第59話 絶望の地下室
『あんた良い根性してるわね。私は、そう、あんたからすると、地上の恵みは何でも奪っていく欲張り女神なのね?』
突然聞こえてきたその御声、しかもいつもより低い御声で、ゆっくり話される、その内容も含めて、俺は戦慄した。
「め、女神様っ! 決してそういう意味では!!」
『折角王からの薬酒で神気が高まったから、前と同じように使える結界を授けにちょっと降臨でもって思ったら、これだものね。地上の民は……』
「ご、誤解です! 俺は決して、女神様がセコいとか、女神様が何でも奪ってくとか、そんな事は1ミリも考えてはいないです!!」
「どーかしら。あたしセコいなんて一言も言ってないのに出てくるって。そう思ってた訳ね?」
「違います、違うんです、本当です信じて下さい……」
やらかした!! となれば、馬鹿の一つ覚えだが、これだ!
「もーしわけございませんでしたーー!!」
俺は叫びながら椅子から飛び降り、声のしたリビング奥の壁に向けてジャンピング土下座を放った。
『あら、土下座するって事は、言った事は認めるって事で良いのかしら?』
マズい、余計事態が悪化する!
「いえ! 女神様に対して、誤解を与えてしまう様な発言をした事についての、土下座ですっ!!」
『ふ~ん……ま、良いわ。ちょっとあんた、頭上げなさい』
「いえ! 女神様からお許しを頂くまでは!」
『そういうの良いから、早く頭上げなさいよ』
まだ怒っておみえなのか、それとも……
俺は自分の、土下座して着いた手から腕が震えるのを感じながら、顔を上げた。
『ちゃお♪』
「ぎゃあ!!」
俺は思わず飛び退いてしまった。
何故ならそこに、女神様が立っておられ、俺の目線合わせに屈んでおいでだったからだ。
『何よお化けでも出たみたいな反応して』
「あ、ある意味お化けより相当怖いですが……っと、い、今のは言葉のあやで!!」
『ま、17年間モテない君が二人目の妻を抱いた翌日だから、浮かれてるって事にしといてあげるわ』
そう仰って、腕組み背筋を伸ばされた。とほぼ同時に、その背後にフェリクシアが椅子を、簡易で無い方のをサッと置いて下がった。
『あら、フェリクシアちゃんありがとね。降臨すると、椅子も必要でね。助かるわ』
「今ね女神様が……」
「いや、今の女神様の御声は、私にも聞こえる。ありがとう、アリア」
アリアが同時通訳の様に伝えようとしたが、降臨状態にあらせられる女神様の声は、別の国のオーフェン王ですら聞き取っていた。
そうこうしている内に、女神様が着席された。俺も、後ろに飛んだ無様な姿勢から、片膝折りの姿勢に変える。
『さて。あなた結局、結界が随分と不細工なままだったのよね。工夫は教えたけど、出来そう?』
「た、試しにやってみます。き、境界線規定、他条件既定値で固」
『全然遅い、失格。敵から矢が飛んできたのを視認できても、それだけ遅いと結界の展開が間に合わないわ』
「じ、じゃあもっと早いので。特別結界、はつど」
『それも遅い。詠唱している間に、アリアちゃんの胸に大穴開けられても良いの?』
「う……良くない、です……」
『少し訓練しましょうか。実戦で使えない結界なんて、まるで役に立たないもの』
そう仰ると、女神様がその右手を空に掲げられた。
『時空魔法 空間相転移』
俺の視界から突如光が消えた。
***
「め、女神様……ここは、どこでしょうか」
