第61話 消えた女神様と、ウロボロスの伝承
「あ、あれ、女神様は……」
俺はさすがにうろたえた。攻撃を告知していた女神様が、いない。
広い地下室のどこかに隠れたのかと、首をあちこちさせて全体を見ても、おられない。
「ヒューさん、これは一体……」
「シューッヘ様。女神様からの攻撃を防ぎきった事は、お見事にございました。しかしこれは、それ以上に大変な事になるやも知れません」
ヒューさんの言ってる事がよく分からなかった。
それ以上に大変な事? 俺が、アリアを失う事、以上に?
「大変な事って、一体なんです? それに女神様もいないし……ヒューさん、結界のあちら側、見てましたか?」
「はい、シューッヘ様が結界を発動なされた直後に移動し、女神様のご動向を窺いました。しかし……」
「しかし?」
何だかヒューさんの言葉の歯切れが、随分と悪く感じる。
何か隠してる、という訳でも無さそうなんだが、酷く言いづらい事を抱えている様に聞こえてくる。
「シューッヘ様。落ち着いて聞いて下され。……シューッヘ様の展開された結界に、女神様は引きずり込まれ、消えられました」
「えっ……女神様が、結界の……ええっ?!」
そこで俺は初めて、『超・絶対結界』の威力を知った。
女神様には、放射線すら効かなかった。宇宙も飛び回る神様という存在に放射線は効かない、という話らしかった。
だが、ブラックホールは? アレは端的に言えば、重力の塊だ。本来特異点と呼ばれる一点に集中する重力を、敢えて板状に広げて展開した。
矢でも鉄砲でも、多分魔法でも、重力の影響は受けるだろうから、吸い込まれて押し潰されて消える。そう考えていた。
が、まさか、宇宙すら活動領域にする女神様を、たかが俺が魔力を籠めて作っただけの疑似ブラックホールが、吸い込んでしまった……様である。
「そんなに強力な結界、だったのかアレは」
「凄まじきお力と存じます。女神様は、最後には後ろを向いて駆けて逃げようとされていましたが、あえなく吸い込まれました」
「……結界って言うより、ほとんど重力魔法とでも言った方がいい攻撃魔法だな……」
女神様が消えた地下室で、俺は自分がしでかした事の重大さを、じわりじわりと理解してきた。
「ローリスの……守護神様を、俺が葬ってしまった、って事……ですよね」
「葬ったか否かは、今の時点では確定出来ませぬが……結界から離れようとなさった女神様のご表情は、焦りに満ちておいででした」
「これでもし女神様が死んでしまったら……いや、神様って死ぬのか? でもその身体を、確かに俺の短剣が切り裂いたし……」
「シューッヘ様、女神様についての考察は、ひとまず保留と致しましょう。考えても解決は見えますまい」
「そ、そうですね。一旦置いておいて……アリアは」
俺はゆっくり立ち上がって、アリアの卵に向き直った。
落ち着いて、ようやく思い出せた。アリアさんの『エクストラ・ライフ』を生む魔道具、時の四雫の存在を。
「これって、ヒューさんがくれた『時の四雫』の効果、なんですよね」
「恐らくは。わたしもその効果というものは初めて見ますので、詳しくは分かりかねます」
「この卵……割っちゃいけないのは何となく分かりますけど、温めたりした方が良いのかな。鳥の卵とは随分違うし、爬虫類のそれとも違うし……」
「伝承から推測するに、それは一見卵の様ではありますが、さなぎの様な物である可能性が高うございます。さなぎと考えれば、特別保温などは必要ありません」
「ヒューさん、その『伝承』について、少し教えてもらっても良いですか?」
「はい、時の四雫、つまり『ウロボロスの瞳』の伝承ですが……」
ヒューさんはゆっくりと話し出した。
アリアが身につけていたネックレスの中心石は、ウロボロスという魔物を封じた物だ、と言われている、ということ。
