第6話 その金貨は何故、鋳潰してしまう必要があったのか。
わなわな震えるナグルザム閣下の身体を、衛兵が必死に支えている。杖もぐらぐらと揺れ、支えにならない。
全てはこの、るつぼで鋳溶かされた金貨、『勇気の小金貨』の扱いに憤慨してのことだ。
物が物である。魔族の将に当たる者たちの、命と尊厳とに関わる重要な品物。
下手な発言をすることも出来ない。さっきまで荒れた事ばかり言っていたヒューさんですら、さすがに空気を読んで静かにしている。
かと言って、誰も何も言わないのは、事態を悪化させるだけだろう。気をつけながら、何か少し言葉を入れた方が良い。
俺はその方針を共有・確認したくて、その思いを強く抱いたままアリアに目を向けた。
アリアは少し困った様な目を一瞬だけしたが、すぐに硬い表情のまま、小さく頷いた。
今回の遠征、最終目的地はあくまで魔王直領、つまり魔王との直接対談。
ともなれば、途中で『魔族と人間の過去のいざこざの歴史』に、否応なく付き合わされることになろう。
今回が、その初回。まだ魔族領に正式に入ってすらいない。
ナグルザム卿がどういう魔族なのかも分からないが、俺としては……
「ナグルザム卿。ひとつ、教えて頂けますか」
俺の言葉に、ナグルザム閣下がゆっくりと、ギシギシ音でも鳴りそうな程にぎこちなく、こちらに頭を向けた。
「なんだね人間。いや、英雄閣下か。何も知らない者が余計な事を言うものではあるまい」
「まぁ、そういう考え方もありますが……その金貨を持った将の方は、亡くなった後どの位の期間、金貨を手元に置いている必要があるのですか?」
「何が言いたい」
「いえ、決して略奪を正当化するつもりはない事を前提に言うんですが、もし亡くなった時に金貨を持っていれば魔霊界で困らないのであれば、後々略奪を受けても魔霊界で将の方が、何か不都合を受ける事はないな、と思いまして」
「貴殿は正気か? 散った将の、陛下から賜った大切な形見でもある。略奪に不都合が無いなどという言説は放っておけぬ」
「あくまで『将の方のその後』だけを考えています。確かに略奪は卑劣な行為です。許されるものではない。ですがせめて、将の方に被害が無いなら、せめてもの……と、そう思ったのです」
さすがに空気がジリジリ肌を焼く感覚がある。
一歩間違えばいきなり大魔法撃ち込まれても文句言えない事を、俺は今覚悟を持って言葉にしている。
「将の生まれ変わりに支障が無ければ、如何なる名誉も奪えば良いと。そうお考えかね英雄殿。仮にそうだとしたら、わたくしは貴殿を軽蔑する」
「もちろんそんな事は思っていません。魔王陛下の為に戦った方、将であれ兵であれ全て、英霊として讃えられ何者も奪われないのが理想です。
ですが一方で、俺は不思議に思った事があるんです。これは『勇気の小金貨』がどう扱われたか、という事に深く関わります。聞いて頂けますか」
俺も真剣、向こうも迫真。つばぜり合いでもやってる位の緊張感で、息が浅くなってるのに気付く。
「聞くか聞かずかは、わたくしに委ねられるのかね。誰も魔族で聞く耳を持つ者などおるまいに」
「そこにすれ違いが生まれるからこそ、是非聞いて頂きたいんです。人間が現にしたこと、そして恐らく、思ったであろうことを」
俺は胸にバンと手を当て、ナグルザム卿の目をしっかりと見据えた。
当然、エルクレアを任されるだけの重鎮、俺程度の熱視線にたじろぐ事などない。
俺はただ、分かって欲しいんだ……人間は『勇気の小金貨を富としては決して考えていなかった』ことを。
「聞いていて下さると信じて話します。あくまで俺の主観ですが、間違いなく当時の人類や亜人も同じ事を考えていただろう事です。
金貨であれば、たとえ自国外の物であっても地金は金です。鋳溶かしてしまえば、金としての価値を生みます。
もしかすると最初の1枚は、そんな意図で溶かされたのかも知れません。けれどそれ以降、違う意識の元、鋳溶かす行為が繰り返されたのだと思います。
このるつぼ、最初の1枚から延々金貨が追加され溶かされるばかりで、取り出されていない。仮に取り出していたら、330年前の1枚の気配など消えているはずです。
価値があるはずの金を、溶かすだけ溶かして城の奥の奥に眠らせていたのは。俺が思うにですが……魔族の祟りを畏れたから、ではないでしょうか。
事実として魔族が祟るのかどうかは知りませんが、将が懐に大切に持っていた金貨であれば、その死者にとって大切な物だと、誰が扱っても分かります。
また、このるつぼの中に、330年前の1枚が入っているという事は、時代を考えれば元々エルクレアのるつぼではなく、ルナレーイ軍事王国が持っていた物だと推察します。
ルナレーイのドワーフ王が最初の1枚を鋳溶かさせ、直感的に『これはまずいものに手を出した』と気付いた、俺はそう考えます。俺の知ってるドワーフは、そういう気配にさといです。
人間・亜人の側としても、将を落としたならばその証拠は欲しいはず。けれどそれが曰く付きの品物であれば、祟られない様にと処置をするでしょう。それこそ、鋳溶かすような。
人間・亜人は、死した魔族すらもなお畏れ、形ある金貨から形の無い状態にしてまで、祟りを避けようとした。俺はそんな風に考えています」
俺が、とうとうと自分の考えを述べる中、ナグルザム卿の目は淀んでいた。
俺も分かっている。言っている事は欺瞞的だし、人間中心の、魔族のことなんて欠片も思っていない考え方だ。
