第67話 女神と俺とウロボロス
「ヒューさん、シューッヘです。良いですか?」
重役室なドアを数度ノックしてから声を掛けた。
中からガタガタと動く音がして、程なく扉が開いた。
「シューッヘ様、ようこそお出ましで。フェリクシア様も、御機嫌麗しく。アリアは、もう身体は大丈夫か? どうぞ中へ入って下され」
ヒューさんに促されるまま、部屋へと皆で入る。
この部屋はソファーが立派で席数もあるので、全員が着席出来る。うちもそういうの買おうかな。
「まずはいずれにしても、アリアの無事な姿が見られて、わたしは大変嬉しゅうございます。一時は、これはもう……と」
立ったままのヒューさんの眉間に、深いシワが寄った。俺も、あの姿はそう思い出したいものではない。
養親、という立場でアリアを見ているヒューさんにとって、アリアを失いそうになったのはどう響いているんだろう。
「幸い、ヒューさんのくれたあの魔道具のお陰で、アリアはこうして無事に、復活しました」
「女神様が、幾らかの期間、介護が必要になると仰せでしたが、支障ございませんでしたか?」
「まぁ、確かに介護は要りましたね。けれど、治ってくれる方向の介護だったので、俺も気落ちせずにやれました」
と……口では偉そうに言ってるが、細々したことが「分からない」の連発になってしまい、介護の実務は専らフェリクシアがやってくれた。
俺がしたと言えば、食事をあげることくらいか。アレはしっかり俺だけで完遂したぞって言える。
「ただウロボロスの瞳の副作用なのか、アリアの髪がもの凄く伸びました。毎朝手こずってますよ、アリア」
俺がアリアを親指で指すと、ヒューさんの視線がアリアをロックした。
湯沸かしの鉄瓶の様なのを扱いながら、アリアをじっと見ている。器用なものだ。
「そう言えばアリア、お前はギルドの頃から比較的髪を短くしていたが、長髪は初めてか?」
鉄瓶に茶葉を入れながらヒューさんが言う。よく手元見ずに出来るなアレ。
アリアは、いつものくりっとした瞳をヒューさんに向け、口角の上がった笑顔で、無言で頷いた。
「そうか。シューッヘ様は、アリアの髪型はどうなさりたいとお考えで?」
「やっぱり決めるの俺なんですね。今朝ってか、ついさっき決めた話なんですけど、この位にしたら良いかな、と」
と、自分の胸板上部に、腕を横に当てる。
「その位ですと、多少手入れの手間はあるものの、今よりは随分と楽でしょう。若々しさもございます。宜しいかと」
カップにお茶が注がれていく。こうして見ていると、意外と抽出時間が短い茶葉を使っている様だ。
「そう言えば、アリアの胸元に僅かに見える金色は、『時の四雫』ですか?」
「えっ、見えます?」
俺は横に座るアリアに目を遣る。
この位置、つまり真横からだと、胸元の服が多少浮くので見えるんだが、正面からでも見えるのか?
ネックレス、チェーンが長くて、位置はバストのふくらみの上だ。そのチェーンも、髪の毛で隠れている。
「アリアが動くと、強い金色ですので、僅かに見えるだけでも、目立ちます」
「ありゃー……どうするアリア、盗難対策も兼ねて腹巻きにでも改造する? そうしても違和感ない位のごついデザインだけど」
「ええっ、腹巻きーぃ? おなかだったら無くさないし落とさないけど、誰にも見られないのもなぁ……ちょっと嫌」
「ヒューさん、敢えてチェーンを短くして、大きなチョーカーみたくして堂々と出した方が良いですか?」
「そうですな、あくまでわたしの感覚ですが、大型の細工物のネックレスですので、全体があけすけに見えた方が、寧ろ自然かも知れません」
ヒューさんがトレーに乗せたお茶を各自に配っていき、最後に一番奥の席に、お茶と共に腰掛けた。
「『時の四雫』は、てっきり失われたと思うておりましたが、あのさなぎの中に?」
「ええ、アリアが再誕生した時に発見しました」
「もし宜しければ、拝見致したく存じます。如何でしょう」
「構わないです、アリア」
言うとアリアが頷き、長い髪をよっこいしょな感じに持ち上げた。
俺はそこに出来た空間に手を入れ、ネックレスのTの字のバーを環から外し、ネックレスを取り出した。
「これです。そうそう、これって再利用出来るのかとか、色々聞こうと思ってたんです、すいません」
「拝見します」
