第29話 ようやく気持ち、固まる。
「いっそ、ヒューさんにはローリスに帰ってもらったらどうかしら」
めそめそしてる俺に優しい目線を向けながら椅子に腰掛けたアリア。
女神様に、頂きます、と一言言ってオレンジジュースを口にし、そのグラスを置いた直後に、そう言った。
「えっ……」
俺は思わず絶句してしまった。ヒューさんを許せないのは俺の問題で、ヒューさんに非がある訳でもない。
確かに、ヒューさんをここで追い返しても、ヒューさんが何か汚名を被ることはないんじゃないかとは思う。
けれど、俺の勝手で、陛下が決めたメンバー、親書の番人としての仕事も破棄させて追い返す、というのは……
「うん、シューッヘの考えも分かるよ? ヒューさんの職務は陛下からのご指示だしね。あなたが躊躇するのも、よく分かるわ。
でもシューッヘ。今のモヤモヤした気持ちのまま、これからどれ位長いの旅になるか分からない魔王との謁見、その帰路も含めて……耐えられる?」
言われ、再び考える。
確かにここからの旅も長い。2~3日で済む様な話であれば、それこそ無視しっぱなしという子供じみた対応でも何とかなる。
けれど魔王直領までの距離を聞く限り、そんな日数で済むはずは無いし、ナグルザム卿の書簡に幾つかの管区みたいな記載もあった。
きっと各管区でそれぞれ対応が違うから、エルクレアみたいにスムースに動きが取れず、まず1ヶ月待ちです、とかもあるかも知れない。
それだけ長い期間になった時、パーティーメンバーをずっと無視し続けるのは、あまりにパーティー内の雰囲気が悪くなる。
それだったらいっそ、今の時点でヒューさんを追い返してしまって、気の置けないノガゥア家のメンバーだけで行く、というのもありだろう。
ただ……
「でもアリア、それだとナグルザム卿から受けた評価って言うか、好印象を台無しにしてしまわないかな。ヒューさんを追放したら」
俺の懸念にアリアは、ちょっとだけ下を向いて何度かまばたきをして、
「理由は何とでも付けられると思うわ。例えばヒューさんの健康問題にしちゃうとか、本国から呼び出しがあった事にしちゃうとか」
「ああ……理由付け自体は、出来なくないのか……うーん……」
ヒューさんを、パーティーから追放してしまう事も、出来る。俺では考えつかなかった案だ。
けれど……俺にとって、この異世界に来てからずっとお世話になった恩人とも言えるヒューさんを、俺の勝手な、子供じみた『気分』だけで追放にして良いものか……
「シューッヘ、良い・悪いじゃないわ。それが必要かどうかだと思うの。
あなたとヒューさんの関係は、これまではずっと良好だった。だけど永遠に良好であり続ける保証なんてもちろん無いじゃない。
その『良好で無くなった瞬間』がたまたま今回だった、って言うだけで、それを責めたりする人は、誰もいない。あなたの思い次第」
俺次第、か……つまり結局、俺がヒューさんを許せるかどうか、だよな。
アリアが来てくれて新しい視点はあったが、結局一番のカギになるのは、俺の意志。そこを避けて、逃げて通る事は、どうやら出来ないらしい。
『そんなに悩むようだったら、ヒューを殺してあげる? 不可視のスポット状放射線を使えば、この世界じゃ"頓死"としか考えられない自然死にも出来るけど?』
女神様が不意に、そして自然に、随分怖い事を仰った。確かに俺の光スキルの大元の神様だから、そう言うことは出来るのだろうけど……
「め、めっそうもない……ヒューさんは俺の恩人で、ローリスじゃこれから後進の育成もある人です。俺のワガママで命を奪うなんて」
『でも、許せないし、ローリスに帰すのも支障があるんでしょ? あんたにとって、ここでぽっくり死んでくれたら、解決するんじゃないの?』
「う……」
め、女神様のお言葉は極論だ。極論だけれど……もちろん俺自身それは望まないけれど、一つの解決策ではある。
