第10話 温泉、温泉~♪ (男湯)
温泉も風呂の内なので、下着だけはこそっと持って、受付に降りた。
受付で、水のボトルをワインボトル程の大きさのに2本、そしてグラスが2つと。
それらがピッタリサイズで入るよう加工が施された、『ワイン樽の下半分のミニチュア』みたいな入れ物。
ボトルとグラスを仕切りの大きさに沿って入れると、確かに丁度ピッタリで、ガチャガチャ言ったりしない。
これは、ヒモで吊り下げる形で持っていくものらしい。
持ち上げてみると、水の重さ程度。樽は軽量だ。
女性陣は赤と白のワインをそれぞれ1本ずつ受け取り、同じ形状の樽にグラスと共に入れていた。
うーん、ワインでも良かったかも。いや、俺はちょっと真面目な話もしたいから、酒はやめておいた方が良い。俺、弱いし。
地下への階段を降りていく。
日本だったら、ここまででのれんを1枚は必ずくぐっていそうだが、そういう物は無い。
階段を降りきると、正面には鏡があり、道は右へと続く。
右を向くと、手前と奥とに目立つ色の扉があり、奥の行き止まりには、形の違う扉があった。
「お、手前の扉が男湯みたいですね、向こうが赤、こっちが青」
上辺が弧を描いている扉は、エルクレアの家々のペイント同様、派手に感じる原色をそのまま使って塗られている。
異世界に来たはずなんだが……男の子は青くて、女の子は赤いな。生物的に女性が赤を好む何かがあるのか?
奥の扉に目を遣ると、ドアノブの所に小さな掛札で「関係者のみ」とあった。
温泉のバックヤードになってるのかな? まぁ今気にする部分ではない、か。
取りあえずそれらを気にしない事にして、目の前の青い扉を開けた。
むあっと、蒸し暑い風が中から吹いてくる。
「うおう、もうここから湯気ゾーンか」
ヒューさんも入って、扉を閉めてくれた。
奥からチョロチョロと鳴るだけの、静かな空間に鳴る。
家族風呂のような~、だったか? そんな記載で、部屋にあった案内に書いてた位だから、脱衣所は広くない。
更衣は壁に作り付けの棚に入れる模様で、「田」の字に区切られた棚がある。取りあえず、飲み物類の樽を、棚の下に置いた。
「シューッヘ様、この温泉は、臭いませんな」
ヒューさんが天井の方を見たり、更衣室を眺め回しながら、言った。
「硫黄泉って種類の温泉は臭うんですけど、他のはそこまで強い臭いはしませんよ。ここは硫黄泉じゃないみたいですね」
「硫黄。なるほど、あの臭いは硫黄のものでしたか。温泉については、教わることばかりになりそうです」
「あはは、俺もそこまで詳しい訳じゃないですけど、前の世界じゃ、市内の山の中に日帰りの温泉施設があったりもして」
そこまで言って、はたと思った。
この世界、温泉が珍しいって言うけれど、温泉では稼げない程度にしか、温泉って『無い』のか?
それとも、温泉が人気を得ない他の理由があったりする? 風呂大国・日本に生を受けてた人間として、気になる。
「ヒューさん、温泉って珍しいって話、さっきしてましたけど、どの位珍しいんですか?」
俺の質問に、ヒューさんはふと真面目な顔になり、あごに触れながら深い思考をしているっぽい。
そこまで考えさせるような質問したつもりじゃなかったんだが……
「少なくとも……西方三国で、温泉源を有している事を大っぴらに出している所はございません。
ローリスなどでも、場合によっては温泉源はあったやも知れませんが、飲むのに適さない水が湧いても、ローリスでは誰も喜びません」
「えっ? 誰も喜ばない? もしかして、温泉の健康効果って知られてなかったりします?」
俺は思わずヒューさんに一歩詰め寄ってしまう。
いやだって、温泉がだよ? そんな扱いって。
「健康効果、ですか? 温泉は自然に湧き出る風呂の湯、または水、という程度の意識が一般だと思いますが……」
「それはもったいない! 温泉は、一大観光資源になるほどの『天然資源』なんです! 本来だったら、泉質を分析して、それぞれの温泉の健康効果を別個に謳ってっ」
「し、シューッヘ様。こと温泉の話になると、非常に、熱弁をなさいますな。それ程に温泉というのは良いものでございますか?」
「はいっ! 健康にも良い、泉質によっては、美肌効果があったり、皮膚病に効くとか貧血に良いとか、色々あるんですよ!」