ヒューさんにネックレスを手渡す。ヒューさんは裏から表から、特に石を中心に、じっくり眺めたり、光にかざしたりした。
「見る限り、周囲の4石も、中心のウロボロス石も、外観の変化はありません。[マギ・アナライズ]」
そのまま見ながら魔法行使。マギ・アナライズの魔法だから、魔術的にどうなってるのか、の観察だろう。
しばらくまた同じように、表も裏も、石達もじっくりと観察し、ふう、と息を吐いた。
「ありがとうございました、シューッヘ様、アリア夫人」
頭を下げ、ネックレスを捧げる様にして返してくれた。
丁寧すぎる、という事もないのか、この魔道具の格式であれば。
「どうでした? 使用前と使用後で、違いは」
「無いように思われます。ただ、見た目と魔法観測だけで事実を推測するのは、この魔道具については、少々危険かと。女神様の御見識を仰ぐべきと存じます」
ヒューさん、緊張しているのだろうか。顔が硬い。
ヒューさんが最後に女神様にお目に掛かったのは、地下室の戦いの場。
ヒューさんくらいになると、あの時はあの時、の様に切り替えてしまえるのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。
俺とて、女神様と話す事には……やはりかなり強い抵抗感がある。
妻を、最初に俺の妻になってくれた大切なアリアを……あの女神は殺した。
模擬戦闘の様な事を言って殺しておいて、死んだから時空魔法は許さない、だと?
相手が誰だろうが俺にとって、家族に優先する相手など、無い。
その家族を、妻を、アリアを。殺した。惨殺と言える程に、惨たらしく。
フェリクシアだって、確実な致命傷を2度受けた。
時空魔法で辛うじて命共々その身体を戻せたが、殺されたとカウントしても、決して間違いで無かろう。
それこそ、殺された分だけ、相応な、報復を、復讐を、と……頭の中に薄黒い鉛か泥の様な思考が、広がる。
だが、相手は神だ。ローリスの守護神というだけでなく、世界に『審判の時』をもたらす、圧倒的な女神。
俺がどれだけ憤ったところで、どうこう出来る相手でもなければ、どうこうしてはいけない相手でもあるだろう。
もし俺が呼び掛けたとして、俺はどういう態度でいれば良いんだ。
本音なんて言えない、隠さなければいけない。隠せるか、は、別次元の問題だが。
それに、そもそも冷静で居られるか、正直言って分からない。
女神の顔を……思い浮かべるだけで、頭に血が沸々と上ってくるのが分かる。
アリアを殺した。アリアを。アリアを。
絶対に、絶対に、許さない。俺は、女神を
ふと俺の手を、いつの間にか握りこぶしになっていた手を、横に座るアリアがぎゅっと握った。
ハッと我に返ってアリアを見る。アリアは俺の事をじっと見つめて、少し悲しげとも思える表情だった。
少し見つめ合ってたが、アリアはゆっくり目を伏せ、首を大きくゆっくり、横に振った。
「あたしがああいう結果になったのは、あなたの側に居て良いだけの力が無いから。
女神様のせいって、思っちゃうよね。でも、あたしはそうは思って欲しくないの。
あたしが、少なくとも自分の身が自分で守れる程度に強ければ……あんなことは起きなかった」
「俺は、相手が誰であれ、アリアを傷つける奴は許さないし、許したいとも思えない。
相手が女神様であっても……俺は、許せない」
俺はソファーの手の部分から自分の手を引き、自然と両手で口を覆う様なポジションを取っていた。
これでサングラスでも掛けてれば、某指令だな、と思った。いやそれには若すぎるか。
俺は大きく溜息を吐いて、しっかり目を開いた。何かを見ている訳ではないが、視線だけ強くなってる様に思う。
これは……これは俺が、何処かでケジメを付けないといけない問題だ。
単に女神様のせいにするのではなく、かと言って女神様がした事だから何でも通す訳じゃ無い。
言うことは言う。絶対だ。
たとえそれで処罰が来るなら、俺だって黙ってない。打撃になろうがなるまいが、もう一度、特異点をぶつけてやる。
けれど、出来ればそうでない結末が望ましい。
女神様とは共闘関係にある方が、今後を考えても絶対に良い。
許す事が出来ない事を、どう折り合いを付けるか。
俺は答えを見いだせないまま、執務室奥の虚空に向けて声を放った。
「女神様」
俺の声は、いつもの祈りを帯びた声では無かった。そんな気分には、到底なれなかった。




