第73話 <side フェリクシア> ご主人様は順調な回復傾向。一方、のぞき魔は……
<side フェリクシア>
あれから2週間が経った。まだご主人様は部屋に籠もりきりだ。
どうも今のご主人様とアリアの相性が良くないようだ。
アリアに食事などを持っていかせると、アリアがしょんぼりして帰ってくる。
こうなった初日に、アリア自身が「内心を覗かれると警戒する」と言っていたが、それなのか?
アリアに聞いても、的を射ない回答しか返ってこない。何が原因なのかは、正直分からない。
ただ言える事は、今のご主人様は常に床に伏せっておいでという訳でも無いらしいこと。
私が部屋に伺うと、ベッドに居る時もあれば、ソファーでぼんやりされている事もある。
最近ご主人様とお話しをして気付いたが、大分回復はされている様だ。
最初の頃よりおどおどした様子が無くなっているし、目に力がある。
もっとも、心配させない為に演技してみえる可能性も、否定は出来ないのだが。
一昨日辺りからは、寧ろアリアの方が気鬱ではないかと思える程、しょげている。
まぁ、気鬱は時にうつるからな。内心まで見える近づきすぎなアリアにうつったとしても、不思議は無い。
ご主人様も大分食欲が出てみえたので、今日は試しにステーキをお出しする事にした。
この家の換気は抜群なので、部屋中ステーキ臭で寝づらい、という事もない。のでお部屋にお持ちする。
「私だ。夕食をお持ちした」
言うと、中からはーいと声が返ってくる。この声も指標だ。初日のそれより随分ハッキリした。
今日はサービスワゴンごと上に持ち込んでいる。鉄板も用意し、しっかり熱してあるのでジュージューと音もする。
「ご主人様、お加減は如何か?」
「あー、えっ?! ステーキ?!」
「ああ、ご主人様も大分食欲が出てみえたのでな。残して構わないので、試しにと思ってステーキにしてみた」
丁度ソファーに座っておいでだったので、サービスワゴンをそちらへ付ける。
「どうだ? 一口でも食べられそうか?」
「うん、丁度今日は、結構おなか空いたなぁって思ってたんだ」
「それは何よりだ。無理はせず、食べられるだけ食べてくれれば良いからな」
ご主人様の前にステーキをお出しして、ソースを掛ける。
よく熱した鉄板に、ステーキソースがこれでもかと沸き立つ。
「あちっ」
「ああ、済まない。これを使ってくれ」
ナイフをくるんでいた布を手早く外してご主人様に手渡す。
布をステーキの近くに立て、その上からステーキを覗いてるその様は、子供がハンバーグを楽しみにしている様子にすら見える。
少しすると、ソースの沸き立ちも治まる。ご主人様も布を下げられ、そのまま膝に掛けられた。
すぐナイフとフォークを配膳し、そのまま横に座る。夫人の特権だな、メイドが同じ席に掛けるなど、普通許されるものではない。
「じゃ、いただきます」
「ああ、熱いから気をつけてくれ」
割と大きめにカットした肉だったが、ご主人様は残さず召し上がってくれた。
「パンか何か欲しかったか? 足りたか?」
「うん、久しぶりにがっつり肉食べて、満足だよ!」
その言葉、その笑顔に、こちらまで釣られて笑みになってしまう。
相変わらず、シューッヘは可愛いなぁ……
「ん? なんか、付いてる?」
「いや、ご主人様があまりに美味そうに食べているのがな、何だか愛くるしくてな」
「んんっ、そ、そう?」
「ああ。あまり可愛い可愛い言うと男は嫌がると聞くのだが、どうにも可愛く感じてしまうんだ」
照れているのか、頬が少し赤い。こう素直に感情を露わにしてくれるところも、可愛く感じる。
と、不意にご主人様の目が真面目な様相を呈した。何だ? 何があった?
