第71話 <side フェリクシア> この真昼にカーテンすら閉めずとは。
<side フェリクシア>
ご主人様の部屋のドアをノックする。
応答は無いだろうと思っていたが、暗く沈んだ声で一言、はい、とあった。
「私だ。薬箱に、幾分今の気持ちを楽にしてくれそうな物があったので持ってきたが、どうだ?」
問うたが、返答は無い。
特に拒否の意図でもないのだろうと考えて、扉を開けた。
「入るぞ。部屋は、暗くしなかったのか?」
寝る、と聞いていたので、部屋は真っ暗にしているものだと思っていた。
カーテンすら開け放してあり、光が入りたい放題に入っている。
「あぁ、フェリクシア……カーテン閉める気力も無くてさ」
ベッドに仰向けになっているご主人様は、ご自身の腕で目を覆っておいでだ。
カーテン一つ閉められない程の気鬱か。これは相当重いな。
「カーテン、閉めておいた方が良ければ私が閉めるが」
「助かる、お願い」
「ああ」
ソファーデスクにセロトニル・ミルクを置いて、部屋の4枚の窓のカーテンをサッと引く。
このカーテン、一般的な物と違い、裏に金属の薄膜が貼り付けられていて、部屋は本当に真っ暗になる。
もっとも、カーテンなので左右から多少は光が漏れて入る。真っ暗ではあるが、歩けない程の暗闇でもない。
「ねぇ、フェリクシア」
「ん? どうした?」
「少しの間で良いから、俺の……話し相手ってか、多分俺が話すばっかりになっちゃうけどその」
「ああ、構わない。私はシューッヘの為なら、何でもするさ。薬は後にするか? ホットミルクで溶かしてあるが」
「あ、それは、温かいうちにもらう」
「うむ、ベッドに持っていくので、シューッヘはそのままでいいぞ」
弱っているご主人様……シューッヘを目の当たりにすると、何だか守ってあげたくなる感覚がある。
常に気を張って、私やアリアの事を第一にと考えてくれるシューッヘ。今この時だけでも、私が楽にしてあげたい。
可能なら、少しでも楽になれるよう、服薬、してくれると良いんだがな、ベッドに腰掛けよう。
「よっ、と。トレーごと持っているから、好きなタイミングで飲んでくれ。合わないと思ったら、辞めて良い」
「うん、ありがと。よっこいしょ……」
シューッヘがうつ伏せから直り、重たげに上半身を起こした。
トレーのマグカップに手を伸ばす。程よい温度にしたので、そのまま飲めるはずだ。
「ん……ふう、飲みやすいし、香りも良いね。この香り、これってカモミール?」
「カモミール? シューッヘのいた世界ではそう呼ぶのかも知れないな、こちらではセロトニルと言うそうだ」
「セロトニル。何だかガチで鬱に効きそうな名前だなそれ」
「そうなのか? 聞いたことの無い薬草だったので、アリアなどいぶかしがっていたぞ」
言っている間に、シューッヘがマグを傾けて飲み干した。効果は分からないが、味の面では気に入ってくれたようだ。
マグがトレーに返ってくる。ふと迷ったので、聞いてみる。
「私は、向こうの方が良いか? ここでも良いか?」
「ここに……いて欲しい」
「うむ。邪魔に感じるか、眠りたくなったらいつでも言ってくれ」
私が言うと、沈んだ目がゆっくり頷いた。
少しの合間の後、シューッヘが口を開いた。
「フェリクシア。俺さ、ここ最近、アリアの事ばっかりで、フェリクシアの事、何にも考えてあげてない。ごめん」
「気にすることではない。アリアという『子供』が優先されるのは、何処の世界でも寧ろ望ましいだろう」
「子供。そっか、子供だったもんね。お漏らしとかしちゃうし、エリクサー使わなかったら今でもまだ……」
「かも知れないな。シューッヘが名案を思いついたからこそ、早々に子供を卒業出来たんだ。アリアはもう少し感謝しても良いと思うんだがな、私からすると」
「ふふ、そうだね。アリアって、一言『ありがとう』ってデカい声で言えば、それで全部感謝終了! みたいなところあるよね」
「あるな。その一言だけか?! と、私も少々イラッと来る事が、無いではない」
「へぇ、フェリクシアも? そっかぁ、俺だけかと思ってた」
「いや、奥様のあの自己中心的な態度は、イラッとなさって当然だ。もう少し厳しく躾けた方が良いかも知れない」
躾けるとは。
我ながらまるで、第一夫人の物言いだな。思わず笑いがこみ上げてしまった。
「フェリクシアが、何だかちょっと意地悪夫人風になってるね」
「ははっ、どうなんだろうな。第一夫人の余裕とか、気にしていないだけで、あるのかも知れない」
「第一夫人、か……んー……」
ふと、シューッヘが伸ばしていた膝を抱え込んで、その膝に顎を乗せる。
何か考えている様なので、ふんわりと眺めながら、シューッヘの言葉を待つ。
「ねぇフェリクシア。フェリクシアは、やっぱり第一夫人が良い?」
「ううむ、あまり意識していないな。第一であろうが第二であろうが、日々の動きはメイド。夫人とすら、あまり意識していない」
「それは、ごめん。俺が十分に愛してあげていないから」
「いや、そうではないから安心してくれ。メイドは私の天職で、もしかすると結婚すら超える適性と思う事もある」
