第22話 魔族が戦争をしていた、あるひとつの理由
「ナグルザム卿にお尋ね申し上げたい」
座り直したかヒューさんの椅子が音を立てた。
ヒューさんを見ると、顎を引き至極真面目な顔でナグルザム卿を見ている。
「どうぞ。分かる範囲でお答えいたします」
と言ったナグルザム卿とヒューさんの視線が交わる。
俺は思わずつばを飲み込んだ。ヒューさんを信じたい、けれど……
視線を感じて逆をチラッと見ると、アリアもフェリクシアもヒューさんをじっと見ていた。
「ルナレーイが存続していた当時、魔族は継続的に、人間の領地に侵攻を続けました。
その当時の戦いは苛烈を極め、互いの死体が野山を埋め尽くすが如きであったと、歴史書にはあります。
魔族側として、そこまでの犠牲を出してまで人間の領地領域を侵した動機は、何だったのでしょう」
ヒューさんの声音は冷静な色合いで、魔族を罵倒したり下げしめる意図は感じられなかった。
「それは全て、魔王様のご命令によるものにございます。わたくし如きが魔王様のお考えを推察するのは、それは恐れ多い」
「貴殿らの王たる魔王様のお考えの全てを、という訳ではありません。あくまで、何故300年の単位で戦を続けたのか、知りたいのです」
ヒューさんが冷静な調子で言葉をついだ。
俺は――やっぱり臆病なんだな――ヒューさんの質問がナグルザム卿の機嫌を損ねやしないかと、内心ヒヤヒヤしてばかりだ。
「人間側の歴史書は、あまり詳細に強くないようだ。魔族側に伝わる、実際に起きたこと・あったことはお伝えできます。
まず、300年単位の戦いと仰るが、何も年中休まず戦ばかりという訳では全く無く、数年に一度程度、ルナレーイ侵攻の挙兵があった、という事です。
ただこれも、勇気の小金貨があれだけルナレーイに、そしてこのエルクレアに伝えられる程ある事からも分かる様に、挙兵は甚大な被害を招きました。
それでもルナレーイへの侵攻を度々『せざるを得なかった』のは、ルナレーイ王家に代々伝承されていたと言われる『魔法』が原因です。
『ルナレーイ軍事王国』という正式名の通り軍備の厚い国ではありましたが、それ以上に危険視されていたのが、ルナレーイ王家固有の魔法なのです」
魔族が恐れる魔法……?
いやそれこそ、王家のメンバーだけ殺害したいのであれば、兵を出すより暗殺者を送った方が早いし確実な気がするが……
「ルナレーイが特有の魔法を秘伝していたとは、初めて知りました。しかし、数に限りのある兵をもって対するよりも、ルナレーイと友好関係を結んだ方が良かったのでは?」
「わたくしは当時の事は存じ上げないので、その当時の歴史から推測する事しか出来ませんが、ルナレーイはドワーフを国王に迎えた代から、急速に戦力を高めました。
当時戦いと言えば、陸兵が槍を構え隊列を成し、その後ろに魔導歩兵を配し、随時騎兵が戦地をかき回す。そんな時代でした。それが、大きく変わった。
ルナレーイは、数に限りある魔導兵を城壁まで下げて安全を高めそこから遠距離攻撃をさせ、一方前線で盾となる陸兵のすぐ後ろに、恐るべき弓を扱う弓兵を多数配置しました。
魔導兵は、そもそも才能が無ければ戦いに参加すら出来ません。が、ルナレーイが開発した新式の弓は、強弓の様な厳つい物ではないのに、飛距離も貫通力も、これまでの弓の比では無かった。
ルナレーイの弓を鹵獲し魔族軍が構造を調べましたが、複数の滑車を組み合わせたその構造は極めて複雑で、それでいて魔族なら子供でも引ける程に、弦の軽い弓でした。
例えばですが、ローリスの弓でもって1クーレアから2クーレアの距離に矢を放とうとしたら、こう、斜めに構えるでしょう。どうです?」
と、ナグルザム卿が両手で弓を引くポーズをした。斜め上に矢を放つポーズだ。
「そうですな。クーレアの単位で弓を放つとなると、魔力で後押しをすれば別ですが、単に弓だけでは、射角はその程度必要です」
「この角度で打ち出すと、当然的を射るのは難しい。従って多数の弓兵で矢の雨を降らせるくらいしないと、目標の撃破もまた難しい訳です。
ルナレーイの弓は、魔族軍に残る歴史書に言わせると、3.5クーレアを直線で飛んだそうです。にわかに信じがたい話ではありますが、それだけ強力な弓だったようです」
「なるほど。ルナレーイ王は革新的な武器を開発したのですな。しかし、それと王族が有する魔法と、どこに接点があるのですか」
「弓と魔法に接点がある訳ではありません。その弓をはじめ多数の『新兵器』がいつ攻めても新たに出てくるので、犠牲者ばかり生んでしまった、というだけです。
