第14話 やっぱり闇魔法は胃に来る。満腹時は避けたい。
第3応接室。特に看板などがある訳でも無いんだが、階段の手前の部屋に女将さんはすいすい入っていった。
俺も後ろについて入る。応接、というだけあって、ソファーセットがあるんだが……アレは、アレか。
木の枠に、白い布がピンと張られた状態で打ち付けてあるパーティションが立ててあり、部屋の角を隠す様になっている。
日本の、保健室とか古い個人クリニックとかで、見かけた気がする。診察ベッドや診察台を隠す、目隠しパーティション。
「あの女将さん、あそこって診察コーナーですか?」
「ん? あぁ、そうだよ。第3応接は怪我したり病気が酷い時に、回復師の先生のお世話になる為の部屋さ」
見てみると、パーティションの中には、木製の事務机に椅子が奥に、手前側のスペースは……ベッドかやっぱり。
「あんた、そんなに珍しいかい? ローリスでも医務室くらいあるだろうに」
「あるらしかったですけど、幸い健康で、お世話になることが無かったんですよ」
「にしたって、子供の頃ほら、学校だって、こんなもんじゃなかったかい?」
「あー……あの俺、実は元からローリス人ではなくて、召喚された『英雄』なんですよぉ……」
ちょっと言うのに勇気が要る。けれど、話の齟齬が出そうなので、早めに言っておく事にした。
案の定、英雄、という言葉が認識された瞬間が分かる程ハッキリと、女将さんは目をカッと見開いて、後ろへ飛んで俺から距離を取った。
「え、英雄だって? あ、あんた、私らの、私らを、あ、ああぁ」
パニックを起こしかけているのか、さっきまでの威勢の良い雰囲気は消え、目が怯えきった色に染まる。
「あのっ! さっきも言ったように俺、魔族の皆さんの王でいらっしゃる魔王陛下と、どうしてもお話しがしたい……そんな英雄なんです」
「ま、魔王様を脅してっ、な、何かかすめ取ろうって言うのかい?! あ、あんたが、え、英雄だって、ま、魔王様には到底」
「はい、到底かないません。そもそも俺は、魔王陛下にも魔族の皆さんにも、危害を加える気はまっったく無いんです。俺の女神様に誓って!」
俺は自分の胸に、力一杯開いた手をドンと叩き付けた。
その音を最後に、しばし静寂が訪れる。俺は動かない、女将さんも動かない。
静寂の中でも動きがあるのは呼吸音だ。女将さんの息が、荒かった息が、次第に静かになる。
俺の胸の中でだけバクバク音を鳴らしている心臓も、女将さんの表情から攻撃性が抜けてくるに従って、少しずつ穏やかになる。
「あんたは……任務とかじゃ、ないのかい? 英雄、なんだろ? 良いのかい、それで」
「良いも何も。前任と同じ事しないといけないって事はないですよ。
前任のイスファガルナは、魔族の皆さんに大層ご迷惑をお掛けしたと聞いています。
俺が言うのも筋がおかしいかも知れませんが、魔族の皆さんにお詫びします。申し訳ない」
俺は両手を体側に揃えて、キッチリ90度のお辞儀をした。
行動だけで、言葉だけで、積年の怨嗟が晴れる訳では無いだろう。
だが俺は、本当に、魔族を敵視していない。出来れば見習いたい。人間世界の意識向上に活かしたい。
そこまで伝わらないにしても、少なくとも俺が危険な存在で無い事は、分かって欲しい……
「待たせたなルリファスって、おいルリファス! そちらはローリスの国使様だぞ、何させてんだよ!」
さっきの衛兵さんが、扉を開けるなり焦っている。
それをチラッとだけ確認し、再度90度・正面に視線を戻す。
「い、いやあたしがそうしろって言った訳じゃなくて、この人……英雄、なんだって。それでも、魔族を滅ぼす気は無いみたいで……」
「英雄?! な、なんとそれは事実ですか、ローリス国使、ノガゥア卿」
俺に質問が飛んできた。
丁寧に、ゆっくり。上半身を起こし、今度は衛兵さんの方に向く。
「事実です。異世界からオーフェンに召喚され、色々あってローリスの所属になってます。異世界召喚者なので、定義としては英雄になります」
「定義は、まぁ……しかし、魔族殲滅の任を、英雄は代々帯びると聞いていたが、真実ではないのか?」
代々。そういうものだったのかなぁ……
女神様の仰る英雄像と何だかズレるな……
「うーん……真実『だった』が正しいのかも知れません。俺の代で、女神様のご支援の下で、変えました」
「変えた。さ、さすが英雄と言ったところか。ま、まぁ……危険性が無いのであれば、こちらとしては……」
「おいどうした、患者はここに来ておらんのか!」
衛兵の後ろから声が飛ぶ。ちょっと荒々しい感じの、男性の声だ。
「あぁー先生、またお世話になります」