「それは真ですか。そのような意識で温泉を捉えたことがございませんでした。健康になれる資源でございますか……」
つい熱く語ってしまったが、ここはまだ脱衣所だ。熱く語るなら湯に浸かりつつの方が良い。
さすがに語りすぎたと感じた俺は、少し気恥ずかしさを感じながら、服を脱いで棚に入れた。
ヒューさんはローブをバサッと脱いで、それを棚に丁寧に畳んで置いた。この辺り、ヒューさんは丁寧で品が良い。
樽を吊り下げて、浴室に入る。ガラス扉を開けると、もうもうと湯気がこっちに来た。
「うわぁ、温泉なんて久しぶりだなぁ。転生前にも、もっと行っときゃ良かった」
何となく懐かしさを感じるような、タイル張りの浴室である。
浴槽は岩をくり抜いた物で出来ている。岩の裂け目から湯がチョロチョロと出続け、湯面に注いでいる。
これは源泉掛け流し――温泉を語る上で、一番喜べる要素。それこそこの「源泉掛け流し」だ。
源泉掛け流しとは、つまりずっと温泉の湯、源泉を入れ続けることで、汚れた湯は強制的に薄まり、また溢れて出て行く。
そういう循環で衛生が保たれている温泉が源泉掛け流しの温泉だ。
日本だと、そこに更に循環ろ過追加の、より衛生的なスタイルが専らだが、古式の温泉には循環ろ過なしの掛け流しスタイルのものもある。
「かけ湯かけ湯、湯桶は……これ?」
かけ湯をするにはともかく湯がくめれば良いんだが、洗い場の方の端にあったのは1つの四角い、木の升だった。
振り返ると、浴室の入口横に、その升が積み上げてあった。三角になる様に積み上げるのは、何処の世界でも同じらしい。
ヒューさんの升も、と思い三角形の所から2つ取る。これも樽同様軽い素材。この辺りの木材なんだろうか?
「ヒューさん、かけ湯はこれでするみたいですよ」
手に取って、見せる。意外と手一杯になるもので、指を目一杯広げないと落としそうだ。
「升ですか。計量升などはありますが、風呂用に木製の升を用いるとは、珍しい」
「俺がいた世界では、酒を升に入れて『升酒』って飲むスタイルもありましたよ。温泉浸かりながらの升酒とか」
「升酒。木にも酒にも寄りますが、香りが移ってさぞ美味しいことでしょう。健康になる温泉と酒とは、贅沢ですなぁ」
前世で升酒を飲める年では無かったので、その味は分からない。ただ雰囲気は良いよな。
升で温泉の湯をすくう。
ひょっとして、このまま飲んでも良いのかも。ちょっと口を付けてみる。
「シューッヘ様?! 風呂の湯は飲むものではございません!」
「ん……俺のいた世界では、温泉の湯は『飲むもの』だったんです、飲めない温泉の方が多かったですけど」
「なんと! 温泉は、浴用だけでなく飲用でも健康に良いのですか? してこの湯は、いかがですか?」
独特の風味が残る口をモゴモゴしながら、ちょっと考えて、答える。
「どうなんでしょうね、俺も、飲用出来る温泉は珍しくて、1、2回しか経験は無いんですよ。
でも確かそのどちらも、源泉掛け流しでした。あ、飲むのは専用の蛇口がありました。浴槽から直じゃないです。
この温泉、味から言って、塩泉とは違う……なんだろ、この風味と重さ。飲料水より何かこう、ずっしりした感じの喉越し。
飲んじゃダメなヤツだったかな……うーん、自信無いなぁ」
と、答えていると、腹の中にポッと灯がともったような温かさを感じる。
「ほっ? なんか、あったかい」
不快な感じでも、また酒の様な焼ける感じでもなく、カイロをペタッと貼ったような、ホッとするぬくみ。
気分的には、何とも落ち着く感じがして良いんだが、それだけで飲用可と言い切れないしなぁ……
「飲んだ限りでは、悪印象は無いです。けれど、味の無い有害成分なんて幾らでもありそうだし、今の時点で飲用は勧められないですね」
「左様ですか。温泉を飲む、という一見突飛な行動が、実は身体に良いという事がある、というそれだけでも、わたしには新鮮でした。さあ、浸かりましょう」
ヒューさんは柔らかく微笑んで、さっとかけ湯をして、いつの間にか樽を引っさげて、浴槽に入っていった。
樽?! とヒューさんの行動には面食らってしまったが、俺も遅ればせながら湯に入る。
浸かると、ジワジワ温かい。
ん? 腕に気泡が……
気泡が凄いっ、これ、炭酸泉じゃん! すごっ!




