第63話 待ち続けた再誕生 揺れ動く俺の心
あれから俺は、家に引きこもった。
幸いメイドのフェリクシアがいるので、引きこもりでも食事など不自由はしない。
朝起きてリビングに行けば、「おはようアリア」から始まって、食事時は「アリアも食べようね」と声を掛け、日中も色々話しかけている。
さなぎのアリアが応えてくれる事はもちろん無いのだが、アリアがこの中に入っていると思うと、愛おしく思えた。
それにしても俺は現金と言うか、意志が定まらない人間だなと、つくづく感じた。
アリアが死んでさなぎになる前は、フェリクシアの事が気持ちの真ん中にあって、アリアはその時、アリアには悪いが枠外に近かった。
けれど今は、話しかけても応えてくれない、見た目は恐竜の外皮なさなぎに向かって話しかけているだけだが、アリアへの思いが高まっている。
女神様との『闘い』から、今日で5日目。女神様のお言葉からすれば、そろそろアリアが再誕生してもおかしくない。
フェリクシアも、常にアリアのさなぎの様子を気に掛けてくれていて、俺が気付かなかった「動き」を教えてくれたりもした。
昨日からの事だが、さなぎが少し左右に揺れる事があるそうだ。いよいよ再誕生が近いのだろう。
再誕生。
どうやって生まれてくるのかな。
「フェリクシア、アリアが生まれてくる時には、産湯の準備とかタオルの準備とか、お願いね」
「かしこまった。どのような姿で生まれてくるか分からないし、身体が冷えてても行けないので、湯は熱めに用意しておく」
と、こんな事を、俺は昨日からしばしば言っている。
いい加減しつこいと自分でも思うが、フェリクシアは文句一つ言わず、毎回初回の様に対応してくれる。
アリアが生まれ直したら、産湯を使って、保温をして……あっ、そうだ女神様。すぐ女神様を呼ばないといけない。
生まれた時の混乱でいきなり魔法を、1,000倍の威力で撃たれてはいけないので、女神様に封印してもらう必要がある。
生まれて、ボーッとしていてくれれば、危険は特にない。俺の事を忘れてしまって……そんな悲劇が無い限り、大丈夫だ。
問題なのは、さなぎから出て来て、少し錯乱気味になった場合。右も左も分からず、わーっ、てなってしまった時だ。
女神様を呼ぶのが間に合わなければ、気を失わせるなりなんなり、強引な手段を執らないといけない。それは出来れば避けたい。
俺はリビングの椅子を持って、さなぎの近くに陣取った。椅子の背に顎を乗せて、さなぎをじっと見る。
と、おっ? さなぎが今、左右に少し揺れたぞ。これがフェリクシアが言ってた「動き」か。まだ揺れてる、ぐらぐら、という感じだ。
アリア……急がなくて良いから、元の姿で、傷一つ無く生まれてきて欲しい……地下室でのアリアの姿が、ふと頭に浮かぶ。
五体満足であれば、それだけで良い。そうとしか思えない程に、地下室でのアリアの損傷は酷かった。
揺れるさなぎを眺めていると、不意に「パキッ」と言う音が聞こえた。さなぎからだ。いよいよ誕生か?!
「フェリクシア! 産湯とタオルの準備を! 俺は女神様に」
『もう来てるわよ。人間史上稀に見る危険物の誕生ですもの、当然駆け付けるわ』
「うおぅ女神様! そ、それじゃあ、もう誕生の時ですか?!」
『ええ。後はアリアが内側から破るだけ。身体の一部が出た瞬間に、封印魔法を掛けるわ。痛いとか苦しいとかは無い魔法だから、安心して』
さなぎが更に動く。卵形だから「揺れる」と言った方がピッタリくる。
揺れる度に、ピキッ、ピシッと音が鳴る。外観は変化が無いので、内側の層にヒビが入ってるとかなんだろう。
ひときわ大きく卵が傾いたその瞬間、バキッと大きな音と共に足がさなぎから出た!
『[魔力抑制 増加分を全て抑制]』
女神様がすかさず魔法をお使いになる。そうしている間にも、今度はさなぎから手が一本飛び出した。
「あ、あの女神様! アリアが出るのを手伝っても大丈夫ですか?!」
『ええ、内側から割れれば、後は簡単に割れるから。引っかかってる所とか、取ってあげなさい』
俺は椅子から飛び降りてさなぎの横に座り、出ている足の所に手を入れ、さなぎの殻を引っ張った。
パキン、と音がして、手のひら大の大きさで欠片が取れる。手を突っ込んで分かったが、中は粘液でベトベトだ。
「フェリクシアっ、産湯だけじゃ足りないかも知れない! ここでシャワーみたいな事って出来る?!」
「可能だ。排水が若干問題だが、湯浴びをする分には支障は無い。今準備をする」
キッチンに行きかけてたフェリクシアが戻ってきて、さなぎの周りに目に見える結界を、少し大きめに張った。
天井の抜けたシャワーブースの様な感じで、その中に俺とフェリクシア、そしてアリアのさなぎがある。
俺は更にさなぎの殻を剥がしていく。胴体が見えた、丸裸だ。更に剥いでいく。中に体育座りの格好で、アリアがいた!!
