第28話 女神様の空間で長考する。
女神様の空間に、居残り確定してしまった。
幸い、答えが出れば送り返してくれる送迎サービス付きだから、帰りは心配しなくてもいい。
ただ、肝心の答えが。
そう簡単に出てくれれば良いんだけれど……
『ほらあんた、答えが出るか出ないかを悩んでる場合? そのままじゃずっと帰さないわよ?』
「でしょうね」
俺は腹をくくる事にした。どれだけでも、何時間とかになっても、俺はここで答えを見つける。
ただそのためには、正座はキツい。俺は立ち上がり、そのまま女神様のテーブルの横に進んだ。
「女神様すいません、座り姿勢が厳しいんで、椅子か何かお借りしても良いですか?」
『ええ、その位は訳ないわ』
と仰った。が特に女神様に動きはない。
ん? と俺が思ってふと横を見ると、そこには今まで無かったはずの白い大理石作りっぽい重たそうな椅子が置いてあった。
「うわっ、椅子!」
『えっ? だって椅子が要るんでしょ? とにかく座りなさいよ。飲み物も欲しい?』
突然の椅子の登場に泡食ったが、飲み物の勧めは聞き逃さなかった。
俺は女神様に視線を向けて、こくこくと何度も頷いた。
『じゃ、最初は水ね。答えに近付くほど、美味しい飲み物にしてあげる。まぁ座んなさい』
コトン、と少し重量感のある音が鳴った。
近くで見ると透かし彫りのようになっている丸くて石造りのテーブルに、日本の飲食店にありがちな小さなグラスが置かれていた。
「ありがとうございます、先にちょっと失礼して」
さっきまでメンタル散々だったのは、突然の場所変更で面食らったせいで冷静になった。
ただ泣いた分だけ水分が減ったのか、喉が乾いていた。最初は水、と仰せだったが、喉の渇きには水が一番なのでありがたい。
早速グラスに手を伸ばし、一気にグビグビと飲み干した。うん、ぬるい。冷たい水の方が好みだが、これは人肌温度。天界の水なのに例外的に飲みづらい感じだ。
『そりゃそうよ、最初から良いものなんてあげないわ。出来る子には、ひえっひえの冷水でも、シュワシュワ炭酸水でも、何でもあげちゃう』
俺の思考を読んだ女神様が仰せになる。御機嫌が良いのは続いている様で、ニコッ、って感じの屈託無い笑みだ。
「それじゃ、お水も頂いた事ですし、考えていきますかー」
俺は石造りなのに冷たくはない不思議な椅子に腰掛け、ううーん、と背伸びをした。
***
あれから数時間、だと思う。この世界にいると疲れを何故か感じないので、集中して考える事が出来る。
色々考えた結果、ローリス王が「大人だ」と思えるエピソードは幾つも浮かんだ。
例えばバルトリア工房に家具類を押し売りされた時。工房長を処罰するのでも、叱責するのでもない対応だった。
確か……「これだけ言うのだから何かあるんだろう」みたいな事を考えて、そのまま受け取って代金も払った。
つまりそれは、少々陛下に横暴な事をしてくる人物がいても、背景がしっかりしていれば許すし、その人物の意見にも乗ってみる、という余裕と思う。
許し、というのが一つ大きな要素になっているのは間違いない。俺がヒューさんに対して出来なかった事だ。
ただそれ以外に、相手の言葉を信じる、たとえそれが「まぁバルトリアの言う事を試してみるか」という程度でも、信じてみる余裕。
それは間違いなく、大人の余裕と言っても良いと思う。
俺との関わりで行けば、陛下の機嫌を損ねる事は何度かあった。ただ、機嫌を損ねた瞬間首を撥ねろと命令が飛ぶ、とかは無かった。
人間だから、というのもあるが、ローリスの王様は多少気分屋と言ってもいい性質がある。けれど、気分だけで即相手を排除しようとはしない。
叙爵の時、無礼を働いた貴族にだって、一応の猶予は与えていた。魔導水晶を持ってこいという、実質無理な事を言っているのは間違いないけれど、形式的な猶予は与えている。
アレはもしかすると、今までその貴族は陛下に対して常に反抗的だった問題児、という可能性もある。あんな場で騒ぎ出す位だから、そうであっても不思議ではない。
確かワントガルド宰相閣下は、発言があって即、衛兵を呼んでたと思った。それは大人云々というより宰相という立場上、陛下への無礼は許さない、というポリシーなんだろう。
と……この辺りまでは、時間掛けて考えただけあって、俺の「子供な」思考でもなんとか辿り着いた。
キーワードのひとつに、「許し」というものがあり、それが出来ていない、出来ない。そこも分かった。
今は、ここは天界で、目の前には女神様がいらっしゃるだけで、ヒューさんはいない。だからある程度冷静でもいられる。
が、ヒューさんの顔を思い浮かべると……やっぱり心がざわつく。
俺って、こんなに心の狭い人間だったんだな、と改めて思い知らされる。
『だいぶ考えもまとまって来たじゃない? はい、オレンジジュース』
テーブルの上に目を落とすと、さっきまでは「大きめのグラスに炭酸水の氷水」だった場所に、全く喫茶店のオレンジジュース、といった感じのジュースが置かれている。
最初はちょっとぬるい水だったから、女神様から見て少しは進歩はしたんだと思う。ただなぁ……
「粗方、考えられる事は考えたんですよ、女神様。ただその……」
『その? ん?』
「許す、ってことが、どうにも……」
言葉になるのはその辺りまでで、胸の中にモヤモヤするヒューさんへの思いは、言葉にするのは無理だった。
『まぁ、あんたは地球じゃ高校生で、大人とのやりとりも少なかった訳だし、許しをどうこうってのは、慣れも無さそうだしね』
「慣れですか? う、うーん……慣れればなんとかなる問題なのかなぁ……」
『そこは人による、ってトコかしら。ケースにもよるわね。寛大な心の持ち主でも、家族殺されて許せる、って事は少ないでしょう』
「それはそうでしょうね。でも俺の場合は……目上の人に手柄を取られた、って話ですから、許すどころか憤るのも、本来は間違ってるんだろう、と思える様になりました」
『うん。そこまで自力で考えられたのは偉かったわ。ただ、目上だの何だのって言っても、それでも許せないんでしょ?』
「……はい」
『そうすると、今の考え方のままじゃ行き詰まるんじゃないかしら。今のあんたは、こう"あるべき"みたいな思考がベースじゃない?
