューッヘ様。此度のエルクレアにては、わたし自身考えさせられる事が多うございました」
「…………」
しっとりと語り始めたヒューさんだったが、俺は気恥ずかしさもあり、気まずさもあり、ヒューさんに向き合えなかった。
天井を向いたまま、居心地の悪さを感じながら、俺はそのままソファーから動かなかった。
「魔族という生き物は、人間に対して害悪を成す害獣であり、駆除の対象にこそなれまさか協調路線を取れる相手とは、思いもしませんでした。
その点シューッヘ様は、エルクレアに至る前、オーフェンでの出来事からでしょう、既に魔族との協調路線を模索なさっておいでだった。
ですがそれを受け入れる事が出来なんだこの老僕は、シューッヘ様のお邪魔をする事になりました。誠に申し訳ありません。
エルクレア首脳部、つまり魔族が、人と魔族とを統治するその場面を直接に、実際に見聞きして、初めてシューッヘ様のご覧になっている世界が目に入りました。
わたしが急にあれこれ申し上げ、幸いにもそれがナグルザム卿はじめエルクレア側に好評であったのは、運が良かったに過ぎませぬ。
交渉は、やはり本来、中心になる方の御意見と密に擦り合わせ、そこへと話を寄せていくことこそが、周りの者のすべきこと。結果が良かったから良い、とは、到底言えません。
シューッヘ様はあたかも、御自身の幼稚なる我が儘である、とのお考えを仰せになられますが、誠にそうであるかを問わず、此度の出過ぎた行動は事実にございます。
シューッヘ様はそのお優しさ故、この老僕をも叱らず御自身の責に丸め込んでしまおうとされますが、いえいえご遠慮めされる事はございません。叱りつけたい時は、堂々と叱りつければ良いのです」
……ヒューさんがなんか、トンデモナイ勘違いをしている様な気がするぞ?
今回の俺の不満は、間違いなくメインディッシュ食べられなかった事と最高級エルレ茶が飲めなかった事に起因する。それは俺的には真実だ。
だが、その話はヒューさんの中では、俺がヒューさんを叱らない為の方便みたいな事になってる。いや、単に事実として、あの香り高い肉が……
「シューッヘ様。まだ叱り足りぬとお思いであれば、叩いてでもお気持ちの晴れる様になさって下さい」
ボンヤリと皿に乗る高級ヒレ肉っぽいステーキを思い出していたら、ヒューさんの声が床に伏せた声になった。
えっ、と思いつつ前を見ると、なるほどヒューさんは土下座通り越してぺたんと上半身を床に伏せてしまっている。
う、うーん……この展開、俺は望んでいないんだが……
「ヒュー殿。その辺りにしておかれるが良いだろう」
向こうの壁に貼り付いているフェリクシアが、あくまで冷静な口調で言った。
「いやしかしフェリクシア殿、これはわたしが受けるべくして受ける責めにて」
「言いたい事は分かるが、ご主人様がそれを望んでいないのは明白だ。ご主人様としては、あくまでご自身のわがままで押し通されたいご様子だ」
「それは、その様にも感じますが、シューッヘ様にあらぬ罪を着せる様な事は……」
「罪が云々ではなく、ご主人様ご自身が『そのようにしておきたい』と思っておいでだと言いたいのだ。そうなさりたいのを無理に曲げるのも、要らぬご負担と思うが?」
「な、なるほど……では、この度のシューッヘ様のお怒りは、メインディッシュを食べ損ねたが故、という事にしておきましょう」
「そうだ、それで良いだろう。な? ご主人様」
と、見逃さなかったぞ小さくウィンクをするフェリクシア。
普段そんなことはしてくれないので、ちょっとドキッとした。
いや、そこでなくて。
俺がどうしたものかと途方に暮れつつあったところを、フェリクシアが上手いこと言いくるめてまとめてくれた。これは助かる。
