第24話 ちょっぴり不安定気味な女神様でも、ヒューさんの『覚悟』に触れて正気に戻ってくれたようだ。
女神様との会話ラリーが、突然止まって。
でもこちらの言葉が、自分で言うのもなんだけどちょっと小恥ずかし内容だったので、そのまま待つことにして、少し。
女神様が、ボソボソっ、という感じの御声で、
『あ、あんた、女神口説いてどうすんのよ……あたし何も出来ないわよ、そんなこと言われても』
と、仰せになった。良かった、お怒りになられたかと思った。
「もうペルナ様からは、頂けるだけのものはたっぷり頂いてます。これからは折を見て、食べ物とか衣服とか、捧げるようにしますね」
『ち、ちょっと! そういうんじゃないから! 欲しいけど、けどぉ、そうじゃないのぉ、違うのぉー』
え、え? 女神様泣き出した?!
「ペルナ様、お、俺何か失礼なこと言っちゃいましたか? 命だけ残してもらえば、神罰も……」
『そうじゃない……ぐすん。……あたしに優しくしたって、嫌な目に遭うだけなのよ……』
「んー、俺がしたいだけですから! この世界を紹介して下さったことも、俺、凄い感謝してますよ」
と……また沈黙……の様で、ひっくひっくと、しゃくり上げる音が小さく聞こえる。
「ペルナ様、じゃ少し気分変えましょう。さっきの話の続きです」
『……うん』
「ヒューさんにも、俺が聞こえている様に女神様の声を聞いてもらう為の条件。信者になる、だけですか?」
『地球で言う《ご縁》が薄いから、単に信者なだけじゃ無理……大切にしている何かを供物として捧げることが必要』
ペルナ様、少し立ち直ったのか、しゃくり上げは止まったようだ。
ただ御言葉の調子がほとんど棒だったから、まだ冷静にまではなられてはいないようだ。
「ヒューさん。今俺が女神様に言ったことは、聞いてましたよね」
「ええ、わたしもシューッヘ様同様に女神様の御声を賜るには如何にせん、とのことで」
「はい。その条件は2つ。1つは、改宗。ペルナ様を信仰すること。これは出来ますか?」
「元々イリア様への信仰は、生まれた時から周りに教会があった、という程度のもので、特に固執はしておりません」
「では、もしペルナ様へと改宗を求められたら?」
「シューッヘ様が望まれるのであれば、喜んで改宗致します」
ヒューさんの目をじっと見つめる。
視線、目の力に動揺や不自然さは無く、言っている言葉そのままを信じて良いように思えた。
「もう1つの条件。まだ完全に詳細が聞けた訳ではないんですが……大切にしている何かを、ペルナ様に捧げること、です」
俺がそう言うと、ヒューさんは俺から目線をそっと外して、眉間にシワを寄せた。
ゆっくり右手が顎に近付いていって、顎先をつまむ。ヒューさんが難しい事考える時のクセだ。
さてヒューさんはどう出るか。改宗は、俺の信じる女神様、というところでクリア出来そうな勢い。
けれど、大切にしている何か、と言われても、人間いきなりそう言われて、これですっ! となる人の方が珍しい。
それに、もしかすると大切にしているその何かというのが、思い切りプライバシーに関わるものかも知れない。
例えば……亡き家族の遺品とか。
もしそういう物を捧げようとするなら、俺はヒューさんを止めよう。
女神様との会話が楽に出来る、それだけの為に失うには、代償として大きすぎる。
「一つ、女神様にお伺い頂いても、宜しいですか」
ヒューさんが言葉重たげに言う。
「もし形ある物を捧げたならば、その物は如何様になりますか。女神様のお手元に届くのですか、それとも単に供え物の集積場の様な所に入るのですか」
「伺ってみます」
と、俺は一度深呼吸をした。
ヒューさんはとても難しそうな顔をして沈黙した。
「ペルナ様。ヒューさんの真意は分かりませんが、宜しければ教えて下さい」
『法外に大きい物とかじゃなきゃ、あたしの手元に必ず届くわ。その後、その物自体どうするかは、完全にその物次第ね』
「と言うと……例えば先だっての『グラスに入ったお酒』は、お手元に?」
『ええ、久しぶりの供物、しかもお酒だったから、美味しく頂いたわ。あたしがグラスに受け取ってね』
と、いやいや今は俺の酒の話をしている場面じゃなかった。ヒューさんだ。
ヒューさんは、相変わらず難しそうな顔のまま、黙り込んでいる。
「供物は、まず女神様のお手元に届くそうです。それからどうなさるかは、その物次第だ、と」
ヒューさんは表情そのまま、頷いた。