けれど、どうしても思ってしまう。ドワーフ王が鋳溶かし、それをどういう流れかエルクレアまで引き継いで、そしてエルクレア王族は、それを放置して魔族領に『逃げた』。
つまり今でも、宝物室にひっそり隠しているけれど、今もなお、過去屠った魔族たちへの『畏れ』は続いているのではないか――
「英雄殿の演説はなかなか堂に入ったものでありましたな。だがそんな戯れ言で、将たちの魂とも言える金貨を鋳溶かし固めてしまった罪は消えない」
ほのかに"良い展開"を期待していた俺は、氷水級の冷や水を浴びせられた思いだった。
ナグルザム卿の目は、さっきも今も変わりなく、冷え冷えとした視線で、俺を見下す様にじっとりと見ている。
「仰る通り、罪は消えません。そして、俺が何か出来るという話でもありません。
あくまで俺としては、過去の英霊の方々のご冥福をお祈りし、生まれ変わった今がその方にとって充実している事を願うのみです。
そして――国家としては、この金貨の成れの果てのるつぼは、魔王陛下にお返しすべきだと考えています」
「英雄殿。貴殿は、その返還の任を担って、縁の無い陛下の御機嫌伺いがしたい、と言ったところか?」
質問調だが、言い放つ様なキツい言い方だった。
「俺は……魔族の方々の誇りを踏みにじった過去の人間たちの代わりに、頭を下げるだけです。その程度しか、俺に出来る事はありません」
「ほう? 貴殿が頭を下げると何かが変わるのかね」
「頭を下げただけでは、何も変わりません。そういう過去、歴史があった事を、人間の世界に戻って広め、魔族への謝罪の機運を作って初めて、魔王陛下のお心にもかなう結果につながると思います」
と、それまでかなり突いてくる感じだった口調だったのが、一言、ふむ、と柔らかく言って黙り込んだ。
それまでは止むことのなかった杖の揺れがピタリと止み、ナグルザム卿も一息ついた様な感じがした。
俺も、思わず口から息が漏れてしまう。
「……ふふ、英雄殿も大層緊張なさっておいでのようですな。あまり御自身の力量を超える物事は、扱われない事を勧めます」
さっきまでのキツいアタリは無く、穏やかな老翁の助言、といった調子の言葉。思わず俺の口周りも緩んだ。
「はは……俺の器じゃないのは、百も承知です。でも誰かがやらないと……魔族と人間の間に、過去の遺恨があるなら、そう、誰かが……」
「過去の遺恨はいっそそちらのご老体に丸投げしてしまって、英雄殿は何も背負わずに陛下とお会いになっては? 陛下は後ろ向きな話をあまり好まれない方でございます」
「老体とは如何なる」
「まぁまぁ、ここは俺の顔で、ね? ……誰かに投げても、良いのかも知れないとは、思います。元々俺は、この世界の人間でもないですし。
けれど、俺は英雄として、この世界に召喚されました。英雄として、女神様からも祝福を頂いています。ならば、その英雄が進んで泥をかぶらないで、誰がかぶるかって話です」
ヒューさんの顔が真っ赤なのはどうにかならんのかとは思うが、この二人はどうにも相性が悪そうだ。色々気をつけたい。
「今、英雄殿の気力を支えているのは、まさにその英雄であるという事実ですか。であれば、それが形も力も失い意見が曲がる事はまず無いと、少々安堵します。
ただ、英雄と聞くだに敵視する魔族は当然多うございます。なにしろ1,500年前には魔族激減の地獄を招き、陛下のお命を奪ったのもまた、貴殿と同じく『英雄』ですから」
ナグルザム卿の口調も目も、落ち着いている。言っている事はまさしく事実なんだろう。
「俺個人としては、イスファガルナみたいな短絡バカで酷い粘着気質のストーカー野郎と一緒にされるのは、気分的に我慢ならないところはありますが、世間の評価はやはりそうなりますよね」
「ストーカー、というのが分からぬ言葉ですが、英雄イスファガルナはそのような人間だったので?」
「ええ、全く。俺と同じくサンタ=ペルナ様からの祝福を受けていながら、女神様のお心を何も考えず、ただただ負けない・死なないからとどこまでも戦場にして突っ込んでいくだけしか能が無い、バカの極みですね」
「な、なかなか、辛辣ですな。……エルクレアの声では、イスファガルナは勇猛果敢にして恐れを知らず、信心の篤い『女神のしもべ』といった伝承でしたが」
「恐れる頭すら無いバカが、女神様由来の絶対結界を得て無敵状態になったのを良い事に、女神様のお言葉すら押し切って突っ走り、必要も無いのに魔王陛下の元まで行って迷惑振りまいた最低の信者ですよ、イスファガルナは」
「こ、ここまで英雄の捉え方が……英雄ご本人からして違う、というのは興味深い。ならば伺いましょう、貴殿にとって理想の英雄像とは? イスファガルナの正反対に過ぎませんか?」
問われ、ふと考える。
イスファガルナの反対なら全部正解って訳でもない。少なくともローリス解放までは、ローリスの国益にかなってる。犠牲が大きすぎるが。
実質不死身になったからと、魔族領に突っ込んでいく必要というか、必然性があったのか? ローリスを支配してた魔竜を退治したらそれだけで良かったのでは?
イスファガルナと言えば、今でも女神様の神像の行方は知れていない。女神様のことだからすぐに見つけてくれるのかなと思っていたが、忘れられているっぽい。
神像があると何か出来る、って訳でもなさそうだからそれはそれでも良いのかも知れないが、俺の信仰が目に見える形で示せるのは、それはそれで大きいんだがなぁ。
いやいや、今は質問を受けてる途中だった。返答返答……
「俺の考える英雄像は……」
俺の言葉に、ナグルザム卿は目を丸くした。