けれど、人間の心なんてもっと粗雑なもので、理想像からかけ離れることなんてしょっちゅう。今回の件もそうだと思うわ』
女神様が変わらぬ微笑みのまま、ひょうひょうとダメ出しをなさってくる。
女神様の仰る事は全くごもっともで、「あるべき」「こうでないと」って考え方になってる。
それ故に、べき論と俺の心の乖離が激しくて、受け入れられない。頭では分かっても……って状態だ。
『どうする? 助っ人でも呼ぶ?』
「へっ? 助っ人?」
『アリアなら、この空間に呼び出す事が出来るわ。あんたの妻で、いつもあんたの心の機微まで見てる子だから、助けになるんじゃない?』
女神様のそのお言葉に、俺はちょっとポカンとしてしまった。
この数時間もそうだが、一人で居残り・何時間でも何日でも……と覚悟してはいたが、正直苦しさも段々増してきていた。
アリアは、俺とは結構違う視点を持っている。もしアリアがこの状況に来てくれれば、もしかすると打開案も出してくれるかも知れない。
『シューッヘ。この件の解決はあくまであんたの意志で決めなくちゃいけないわ。アリアが来ても、丸投げはさせないわよ?』
「あ、は、はい」
考えた事を見事に見透かされて、ドキッとすると共に頭にドンと石が乗った様な重苦しさを感じた。
そうだよな。アリアが来たとしても、これは俺の問題。ヒューさんの問題ですらなく、俺自身の問題だ。
でも……アリアが来てくれれば、もう半分ループに入ってしまってる俺の思考も打破されるかも知れない。
「女神様。出来るだけ頼りすぎないようにしますから、アリアをここに呼んで頂けますか」
『分かったわ、ちょっと待ってなさい』
女神様が不意に指をパチンと指を鳴らす。ゴトッと音がして、俺の横に俺のと同じ椅子が現れ、テーブルにはもう1つオレンジジュースが置かれていた。
女神様が俺から視線を離し、俺がこの空間に土下座で出てきた辺りに向けて、普通の話し方で声を掛けた。
『アリア。あなたの旦那様が困り切ってるわ。来る?』
少しの沈黙。が次の瞬間、女神様の視線の向いた所に、アリアがスタッと降りたった。
「シューッヘ!」
「アリア……」
アリアは俺の所めがけて一直線に駆けて来てくれた。
今まで女神様の前という事もあって気張ってたのが、ふっと気が抜けてしまう。
『あらあら、随分情けない顔しちゃって』
女神様の仰るのは聞こえたが、駆けて来て、椅子に座った俺の顔をガバッと抱きしめてくれたアリアの胸の中で、俺は半泣きになっていた。
「シューッヘ、もしかしてここに来てから、もう何日も経ってる? 無理してない?」
「アリア……時間は、多分数時間くらいだと思う。けど、俺の考えじゃ、もう堂々巡りで、限界で……」
「女神様。こちらに来てからシューッヘは何を?」
『私が説明しても良いけれど、シューッヘちゃんの主観もあると思うから、直接シューッヘちゃんから読み取った方が良いと思うわよ?』
「分かりました。シューッヘ、ここに来てから今までのあなたの心の動き、見せてもらうわね」
アリアの登場で力が抜けてしまった俺は、抱きしめてくれてるのを良いことにアリアの胸に寄りかかっていた。
アリアは目を伏せ、時折、ん、とか、あぁ、とか声を出しつつも、俺のこれまでの思考を読んでいる様だ。
3分くらい、だろうか。そのままアリアに姿勢を預けていたが、アリアが俺の肩を優しく掴み、アリア自身から引き離し真っ直ぐ座らされた。
「シューッヘの苦悩は分かったわ。相当思い詰めてたのも。あたしも一緒に考えるから、ね? 笑おう?」
アリアがそう言いながら笑顔を向けてくれる。
俺も涙目なんだが、アリアの声を随分ぶりに聞いたのも、アリアも一緒に悩んでくれるってこともあって、辛うじて、半ば無理矢理だが笑顔が作れた。




