第12話 湯あたりしやすい温泉上位3番には入るなこれ。
俺とフェリクシアでアリアの肩を支え、階段を無理繰り上がっていく。
触れてる部分が明らかに熱い程、熱を持っている。どれだけ長風呂したんだ、炭酸泉で。
地下から受付フロアまで上がると、受付の女性がひゃっと声をあげた。
「お、お客様! 大丈夫ですか!」
「多分湯あたりです。お酒も持ってったからなぁ……」
止めるべきだった。炭酸泉に飲酒は、ちとキツいだろう。
「湯あたりでしたら、氷とお水と、部屋着のお着替えをお部屋にお届けしますっ。あとタオルも!」
「お願いします。氷は飲む用と冷やす用、両方ください。タオルもちょっと多めに」
「かしこまりました!」
言うや受付の女性は翻って中に駆けて行った。
うん。魔法を使わないで冷やせるなら、より自然で安全だろう。
俺の冷却魔法、ちょっとばかり危ないからなぁ。熱い紅茶が凍り付く氷とか出来ちゃうし。
と、次の階段の手前まで来た俺の横を、失礼しまーすっ! と大きな声と共に、何かが駆け抜けていった。
おやっと思い目で追うと、階段を一気に半分、段数にして十数段を、軽々一歩で飛んで踊り場に。両手に脇に、荷物満載で、だ。
次の一歩で、その女性は同じだけの高さと距離をまた一歩で飛んで、2階フロアにダンっと着地した。
その時起きた風でスカートの裾が少しめくれて、見えた。しっぽ。
一瞬だけだったし遠目で薄暗く、ディテールまでは分からなかったが、ある種の猫のような、しゅんとしたしっぽだった。
「あれ、ここの女将さんって」
「ご主人様」
言おうとしたのを、横からの近接視線で遮られる。フェリクシアの視線は、物理かなぁってくらいの力があって、少し怖い。
とにもかくにも、アリアを上の部屋へ運ばないと始まらない。
フェリクシアと調子を合わせて、足も引きずらない様に、一段一段上げていった。
部屋の前まで着くと、女性の……多分魔族さんなんだろう。手伝ってくれた。
フェリクシアはそのままで、俺と入れ替わってもらう。俺が支えてた時よりアリアの肩がぐっと上がる。
猫な魔族さん、身長、俺より低いのにな。人型なのにパワー凄い。
と、部屋には小型のたらいに氷水、それと机にはグラス4つと大きめなアイスペール。
多分それぞれ片手で持ってたんだよな、これ。バランス感覚も凄まじいな……
テーブルの近くには、浴衣のようなバスローブのような、ただ薄生地なので涼しそうな着替えが重ねて幾つもあった。タオルもそこにある。
「取りあえず、アリアをベッドへ。氷水で冷やしたタオルで、頭と脇の下を冷やすよ」
言いながら手は動かす。
タオル……というより手ぬぐいだな、旅館名の『紅の酒』って名前まで染め抜かれてる。
ヒヤヒヤの氷水に浸して、絞る。浸して、絞る。もう一本。
冷たーいタオルを3本持って、アリアが今ちょうど背を付けたベッドサイドへと進む。
「ほら、冷やすと気持ち良いからね~、脇は、寒くなったら言ってね」
「う、ううーん……」
アリアはうなされているかの様に、苦しげな声を出すだけだ。湯あたりにしても酷いなこりゃ。
「フェリクシア、アリアが飲んだのは、酒だけ? 温泉を飲んだりしてる?」
「お、温泉を? まさか。ん? いや待て……温泉というのは、蒸気にもその効果があるものか?」
「泉質によるけど……何かやっちゃった?」
少しフェリクシアが難しい顔をする。
「浴室の湿った空気から水分を集め、チリなどを疎魔法で飛ばしてから冷やして、奥様に飲ませたのだが……」
「あれ? 補水は出来てるのこれ? てっきり脱水もかと思ったんだけど……うーん、蒸気、温泉……」
蒸気が温泉効果あるって、炭酸泉にはそんな効果はないはず……
でも今のアリアは、かなり重度の湯あたりだ。回復も今日中に間に合うかどうかってくらいの。
蒸気浴でも効果ある温泉……硫黄泉は臭いの無さから除外だし、他に……
……ラドン温泉?
