第3話 折衝
エルレ茶は格別である。
2淹目は、まださすがにと思いそのままお湯を足してもらって飲んでみたが、これはこれでスッキリした香りになり赴きが変わる。
よく見るとティーワゴンの下段に木の実をくり抜いた様な蓋付きの容器があり、そこには焼き菓子が入っていた。
焼き菓子と、エルレ茶。合わせてみても、これもまた良い。お茶の香りが良いのでシンプルなクッキーっぽい菓子がとても映える。
「シューッヘ様、エルレ茶を随分とお好みのようですな」
「えっ? ああ、はい。色々お茶には拘ってきましたけど、これだけ美味しいお茶は珍しいなと」
ローリスの屋敷でも、フェリクシアの努力の賜物で様々なお茶を楽しめている。
とは言え、このタイプのお茶は珍しい。以前商店街のどこかのお店でこれに似たお茶を飲んだことはある、そう言えば。
「アリアはどう? このお茶」
「うん、あたしも好きよこれ。お菓子無しでも十分よね」
「フェリクシアは?」
「私はどちらかと言うと、普段飲んでいる紅茶の系統の方が好みだ。これは青々しさが少し鼻につく」
なるほど、確かに青々しいという表現はこのお茶にぴったりだ。
「しかしシューッヘ様、恐らくですがこの後いきなり魔族との折衝になりましょう。お気持ちのご準備は宜しいですか」
ヒューさんの目が、少し真剣味を帯びている。緊張しているのかも知れない。
「俺としては、サリアクシュナ特使の事が頭にあるので、あまり緊張はしてないです」
「ほう、サリアクシュナ特使が、シューッヘ様の中での魔族の標準なのですな?」
「そうですね。サリアクシュナ特使自体は、軍で偉い人でも、貴族っぽく偉いとかも無いみたいでした。
そんなサリアクシュナ特使ですら、あれだけの立派な意識や振る舞いをしていたんですから、偉い魔族ともなれば、余計に大丈夫だろう、と」
俺の楽観的な考え――自分でもちょっと楽観的過ぎるかとは思う――に、釘を刺されるかと思ったが、そうはならなかった。
「シューッヘ様がそのようなお気持ちで対応すれば、相手とて強硬策には出づらいでしょう。平和的な会談が為されれば良いですな」
と、ヒューさんも手元のお茶をすすった。
そんなこんなでしばらく待っていると、廊下の方がにわかに騒がしくなった。
2、3人が話しながらこちらに近付いてくる様に聞こえる。ただ、その話し方が……怯えてる? なんだかその声に変な緊張を感じる。
「失礼しますっ! 国家元首代理、ナグルザム・ド・ヴィナード卿をお連れいたしました!」
衛兵さんが扉を開け敬礼しているところを、小柄で背の曲がった老人に見える相手が、杖を突きながら入ってきた。
服装は、一応貴族らしい豪華さはある。が、頭髪が手入れされていない薄い白髪で、貧相に見える。
ただその手にある杖は豪華だ。金色の金属杖である。持ち手の部分には宝石なのか天然石なのか、何か透明な石が見える。
外見の通り足腰が悪いのか、動きは非常にゆっくりだ。
俺達はエルクレアの重鎮を迎えるべく素早く椅子から立ったが、まだナグルザム卿は入口の辺りにいる。
うつむいた姿のまま、杖を進め、足を進め、ゆっくりと……俺達のソファーの正面に立った。扉が閉められ、衛兵がナグルザム卿の後ろにつく。
「遠方より、我らがエルクレアにお越し頂き、大変痛み入ります。国王陛下は只今別件にて国外へお出ましのため……」
意外と口は達者なようで、うつむいたままだがスラスラと口上を述べている。が、ヒューさんがずいっと半歩前へ出た。
「エルクレア国王陛下が『魔族領にお出まし』になっている事は既に存じている。貴殿の立場は。現在のエルクレアを代表しうる者であるか」
まさに『詰め寄る』言葉の鋭さ。対して、ナグルザム卿も動じてはいない様だった。
