第70話 <side アリア> シューッヘ・リハビリテーション・プログラム
<side アリア>
城から下がって、シューッヘはすぐ、一人で寝室へ向かった。
いつもだと、シューッヘは家に入るとまずリビングへ行って、水なりお茶なりを飲んで、それから行動する事が多い。
多分、そんないつもの行動すら、今は余裕が無いのね。
さっきから時折シューッヘの心も見てるんだけど、すごく断片的。
誰かを責めてる様な、とげとげしい思いもある。けれどどちらかと言うと、自分を責めちゃってる。
今のシューッヘは、ちょっとだけ、危ない。自殺危険度が高い……そう思って接した方が良さそうね。
あたしのメンタル講師だった時の知恵とか、今でも役立つかなぁ。
実戦での失敗は……
……今は考えないことにしよう。
シューッヘを、笑顔に戻すんだ。
「フェリク。ちょっと聞いてもらっても良い?」
「ん? 奥様、改まってどうされたか」
椅子を引いて座る。対面の椅子に、フェリクも座る。
「フェリクから見て、今のシューッヘの様子って、どう感じる?」
「自信を喪失なさって、何もかもご自身の責任の様に感じ、ご自身を強く責めておいでに見える」
「うん、そうよねやっぱり。ただ、心を見ると、外側にもその責める気持ちは向いてるの」
「外側か。私はお言葉が聞こえなかったので部分的な理解にはなるが、女神様に責めが向いている、と?」
「多分そうだと思う。女神様、って言葉やイメージは、シューッヘの頭の中には無かった。考えない様にしてるんだと思う」
「ふむ。心を病む、という事に関して、私はまるで詳しくない。以前奥様が詳しいという話を聞いているので、私はそれに頼りたい」
「あたしもそんな、専門家みたいなものじゃないわよ? あくまで日常レベルでのストレスが~、とか、そんな程度よ」
フェリクが、2階でも見ようとしたのか、視線が天井の方を向く。
「ご主人様は、今はもう寝ておいでか?」
「眠れてはいないわ。ずっと考えてる言葉が見て取れるから」
「どうなのか分からないが、こういう時に最愛の妻が横にいた方が良いものなのか? それとも一人にしておいた方が良いものなのか?」
「最愛の妻って、あたし? フェリク?」
あたしの単純な疑問を、フェリクが突然鼻であしらう様に笑う。
「今回誰の生き死にで心を病むことになったんだ。最愛の方は、奥様に決まってるだろう」
「あ、あらそうなの? フェリク」
そ、そっか。今回女神様憎しになったのって、あたしの生死がきっかけだった。
マウント取る様なつもりは全く無かったのに、変なこと言っちゃった。
「んー、そうなると、意外とあたしよりフェリクがメインで接した方が良いかも知れない」
「ほう。それはどういう考え方なんだ?」
フェリクが表情を変える事もなく、いや、眉がちょっとだけ上がってはいるが、疑問を呈してきた。
「あたしって、ホントのど真ん中の当事者だし、心も読めるでしょ? そうすると、ちょっと警戒するかなって」
「警戒? 先ほどのヒュー殿の部屋でのやりとりもそうであったと思うが、以心伝心を地で行く相性の良さと感じたが」
「そこがねぇ。弱みを見せたくない時まで見られる、って思われちゃうと、余計ストレスになると思うのよ」
「つまり、奥様だと見られてしまう、見せたくない心模様も、私なら見えないから安心だ、と。そういう事か?」
「そういう事。もちろんあたしもシューッヘとは接するし、いつも気には掛けてるけど、過度にいっしょにいると、監視されてるみたいな被害妄想が出ちゃってもいけないし」
「被害妄想? ご主人様の性格からして、あまり似つかわしくないな」
「うん。でも今みたいな心の状態の時って、どっちへ転ぶか分からない所があるから。念のための用心、ね」
「そうか」
納得、という言葉の代わりの様に、目を伏せてうつむきがちに頷く。
「となると私は、あくまでメイドとして接すれば良いのか? 努めて夫人の色は消して」
「ううん、フェリクが夫人として接するのは問題無いと思うわ。寧ろその方が望ましいかも知れない」
「ややこしいな。結局私は、どういう立ち位置でご主人様と接するのがベストだと、奥様は思われるんだ?」
「言うなら、『常はメイド、でも時に夫人』かな。不意に話したい時とかに、夫人として、聞くのに徹して話を聞いてあげるとかね」
「ううむ。私だけでは、上手い対応が出来ないかも知れない。随時奥様にアドバイスを仰ぐ。そこはお願いしたい」
「分かった。取りあえず今は、まだシューッヘ、頭の中ぐちゃぐちゃだから。出来るだけ寝かせてあげたいんだ」
「寝かせて……けれど、眠れてはいないんだな? 今は」
「うん。今は、誰が悪いんだろうって事を、ずっとぐるぐる考えてる」
「あまり良い考えでも無いな。薬箱に、眠り薬があるはずだ。それを使ってはどうだろう」