ウロボロスというのは、魔界に住む、巨大な蛇の魔物の名前であると共に、その魔物が取る『円環』の姿の事も同時に指す、ということ。
またウロボロスは、その生命が終焉する時には自らの尾を食べてどんどん小さな輪を形成し、最後には堅い頭だけを残す。
その頭がさなぎの役割を果たし、新たにウロボロスとして『再誕生』するのだ、ということ。
そこまで聞いて俺はアリアの卵に目を遣った。
確かにこれは、卵とはまるで違う。
表面に血管の様な物が走って、脈動までしている。
中身だけでなく、この卵自体が生きている、とすら思える。
さなぎだとしても、ここまで生々しい物は初めて見る。
ヒューさんは更に続けた。
魔道具としての『ウロボロスの瞳』は、記録の無い古代からずっとある「らしい」、ということ。
そして、現存の文献には、実際にウロボロスの瞳が魔道具として使われた記録は一切確認出来なかったということ。
更に、魔道具ウロボロスの瞳の伝承では、死にかけた者を生き返らせるだけであり、死した者を復活させるとは言われていないこと。
またウロボロスの瞳による生存が、時空魔法で時を巻き戻した時と同じような、完全な復活をもたらすかも不明、とも言った。
ウロボロスの瞳……謎が多い魔道具だ。
伝承からすれば、そして悲観的に考えるのならば。
女神様から死を認定されたアリアが、もし今この中にいたのだとしても、バラバラの死体のまま、という事もあるという訳だ。
さなぎから『再誕生』して、アリアは生き返る……そうであって欲しい。本当に、心から。
けれどそれだと、伝承とも食い違う部分が出てくる。伝承の方が誤っていてくれれば。俺はそう願わずにはいられなかった。
「ご主人様、これ以上ここにいても意味は無さそうだ。地上階への脱出を考えよう」
「……うん、そうだね。出口になる方の転移魔法陣が無い場所からの脱出って、出来ることなの?」
「出口側が幾らか破壊される事を許容すれば、移動自体は難しくない。転移する側が常に優先されるからな。ただ位置は誤差が出る」
「転移すべきは、俺達と、このさなぎ。フェリクシア、女神様に折られたナイフとか、必要な物は回収してきて。準備が出来次第、地上に戻りたい」
「かしこまった。2分、もらいたい」
言うとすぐフェリクシアは動き出した。
「わたしに出来ます事はございますか、シューッヘ様」
「何よりもこのさなぎを、安全に地上に転移出来るようにしたいです。何か方策はありますか?」
「通常、転移魔法は物や人を単位に行使しますが、空間を対象にする事も出来ます。より安全に、まとめて移動できます」
「そうしたら、フェリクシアの準備が出来たら、このさなぎの周りにみんなで集まって、空間ごと転移したい。魔力的にも、いけますかヒューさん」
「可能にございます。但し、フェリクシア様の仰った通り、転移先の誤差が大きゅうございます故、何を壊すか分かりません。空間となると、その空間の大きさ分だけ、転移先の物は全て破壊されますが、宜しいですね?」
「構わないです」
俺がヒューさんに頷いたところに、フェリクシアが戻ってきた。
「転移先は、リビングの開けた辺りか、左廊下側の未使用室が良いだろう。ヒュー殿、場所は把握出来るか?」
「未使用室の方は、わたし自身立ち入った事がありませんので自信がありません。可能であれば、リビングにしたく存じます」
「リビングテーブルが粉砕されるか吹き飛ばされるか……まぁ、ミール材の正式家具では無いから、問題も無いか」
フェリクシアとヒューさんが転移先の話をしているが、俺は俺で気になった事が出て来てしまった。
「ねぇヒューさん。このさなぎって、外側は堅そうですけど、本当に堅いものですか? 堅そうなのは見た目だけで、実は脆いとか……」
「わたしもウロボロスのさなぎというものは初めて見ますので、何とも……分厚い柔軟抱擁結界で包めば、かなりの衝撃が万一当たっても、大丈夫です」