真っ暗。何にも見えない中で、俺は言葉を出した。
言葉は、少しだけ反響する。少なくとも亜空間みたいな、無制限に広い場所では無いようだ。
『あんたの屋敷の地下第5層よ。転移魔法陣が無い工事中の場所だから、上からじゃ行けない場所だけど』
「シューッヘ様、女神様はそちらにおいでになりますか」
「ヒューさん! えっ、ひょっとして、全員今地下室、ですか?!」
『ええ。ちょっとあんたの色ボケした頭をどうにかするのも兼ねてね。見えないだけで、アリアもフェリクシアもいるわ』
「女神様、一体この……俺にとっても未知の場所で、何をなさるおつもりで……?」
聞きながら、胸がバクバク言い出したのに気付く。
だって、味方だけ守る特別結界を試したら『遅い』って言われて、その後で連れてこられたんだから……
『命を賭けた特訓を受けてもらうわ。魔族領での小競り合い程度で、英雄に命落としてもらう訳にはいかないものね』
その言葉に今度は、頭のてっぺんからスーッと血の気が引いていくのを感じる。
胸の鼓動は更に強く、しかしさっきより息が入らないからか、冷たい血液が激しく回っている様な錯覚を覚える。
「そ、その……命を賭けるのは、俺だけ……です、か……?」
答えは、もう分かってる。絶対、俺だけじゃない。と言うか、俺が仲間を人質に取られた様な、そんな状況に違いない。
けれど、確認せずには居られなかった。もし、もしも『違う、仲間は安全』と、仰って下さったなら、下さったなら……
『もちろん、この場の全員が極めて危険域にいるわね。直撃もあり、余波もあり。あんたが正確に結界出来なければ、ね』
「あ……う……」
俺の言葉は、言葉にならなかった。
アリア
フェリクシア
そして、ヒューさん。
この3人を、どれだけ続くか分からない特訓の間、守り抜かなければいけない。
しかも、守る為の結界は、女神様からは『遅い』と断じられている。つまり女神様からの攻撃があるなら、それより『早い』事が確定だ。
『命のルールについてはオーフェンであんたには伝えたわね。完全に落命するまでであれば、時空魔法で助けて構わない。
あたしは今、あなた達の敵。いつ、どこからでも攻めてきていいわ。存在のレイヤーも実次元に落としてあげたから、あんた達の攻撃も私に通る。それだけ余計に、反撃もキツくなると思って頂戴』
俺の頭の中に浮かぶ二文字。絶望。
相手は、一睨みだけでオーフェン近衛兵を全滅させる『化け物』。勝てる見込みは、全く無い。
い、いや! 勝たなくて良いんだ。俺は味方を守り切れば、それで良いはずだ。
本当の殺し合いじゃない。きっと女神様も手加減くらいはしてくれるはず……
「女神様」
俺がやっと呼び掛けた時、俺の真横を風が吹き抜けた。
とほぼ同時に、目がくらむほどの火花が目に入った。ギイィィンと激しく金属がぶつかる音がする。
『そう。それが正しいわね。正体不明の相手が敵と確定しているならば、さっさと退治するのが定石。けど』
俺の頭上少し前辺りで、ブンっと何か棒状の物が振るわれる音がし、次いでカーンと甲高い音が続いた。
『相手の武装を確かめない内に攻めるのは、命がけにしても分が悪いわ。フェリクシア』
女神様が言い終わる頃に、カランカラン、カン、と。フェリクシアのナイフが弾き飛ばされた、のか?
いかん、このままでは俺が何の役にも立てない。まずは視界だ、視野ゼロでの戦いは、女神様側に有利すぎる!