「……ローリスのご使者が、現在のエルクレアについて如何ほどの見識がおありか分からぬが、国王陛下ご不在時に国を代表するのはわたくしです」
「そうか。ならば貴殿に、我らがローリス国王陛下直筆の親書をお渡しいたす。封印を解くので、しばし待たれよ」
ヒューさんが懐から親書を取り出すと、ナグルザム卿は重たげに首を持ち上げ、明らかに親書を見た。
じっと見て、そして目を細めた。睨んだ? いや、さすがに分からないな。すぐに首は下げられた。
ヒューさんが素早すぎて聞き取れない詠唱をすると、国章が押されたロウ印の部分が黄色っぽい光を放ち、パキッと音を立てて封緘が割れた。
「ローリス・グランダキエ3世陛下より、エルクレア国王、エルクレア・ノイハウス陛下への親書である。収められよ」
しゅるっと封印とそのリボンの様な紐を外し、ヒューさんはナグルザム卿の前まで進んで筒状のまま差し出した。
いや、差し出したというか、突きつけた、って言った方が良い感じだ。なんだかヒューさんが随分と喧嘩調だな、大丈夫かな。
「拝受いたします。ただわたくしはこのとおり両手が使えませんので、こちらの衛兵に持たせ読んでも構いませんか」
「身体がご不自由であるか。それならば補助者が入るのは一向に構わない」
ヒューさんが衛兵を見ると、衛兵はすぐひざまずいてナグルザム卿の高さに合わせ、ナグルザム卿から親書を受け取り、開いた。
ナグルザム卿は、ごくゆっくり、首だけを動かして読み進めている。
一読し終えた辺りで、ナグルザム卿は目を伏せ頷いた。衛兵も頷き、親書を巻き直してナグルザム卿に渡した。
「エルクレアより魔族領への渡航の安全保障の件、確かに。少しあけすけに申し上げても?」
「む? エルクレアを正式に預かる方である以上、ナグルザム閣下のご随意に」
ヒューさん、少し面食らった感じだが、どうにもやはり、どこかトゲがある。
これが、長年の魔族との『軋轢』ってやつなのかな……俺には全く無いけど、この世界の人には何千年単位で積もり積もってる代物。
「ローリスが、このエルクレアの統治者が変わっている事を知り得たのは一体いつです。ローリスの諜報は優秀ですが、漏れるはずのない形にしていたはずです」
なるほど、あけすけと言うか、ぶっちゃけて来たな。
これは結局は……
「わたしが単独で、ローリスから大砂漠を縦断するルートを取り、直接エルクレアに侵入し、2ヶ月に渡り直接観察をした。一般諜報員は関わっておらん」
「なるほど。単騎で入られたのであれば、さすがに防ぎようが無いというもの。しかして、貴殿のローリスでの立場は?」
「わたしはローリス元老院の元職の長だ。現在はこちらの英雄閣下のお世話役を仰せつかっている」
「英雄……しばらく前にオーフェンが召喚したという、あの英雄ですか」
「そうだ。オーフェン王が愚かにも始末しようとしたところを、我が国で保護し、ご活躍頂いている」
「英雄が、生き延びていた……先日のオーフェンの動乱には、こちらの英雄閣下は関わられなかったので?」
「何を言いたいか知らぬが、英雄シューッヘ様が敵将アッサスを一撃の蹴りで粉砕し、動乱の幕引きをなさった」
ヒューさんの言葉が冷たい。ヒリヒリする空気感があって、喉が焼け付きそうだ。
これ以上ヒューさんに任せておくと、敵対的になりかねない。愚策かもしれんが、俺が言葉を挟もう。
「あの、ナグルザム閣下。英雄と聞くとやはり、魔族を滅ぼしに来る者、という認識がありますか?」
俺の言葉に、ヒューさんも、ナグルザム卿も、ハッとした様に俺を見た。
ナグルザム卿は少し悩んだのか沈黙を挟んだ後、ゆっくり言葉を発した。
「英雄たる存在は、魔族殲滅を運命付けられた人間。わたくしに力があれば、この場で討ち滅ぼす事こそ、魔族社会の平穏を……」
