第58話 不用意な一言
「アンデッドが乾いているか湿っているか、と言うのは、存外重要にございます、シューッヘ様」
ん? そんな乾燥剤でなんとかなりそうな話が、結構重要だったりするの?
「乾いたアンデッドの代表格は、スケルトンにございます。アレは骨だけで動きます」
「そうですね、臓器とか筋肉とか無いのに、戦線を維持するだけの、結構な力もあるようでしたし」
「はい。あれは主に召喚魔術師の魔力と、外界にあるマギとで動いており、知能はほぼありません。
それに対して湿っているアンデッドは、筋肉も脳も臓物も、全て備えております。その点でかなりの差があります」
なる……ほど? 確かに俺がローリス王宮の部屋で襲われた時に守ってくれたイオタさんの骨達に、臓器とか脳とかは無さそうだった。
でも、湿ったアンデッドに臓器があるなら、それを銃撃で射貫かれたら、止まったりしなかったのか?
「湿ったアンデッド、代表格はグールなどですが、例えば脳を失っても、筋肉が生きていれば動きます。ただやはり、脳を失うと場当たり的な対応しか出来なくなってしまう、とも言われています」
「それって逆に言うと、スケルトンは召喚者の力で知的な行動が出来て、グールは自律的に動くが故に臓器の欠損が致命的になる、という事ですか?」
俺の言葉に、ヒューさんは頷いた。
「基本はそうです。ただ、この度の大使館戦では、そのグールを操っていた魔導師がいたとの事ですので、臓器の欠損を魔導師が補っていた可能性はあります」
グール、かどうか分からないが、その隊列が大きく崩れたとか、極論一体二体どっか言っちゃったみたいなのは無かった様子なので、魔導師の統制下だったんだろう。
「大使館戦の話か、ヒュー殿」
とそこへ、大皿にたくさんの焼き串を乗せて、フェリクシアが現れた。
「ええ。実際戦闘の当事者として、アンデッドの動きは如何でしたか」
「如何かと言われてもな。私は遠距離からの情報を、ヌメルス将軍のスコープという遠見鏡から聞いただけなので、何とも言えない」
「大使館自体が危うくアンデッド化されそうになった、という話も、報告書にて伺いましたが、それは?」
「ああ、あれは、イオタが言うに死屍蜂という魔族の蜂が大使館の庭にまで入り込んでいたんだそうだ。すんでの所で全て焼き払ったが」
「死屍蜂! なるほど合点がいきました。敵が死屍蜂を主力魔族として攻め込んでいるのであれば、ルーカロット砦に動きがないのも納得です」
ヒューさんが腕組みして目を伏せ、唸る。
残念ながら俺には、何がヒューさんを納得させているのか、分からない。
「俺が参戦したのは死屍蜂襲来の後でしたが、その死屍蜂だと、ルーカロット砦が動かない事も説明出来るんですか?」
「はい。死屍蜂は、対象に卵を産み付けます。それが孵化し、体内を巡りながら全ての臓器をアンデッド化していきます。これが存外時間の掛かる事で、全ての臓器がアンデッド化され、死屍蜂成虫が身体を完全に乗っ取るまで、4~5ヶ月程度は掛かります」
「結構掛かるんですね。駆虫薬とかは無いんですか?」
「駆虫薬、虫下しと呼ばれる類の薬は、とても高価でなかなか手に入りません。また手に入っても、死屍蜂の幼虫・成虫に効くかは、不明です」
「って事は、刺されて卵を産み付けられたら最後、4ヶ月後とかにアンデッドになるまで生殺し、ですか……」
俺の溜息に、ヒューさんは深く頷いた。
「はい。徐々に四肢が紫色に変色し疼痛を伴い、その後脳がやられるのか、意識が混濁します。但し食欲は変わらずか、または亢進します。
その期間は通常の食事が必要なのですが、アンデッド化が完成すると、殆ど食事も要らなくなります。そして、アンデッドらしい緩慢な動きになります。
残酷な話ですが、脳がやられた時点、または四肢の変色を確認出来た時点で手に掛けてやった方が、その者の尊厳も守られる事と思います」
魔族の侵攻、侵略と言ったら、大規模な魔法合戦とか、大量の兵達の消耗戦を思い浮かべていたが、それより遙かに陰惨だな。
しかも蜂だから、移動は飛んでいけるから自由だし。って待てよ、今その死屍蜂、オーフェンの領内にいたりしないのか?
