第11話 温泉の限界点
湯に浸かっていると、次第に腕に足に、泡がぷつぷつと浮き出てくる。
これはまさに炭酸泉。日本だと、人工炭酸泉がスーパー銭湯にあったりした。
日本では天然の炭酸泉は珍しかったらしいが、この温泉宿ではデフォの天然なのか。凄いな。
「シューッヘ様、まじまじとお身体をご覧になられていますな。この泡は?」
「これは炭酸の泡です。えーとつまり、エールのシュワシュワする成分ですね」
「ほう。エールは昔から、適度に血管を拡張し万病を遠ざける、などと言われておりますが、この温泉もでしょうか?」
「万病とまでは行きませんが、心臓の湯とか言われて血管系のトラブルの本格的な治療にも使われていたそうです」
「なんと治療の次元にも温泉ですか! 単なる健康法程度のお話しかと思いましたが……」
「湯で治す、と書いて『湯治』という言葉が俺のいた世界にはあって、温泉病院とかも、山の方にはあるって聞きます」
「もしそれが本当ならば、飲めぬ湯が沸くからと埋めてしまった数々の泉は、もったいない事をしましたな……」
フー、と息を吐くヒューさん。炭酸泉はぬるくてもかなり強く温まる。
それが、丁度良い程度の熱さ加減である。息が切れるのも無理はない。
「ヒューさん、取りあえずお水飲みましょう。炭酸泉となれば、入りすぎると湯あたりします」
「せっかくの健康効果も、制限時間がありますか。ではわたしは一度出ます、水のご準備だけしてから」
と、ヒューさんが半分湯に沈んだ樽から、グラスとトレー状の板を出した。
これも、湯に浮くんだなぁ。ヒューさんが静かに湯面にトレーを乗せ、グラスを乗せると、ちょっとちゃぷちゃぷするが浮いている。
グラスも、さっきは気付かなかったが、一般のワイングラスと比べると一回り小さい。これなら派手に湯の中で動かなければ大丈夫だろう。
「ありがとうございます、ヒューさん。ヒューさんは無理せず、涼んでくださいね」
「そうさせて頂きます。よっ、と。……ふうむ、上がると分かりますが、相当ほてる湯ですな、これは」
「はい。炭酸泉は温まるんです。冷え性とかにも、確かとても良かったはずです」
ヒューさんは換気扇の近くに進んで、風を浴びている。
初めての温泉が炭酸泉で、しかもこの湯温だと結構厳しいだろう。
とにかくあったまるからなぁ炭酸泉。
それもあってか日本では、大体38度くらいのぬるめの人工炭酸泉が専らだったし。
俺もグラスの水を一気に飲み干し、上半身だけ浴槽の端からだらーんと床に投げた。
石造りの床がひやひやしてて気持ち良い。俺にもこの温度の炭酸泉はきついか。
俺も一旦上がって、身体や髪を洗うことにした。
***
(side 女湯:フェリクシア)
「温泉って面白いわね、発泡のワインみたい」
「なるほど、発泡ワインか。泡のきめ細やかさ、びっしりと付く様子、まさに言い得ているな」
湯に入るやワインのご所望があったので、まずは白を注いで差し上げた。
ワイングラスが小ぶりの物だったので、さらりと一口に、アリアは飲み干した。
温泉という、少々正体不明なものに身体を預ける以上、私まで羽目を外すと、いざという時救助者がいなくなる。
私はアリアと同じ白を、少し飲む程度に留めている。
「それにしても火照るわ。これが温泉の力なのかしら」
「この泡の正体が分かれば推測も出来るんだがな。あまり飲み過ぎると倒れるぞ、アリア」
「でも、つい進んじゃうのよね。ワインよく冷えてるし。この樽って断熱なのかしら」
「そうかも知れないな。水に浮くほど軽量で断熱性がある。建築資材などにも良いかも知れない」
「もーフェリクはいっつもそういう真面目なことばっかり言うー。もう少し楽にしなさいよ」
「楽に? と言われてもな、私も単に思ったままのことを言ってるに過ぎない。性格だから、変えようもない」
つい口から笑いが漏れる。奥様は既に酔いが回り始めておいでのようだ。
湯に浸かりながらの酒は、効くからな。それがこの『温泉』。ご主人様の力の入りようから、何か特別な効果もあるんだろう。
「ふー、汗が凄いわ。余分なタオルってあるかしら」
「脱衣所にあるかも知れない、ちょっと見てこよう」
湯から上がる。泡がすぐには消えず、幾らか残っている。面白いな、温泉は。
ガラス扉を開けると、急に涼しくなる。が、身体はホカホカと温かいままだ。
ともかく、タオルを探す。部屋の角にカーテンで仕切られた一画がある。
恐らく掃除道具置き場などだろうが、タオルもあれば……おお、たくさんある。
1枚手に取ると、この旅館の名が染め付けられたタオルだった。
土産に出来れば、良い思い出になりそうだが……そればかりは受付の者に聞かねば、持ち帰って良いかは分からないな。
タオルの匂いを嗅いでみる。清潔な香りがした。これなら奥様に使って頂ける。
タオルをもう1枚持って、後は戻して、浴室へと戻った。
「あ~ありがとおフェリクぅー」
っと。奥様の顔が真っ赤である。暑かったのか、浴槽の端にだらりと身体をもたれている。