「あのさ、フェリクシア。アリアの盗聴に対して、結界って張れない?」
なるほど、余程アリアの『覗き見』がお気に召さないらしい。
「防諜結界自体は張れる。が、女神様が与えた力だから、防諜が効く確実性は無い」
「それでも、もし少しでも妨害になるんだったら、張って欲しい。頼める?」
「ああ、今すぐ処置をしよう」
防諜結界は、複数の種類がある。
単に音の出入りを防ぐもの、雑音を生じさせて中から情報を漏らさないもの、そもそも存在を隠蔽するもの。
この3つが私の使えるものだが……ご主人様は本気で気にしてみえる。私も本気で掛かろう。
「[防諜結界][騒音防諜][防諜結界][隠蔽結界]」
立て続けに4枚の防諜系の結界を張る。普段、自分の目の前に壁状に張る防御系の結界と違い、部屋全体・隙間無い様な効果範囲なので、少しだけ疲労感を感じる。
「ふう……私が出来る範囲だとこれ位か。後は、[位置固定]」
ドアに向けて、位置を固定して動かなくする魔法を放つ。
これも継続的に魔力を喰うので重いが、これで扉は絶対に開かない。
「これでこの部屋は、それこそヒュー殿でも、結界破壊なしでは中の様子は見えないし聞こえない」
「はぁー、ありがとう。俺さ、最近アリアがずっっっと見てる、って、そんな感じの『目』を感じててさ、疲れちゃって」
堰を切った様に話し出すご主人様。余程アリアの「覗き見」がストレスだったのだろう。
「アリアってさ、俺の事が心配なのは分かるんだけど、全然デリカシーが無いんだ。人の心を、ずけずけと読んでさぁ」
「ふむ。アリアらしいと言えばらしい。アリアの性格からして、遠慮をするタイプでは無いからな」
「遠慮しないったって限度があるよ。だって、俺がさ、色々無言で考えてると、突然『じゃあこうしたら?』って。びっくりはするし、気分は良くないし」
「アリアとしては、それがご主人様の手助けになると、恐らく本気で思っているのだろうな」
「あーそうかなぁやっぱり。悪意じゃないのは分かるから、本気で『心読んで回答』が正解だと、思ってんだろうなぁ……」
ご主人様の顔は厳しい。相当アリアの『覗き見』を嫌気されている。
アリアに私が言って、素直に聞くかは分からないが、言って伝える程度は出来る、か……
「もし気になるようであれば、私から一言、強く言っておくが」
私が言うと、ご主人様はパッと目を開かれ、私にぐっと寄った。
「是非お願い! 俺も何度か言ったは言ったんだけど、メリットもない訳では無い事をつい思うとそこを突いてきて、結局何も変わらないんだ」
そして、また元の厳しい表情に戻った。
やはりまだ、心の安定性が不完全でいらっしゃるのは明白だな。
「アリアは、メリットよりデメリットが勝っている、という状況を、正しく判断出来ない状態か。力に溺れた末路、と言うこともあるかも知れない」
「俺としては、アリアは元のアリアのままの方が良かったなぁ。確かに助かるって感じる時も、あるはある。けど、毎日されてて気分の良いもんじゃない」
「時折、であれば良いとか、ご主人様自身が困り切った時であれば良いとか、何か例外的に許す場面はありそうか?」
「例外ねぇ……取りあえず今の、この休暇中は、例外なしで覗かれたくない。調子が良くなってからも、そんなに例外は要らない気がする」
「ふむ。ではその旨も含め、アリアには強く言っておく」
テーブルのステーキ鉄板を引き、カトラリーもワゴンの上に乗せてしまって、ティーカップセットを代わりに置く。
今日のお茶は、肉に合わせて少し濃い・渋めの茶葉を使った。普段だとご主人様はミルクを入れて飲まれる茶葉だ。
「まぁ、お茶でもどうだ。私もご一緒して良いか?」
「うん、もちろん」
ニコッとなさる。少し眠たいのか、まぶたが重くなっている様に見える。
私の分もカップを机に出し、ご主人様のに続いて注ぎ入れる。
茶菓子は食後故、持ってこなかった。シュガーとミルクは、一応程度の量は持ってきてある。
試しに紅茶をすする。ご主人様の部屋で再加熱する訳にもいかなかったので、多少ぬるい。
ご主人様も口を付けられる。その眉間にシワが寄る。
「ステーキの後だったのでさっぱりしそうな茶葉にしたが、苦いか?」
「うん、ちょっと苦い。ミルクがあれば、欲しい」
「うむ。丁度良いところで止めてくれ」
ワゴンに手を伸ばしてミルクポットを取る。それをご主人様のカップに傾け、少しずつミルクを入れる。
割と多めに入れたところで、ご主人様から声が掛かった。うむ、ティーミルクだな、これだけミルクが入ると。
「ご主人様は、部屋に籠もりきりだが、不自由は無いか? 何か欲しい物があれば調達するが」
「うーん、特に不自由は無いかな。でも動いてないから身体が鈍ってるのは感じる。木剣とかある?」
「備えは無いが、市場に行けば訓練用の軽めの木剣はあるぞ。長さはどの位が良い?」
「いつもは俺、短剣だけど、何かの時に普通の長さの剣が振れないのも恥ずかしいから、普通サイズがいい」
「分かった。近々仕入れて、またお部屋へお届けしよう」
「それと、テキトーにつまめるお菓子が欲しいかな。小腹が空いた時に、ちょっと食べられるような」
「それはすぐ用意出来る。言ってくだされば軽食もお持ち出来るので、適宜使い分けてくれ」
「うん、ありがとう。その位かな、後は……」
ふとまた、顔に険しさが表れる。
「アリアの覗き見が、止んでくれれば良いんだけどな……」
ふうむ……女神様公認のご主人様のご休息時間を、夫人がリラックス出来ない様にしてしまっているのは非常に良くないな。
どういう言い方をするか、どう言えば聞いてくれるか手探りだが、何とかアリアの暴走は止めよう。