「アリアっ、今出してあげるからねっ!」
俺は粘液の中に手を突っ込み、アリアの背中に両腕を回した。そしてそのまま、グッと引っ張った。
アリアは、その粘液のおかげか、さなぎの殻の尖った部分に引っかかる事もなく、スルリと出て来た。
出て来たアリアは、腰まである程の長髪だった。ようやくベリーショート位になった数日前とは、随分違う。
「アリアっ! アリアっっ!!」
俺が呼び掛けるも、目線が完全にうつろだ。聞こえていないのかも知れない。でも俺は呼び掛け続けた。
と、俺とアリアの頭上から、湯がシャワーの様に降ってきた。アリアの体温は冷えてはいなかったが、粘液まみれだ。
シャワーを浴びながら、アリアにまとわりついている粘液を手で払っていく。デリケートなゾーンはちょっと躊躇したが、手で扱った。
普段のアリアだったら、絶対恥ずかしがったり何か言ったりする――けれど今は、呆然としたまま、されるがままになっている。
とその時、アリアがうつむいて、口から粘液を大量に吐き出した。
「アリアっ?!」
『心配ないわ。肺を満たしていた液体を吐き出しただけよ』
女神様のお言葉に、少しホッとする。口が気持ち悪いのか、アリアは何度も唾を吐くようにして粘液を吐いている。
「アリア、お湯で口をゆすごう」
俺は手のひらでシャワーの湯を受け、アリアの口元に近づけた。が、アリアはそれには反応せず、唾を吐いている。
『今のアリアちゃんは、生まれたての野生生物みたいなものよ。一時的だけど、知能も低下してる。人間的な動作は期待出来ないわ』
そ、そういうものなのか。いや何にしても、アリアが五体満足で、身体に一切傷も無く生まれてきてくれて、本当に良かった……!
「ご主人様、粘液は大方取れた様だ。後は私が引き継ごう。動物的となると、不意に何かあるかも知れない。任せて欲しい」
「わ、分かった。俺は、どうすれば良い? 俺に出来る事は何かないか?」
「ご主人様はまず、服ごとびしょ濡れになっているご自身をケアしてくれ。風邪でも引いてはいけない」
と、四方を囲う結界の一枚が無くなり、フェリクシアが結界外に置いていたタオルを俺に渡してくれた。
「奥方様が心配なのは、私も重々分かる。だがご主人様も大切なお方だ。ここは危機対応も出来るメイドに、全て任せて欲しい」
「……分かった。俺は……何もしてないと気がおかしくなりそうだから、部屋のシャワーで粘液を落とすことにする」
「それが良い。この粘液も必ずしも毒性が無いと決まった訳では無いからな。ここ数日気を張っておられたのだから、昼寝でもなさると良い」
「うん……寝られるかは分からないけど、ベッドに横になるよ。一気に張り詰めてた気が抜けたのは、確かだし」
結界シャワーブースから出ると、魔導空調が強めに動いていた。臨時シャワーの湿気に反応したんだろう、きっと。
俺はアリアの事は任せて、自室に戻りシャワーを浴び、そのままベッドに倒れ込んだ。
自分でも分からない程、思いの外疲れていた様で、睡魔はすぐにやってきた。
***
「アリア、食べれるかな?」
俺はアリアの口元に、木製のスプーンにすくったお粥を近づけてみた。
アリアはぼんやりと俺の顔を見ている。いや、視野に入ってるだけで見ていないのかも知れない、とも思う。
何も見えていない様な瞳で真っ直ぐ前を向いていて、スプーンに焦点が合わない。
「アリア、こうやって、食べるんだよ」
アリアの口元に差し出したスプーンを引き、俺が大きく口を開けて頬張ってみせる。
気のせいかも知れないが、アリアの視線がスプーンを追った様に見えた。
「アリアも食べれるかな? 食べないと、元気になれないぞ?」
お椀から小さく一口お粥をすくい取って、再びアリアの口元に寄せる。
と、アリアはゆっくりした動きで大きな口を開けると、スプーンにかじりついた。ガリッと音が鳴る。
「アリアっ、中身だけ、中身だけ! スプーンは食べられないから」
アリアがガッツリとスプーンを咬んでしまっているが、スプーンを上向きに立てる様にして、その口から抜く。
口に入ったお粥を味わっているのか、口がもぐもぐと動く。いつもの様な元気なもぐもぐではなく、ちょっと動いているだけだ。
一口お粥を食べたアリアは俺の事を「ごはんくれる人」と認識した様で、視線を合わせてきた。じっと見つめられる。何だかこっちが恥ずかしい。
「じゃ今度はスプーンは咬まないでね、中身だけだよ?」
さっきより少し多めにすくい、口元に。今度はさっきより小さく口を開いた。ちょうどスプーンが入るくらいの隙間。
そこにスッとスプーンを差し込んであげると、アリアが唇を閉じた。そのままゆっくりスプーンを引き抜く。お粥は無くなっていた。成功だ。
また何回かもぐもぐとして、飲み込んだ。そしてまた、こっちが赤面しそうな熱視線。
ただ食べさせてあげてるだけなのに、何でこんなに恥ずかしいんだ?!
とにかく俺は、お椀のお粥が無くなるまで、給餌を続けた。
「アリアの部屋は、ここだよ」
日中アリアはずっとリビングにいた。リビングの方が、フェリクシアも見ていられるし、危ない物も置いていない。
日が暮れて、夕食もアリアに食べさせた。まだ肉は早かった様で、口からべーっと出してしまっていた。
その日の夕食はパンだったので、それをスープに浸して、柔らかくして与えた。
お粥の時と少し違い、せっつく様に上半身前のめりになっていた。気に入ってくれたのかな?
夜になり、俺はアリアを、アリアの部屋へと連れて行った。ひとり寝は無理かも、とは思いつつ、部屋は安らげるかも、とも思った。
アリアをベッドに導いてあげると、ベッドに座るやすぐ、頭を枕とは反対側に置いて、スッと目を閉じた。
本能的に「寝る」事は出来るのかな。介護、と考えていたが、地球で聞いた、認知症の人のそれとも随分様子が違うので、戸惑う。
目を閉じたアリアがスースーと寝息を立て始めたので、俺は部屋から出て行く事にした。