「奥様、ご主人様が言っていた『湯あたり』を起こしてもいけない。少しそこの椅子で休め」
「そおねぇ、うー、あれ、うーん、足、力入んない」
「これはいかん。私にもたれる様に、そうだ、そのまま体重を乗せていてくれ」
浴槽から強引に引き上げ、床に寝かす。
酔った奥様は、あられもない姿だと言うのに大の字になった。
「あ、暑いわ。すっごく暑い」
「これ以上ワインは危険だ。蛇口の水が飲める水か、エルクレアの水事情を調べていなかった、しまったな」
蛇口の水が飲める水であれば、ただちに飲んで頂くのが正解だ。
しかしそうでないのであれば、まぁ水気自体は霞むほどの湯気で満ちているのだから、魔法でも簡単だ。
「今、水を用意する。[コレクト・ウォーター][スパース・エクセプト・ウォーター]」
湯気の中から突如、大きな水の球が生まれる。既に疎魔法も掛けてあるので、飲める水だ。
ただ奥様の場合、まず身体を少し冷まさないといけないな。
「奥様、目を閉じてくれ。少し水を、頭や身体に掛ける」
改めて水球に手をかざし、魔力を操作する。魔法要素の速度に干渉し、温度をぐっと下げる。
全量ばしゃんとやっても良いのだが、今度は凍えてもいけない。湧き水を浴びる程度の水量が適当か。
水の球を奥様の頭上に移動させ、水の球の保持力を、一部だけ外す。
水球から流れ出る冷たい水が、奥様の顔と胸辺りに着弾した瞬間、奥様がひゃっと叫んだ。
「つ、冷たーいっ」
「火照りすぎだ、少し冷やさねば身体に悪い」
「ちょ、せめてもう少しぬるく、つ、つめたーーい!」
奥様は冷たい水から逃げたい様だが、どうも足が動かぬらしい。
よく温まる『温泉』と酒の組み合わせは、温泉とやらの力を知らぬ者には無謀だったのかもしれない。
取りあえず水の形状保持力を再度高め、漏水の無い球に戻す。
「身体は起こせるか? 口に出来る容器が無いから、水の球から直接飲んでもらわないといけないが」
「み、水を飲むのね。よ、っこいしょ。こ、これで飲めるわ」
「少しは動けたか、良かった。慣れないとかなり飲みづらいが、食らい付く様にして補水してくれ」
水球から、小さく水球を分離して、ゆっくり奥様の顔の前に持っていく。
魔力で作った水の球からの直接補水……行軍時などはしばしばやるが、未だに私でも苦手だアレは。
奥様も果敢に水玉をかじっているが、上手く口に入らない様子である。
「さっきのように流れてた方が飲みやすいか?」
「そうね……球のままの水ってこんなに口に入らないものなのね」
少しは頭も動くようになったのか、奥様の表情に多少の引き締まりが見て取れた。
再度魔力を調整し、さっきよりもう少し細く流れるように、水球に「穴」を開ける。
「んぐ、ん、ん……これ、顔に浴びてもいい?」
「もちろんだ。汗も流すと良い」
飲みながら、顔に浴びながら。かなり冷やしてあるので、火照りは解消されるだろう。
***
「いい湯でございましたな、シューッヘ様」
脱衣所を色々探索してみたら、うちわと、簡素な、座面だけの椅子があった。
椅子に腰掛け、樽で持ってきた水を飲みながら、下着だけで涼む。
「炭酸泉の温かさって、しばらく残るんですよ。多分ヒューさんも、しばらく汗、止まらないですよ?」
「ほう、それはそれは。年を取るとあまり汗をかく機会がないですからな、こういう機会は貴重です」
パタパタとうちわを使いながら、のんびりとしていると、
「ご主人様! 奥様が!」
突然扉が開いて、いつもの冷静さが吹き飛んだフェリクシアが。
思わずうちわで股間を隠したが、どうもそれどころではないらしい。
「アリアが、どうした? 湯あたりでも起こした?」
「その『湯あたり』の正体が分からないのだが、そうかも知れない。意識を失った!」
「なにっ?! ち、ちょっと行ってきますヒューさん」
俺は下着一枚で男風呂から駆け出し、フェリクシアの誘導で女風呂に入った。
自分の妻しかいないのは分かっていても、複数女性がいる風呂に入るのは、少しドキッとした。
入るとすぐの所に、アリアが寝ていた。いや、意識が無いのか。
かなり頬が赤く、全身から玉のような汗を吹き出している。これは完全に、酷い湯あたりだ。
「湯あたりで間違いないね。ここの床、浴室からの風で二酸化炭素濃度が高くて余計苦しいはずだから、部屋に戻った方が良い」
「にさんか……? と、ともかく、タオルで巻いて2階の客室まで運べば良いか?」
「そうだね。さすがにこのままの姿でって訳にはいかないし。俺も手伝うよ」
俺がアリアを抱えて、肩に乗せる様にして立たせると、フェリクシアが素早くタオルを掛けたり巻いたりして、アリアの姿を整える。
さすがに意識の無い人間は重い。俺だけだと引きずる様になってしまったところ、すぐ逆側をフェリクシアがフォローしてくれる。
このまま地下から2階まで運んで……とその時、閉まり掛けていた女湯の赤い扉に、名刺サイズの小さな金属板が貼ってあるのが目に入った。
【温泉は 一度に3分ほど 休みつつ3回を限度に】
……
…………
こういうのはおっきく書こうよ!!