こうなると、俺の決断如何で、ヒューさんはパーティーから追い出されたり、死んだりすることもある事になる。
『殺したい程には、憎んでないのよね? その様子から行くと』
「は、はい。あ、あくまで俺の、その……くだらないプライドが足を引っ張ってるだけです。ヒューさんが全部悪いって話じゃ、無いです」
女神様の問いかけにしどろもどろ答えていると、横のアリアが、
「男の人のプライドって、厄介よねぇ。大した事じゃなくても男のプライドに引っかかっちゃうと、譲れなくなっちゃうもんね」
「あ……う、うん。俺のも、正直そうだと思う。誰が言うか、って大した事じゃないかもだし、むしろ結果は、ナグルザム卿の評価も、その方が良くなってるのに」
「でも、譲れないんでしょ? うーん、どうしたら良いかなぁ。シューッヘのプライドが満足できる方法、解決策。いっそさ、シンプルに、ヒューさんを叱責に見せかけて堂々と罵倒でもしたらどう?」
「叱責に見せかけた罵倒?」
「うん。シューッヘ自身も、今引っかかってるプライドが実は大して重大な事じゃない、って分かってるんでしょ?」
「うん、それは分かる様になって来た」
「さっき外でヒューさんが頭を下げたけど、あなた、気持ちも言いたい事も、ほとんど全部抑えたじゃない。それがストレスの元だし、プライドに触れちゃったんだと思うの」
「……そうかも知れない」
「だったら、思う存分ヒューさんを叱りつければ良いんじゃない? 理性的に叱ろうなんて思わずに、気持ちの赴くまま、言いたい事全部言うの。言いたい事溜め込んでるのが、今回のトラブルの根本じゃないかな、って、あたし思う」
言いたい事を溜め込んでる……
そうか。言われてみれば、そうかも知れない。俺はパーティーリーダーとして、叱責するにしても理性的でないといけないと思っていたから、俺の気持ちが許さねぇーこのクソジジイ! みたいな事は、とても言えなかった。
だけどそれが結局俺のストレスになってて、アリアからはヒューさん追い出し、女神様からはヒューさん殺害なんて、随分物騒な話にまで発展してしまった。
単に俺が、言いたい事を言いたい様に、ヒューさんにぶつければ済む話だったのか。
「女神様……その、ありがとうございます。時間も場所ももらって、結局こんなアホらしい結論になってしまって」
『アホらしい程度の処断であんたの気持ちが晴れるなら、誰も傷つかないし人死にも無いし、良いんじゃない?』
「ありがとうございます。アリア……ありがとう。アリアが来てくれたお陰で、俺、少し冷静でいるの辞められそう」
「うんっ。シューッヘはまだ18なんだし、いつも理性的で正しい判断なんて、しなくて良いよ。あたしも、フェリクシアも、それに今回はやらかしちゃったヒューさんも、あなたを見放さない。ずっと、支えるから」
「……ありがとう」
アリアの言葉に、俺の目頭が熱くなるのを感じた。
「あーん泣かないの、シューッヘ。今からヒューさんをなじりまくるんでしょ? 泣きながらじゃ、あんまりにかっこわるいじゃない」
「う、うん」
俺は唇をグッと噛んで、涙が溢れそうになるのを堪えた。
少し浮かんだ涙も袖で拭いて、女神様を真っ直ぐ見据えた。
「女神様。俺、ガキになって、ヒューさんに思う存分わめいてくる事に決めました。アリア共々、元の宿屋へ、お願いします」
『うん。平和的な落とし所に収まって、私としても少し安堵したわ。存分にヒューにあんたの素の思いをぶつけてきなさい』
俺が、はい、と答えようと思った瞬間には、視界は一転して元の宿屋の部屋に戻っていた。
俺に一瞬遅れて、アリアも俺の横にパッと現れる。アリアと視線が交わる。アリアは、ニコッとして、ちょっと意地悪そうな目をして、大きく頷いた。
「……ヒューさん」