出兵の真の目的は、魔族軍の動きに紛れ、姿を消した暗殺兵を王宮まで送り込み、魔法発動のカギとなる人物を抹消することでした。寧ろこれは成功しています」
あぁ……やっぱりそうだよな。
個人を狙うなら、兵隊を大挙して動かすよりは、個人プレーの出来る身軽な殺人者の方が適している。
「王家の秘伝という事は、暗殺対象は王族なのでしょうが、それならば軍を動かさずとも暗殺者を潜り込ませれば済んだのでは?」
「ルナレーイにそれが通じるのであったなら、あのような勇気の小金貨の山は作りませぬ。ルナレーイの都市構造が故に、陽動も含め軍がどうしても必要だった、と言われています」
「都市構造? ルナレーイは、多重の城壁なり、あるいは特殊な回廊を有していた、という事ですか」
「障害になったのは多重の城壁とその間の空間です。都市と外を隔てるのが1枚の壁であったのなら、暗殺者も苦労せずに入り込めたかも知れません。
王城を中心に、同心円の壁が10枚以上もあり、かつ壁と壁の間は居住区。つまり警護兵もいます。戦時の様な混乱した状況でなければ、姿を消していても発見され、始末されるでしょう」
「つまり……1名か2名か分かりませんが王族の一部を始末するためだけに、それこそ数千の単位で、将兵を浪費した、と?」
「そうですな。浪費と言えば浪費かも知れません。されどルナレーイに伝わるとされる魔法、万が一にも行使させる訳にはいかなかったのです」
む。ナグルザム卿の表情に明らかな変化があった。
口を一文字に結び、目にも力が入っている。気分を害したと言うより、何か強い意志を感じる顔だ。
「ルナレーイに伝わる魔法……魔王様であればご存じのはずでは? 悠久の時を生きられ、全ての魔法に通じておられると聞く」
「その例外こそ、ルナレーイの秘伝魔法です。今ヒュー殿は、魔王様が悠久の時を生きられたと仰った。間違いないですね?」
「ええ。我々人間とは到底比べられない程に長命な上、死してもしばらくすると再び別の姿を取って蘇られる、そう聞いております」
「不滅にして再生自在の魔王様は、生来そういうご性質として生きておいでです。が、それは言い方を変えると、そのような属性を持っている、とも言えます」
「属性ですか。人間にはそこまで際だって他の人間と根本から違う、という事自体が無いので、属性と言われても正直あまり感覚的に掴めませぬ」
「大げさな事ではなく、例えば人間でも、火魔法はお手の物だが風魔法はまるでダメだと、その程度はあるでしょう」
「ありますな。逆に言うと、魔法を例に取るならば、全く同じ得手不得手を持つ人はまずいないでしょう」
「属性としての不滅再生も、人間の魔法の得手不得手と大差はありません。寧ろ得手の部分がそのまま属性である、と言っても良いくらいだ」
「なるほど。不滅再生という得手、属性をお持ちの魔王様にとって、何かしらルナレーイの魔法が脅威であった、という事ですな?」
ナグルザム卿が目を伏せながら深く頷いた。
「左様。ルナレーイの秘伝魔法は、つまり『属性消去』の魔法。あらゆる個性や能力、スキルを脱色して奪う、極めて危険な魔法です。
しかも当時の軍部が推定する範囲では、どうも大規模な範囲を押さえる広域魔法らしい、という事も言われていました。
もし万が一にも魔王直領近辺でその魔法が行使され、魔王様に影響が及べば……我々魔族は、永遠に『王無き民』になりかねません」
あらゆる個性や能力を奪うって……
あぁ、つまり不滅とか再生可能とかも属性で、それが奪われれば生き返れないし死んだら死んだきり、な訳か。
古代からずっと生き続けているからこそ、自然と魔族の長としての信任も篤いんだろう。
代替わりなんかを経験していない魔族だからこそ、不死のはずの魔王様が死ぬ、というのは、とても恐ろしい事なんだろうな。
「兵たちは、王の為に戦ったのですな。ならば尚更、その栄光は讃えられて然るべきと、わたしは考えます」
とヒューさんはそこで一旦言葉を切った。
ちょっと目をつむって黙ったと思ったら、不意にカッとその目を見開き、椅子に腰掛けながらもグイッと前のめりの体勢になった。
「将兵たちの命の証とも言える勇気の小金貨を、王都へ帰還させる役目。どうか我々に担わせては頂けないか。人間はもう、魔族に敵対しない。その意志も、魔王様にお伝えしたい」
凜々しい調子でハッキリと断言をするヒューさん。
うわっ、良いとこ見事に持ってかれた……!