「良いかも。でもその眠り薬って、癖になったり、それが無いと眠れなくなったりしない?」
「ちょっと実際の物を見てみよう。説明書きに何かあるかも知れない」
と、フェリクが席を外した。
あたしもふと考える。シューッヘの今の意識状態と、精神の状態と。
まずは、寝て休んでもらうのが最優先。眠りは心を癒やすし、ショックも軽くしてくれる。
今の今も、シューッヘの悩みの声は心に届いてくる。誰が悪かったんだ、誰が……って。
シューッヘ自身やあたし、女神様。フェリクシアにヒューさん。色々思い浮かべては消し、を繰り返してる。
悩んでる本人が一番辛いのは間違いないけれど、このぐるぐるをずっと見てるとこっちまで滅入るわ、気をつけよう。
最終的には時間が解決するのを待つしかない場面だとは思う。
でも、そのプロセスも、出来るだけシューッヘの負担を軽くしたい。
せめて今のこの、答えの無いぐるぐるは……消してあげたい、一時的にでも。
眠り薬と言うと、あれ何て薬草だったかしら。有名なアレ。詳しくないから、有名なのに忘れちゃったな。
もしアレだったりすると、効くのは確かなんだけど、人によってはずっと飲み続ける事になっちゃう。
依存性がある、って言ってる人もいるし、単に「寝やすさが癖になってるだけ」って言う人もいる。
あたしは、枕に頭付けたらすぐ眠気来るタイプで、そもそもご縁が無かったから興味も無かったけど。
と、キッチンから奥様と呼ばれた。はーい、と答えた。
「奥様、薬箱の中にやはり眠り薬があった。ただ、2種類ある。有名なベンズ草由来の物と、もう一つ、セロトヌという聞かない薬草の物だ」
「あぁそうそう、ベンズ草! ここまで出てたんだけど出てこなくって気持ち悪かったのよ。ベンズ草よ、ベンズ草。でも、セロトヌって? 初めて聞くわ」
「ベンズ草の方は、まぁ有名だから説明も特にないんだが、セロトヌの方は説明書きがある。どうも単に寝かしつける薬というより、気持ちを楽にさせる薬、という謳い文句らしい」
「気持ちを楽にさせる、ねぇ」
聞いて、ちょっと怪しさを感じた。
気持ちを楽にさせるよ……って近づいてくる薬は、大体ヤバい薬の事が多い。
もちろんヒューさんが用意してくれた薬箱に、そんな良くない薬は無いはずとは思うけど、絶対は無い。
「セロトヌ、試しにあたし飲んでみるわ。あんまり強すぎたり、変にハイになるようだったら、殴ってでもあたしの事止めて」
「殴りはしないが、拘束魔法くらいは覚悟しておいてくれ。今、用意をする」
キッチンとホール、シューッヘのアイデアで廊下の壁を切り抜いてくれて、話が通ってすごく楽。
そういう細かいアイデアが出るのも、シューッヘのすごいところなのよね。
ある意味、あたしより細かい。だからこそ……下手にあたしが雑に関わると、シューッヘの心を傷つける恐れがある。
その点フェリクは、職業的繊細さのせいか、それとも「雑に見せてるだけ・元々の資質」の可能性もあるが、細かい。
余計な事もほとんど言わない。あたしだったら100%ツッコんでる様な場面でも、「そうか」で受け流したりもする。あたしより大人よ、フェリクは。
そんなフェリクだからこそ、シューッヘのケアでは一番手に立ってもらった方が良いように思う。
「待たせた。独特の香りがある。味はみていない」
と、あたしの横まで来て、グラスに入った水を置く。
まずは観察。色は透明で変化なし。香りは……うん、ふわっとした、優しいハーブな香りね。
一口……んー、ちょっと変わった味。嫌な味じゃないけど、水だと目立つ。紅茶かミルクか……
「フェリク。これ、独特な味があってちょっと飲みづらいかも。紅茶か、ホットミルクかなぁ」
「ホットミルクに砂糖を入れてお出しするのも良いかと思うが、どうだ?」
「そうね、それが良いかも。すぐ飲めるくらいの適温で作って、持っていってあげて」
「ん? 奥様が行かれるのではなく、か?」
「うん。今はかなりぐるぐる思考に巻き込まれてるから、読まれる、ってなったらきっと身構えちゃうと思うの」
「そうか。では、適宜お持ちする事にしよう。味はともかく、効き目の方はどうだ?」
「あ、忘れてた。そんな強いものじゃないみたい。気休め程度? 言われれば、ほっこりするかな、くらい」
「まぁ、ヒュー殿が選定して入れる位だから、恐らく効果自体はあるのだろう。では作ってお持ちする」
「うん、お願いね。もしシューッヘが何か聞いて欲しそうだったら、聞いてあげてね」
「ああ、もちろんだ。ご主人様の助けになれるのであれば、私は喜んで聞くさ」
うん、さすが『現・第一夫人』。その余裕が、あたしも欲しいくらいよ。
あたしは、っと。二人の心の会話でもモニターしようかな。
……あー趣味悪い。
女神様も罪よねぇ、あたしにこんな力……使わないでいられないじゃない!




