第16話 初めて知った、ヒューさんはこれで動く。
ヒューさんの偏見と言うか頑固な信念と言うか、少し揺るがす事は出来た様に思う。
けれど、幼少にずっと「そういう」教育を受けてきたとなると、端々にやはり出てしまうのも無理はないかも知れない。
明日のまだ日がある内に、王宮へ行くことは既に約束済みだ。そこで魔族魔族と騒ぎ立てられても困ってしまう。
「ねぇアリア。アリアは魔族について、どういう考え方を持ってるの?」
俺は他のメンバーに聞いてみることにした。
何せ俺は、元々魔族という種族のいない星の出身。リアルな感覚は無い。
「どういうって言われてもねぇ……悪く言えば得体が知れない、良く言えば単に分からない存在、かしら」
「つまり、知らないから考えようもないって感じ?」
「そうそう。魔族の話とかは童話で聞くけれど、所詮童話だし。魔族と直接接したのなんて、今日が初めてだしね」
「そっか……でも知らないものを『怖いもの』って決めつけないだけ、アリアは凄いと思うよ」
「ふふ、これも女神様のお陰。魔族の人の心の声も普通に聞こえて、それが人間と大差ないのよ。だから、違和感も無いの」
「あっ、アリアならではの判別法か。それだったら間違いないね。フェリクシアは?」
と、今度はフェリクシアに聞いてみる。
「私は、戦闘訓練の仮想敵として魔族を想定する事がしばしばあった。獣型、ないしは虫型で、獰猛な設定だ」
「とすると、フェリクシアは魔族には多少なりとも警戒心があるほう?」
「どうだろうな。先ほどの女将の、客相手とは言え人間への献身的な態度を見ると、そもそも仮想敵にする事自体誤っている様にすら思える」
「女将さん、必死になって大急ぎで冷やす物運んでくれてたもんね……ヒューさん」
俺が改めてヒューさんを呼ぶと、ヒューさんは落ち着いた様子でゆっくりこちらを向いた。
「俺達3人は、ゼロかはともかく魔族の人への偏見は無いに等しいです。出来ればヒューさんにも、考えを改めて欲しいんです」
「シューッヘ様のお心に沿うよう、努力はしてみます。確かに先ほどの女将は、気付かぬ間に部屋に先んじ、湯あたりの対処を整え、客を大切にしておりました。
商人の基本は、顧客を大切にすること。そこに人間も魔族も無いものとわたしは思います。他の魔族もまた、心ある者同士、同じようなものかも知れません」
「俺が断定は出来ませんけど、ヒューさんが2ヶ月間いた時も、人だと思ってた魔族、というのも結構いたんじゃないですか?」
「……否定出来ませぬな。ザムザ殿の件で、魔族と人、見た目やマギで区別する事は不可能と知りました。
エルクレア都市外には半獣の姿の魔族を割と見かけましたので、それ位ハッキリ分かるものだと、思い込んでおりました。
2ヶ月の潜入期間中は、主に都市内で様々な聞き込みを行いました。ただ、そもそも聞き方が偏っていたやも知れません。
喩えるなら、貴様は魔族か、と詰問調で言えば、正直にそう答える者の方が少ないでしょう。さすがにそこまで露骨ではありませんが、偏りはあったと思います」
「見た目がハッキリ違えば、分かりやすいですけど……俺が思うには、別に分からなくてもいいと思うんですよ」
「はっ? それは、どういう意図のお言葉でしょうか」
「単純なことです。人も魔族も、客を大切にし他人を大切にし……とかって言ったら、もう人も魔族も変わりないじゃないですか。
そこを、人だからこう、魔族だからこうと分ける意味自体が無くて、どちらにも俺達は普通に、他者として尊重して、対応すれば良いんじゃないかと、そう思うんです」
「なるほど他者として……」
と、ヒューさんはゆっくり腕組みをして、軽くうつむいた。
俺は、ヒューさんの心の中が整理の付くのを待つ。
ヒューさんは、動かない。あくまでじっと固まったまま。
だがきっと、頭の中は今までの概念を入れ替えようと、必死になってくれている、と信じたい。
しばらくして。
ようやくヒューさんが顔を上げた。
「シューッヘ様。人と人でも分かり合えぬ時はございます。
魔族と人、余計に分かり合えぬやも知れませんが、だからと言って差別し、元から付き合いを疎にするのは愚策と思い至りました。
シューッヘ様のお心に従い、このヒュー、魔族に色眼鏡を使わず、ある種魔族という『個性』のある者と付き合うように考える様、精一杯努力いたします」
「ありがとう、ヒューさん……俺、正直言うと、ヒューさんはもうここで、ローリスに帰ってもらわないといけないかと……
良かった、良かった……俺達4人で、魔族領を越して、魔王直領まで行って、魔王と話して。一緒にこれからも旅をしましょう!」
「ははっ、ありがたきお言葉! このヒュー、必ずや変わって見せましょうぞ!」
ちょっとだけ涙が出た。ヒューさん、俺が言った事を本当に真剣に捉えてくれて、変わろうとしてくれる……
もうこれだけ老齢なら、頑固一徹になってもやむない歳だと思うのに、俺の事を思って……それが嬉しくて。
多少、汗臭さのある結末になってしまったが、ヒューさんが『変わること』に覚悟を持ってくれた。
明日の晩餐会がヒューさんにとっての初戦。ヒューさんくらい本来柔軟な頭の人なら、固執してたものが無くなれば、上手く行くと思う。
と、ドアがノックされた。はーい、と俺が声を掛けると、フェリクシアがすぐドアの横に警戒姿勢で立つ。
「どちら様であるか」
「女将でございます。先ほどのお礼に参りました」
フェリクシアが俺を見る。女将さん、わざわざお礼なんて。