「[エンライト]!!」
俺が唱えて見えたのは、普段の地下室の数倍はある広大な空間。
四方が鉄壁なのは変わらないが、地面は土を突き固めただけの、まさに工事中。そのほぼ真ん中にいる。
「ぜ、全員全速後退! 攻撃に備えつつ壁際まで下がれ!!」
指示を飛ばした俺も、バックステップで下がる。ワイバーンブーツの付与魔法のお陰で、飛ぶように数歩でかなり距離が稼げる。
『エンライトだと手が塞がって不便だから、室内照明を付けておいてあげるわ。けど、敵が見逃すタイミングだと思ってる?』
離れた所に一人立たれた女神様が、その御手に持たれるは金色の長い杖。上部は飾りの様に、金属の細い管がたくさん付いている。
女神様はスッと腰を落とされて、その杖をその場で、真横に一閃振り抜いた。
「え? う、ぐえっっ!!」
振り抜いたモーションまでは目視した。ただ振っただけに見えた。
だが実際は違った。相当離れていたのに、とても重い杖で腹をぶっ叩かれた様な激痛が走ったと共に、足下が浮いてそのまま壁に叩き付けられた。
ダン、ダダン、と俺だけじゃ無い、アリアも、フェリクシアも、ヒューさんも、全員かなりの衝突スピードで壁に叩き付けられた。
アリアは、今の一撃で嘔吐している。フェリクシアはかなり痛そうだが、腹部を押さえつつも次の、少し短いナイフを背中から取り出している。
「ご主人様、私が陽動で前面に出る。その隙に、斜め横サイドから、あのレーザーというので攻めてくれ」
「いやフェリクシアっ、この戦いは、勝つ必要はない! 寧ろ仲間を守るための特訓で」
『そう思うなら、守りなさい?』
その言葉に、言い知れぬ嫌な予感がした。
「絶対結界 前面5メートル位置に横幅15メートル!」
『発動してないわ。残念ね、早速一人、犠牲者を出す事になるなんて。[雷撃]』
俺の斜め前に立っていたフェリクシアの胸に、女神様の手から発せられた雷が、空気を切り裂く轟音と共に直撃した。
「カハッ!」
フェリクシアがその場で卒倒し、痙攣し始めた。マズい、これは本気で殺される!
「フェリクシア戻れ! [時空魔法 フェリクシアの状態を5秒前に]」
倒れたフェリクシアの身体に光が降り注ぎ、すぐ止んだ。フェリクシアは目を開き、再び立ち上がる。
「か、雷か……早すぎて避けようも無い。撃たれたらそこまでだ、撃たせない様に、手を封じる!」
フェリクシアが消えた。いや早すぎて目が追いつかなかっただけだ、フェリクシアは既に女神様にかなり迫っている。
俺も、動かなければ。アリアとヒューさんはまだダメージが浅いだろうが、いつ死の淵に立たされるか分からない。あまり離れすぎるのは危険だ。
多少で良い。レーザーは極細い。射線さえ確保出来れば、ダメージを与えられる!
俺はサイドに2歩ずれ、手で鉄砲の形を作り照準とした。既にフェリクシアは女神様の杖とナイフを重ねている。
照準、良し。女神様に、と考えると手がすくむ。今は違う。今は、敵だ!
射線……確保!!
「[レーザー]!」
俺の指鉄砲の先端から、極細い光が発せられ、それは見事に女神様の胴体を射貫いた。
『うっ! ……痛っいわねぇ、光の操作ってのはねぇ、こうするのよ! [近赤外線 照射]!』
えっ、と思った瞬間、肌が火を噴いた様な灼熱感に襲われた。立っていられず、その場にうずくまる。
特に顔が熱く、目も激しく痛い。目なんて開いていられず、呻くしかなかった。
「シューッヘ! 大丈夫?!」
声で分かる、アリアが俺の元に駆け付けてくれた。
「お、俺の顔は、どうなってる……」
「あ、あ……や、焼きただれて……シューッヘぇ……」
アリアの声が泣き声に変わる。いやこの程度は、自分でなんとかしないと!
「じ、[時空魔法 俺の身体の状態を10秒前に]!」
唱えて約3秒後。俺の顔から、胸から、足の前面から、痛みがふっと消え失せた。
「シューッヘ!」
「大丈夫、時空魔法で怪我は何とか出来る。ただ、この女神様の攻撃を完全に防げる結界が出来ない内は、特訓はきっと、終わらない」
「そ、そんな……」
絶望の時間は、まだ幕開けに過ぎなかった。