アレは確か、蒸気浴もアリだった。湯も無色透明だし、言われないと分からない。
俺も子供の頃、飲用可の温泉に連れてってもらった時飲めるってんでたらふく飲んで、酷い湯あたりで1日潰れたって聞いた事がある。
「ひょっとすると、水を作ったその蒸気、かなり温泉成分が濃厚に入っていたかも知れない」
「温泉の成分は、有害な物も含むのか? 奥様の症状は見るからに重い」
「うーん、何て言うかな。俺の読みが正しければ、成分がとにかく強い。効果も強いけど、揺り返しも強いみたいな」
アリアの額のタオルに手を当ててみる。既に氷水の温度では無くなっているので冷やし直す。
「シューッヘ様、これは体調不良に分類されますか、異常状態に分類されますか」
氷たらいの前にしゃがんでいると、後ろから声が掛かった。
「分類? 異常、という感じよりは、単に成分に身体が慣れていなくて、あっぷあっぷになってるって感じです」
「もし異常状態でないのであれば、ガルニアの聖魔法が効くやも知れません。お試しになられるべきかと」
聖魔法、回復魔法か。回復魔法が有効なら……ともかく、俺はタオルを絞り直した。
俺の回復魔法はあくまであのコースターなスクロールからコピーしただけの、実際の正体は不明な魔法だ。
まぁ正体はともかくとして、アリアが苦しみから解放されるなら何でも良い。やってみよう。
「アリア、道中で手に入れた回復魔法を掛けるよ、力抜いててね。[ヒール]」
ヒューさんの腰を若返らせた時と同じギラギラした光が煌めく。
ん? 今誰か、ぎゃって言った?
まだ魔法の放射は止まっていないので動けないが、何処かで聞き慣れない声で、ぎゃって聞こえた。
あ。
魔族と聖魔法。
オーフェンでサリアクシュナ特使が、回復魔法なんて掛けられたら云々って言ってたな。
魔族にとって聖魔法の回復魔法は良くないらしい。これはうっかりしたな、しまった。
緊急だったとは言え、女将さんに警告せず聖魔法を使ったのは、マズかったか……
思ってると、スーッと光が収まる。魔力の放出は止めていないんだが、魔法の方が勝手に消える感じだ。
タイムリミットがあるスクロールだったのかな。コピー元の情報が不明なので何とも言えない。
アリアの様子を見る。
赤みは随分引いて、何より呼吸の苦しげな様子が無くなった。ほとんど自然な呼吸になっている。
絞ったままちょいと机に置いてた冷えたタオルで、既に出ている汗をすいすい拭っていく。
今までほとんど無反応だったが、今は冷たいタオルにピクンと反応する。良い傾向だ。
「フェリクシア、引き続きアリアの状態を見ていて。起きたら水を飲ませて」
「了解した。ご主人様は?」
「さっき部屋の隅の方で、女将さんが悲鳴を上げてた。魔法の……」
「あぁ、聖魔法の……分かった、こちらは任せてくれ。ヒュー殿も手伝ってくれるか?」
「もちろんにございます。ではわたしは飲み水に弱体化の魔法付与をいたします。すぐ抜ける魔法で、力の入りすぎなどに効くものです」
……ヒューさんのフォーカスは、部屋の真ん中の方に行っている。タイミングは今だな。
部屋の入口の方を見る。両腕を抱え込んでしゃがんでいる、猫魔族の女将さん。隠す余裕がないのか、しっぽが垂れ下がっているのが丸見えだ。
俺はヒューさんの注意を引かないように気をつけつつ、部屋の入口の隅、女将さんの下へ移動した。
「大丈夫ですか。聖魔法、警告無しに使っちゃって、本当にすいません。お怪我は?」
「あぁ、お客さんガルニアの方だったのかい? 聖魔法を診療所の中以外で用いるのは、人魔間協定違反だよ……」
「すいません俺、生粋のローリスの人間で……聖魔法は先日コピーして取得したんです」
見ると、露出していた肌に、ところどころ赤いやけどの様な部分がある。
聖魔法でギラギラと光った四角形の光と同じ形なので、アレの光のせいだと分かる。
「魔法を、コピー? お客さん、とんでもない魔導師なんだね。闇魔法は使えるかい?」
「使えません。もし使える人が近くにいれば、コピーは出来ると思うんですが……」
「……ちょっと付いてきてくれるかい? 聖魔法の傷は、ほっとくと残るんだ。王宮の先生の所に、一緒に来ておくれ」
「分かりました、仲間に出ることだけは言っておきます」
と俺が頭をアリアたちの方に向けると、フェリクシアがじっと俺を見ていた。
そして、大きくこくりと、ただ頷いた。聞こえてたのか、このこそこそ話。
ともかくフェリクシアが承知しててくれれば、ヒューさんの方も何とかしてくれるだろう。
「伝わってました。歩いたり、支障は無いですか?」
「ああ、半袖だったから、その部分だけ焼かれちゃったのよ。行くよ」
こうして、今度は俺だけ、また登城する事になってしまった。