でも、自分のした事が少しでも喜んでもらえたなら、やっぱり嬉しい。俺はフェリクシアに頷いた。
フェリクシアがドアを開ける。さっきより少し長いスカートに履き替えた――しっぽの隠れた――女将さんが、そこにいた。
「先ほどは勢いのままご無礼な事を数々申しました。ローリスの国使様とか、英雄様と聞いてもピンと来なかったのですが、ローリス国の親書をお持ちと、伺いました……」
「あ、はい。ローリスの国王陛下の親書を……一通はもう、ナグルザム卿に手渡してしまいましたが」
「ナグルザム卿ともお知り合いなんですか! それはそれは、私などが気楽にお声掛けしてしまい……」
「そ、そんなこと気にしないでください! 女将さんの初動のおかげで、アリアももう回復しましたよ。俺の方こそ、聖魔法でご迷惑を掛けてしまって、すいませんでした」
「いえいえ、宿帳でローリスの方だと伺っていたので、まさか聖魔法をお使いになるなんて……回復師さんなんですか? シューッヘさんは」
「あー……行きがけのバザールで、小さな聖魔法のスクロールが売っていて、そこから魔法をコピーしたんです。使ったの、まだ2回だけなんですよ、実は」
「先生の闇回復魔法もコピーされてましたもんねぇ。そうすると、あたしに掛けてくださった闇回復の魔法で、回復魔法って括りで、3度目?」
「実はそうなります。あの『先生』が横にいてくださったんで大胆に挑めましたけど、結構不安だったんですよ、あは、は」
「そ、そうね、不安そうな顔してたものね。あ、失礼を。夕食のお時間を伺いにあがりました。苦手な食べ物、またはお食べになりたい物などはございますか?」
「アリア、フェリクシア、俺が食べられそうにない珍味とかってありそう?」
元気になって椅子に腰掛けているアリアと、入口の所で未だ待機中のフェリクシアに視線を投げる。
「あたしもエルクレアの食材とか料理は詳しくないからなぁ、フェリクは?」
「私もだ。ここは大長老のヒュー殿に聞くべきだろう」
と、一同の視線がヒューさんに集中する。
「エルクレア西部地方の郷土料理で、塩蔵にした魚卵の料理があると聞いた事があります。前回来た時には食べ損ねました」
「それって、ヒューさんが食べたいものでは?」
「そうです! 2ヶ月もおって食えなんだのです、シューッヘ様のご威光に預かり、是非頂きたく思います!」
「魚卵の塩蔵……ああっ、『数の子』の事ね。幸い今くらいの時期からここいらの市場には出回るの。お酒のあてには、とても良いですよ」
「か、数の子?! 女将さん、数の子って、こんな形して、かむとプチプチプチプチずっとする、アレですか?」
「あら、シューッヘさんは数の子をご存じなの? 珍しいわね、他国ではあまり食べないって聞くのに」
「シューッヘ様、どういう事です? わたしより先にその珍味を、いつの間にかお食べになっていたと?」
「ひ、ヒューさん圧が凄い……。いやそういう訳では無くて、元いた世界にあったんですよ数の子。名前まで正確に女神様翻訳されてるので多分同じ物だと思って」
「なんと! シューッヘ様がおられた世界は、食文化が大層発展しておったのですな!」
「です、ねぇ……特に俺のいた国は、世界の中でも豊かな国だったので、世界中の美味しい物が、お金さえあれば、食べられましたよ」
問題はそのお金が簡単に手に入らない事、だったりする訳だが……
幸い数の子は正月料理枠もあるし、安い寿司屋さんでも食べる事は出来た。
「数の子が食べられるようだったら、いくらとかもおすすめね。これはパンでもご飯でも、主食と合わせるととても美味しいです」
「いくら?! エルクレアって内陸のはずなのに、なんでそんなに海の幸が?!」
いくらを知っている俺には、高価な海の幸オンパレードなのがよく分かる。
料理旅館と言っていたが、ここまでポンポンと内陸なのに海の幸が出てくると混乱する。
「数の子は元々、エルクレアの属領でと魔族領と領地を接する所で食べられてたの。他の海の幸は、魔族領との直接交易品でね。数年前から入る様になってきたのよ」
「シューッヘ様、いくら、とは?」
「ヒューさん食いつきが激しい。いくらは、これも魚卵なんですが数の子より粒が大きくて、とろりとした味わいが特徴です」
「これは夕餉が楽しみでございますなぁシューッヘ様! 他にも海の物はあるのか女将、ローリスでは海産物はとても少ないのだ」
「そうですねぇ、食べ慣れてないと厳しいかも知れないけれど、お刺身なんて美味しいですよ。生魚の切り身をそのまま、調味料に付けて頂くんです」
「オサシミ! これはますますエルクレアの食文化が興味深い! しかし、何故2ヶ月もおったのに、わたしはそれらに出会えなかったのでしょうか」
ヒューさんがふと疑問の顔になる。
「多分、お客さんが魔族を忌避してたから……魔族領由来の食べ物は、皆、気を遣って外したんだと思うわ。ごめんね、廊下で聞こえちゃってて」
「ああ、なんたる……わたしは魔族だけでなく魔族の食文化まで拒否をしていたのですね。これは申し訳ないやら、残念無念やら……」
「お客さん食欲で動く人なのね。何でも良いわ、理解出来ないって思ってた相手を理解するきっかけに、食べ物がなれるんなら。腕を振るいますよ!」
女将さんがその腕をぐっと直角に差し出して、自信満々の顔付きと共に微笑んだ。
料理旅館の女将さんとしてのプライドとかあるんだろうな、ヒューさんではないが、夕飯が楽しみだ。