「えーと……ともかくそういう事なんで、ヒューさん、今後ともよろしくお願いします」
「はっ! お役に立てますか分かりませぬがこの老僕、命ある限りシューッヘ様にお仕え申し上げまする!」
う、ううーん……陛下に対してもこんな調子だった覚えがあるが、ヒューさんの忠誠は、ちょっとばかり重すぎる。
ま、それでも取りあえずヒューさんと俺との齟齬は何となく上手い形にまとまった。ストレスの種が消えて、胸が軽くなる感じを得た。
「ふう。ホッとしたら、少しお腹空いてきたな。アリアは?」
「そうね、会場じゃあんまり食べられなかったし。でもちょっと時間遅いかも。お酒出すお店なら、空いてるかしら」
そう言いながらもアリアは、部屋に置かれたボトルから手酌で酒を飲んでいる。お酒、好きなんだな相変わらず。
「フェリクシアは、おなかどう?」
「私は、食べられる時に食べられるだけ食べられればそれで良い人間なので、食べても食べなくても良い」
なんだかまどろっこしい回答が返ってきたな。
「つまり、おなかは空いてるの? 空いてないの?」
「どちらかと言えば空いてる方だな。軍に在籍すると、自分の空腹で部隊を動かす訳にいかないので、空腹など無視してしまう癖がついてしまってな」
「それはそれで凄いね、腹減っても無視出来るのか。結構な精神力が要りそうだな……」
「シューッヘ様、精神力が無くとも、年を取ると自然そうなりますぞ」
「それは、うん嬉しくない老化現象だ。アレ? そう言う割には、ヒューさん相当食べてません?」
「わたしは、まぁ若い頃と比べれば随分と胃が縮んだと思います。老化はどうにも退治できませぬでな」
はっはっ、と地面に座したまま高らかに笑うヒューさん。
この世界の平均寿命とかよく分かってないが、老年の活躍をあまり見ていない。
貴族当主もオッサンが多くてオジイサンは殆どいなかった。オーフェンに行く時会った大臣でも、ヒューさんより若い。
と言うよりは、80代でバリバリ現役の魔導師、兼、国家レベルのスパイとかやってる人と比べられる人はたまったものじゃないかも知れない。
ヒューさんは特例枠。うん、年齢どうこうより、とにかくヒューさんなのだな。そう思っておこう。
「で、ここでの生活経験もあるヒューさんとして、今の時間からでもお勧めの酒場なり食堂なりって、どうです?」
「もちろんございます。今回は食事がメインでございましょう、肉ですかな、魚ですかな?」
「やっぱ食べ損ねた肉ですかね?」
敢えて言ってみる。自分がちょっと意地悪な顔になってるのにふと気付いた。
ヒューさんは、俺の言いたい事は分かったようだが、俺と同じ様にニヤァと変な笑顔だ。何か狙ってるのか?
「肉でございましたら、お勧めの食堂がございます。もう少しすると看板を下げてしまいますが、言えば開けてくれます」
おぉ、看板下がっても入れるってヒューさんよほどご常連さんだったんだろうか。
肉が腹一杯食べられるのであれば、そこで良い。
「あれぇ、お酒はどうなのー?」
肉食の事で頭一杯になりかけてた俺だが、アリアが酒の話で割って入ってくる。
「あの店の肉には、ビールだの」
目を伏せて断言。断固として、という感じで、ビールらしい。
というか、ローリスではエールだったが、この辺りではビールが造られるのか。
ただどっちにしても、『すっきりさわやか系』なのはそう変わらないだろう。
「えぇー、ワインないのぉ?」
「無い事は無いが、ビールだ」
ヒューさんの『譲れないビール路線』に、養親だから何か厳しく言いたいのかとか、色々憶測したが違った。
なんでビール一点押しなのかは、食堂、というか……まぁ店に着く少し前には、全て含めて理解した。
そして、ヒューさんと同意見に達したのだ。
そう。
焼き肉には、ワインではなくビールだろう、と。




