第7話 俺の力説、ヒューさんの猜疑
俺は一度目を閉じ、大きく息を吐いた。
ここだ。俺が勝負に出る、英雄としての俺が『言葉で』事態を収拾できるのは、今、ここしかない。
俺は目を大きく開き、ゆっくり口を開けた。
「俺は……女神様から直接、英雄の役割、というものを伺いました。
女神様の仰せでは、力がありすぎる魔族が地上を席巻しないための、人間に与えた『制御弁』の役目だそうです。
女神様が仰る昔の話は、あまりに昔で俺には理解出来ません。魔族が地上を完全に支配する恐れがあった、そんな昔の話です。
ですが、時代はとうに変わっているのではと、俺は思います。
確かに、直近1,500年では、人間の一部は魔族に隷属していました。俺の国、ローリスもまさにそうでした。
ですがローリスの当時を伺うと、せいぜい数千名程度の、鉱山の街に過ぎません。決して人間全てが支配されていたというニュアンスではありません。
ローリスで言い伝えられている物語的なものでは、魔族の支配は苛烈で人間は未来が無かった、という様な事になっています。ただこれは、被害者の歴史観です。
魔族が何故ローリスをがっちり押さえ、更に魔導水晶を掘り尽くさせたのか。ことローリスにあっては、その辺りに実は答えがあるのではと思います。
確かに今でも魔族は、オーフェン王籠絡を画策したり、更にオーフェンへの派兵など、軍事的に動いていない訳ではない。
けれど、もし魔王陛下が単騎で本気を出されたらどうなりますか? 俺が女神様に伺うに、魔王陛下は『全ての』魔法を手の内にされていると。
俺や仲間が知る程度の古代魔法でも、直径範囲で10クーレアを瞬時に焦土にする魔法など、古代魔法には規格外の攻撃魔法ばかりあります。それらを、全て、です。
今の今、もし魔王陛下が人間を蹂躙しようと思っているのであれば、実現はごく簡単なことでしょう。けれど、それをなさらない。そこに魔王陛下のお気持ちがあると俺は思います。
長々申し上げましたが、魔王陛下が全面戦争や人間の掃討を考えておられない以上、完全な平和は難しくても、通商交渉程度の『軽い交流』は出来るはずです。
無論、技術的・意識的に進んだ魔族側に、人間と交流をするメリットがあるか、そこが正直ネックでした。ただナグルザム卿も仰る様に、魔族側にも少なくない利得はありそうです。
そうなれば、後は誰が『架け橋』になるか、です。各国の王でも悪くはないでしょうが、それこそ、その国が利益を独占したならば、今度は人間同士の争いが始まります。
その点俺は、英雄です。
言い方を変えれば、枠外の部外者です。
一応ローリスに籍は置いていますが、別にローリスを出ようと思えば、どこの国でも好待遇で暮らせます。だから、ローリスに縛られる事は本質的にはありません。
ローリスには悪いですが、魔族との通商などで、ローリスを一人勝ちさせるつもりは、俺はありません。機会と利益は、人間世界全体で享受すべきです。
結局そうなると、最大の部外者である『英雄』が勝手にあれこれ決めてしまって、それを各国に押しつけた方が、人間世界に平等に、権益を撒けるのかな、と。俺はそう思います」
思っている事全部を、一気に言い切った。
ナグルザム卿の目をじっと見据えて、ただただ俺の若さ任せに、全部言った。
最初冷静な様子で聞いていたナグルザム卿だったが、ローリス一人勝ちを否定した時にひょっと目を丸くした。
やはり「ローリスの英雄」という見られ方をしていたんだろうな。けれど俺自身は、ローリスでなくても良い。女神様もそう仰る。
俺の強い調子に面食らってくれたのか、ナグルザム卿はうろたえた様にまばたきを何度もし、目線も少し泳ぎ気味になっていた。
ただこれ以上俺が言葉を重ねるのはやり過ぎだ。ナグルザム卿の言葉を待つ。
ナグルザム卿は、杖の無い方の手で顎に触れ、その乱雑な頭髪を更にガサガサと触れ、うーむ、と一声、低い声で唸った。
そして、俺の目を改めて見た。白い眉は困った様子に下がっていた。
「英雄殿の意志の硬さは、よく理解出来ました。単に人間の代弁者という訳では無く、あくまで魔族と人間の橋渡しの役を担おうとされている事も。
ただそれを、人間の各国はよしとするでしょうか。特にローリス。貴殿のお国です。ローリスの英雄を派遣したのに、ローリスが最上の結果を得られなければ」
ナグルザム卿はナグルザム卿で、言葉に強い力を籠めている。
ローリスの国情を考え、俺が半ば暴走するのは許されないのでは、と強い調子で言う。
ここまで来ると、俺も肝が据わってくる。一息つけた感じで、気楽な気分になってきた。
「ローリスの国王陛下が結果にご満足されなければ、移住するまでです。英雄は諸国法全てで、貴族位が約束される存在だそうですから、不自由はしません。
移るならオーフェン辺りが良いかなぁ……いっそここ、エルクレアでも良いんですけどね。ご飯が美味しいところが良いです。オーフェンは、食材市場も凄いらしいんで、筆頭候補ですね」
「貴殿は本気で仰っているのか? ローリスに拾われた恩、ローリスで与えられた様々な恩恵を、後ろ足で蹴飛ばして去る、と?」
「あくまでうちの王様が俺を許さないのなら、です。ローリスには俺のお気に入りの屋敷もありますし、俺の女神様、サンタ=ペルナ様も、新しく信者を獲得出来はじめたところで、今ちょうど良いところなんですよ」