「いや、いやいやちょっと待ってください。俺は寧ろ、魔族社会の権利観念の素晴らしさなんかに触れて、魔族との融和の可能性を探りたいんです」
「そんな。口先だけならばどのようにでも……」
「ま、まぁすぐ信じろって方が無理かも知れませんけど、オーフェンの時も魔族でサキュバスのサリアクシュナさんと、人間の裏切り者に共同して対応しましたよ?」
「サキュバス? ……随分前に、オーフェン王籠絡の任を持ちオーフェンに入ったサキュバスがいたと聞くが、まだ生きていたのか」
「人間に、相当酷い目に遭わされてしまってましたが、今ではオーフェン王の寵妃です。任務としては失敗かも知れませんけど、それでも魔王様は私を殺さない、それが権利だから、と、サリアクシュナさんは言っていました」
俺の言葉に興味を持ってくれたのか、その重たげな首がひょいと前を向いた。
「貴殿は……魔王陛下との接見をなさりたいのか?」
「……出来れば。突然訪問してすぐ会って頂ける程簡単には行かないとも思いますが」
「英雄殿にお聞きしたい。魔族との融和と仰ったが、魔族は多彩で、中には人間を餌と捉える種族もいる。それらとどう融和を?」
「俺自身あまり詰めた考えを持っている訳ではないです。もちろんどうしても相容れない相手は、仕方ないと思います。けれど、それ以外も含めて『魔族は全て殲滅だ』というのは、あまりに乱暴で意味が無い、いや、むしろ人間の発展にとっても有害だろうと」
「ふむ……あくまで人間の発展の為に、魔族との融和を、と、そう考えておいでなのですかな?」
「そう、ですね。身勝手かも知れませんが、この世界の人間たちにとって、あくまで自分たちの安全が確保され、自分たちの為になるという前提が無ければ、魔族との交流は不可能だと思います」
俺がそう言うと、ナグルザム卿は口を閉じたまま俺の事をじっと見つめてきた。
品定めをする様な、鋭く抉るような視線。その視線だけで、喉の乾きを自覚する。
少しの間その視線を浴びたが、ふとしたタイミングでナグルザム卿がふっと息を吐いた。
「今代の英雄殿は、随分と変わった方のようだ。人間との融和……魔族としても、メリットが無いわけではないですからな」
「メリットが? てっきり俺は、魔族にはメリットは無い、とばかり思ってましたが」
俺がそう言うと、ナグルザム卿はうつむきながらはっはっと笑った。
「英雄殿。片方にしかメリットが無い事など、まずもって無いものです。もし人間との融和が成れば、我らは危険を侵さず大陸東方へと進出出来ます」
「東方? えっと、例えばガルニアとかですか?」
「ガルニアは……あの国は保守的過ぎて話になりそうにもないですが、例えばガルニア連峰南側、その南東部にあるとされる大森林などに居住区が作れれば、魔族も、現在の数の頭打ちが解消されます」
「なるほど、お互いにメリットはあるんですね。ちょっと安心しました、交渉になるだけの土台にはなりそうで」
「英雄殿の志に感じ入りました。わたくしの名でもって、魔王陛下への謁見の伺い状を書きましょう。恐らく魔王陛下はお会いくださるはずです。但し……」
「……但し?」
ふと、ナグルザム卿の目が真剣になる。
「通行の安全保障はしかねます。ここから陛下の直領地まで、幾つもの領主の独立自治区を超える必要がありますが、彼らにどうこう言う権限はわたくしにはありません。
彼らが皆、英雄殿の志に同調してくれれば、争いも戦いもないでしょう。されど、様々な者がおりますので……わたくしとしては、貴方がたの道中の安全を、魔神エルドラドン様に祈るばかりです」
俺はその目の真剣さに、決して道中は安全にならない事を理解した。