「あぁ、『紅の酒』のルリファスか。また酔客と喧嘩にでもなったか?」
衛兵の横を、大きな身体に白シャツ、緩いチノパンの男性が通り抜けてこちらへ来る。
接骨院、柔道整復師です、と言われると納得できる感じの、良いガタイをした人だ。
「ん? こちらの男性は?」
「先生の魔法の見学希望ですって。魔法なんて、見て何とかなるものでもないのにねぇ」
「はは、敢えて見学希望という事は人族か。回復師と言ってもワシは闇魔法の回復魔法を使う。闇魔法は人間には害がある。それは知ってのことか?」
何回も言ってるセリフなんだろう、トントントンとテンポを刻む様に、注意を伝えてきた。
「はい。どの程度の害かは、正直知りません。ただ魔法にはとにかく強い興味がありまして」
「ふむ。後でガルニアの回復所に運び込まれることになるかも知れんが、それでも見学するか?」
「一応、自分でも聖魔法の回復魔法が使えるので、体調が悪くなったら、宿に帰って、今度こそ人しかいない所で、回復魔法を使います」
「今度こそ? 回復魔法が使える? ちょっと待て、ルリファスの熱傷はこれは、聖魔法の疵じゃないか! 魔族に聖魔法を行使したのか?!」
「先生ー、そこはこのお客さんに悪意はないんですよぉ。お仲間がね、温泉で伸びちゃって。かなり重い湯あたりで、とっても焦ってたもんねぇ、あんたも」
言われて、思い出す。
確かに俺は焦っていた。聖魔法は魔族には禁忌。それはオーフェンで知ったこと。
近くに魔族がいること。これも注意深くなれば思い出せたこと。けれど、うん……アリアの姿に、すごく焦ってしまった。
「あらまぁ、若いわねぇ赤くなっちゃって。でも開き直って居直るヤツに比べたら、随分可愛いわ」
「お前さんがそれで良いのなら、官憲にも報告はしないが……おいあんた。魔族に聖魔法は、本当に危険なんだ。今後気をつけてくれ」
「は、はい。前後左右、よく確認してから、使います」
「はっ。前後左右とはまぁ大げさな。そんなに広い範囲の回復魔法が放てると言うのか、小僧」
「先生ー、この人の言ってる事、本当なのよ。あたしも5レアは離れてたはずなんだけど、キラキラって光ったのがジュッて」
「5レア?! ワシでもせいぜい手の先1レアの範囲でしか、魔法は届かんというのに、あんた何者だ?」
「先生! こちらの御方は、ローリス国使、シューッヘ・ノガゥア卿と仰います。併せて、英雄でもある方です!」
「……なるほど規格外な訳だ。これで聖魔法はガルニアの専売特許では無くなった訳か。まぁ、ワシに関係のある話でもないな、ルリファス、ベッドへ」
言われて、女将さんが白いパーティションの中に消える。
「おい、あんたも見学希望なら、適宜見える所に位置取ってくれ。近付けば近付くほど、悪影響を受けるぞ」
「ありがとうございます。俺は……この辺りで。[マギ・アナライズ]!」
マギ・アナライズを発動させる。目で見えてる世界にもう1つ別の世界が重なるような錯覚を受ける。
「マギ・アナライズで見学か。闇魔法の回復魔法も、魔族の専売から奪われそうだな」
ボソッと呟くように言った『先生』は、診察台らしい白いシーツの掛かったベッドに横たわる女将さんの方に向いた。
俺と『先生』の距離は、概ねだが3メートル。つまり3レア。『先生』の魔法の範囲が1レアなら、悪影響はないはずだ。
「ではさっさと治してしまおう。[テラペイアー]」
と、『先生』の手先から黒いもやの様なものが生じる。
俺のマギ・アナライズはそれを検知して、俺の頭の中にその情報を流してくる。
ヒールの時より、少しややこしい。俺は目を伏せて、頭の中の情報に集中した。
聖魔法のヒールは、循環している呪文みたいな流れが1つあるだけだった。
それに対して、この「テラペイアー」という魔法は、性質の違うループの流れが3つ。
1つのループが終わると次のループ……という風に高速で進み、最後まで行くと最初のループに戻る。
構造はつかめた。俺は目を開けた。黒いもやで女将さんは全身を包まれている。
う……吐くほどではないんだが、胃に重しになるような気持ち悪さがあるな。女神様の魔法と似たような性質か。
目で見つつ、頭の中の循環を追う。循環が変わるタイミングで、もやがふわりと波を打つ。なるほど、こういうものか。
更にマギ・アナライズの情報を解析していく。細かく見ると、マギの流れが見えてくる。
難しいが……ちょうど電池で言うマイナスの様に、マギがいつもと真逆の性質を持っている。
だが、マギはマギだ。これも練習次第で模倣出来るかも知れない。マイナスのマギ……つまりそれが、闇魔法なのか。