「つまり、妻でいるって意識よりも、メイドでいるってのの方が、やっぱり強い、と?」
「うむ。折角私を抱いてくれたシューッヘに言うべき事でもないとは思うが、私は結局、芯からメイドなのだ。夫人より愛妾の方が適しているやも知れん」
「愛妾かぁ……俺の元いた世界だと、結婚の外で男女が関係持つって、かなり周りから叩かれる話だったんだよね」
「ほう。複数夫人も無いとなると、一夫一婦制が厳格に守られていたのか?」
「どうだろ。噂に聞くだけだけど、中年くらいの人には、浮気してる人も結構いたらしい。それで離婚になって賠償金がー、とか」
「幸いローリスの貴族は、何人囲っても構わない。平民でもそれは構わないが、さすがに生活がな」
「俺もそう言えば、あんまり貴族ってこと意識してないなぁ……フェリクシアの『夫人意識してない』位に、意識してないかも」
「シューッヘは、私が夫人としての意識が無い事は、やはり嫌なことか?」
「どうかな。うーん……」
沈黙、1つ……2つ……3つ。
これ以上は止めよう。
「難しく感じる様なら、今はその話題は飛ばそう。頭を絞る時期ではないからな、今は」
「……ありがと、フェリクシア。ねぇ、良かったら……添い寝してくれないかな」
「ん? ではこのトレーだけそこに置いてくる、ちょっと待っててくれ」
さすがにトレーを床に置くのも気が引ける。シューッヘには悪いが、ちょっとだけ待ってもらう。
トレーをソファーテーブルに置き、戻って、ベッド脇に立つ。
「もう少し待っていてくれ、背中のプロテクターを外すから」
背中のロックを2箇所外し、締めているバンドを外す。
更に、肩とブラジャーを連結しているロックも外せば、これで勝手に落ちる。
「うわ、結構重そうな音したね。あー、ナイフ7本だから当たり前か」
「今は包丁が7本だな。なので軽めの方だ。ただプロテクター本体にも重さがあるからな」
背中ががら空きになると、少しだけ、気持ちがざわっとする。
別に敵などいないし、危険も無い。それは分かっているんだが、常に付けているから、どうしても身体が反応してしまう。
出来るだけ気にしない様に意識を逸らしながら、ブーツを脱いだ。
「では、入らせてもらう。もし私で遊びたければ、自由にしてくれて良い」
「あはは、今日はさすがに、その余裕は無いかな……寧ろ、ちょっと抱き締めてて欲しい」
シューッヘの声が、何だかおなかにキュンと来る。何だこの感覚は。
私がご主人様たるシューッヘを、可愛いと……思うのは、間違っているだろうに、思えてしまう。
ベッドの中で動きシューッヘに近づき、シューッヘの首下に腕を通す。
シューッヘもそれを望んでいるのか、自ら首を上げてくれる。
「シューッヘ、いつもありがとう……私には、せいぜいこの位の事しか出来ないが……」
「その『この位』が、今はすごく、安らぐ……」
腕枕を伸ばしておいたのだが、シューッヘは首を丸める様にして、顔を私のバストに埋めた。
何となく、こうするのが正解かと、私の胸に顔を埋めるシューッヘの頭を優しく撫でる。
シューッヘの鼻息が、少々くすぐったい。興奮している時とは違う、静かな呼吸だ。
今日まで、既に3度、シューッヘに抱かれている。
1度目は正月の1日、2度目はアリアが子供返りで再誕生した翌々日。3度目は、その5日後。
日中ストレスが溜まっておいでの様子の日に、決まってお呼びが掛かった。
男性の性の感覚、というのは、まだ相変わらずよく分からない。
ただ、前回・前々回で思ったのは、ある種『ストレス発散』の意味もあるのかも知れない、ということだ。
実際、2度目の時より3度目の時、アリアが日中イヤイヤを連発しまくって、シューッヘの笑顔が崩れかけてた日は、初日と比べて随分荒っぽかった。
どこまでが「礼節正しい良い」性で、どこからが「乱暴で良くない」性なのか、私にはその区分すら分からないが、荒っぽくされても何故か心地よいことには変わらなかった。不思議なものだ。
「シューッヘは、優しいからなぁ……」
「……それは、どういう……?」
胸から顔を上げて問うてくる。がその顔が、不安に怯える子犬の様なそれで、もうたまらない。
私は思わずシューッヘの頭を両手でわしゃわしゃともみくちゃにしてやった。うろたえる様も、可愛くてならん。
「んにゅ、みゅ、ふぇ、ふぇりくしあ?」
「あー、愛する人をこうも自由に出来るのは、これは幸せな事だな」
一通り撫でたい欲求が満ちたので、再び、ちょっと強引に、シューッヘの頭を自分の胸に沈める。
「んむふ……」
「苦しかったら言ってくれ、緩めるから」
最初ちょっとバタバタしかけたが、静かになった。
と、逆に静かにならないのは、シューッヘの呼吸だな。さっきまでの落ち着きはどこへ、ふーふー言ってる。
「ふぇ、ふぇりくしあ」
胸の中で呟くものだから音がくぐもっている。何だか可笑しい。
「どうした、私がシューッヘを好きにした様に、シューッヘも私を好きにして良いんだぞ?」
その後、随分好きにして頂いた。