ベッドやソファーがあるもっと手前の、薄いラグが敷いてあるだけの所に、ヒューさんは土下座をしていた。
女神様との天界でのやりとりは、ヒューさんには聞こえていないはず。けれどこうして土下座までして待っていたのは、どんな処断も受ける覚悟、なんだろう。
それが処断どころじゃなくて、俺のガキっぽいグチャグチャ・イライラをぶつけられたら、一体どういう顔をするんだろう。気になったが、俺は始めることにした。
***
大体30分くらいだろうか。俺はひたすら、思いつく限りの思いを、順序もなにも考えずにヒューさんに投げつけた。
ヒューさんは時折、ははっ! とか、申し訳ございませぬ! とか言ったが、土下座のまま顔も上げない姿勢は徹底していた。
俺が言ったこと。思い出せる限り。
・俺が団長なんだから俺より良い格好すんな
・ヒューさんが余計なことしたお陰でメインディッシュ食べ損ねた
・エルレ茶の最高級品も飲み損ねた
・宝物室でのことも含め偏見の固まりは少し黙ってろ
・2ヶ月も先行して潜伏してたんだから偏見の解消ぐらいしとけ
その他もろもろ。思い出すと赤面ものだ。
後の方になっていくに従って、俺のテンションは段々穏やかになっていった。
自分でも意外だったが、メインディッシュの食べ損ねが俺の中で結構重い比重だった。次から次へと文句が沸いた。
テンションが穏やかになっていったと言っても、俺の心に引っかかるものは思いつく限り全部「叫んだ」ので、俺の中から言葉が沸いてこなくなる頃には、息が上がっていた。
ゼエゼエしながら、土下座のままのヒューさんを睨み付けながら、言いたい事は全部言った。
俺の言葉が止まって、俺の荒い呼吸だけがしばらく部屋を満たした。
ふと息をついて、フェリクシアの顔を見た。
フェリクシアは呆れているかな、と思っていたんだが、何というか、珍しい物を見た、といった表情だった。
と、土下座していたヒューさんが、ゆっくりと姿勢を起こした。
「シューッヘ様」
極めて落ち着いた口調で発されたその言葉に、俺はちょっとドキっとした。
あなたにはもうついていけません、とか、そんな方だとは思いもしませんでした、とか。
酷くネガティブなセリフが飛んでくるんでは、と、身構えた。
再びヒューさんが口を開く。
「シューッヘ様には、今までご無理ばかりお掛けしました。英雄職の件、オーフェン外交の件、そしてこの度の魔王領外交の件。
シューッヘ様が以前おいでの世界では、まだ学徒であったこと。シューッヘ様がご立派であった故、頭から抜けておりました。申し訳ございません。
ご年齢から行けば、そのような重い責任を負わせる大人が間違っております。されど、英雄であらせられる以上、致し方ございません。
初めてシューッヘ様が、ある意味年齢相応のご不満を仰ってくださって、このヒュー、より一層シューッヘ様をお支えする覚悟が固まりました。
シューッヘ様が感じられたご不興は、小さな事であっても、どうぞ遠慮無くこのヒューをお叱りください。それがシューッヘ様御自身の御為でもございます」
なんともスッキリした顔で言うヒューさんであったが、イマイチ何を言わんとしているのか、俺には掴みかねた。
「つまり……どういう事です、ヒューさん」
要約を求めると、
「軍属していればともかくとして、18の貴族子弟など我が儘の塊の様なものでございます。シューッヘ様は、よほどご立派です。
ただ、ご立派である事がご自身の我慢や無理の上に成り立っているのであれば、是非おやめください。シューッヘ様がどのような方でも、このヒュー、変わらずお支え致します。
これまで、わたしもシューッヘ様の生来のご立派さに、甘えてしまっておりました。シューッヘ様はありのままで。それを支えるのが、我ら仲間にございます」
そう言って、再び深く頭を下げる。
視線の端でフェリクシアも、同意見なのか小さく2度頷いていた。