「ヒューさん、もしも改宗して、更に供物を、となったなら、ヒューさんは何を捧げるつもりなんですか?」
ヒューさんはちらっとこちらを向いて、目を伏せて、またゆっくり頷いて、そして立ち上がった。
黙ったまま、執務机の向こうに回った。そして、机の後ろになる書棚に手を伸ばしたなと思ったら、その手がパァッと光った。
その光に反応する様に、書棚がじわり、じわりと、左右に開いていく。ズズッ、ズズッ、と重そうな音を立てながら。
ヒューさんは、空いたスペースの更に奥の方に手を伸ばし、そして戻ってきた。
戻ってきたヒューさんの手には、赤・青・白の3色の布の飾りが付いた、小さな金色のメダルがあった。
「わたし風情が女神様の心中を推し量るなど不敬かとは思いましたが、わたしなりに考えました」
そう言いながら、とても大切そうに飾り部分の生地を優しく伸ばし、愛おしそうにメダルに触れた。
「女神様が求める『大切』とは何か。金? 地位? 立場? 違いましょう。もっと大切で、替えのないものかと」
ヒューさんが両手でメダルを挟むようにしている。愛おしいからと言うより、まるで別れを惜しむようだ。
「この年になると、大切な物はたくさんあるようで、存外執着も薄くなるのであまり思い当たらぬものです。
されど、これだけは違う。まだわたしが10代の頃に、国王陛下より直接賜った、一番下のランクの、褒賞のメダルです」
「見せてもらっても良いですか、あ、ヒューさんの手の中で大丈夫です」
ヒューさんの横に進み、メダルを見てみる。三本の剣が重なったデザイン。飾り布は、幾らか色あせしている様に見える。
すっ、とヒューさんが何気ない調子でメダルを裏向けてくれた。そこには刻印があった。
<我が命を守った勇敢なる若者へ捧ぐ>
刻印は、そう書いてあった。
「我が命を……これを国王陛下から賜った、という事は、若い頃ヒューさんが王様の命を救ったんですか?」
「当代の陛下ではなく、先代様のことです」
ヒューさんは、昔を思い出す様にゆっくりと話してくれた。
護衛を連れて街の視察に歩いていた当時の王様の元には、たくさんの民衆が集まっていた。
陛下は民の声を直接聞く事を特に重視しており、直接の陳情、要望、はたまた文句まで、何でも耳を傾けられた。
そんな陛下であるから、護衛が守りはしていても、民を退ける様な事はしなかった。それが仇となった。
わたしも当時、今はもう無い魔導専門校の入学条件緩和を直訴するため、陛下と話せる順番を待っていた。
そして、陛下は私の直訴をしっかりと聞いて下さった。緩和を検討する、とまで言ってくださった。
わたしは有頂天になり、何度も頭を下げ、しつこいくらいに感謝を申し上げて、その場を去ろうとした。
その頭を下げた時、次の人物の指先がふと見えたのだ。剣の鍔を押し上げていた。抜剣間際なのは明らかだった。
わたしは無我夢中で、陛下の前に、壁になるように、精一杯飛んだ。そこにその剣が襲いかかった。
不埒物は陛下を仕留め損ね、その場で自ら首をナイフで搔き切って果てた。あとで聞いた話、異国のスパイだったそうだ。
そうしてわたしは、背中に深い傷を負って倒れた。普通、背中を斬られても致命傷にはなりづらいのだが、違った。
剣には、相当な猛毒が塗られていた。私は王宮の治療室にすぐ運ばれたが、2週間以上、生死の境を彷徨った。
そうして、ようやく意識も戻り、薄いスープが飲める様になった頃。事件からはひと月ほどの日。
治療室に、陛下がお出ましになられた。恐縮し、ベッドの上に座したわたしに陛下は、このメダルを差し出された。
わたしが陛下のお手からそのメダルを取ると、陛下は仰せになった。お前を我が一生涯の臣下としよう、と。
「その日から今日の日まで、役に立たぬ若輩の時代も含めて、わたしは国王陛下に仕えております。
このメダルは、わたしと王家とを結びつけてくれたメダル。このメダルこそ、私の生きてきた歴史そのものです」
ヒューさんは、まさに自分のアイデンティティーとすら言えるメダルを、供物にしようとしている。
本当に……本当にそれで良いのか? ヒューさんの人生を決めた、そして絶対に1つしか無いメダル……
「ヒューさん、そのメダルを、本気で供物として差し出してしまうんですか? 本当に、二度と手元には戻らないんですよ」
俺如きでは、今のヒューさんの心中は計れない。複雑な葛藤など無い様に見えるが、そう見せているだけか?