「ブラフ……という訳ではなさそうですな。貴殿であれば、本当にやってしまいかねない。貴殿の若さ故の無謀さ、そして性格として、忠義よりは自己の生活……そんな辺りが見える気がいたします」
「忠義より自分の生活……そうですね、言われるとそんな気がします。ローリスの陛下が堅苦しくない方なので、あまり忠義を考えた事は無かったですが……」
と、俺とナグルザム卿がなんとなく平和的な方向へ話を転がしている最中に、余計なことを言う人が出張ってきた。
「シューッヘ様。惑わされてはなりませぬ。この者は、魔族でございます。恐れながらシューッヘ様、魔族と話をし、魔族から要らぬ影響をお受けになられているのでは?」
「要らぬ影響? 何がです、俺がローリスを第一に考えない事ですか?」
「それも一つでございますが、わたしが申したいのは、魔族に利益を供与する様な事を考えていらっしゃる事です。何を血迷われましたか、シューッヘ様!」
「ち、血迷うも何も……通商にしろ不可侵にしろ、『お互いに』利益がないと成立しないじゃないですか。ヒューさんの方がそういう外交は分かってるはずですよ?」
「確かに、人間対人間の話であれば、そうです。が、残忍にして狂気の、魔族共に便益を供与するなど、あって良い事ではありませぬ!」
「えっと……ナグルザム卿、残忍にして狂気とか酷いことを言われていますけど、宜しければ一言感想を」
良い意味で言えば国粋者、もしくは人類至上主義者のヒューさんだが、どうにもこの話し合いにはかみ合っていない。
ヒューさんを結界で囲って閉じ込めてしまっても良いのかもだが、取りあえずあれだけ言われたナグルザム卿の思いを聞きたかった。
「頭が固くなったご老体らしく、非常に保守的で、それでいて情報がいちいち古いですな。こうはなりたくない、そう思わせられる典型的な老い方です。
魔族の多くに残忍性が目立ったのは、せいぜい700年前までの話です。四国同盟があった頃など、平和主義に寄りすぎて随分人間に領土を削られ、兵の犠牲も多数出ました」
「兵の犠牲は人間も同じである。魔族が特別犠牲が多かった事実は知られていない」
「知られていない、ですか。軍の重要情報である兵の損耗状態を、敵国に知らせるとでも?」
「……だが実際、ルナレーイ軍事王国は消滅した。一夜にして全ての者がいなくなったと伝承されておる。如何なる大規模殲滅魔法を用いた? これをして残忍と言わずして何というか!」
「ルナレーイは、魔族領に今でもございますよ。要は、寝返ったのでございます。都市の全ての住人・生き物は、一人一匹残さず魔王様が魔法で転移なされ、魔族領に新たな居所をお与えくださいました」
「なっ?! ルナレーイが、滅ぼされていないだと?! そ、それを信じろと言うのは……」
「別段貴殿が信じようが信じまいが関係ありません。現実に、そのような事があった。ただそれだけです」
ルナレーイ、魔族領側に行っていたのか。
丁度今回、エルクレアがそうした様な……いやエルクレアは王族貴族たちだけか。
「で、では一体どんな餌でルナレーイのの首脳部を釣ったのだ! もしや、人心操作の魔法を……」
「わたくしは当時その任にあった訳ではないので細かくは存じ上げませんが、年単位で話し合いが、隠密に行われたそうでございます。人心操作で片を付けたなら、単位は日です。年単位ではない」
「ヒューさん。少し魔族の方々への認識を改めたらどうです? ヒューさんがそこまで頑なじゃ、俺ヒューさんと一緒には魔族領行けませんよ、危なっかしくて」
「しかしシューッヘ様、魔族は確かにローリスを支配し、苛烈な運命をローリスに背負わせたのです。仲良く手を取ってと言う訳には」
「でもそれって、暗黒魔竜のことですよね? 間違ってたら正してください、単に暗黒魔竜の支配の仕方が悪かっただけで、魔族全体ではないのでは?」
「…………」
俺が持論を展開したら、不意にヒューさんの目が何かを凝視するように固まり、そのまま黙り込んだ。
俺は、魔族領という新しい場所を、ヒューさんとも一緒に旅をしたい。だからヒューさんには、変わってほしい。
「俺の前任の英雄、イスファガルナ様が、暗黒魔竜は滅ぼしました。魔石も取り出したんですから確実ですよね?」
「はい。イスファガルナ様が暗黒魔竜を滅ぼし、ローリスは隷属支配から解放されました」
「1体の魔族が残忍だったから全ての魔族が残忍だ、と考えるのも行き過ぎですし、昔の魔族がこうだったから今もこうに違いない、と考えるのも俺は良い考えとは思えません。
ヒューさんであれば、昔の言い伝えとは違う今の魔族を実際に見て聞いて、その上で『新しい魔族像』が描けると、信じています。ヒューさん、しばらく公の場での発言を禁止します。見る聞くに徹してください」
「……かしこまりました」
ふうー……思わず口から溜息が漏れる。味方の『一番知的で頼れる人』と思っていた人が、一番厄介だった。
うやうやしく頭を下げたヒューさんは、頭を軽く下げたままスッと後ろへ下がった。これで話し合いは進められそうだ。
だが……俺の立場でヒューさんの行動を制限したが、それだってやり過ぎだ。
ヒューさんが、これを恨みに思って急に裏切ったりしなければ良いんだが……心配しすぎかな。今はそれは考えないでおこう。




