第68話 フラッシュバック
俺の葛藤を察してくれているのか、ヒューさんは何も言わず僅かに目を伏せ、動かない。
そして、いつもなら、呼べば少なくとも応答はすぐある女神様が、何の反応も無い。
「女神様」
俺はもう一度、同じように声に出した。俺ってこんなドスの利いた声が出るのか、少し驚いた。
女神は、逃げ出したか? いや、別に俺の事など怖くもないはずだ。本気を出せば、実力差は天地。
サンタ=ペルナ、様。チッ……「様」なんて付けるだけで、気持ちがイラッとする。顕現でもするならば、一太刀見舞いたい。
ん? 手を……俺の手に、温かい手がかぶさる。
「シューッヘ。相手は女神様よ。あたし達ローリスの民を見守って下さる、そして世界の審査をなさる、偉い神様。
だからって訳じゃ無いけど、そんな刺々しい思いを、女神様に向けちゃダメ。
思い出して? 女神様、あたし達の結婚式の時に、実際にその地に来て下さったんだよ? 憎く思ってる訳がないよ。
あの地下室での『事故』は、シューッヘの気持ちを、とっても傷つけた。だけど、その原因はあたし。女神様は」
俺はアリアの言葉を遮る様言葉を重ねる。
「その女神は、アリアが死んでしまった後、いつもの『ルール』だと言い出して、俺が時空魔法を使う事を禁止し続けたんだ。
時空魔法さえ使えれば、すぐその場で元通りに出来たのに……もし事故なら、それ位の融通があっても良いじゃないか。
あの女神が、その力を誇示する為に放った一撃だからこそ、『ルール』通りにさせようと……幸いアリアには、『時の四雫』があったけど」
その時、虚空から声が響いた。
『時の四雫、ウロボロスの瞳。本来なら、その存在自体がルール違反で、取り締まりの対象にしなくちゃいけない魔道具、なのよねぇ、一応』
机の奥の虚空から聞こえる声に、一同は深く頭を下げた。ただ一人、俺を除いて。
「それなら、今この場でアリアの『蘇り』のルール違反を咎めて、またアリアを殺しますか。ルールが大事なら、そうなさるのでは?」
俺自身思った、そんなに刺々しく言う必要まではないのに、と。
ただ、どうしても口をついて出るのが、そんな言葉だった。俺の心の奥に焼き付いてしまったアリアの姿……この女神が、そうしたのだから。
「シューッヘっ」
アリアだ。俺の目を見て、心配する様な、叱る様な、それでも優しさが滲むその目線で、俺をじっと見ている。
「あたしは、もし今生きてるのがルール違反で、また死ななきゃいけないなら、死ぬよ? 神様が決めたルールだから」
「えっ、でもアリア……そんな、神様がルールだからって、それだけの理由で?」
「うん。あたし達が、何千年と生きてこられた、少なくとも今回の文明では、神様が許して下さっているから、生きていられる。
その神様の中でも、文明を滅ぼすかどうか審査される女神様の仰る『ルール』なら、あたしが死ぬのは仕方ない事だもの」
俺は絶句してしまった。
神が……地球と違ってリアルに神が「そこに」いるこの世界では、これ程までに神の言葉は絶対、なのか。
『ちょっとあんたにはショックが強すぎたとは、思うわ。その点については、私にも非があった。認めるわ』
女神が言う。が、その言葉、アリアの放った衝撃の言葉に押し負けてしまい、俺は反応する事が出来なかった。
『あんた達が魔族領に行くのであれば、アリアの事はローリスに置いていくしか選択肢は無い。アリアはあまりに弱いからね。
ウロボロスの瞳と接続状態にあったのは分かってたから、あんたのプランを良い方向に変更させる為には、どうしてもアリアの"死"が必要だった。
もっと目立たない傷で殺してあげてれば、あんたからこんな反感買わなくても済んでたはずなんだけど……私は私で、相当久しぶりの重傷状態。
横腹をガッサリ抉られる程の深い傷だったから、魔力の調整なんてしてる余力は一切無かったの。せめて痛みは無かったと思うけど……』
アリアの死が、必要? それはつまり、魔力1,000倍化をしないと、魔族領では危険過ぎる、という事、なのか?
『アリアちゃん、あの時、痛かった? 苦しかった?』
「いえ、眩しい光みたいなのが押し寄せたなって思った時には、身体に凄い衝撃があって。痛くは無かったですけど、そこまでしか覚えてないです」
「アリア、痛くは、無かったの? 辛かったり、苦しかったりは?」
俺はアリアに向き直って、尋ねた。すがる気持ちだった。
「辛くも苦しくも無かったよ。びっくりした、とか、敢えて言えばギョッとしたが正しいかなぁ。
凄い速度の光っぽい流れが来たっ、て思った次の瞬間には、どーんて何かぶつかった、そこで意識無くなっちゃった」
俺は言葉を失った。口から出る言葉も、頭の中の言葉も。
つまり……俺が、アリアが殺された被害・悲劇、と思ったのは、女神様の計画の内で、余裕の安全圏内だった、ってこと……?