いずれにしてもヒューさんは、何を捧げるかと俺が問うたら、このメダルだけを出してきた。品物は確定だろう。
けれど……ヒューさんの、半生どころか一生のシンボルと言っても良いそのメダル。本当に良いのかヒューさんは。
また俺としても……女神様とヒューさんを繫げるに当たり、本当にこのメダルを出させてしまって良いのか……
「シューッヘ様、お心砕き頂き、恐れ入ります。
わたしも、迷うところが無いではないのです。このメダルは、まさにわたしがわたしである証。
わたしは考えました。女神様が供物という形を通してお望みなのは、忠誠ではないか、と。」
ヒューさんの、静かだが確信を感じさせるその口調に、俺の方が緊張して喉がヒリヒリと渇いてくる。
「さぁシューッヘ様。わたしでは供物の儀は出来ませぬので、お手数をお掛けしますがこのメダルをば、
わたくしヒュー・ウェーリタスからの捧げ物として、サンタ=ペルナ様にお届けください」
ヒューさんが頭を下げ、メダルは両手を皿のようにして乗せ、俺が取りやすい高さまで持ち上げた。
俺はハッキリ躊躇した。ヒューさんの人生を決めたメダル、俺が触ることさえおこがましい。
けれど、女神様に供物として差し出すのなら、俺が手に持たないとさすがに難しい。
迷っている間ずっと、ヒューさんは頭を下げた格好のままだった。
俺もつたない覚悟を決めた。
「……ではヒューさん、まずメダルをお預かりします。直ちに女神様に捧げますので」
「どうぞ宜しくお願い申し上げます、シューッヘ様」
ヒューさんの手からメダルを取った。重い。小ささから思い描いていた重さの倍はある感覚。
そこに、ヒューさんの人生という重みすら加わっている様に思え、余計に重量感を感じてしまう。
「女神様。ここにおりますヒュー・ウェーリタスさんは、女神サンタ=ペルナ様を信仰する事を、このメダルに込めて誓っております。
どうかヒューさんにも、ペルナ様の御声が届きますよう、女神様の御力をお借りしたく……」
そこまで言うと、ふっと突然手が軽くなった。乗っていたメダルは、消えていた。
「め、女神様、いかがでしょうか……」
ヒューさんの『忠誠』というのも、言ってしまえば単なる推測だ。もしかすると全然違うかも知れない。
大切な物、という括りには確実に入るとは思うが、女神様がどうお考えになるかは、分からない。
少し沈黙が続いたが、ペルナ様の御声で場の空気が変わる。
『ヒュー・ウェーリタス。あんた、とんでもない覚悟をしたものね』
「はっ! め、女神様の御声!!」
女神様が直接ヒューさんに語りかけた。その声は俺にも聞こえたし、ヒューさんにもハッキリ聞こえた様だ。
『ヒュー、あんたの覚悟と気持ちはよく分かったわ。これだけ思いの詰まった物が供えられるのは、相当ぶりよ』
「シューッヘ様、こちらからお話し申し上げても伝わるものでしょうか」
『伝わるわよヒュー。女神と近い関係になった、と思えば良いわ。いずれ奇跡の使い方も教えてあげる』
おぉ、ヒューさんと女神様が垣根無くお話しをしている。
ヒューさんの様子が、表情が、感動極まって震えている。身体だけでない、唇の先まで震えている。
「ところで女神様、今はヒューさんのメダルがお手元に?」
『えぇ、とても素敵なメダルね。王の心、ヒューの心。いずれも籠もった、高位の品物だわ』
「俺が聞くべきじゃないかもなんですが……そのメダルは、これからどうなりますか?」
女神様は仰っていた。届いた後は、その物次第だと。
ヒューさんのメダルがまさか、ヒューさんの言っていた様な「集積場」に放られるのは、俺としてもいたたまれない。
ヒューさんのメダルの行方は……女神様……
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