「柔軟抱擁結界なら任せてくれ。この位の厚さで包めば良いか?」
と、フェリクシアが親指と人差し指を広げて寸を示す。
「さなぎの全方位をその厚さで包めば、それこそ落石にすら耐える頑丈さでしょう。それで参りましょう」
「じゃあこれで準備は完了って事で良いかな。さすがに、出来るだけ寄った方が良いよね?」
と、俺は膝立ちになって、アリアのさなぎに抱きついた。
「ご主人様、柔軟抱擁結界が使えないので一度離れてくれ」
「あっ、ごめんそうだった」
言われた通り離れる。
フェリクシアがさなぎの横に膝を付いて、その表面を優しく撫でた。
「ご主人様、本体の強度は、恐らくこの外観相当の硬さがあるだろう。更に柔軟抱擁結界で包めば、中身にも衝撃はいかない」
そう言ってその場から一歩離れると、さなぎに手をかざした。
「[柔軟抱擁結界]」
フェリクシアが唱えると、さなぎの周りに薄い半透明のビニールかゴムかの様な膜が生じた。
そのままフェリクシアは手をかざし続ける。その膜はどんどん厚みが増していき、半透明が白濁色に変わった。
それでもなおフェリクシアは手をかざしている。膜だった物は、もう分厚い層になっている。
「ふう……これで衝撃対策は万全だ。ご主人様、試しに叩いてみてくれ」
「えっ?! アリアの、さなぎを……?」
「ああ。どれだけ安全か、叩けばすぐ分かる」
自信満々そうに口角を少し上げて言ったフェリクシア。
その言葉を信じない訳ではないんだが、どうしても気が引ける。
とは言っても、その結界が丈夫で無かったら、地上に出てから万が一がある。
俺は意を決して、アリアのさなぎを叩いてみる事にした。
「それ……あれ? よっと……あれ?」
最初、極優しく叩いたら、綿あめに押し返された様な感じだった。
次に少しだけ力を入れて叩くと、今度はこんにゃくでも叩いた様に、弾力で弾き返された。
「この通りだ、ご主人様。では早速、転移に移ろう。ヒュー殿、転移魔法はお願い出来るか?」
「もちろん。それではシューッヘ様、フェリクシア様、アリアのさなぎに出来るだけ寄って下され」
言われ、さなぎのギリギリ横に立つ。フェリクシアもその俺の横に立った。
「ではわたしも……それでは、転移致します。目標地点は地上階層、リビングの開けた部分です」
ヒューさんが何やら詠唱を始めると、俺達の周り、正確には周りの床から、光が立ち上り始めた。
その光は丁度俺の身長より少し上で薄らいで消えている。この光の囲いの中が、転移する領域なんだろう。
だんだん光が密になっていき、光が壁の様になってきた。眩しいのもあるが、隙間が無いのでもう向こうは見えない。
光の囲いに囲まれ、その光が更に俺の頭の上まで広がっていく。何だか箱に閉じ込められる様な気分だ。
と、その箱が完全に閉じ、光の箱になった瞬間だった。景色が一転した。
突然目の前に現れたのは、リビング。ただ何かおかしい。
俺の背が低くなったような感じで、いつも見る光景とちょっとだけ違う。リビングテーブルの脚が目の前にある。
「ヒュー殿、床を巻き込まれたな。足下が土の層まで露出している」
淡々と言うフェリクシアの言葉に俺が足下を見ると、俺は床の『中』にいた。
床材・木張りの部分に丸い穴が空き、その中に俺達が立っている。床の底は、フェリクシアが言う様に、土だ。
「それでも何とか地上に出られて」
安堵した瞬間だった。俺は背後に言い知れぬ強大な存在感を感じた。ちょうど女神様の席に見立てている方向からだ。
俺は、その存在感のあまりの強さに、血の気が引いた。これだけの存在感、人ではあり得ない。となれば答えは……
『あんた、よくもやってくれたわね』
御声に、俺は急いで顔を向けた。
そこには、さっきまでと同じ白いワンピースに金の腰紐の女神様がおられた、が……そのお身体が、半透明に透けていた。