『シューッヘ。あんまり神を甘く見ないこと。私は管轄域の狭い方に入る神だけれど、それだけに、狭い範囲を最適化する力は強いわ。
今回の一件で言えば、アリアを強化する方法は、あれ以外無かった。だけど、誰か人間にアリアちゃんを殺させたら、あんた、怒り狂うでしょ。城でも屋敷でも吹き飛ばす程度に。
ちょっととした汚れ仕事だったけど、女神が殺す分には、逆らうことは出来ない。蘇りの際にウロボロスの瞳を使わなければ意味が無い以上、時空魔法は禁じる他に無かった』
俺の、怒りは。俺の、被害感情は。
俺が思った「女神がしでかした事」は、全て……女神様が「なさって下さった事」で……
俺がそれを恨むのは、圧倒的に勘違いって事……なのか……。
『シューッヘが肩を落としたわ。アリアちゃん、ケアしてあげなさい』
「はい女神様。シューッヘ、ちょっと部屋から出よっか。外のベンチに行こ?」
俺は、アリアに言われるまま、回らない頭と動いてくれない足を引きずる様に、部屋を出た。
「シューッヘ、女神様とお話し出来たね! 凄いよ、最初とっても無理かなって思ってた。でも、お話し出来たよ!」
「う、うん……その……実は時折、夢に見たり、夢じゃ無くてもふとした時に、浮かんでくるんだ、その……アリアの、死んだ時の姿が」
俺は文字通り頭を抱え込んだ。
今もだ。
アリアの、上半身と下半身が天井向きと床向きに分離されて……
表情変える余裕すら無く葬られたあの姿が、ありありと眼前に……浮かぶ……っ!
「あたしの死に様、こんなだったんだね。シューッヘから見たら、結構残酷ね……やっぱりあたし、弱いわ。女神様の言うとおり」
「俺はっ、弱かろうが何だろうがアリアを、こんなっ、こんな姿にした、女神が、女神がっ!」
「シューッヘ、手、貸して?」
言われるまま、俺の左に座るアリアに、小刻みに震えてしまう手を伸ばす。
アリアは両手で包む様に俺の手を持った。そして、口を近づけふーっと息を吹きかけた。
「温かいよね? あたし、生きてるんだよ」
「……うん」
「あたしは、今こうして、生きてあなたの手を握れて、それだけで満足なの。殺された事なんて、知らない」
「でも……俺の頭の中に、あの景色が焼き付いてるんだ。あの日から、ずっと」
「うん、ちょっとしたバラバラ殺人事件だもんね。でもね、シューッヘ。ほら」
と、俺の手がアリアの胸へと導かれる。
「心臓、動いてるの分かる? あたしは、生きてる。だから、それで良いじゃない」
「…………」
「女神様も、生き返る事を分かった上でなさった事だし、ほら、間違いなく生き返ったよ?
シューッヘの辛い気持ちは、それは本当に分かるよ。もしあなたがあんなになってたら、あたしその場で倒れてる。
けど、それでも、女神様は悪意や敵意でなさった事じゃなくて。あたしの今後を思って、殺してくれたんだから。感謝よ? あたしは」
「俺は……」
俺は、なんだろう……言葉になりかけた何かが、煙をかき消す様に固まらずバラバラになる。
考えても、どうしても……あの姿のインパクトが全てを圧倒してしまって、心がギュッと締め付けられるばかりだ。
「シューッヘ。今すぐに結論を出そうとしないで。ゆっくり時間掛けよ? 女神様を許すにしても、許さないにしても」
「えっ……それは、どういう意味、なの……?」
「今シューッヘは、女神様が憎かったり、嫌だったりするわよね。そのままで、しばらくは良いんじゃないかなって。そう思うの」
「…………」
アリアの言う事がイマイチよく分からない。
憎んでても良い……って言われても、憎しみを片手に持っていたら、女神とマトモに対話出来る自信すら無い。
「シューッヘは、あたしがバラバラにされた時、泣いてくれた?」
「……うん。凄く取り乱しちゃって、ずっと叫んでたような覚えがある……」
「じゃ、それは『シューッヘが感じた無念』なんだから、文句言ってやろうよ、女神様に!」
「え、う、うん……」
「シューッヘが感じたこと、女神様だって分かってない訳じゃ無いとは思うよ?
でも、あなた自身の口から、嫌だった事はしっかり『嫌だった』って抗議するのも、とても大切だと思うの。
誰の為でも無く、シューッヘ、あなた自身の為に」
アリアの声。かつて俺を、ギルドのメンタル講師として指導してくれた時の様な、強い後押し感を感じる声。
でも俺は……あの女神を……再び「様」を付けて呼ばないと、ただそれだけですら……
「辛いね、シューッヘ。あたしもあなたの気持ちが見えるから、シューッヘの感じてる辛さ、分かるよ。
男の人同士だったら、ガツンと一発拳で報復しておしまい、とかにしたら良いかなぁって思う場面だけど、相手は女神様だし。
拳で勝てない相手には何も出来ない、って訳じゃないわ。少なくとも文句くらいは言える。何だったらあたしが言おうか?」
アリアは……そういう子だよな。俺がこまねいて手が止まってたら、代わりにそれをしてくれる、優しくて、強い女性。
でもこの問題は、あくまでアリアに酷い事をされた、と感じてる俺自身の問題だから……
「俺……頑張って伝えてみる。上手く言えないかも知れないし、丸め込まれるだけだとは思うけど」
俺の、何とか出て来た決意に、アリアは慈愛のまなざしで、頷いてくれた。
と、アリアがベンチから立ち上がった。さっきから預けたままにしていた俺の左手をグイッと引き上げながら。