「ねぇフェリクシア。死屍蜂って、パッと見すぐ分かるくらいに大きいの?」
「いや、私も気付けなかった。イフリートの大精霊結界というので焼き尽くされた時に、大使館の領域内にまでいたのでギョッとした程だ」
「それってもしかして……今の今、オーフェンに入り込んでいたりはしないのか。もしそうなら、オーフェン自体が、アンデッド国になる」
俺が頭の中に冷たいものを感じながら言うと、目の前のヒューさんが突然大声で笑い出した。
「シューッヘ様、その心配はございません。死屍蜂は魔族と言えど所詮虫で、蜂ですので、女王蜂がいなければ、一部を連れ出しても勝手に女王蜂の元に帰ってしまいます」
「で、でも。もしかして、女王蜂も一緒に連れてきていた、とかだったら」
「可能性はゼロではございませんが、女王蜂は寧ろこちらは生粋の魔族と言うべきで、普段は巣に留まりますが巣が危機になると大層敏捷に動き、かつ凶暴化します。そこいらの人間では太刀打ちどころか、視認すら出来ません」
「ヒュー殿は魔族の生態にも詳しいのか? 私など一応軍の対魔族教育を受けたが、死屍蜂など聞いた事も無かったぞ?」
いつの間にか次の皿を持って来ていたフェリクシアが言う。
「まぁ、軍の教育はどちらかと言えば、陸戦になり得る大型、ないしは人型の魔物中心です。闇魔法の領域では、魔界の生物も学びますので、魔族領と合わせ鏡になる魔族領の魔族の事も、学びます」
闇魔法。
そう言えば俺の屋敷でちょっとした「うつ落ちトラブル」を起こしたのも、魔界とやらから召喚した『蜂』のせいだったな。
「じゃあ死屍蜂が今もオーフェンに、って事は無いのか。ある意味安心だけど、ルーカロット砦がねぇ……」
「そうですな。死屍蜂の支配下と知らずに突っ込めば、たとえアンデッド兵は始末できても、新たに刺されて相当の犠牲者が出るでしょう」
「もしかしてサリアクシュナ特使が動かないのは、それが分かっているからなのかな。死屍蜂の事を知る方法があったとは思えないけれど……」
目の前のホカホカの焼き串。さすがに良い香りもするので、強制的に食欲がそそられる。
「まぁご主人様、もし我々が魔族領に直行するとなれば、ルーカロット砦は通らない。他国の事は他国の王に任せておいて、食事にしないか? 冷めてしまうぞ」
「それはそうですな。遠い土地の心配より、今自分の胃袋を心配した方が、人生は充実しましょう。ではお先に、いただきます」
と、言うやヒューさんが串を一本皿から取り上げ、豪快に根元から一気に串先まで、ガサッと一口で行った。
この串、日本の串揚げとかの串ではなく、バーベキューで使う様な長い金属製の串だ。20センチ位はありそう。
それを、根元から一気に横へグワッと一咬みのまま持っていく辺り、ヒューさんの歯は相当丈夫だ。
俺も、串に手を伸ばす。うん、シンプルに、全部肉。
ただ、タレ焼きと塩焼きとハーブ焼きが順番になっていて、凝っている。
「じゃ俺も、いただきまーす」
串先のタレ焼きの肉を頬張る。うむ、甘ダレが上手く絡んでいて良い。鶏肉の系統の様で、ジューシーさもある。
「あっ、あたしも食べたいー。シューッヘの横、良い?」
「ああ、もちろん良いよ。あ、でもフェリクシアの席が無いかな」
「気遣いを頂くのはありがたいが、メイドたる者、来客中に腰掛けて共に食事はしないものだ」
「いやいや、第一夫人なんだから。堂々と座って、食事も一緒にしようよ」
俺が言うと、意外だったのか目を丸くした。
その目のまま、何だかふわふわと歩いて行って部屋の隅の予備の丸いすを持って、ヒューさんの横に座った。
「ではご主人様のお言葉に甘え、私も、いただきます、だ。ああいけないっ、酒が来ていなかった」
座ったと思ったらパッと立ってキッチンへ行ってしまう。うーん、メイドさんは忙しいらしい。
「ヒュー殿は、蒸留酒で良いな? 奥様はどうなさる?」
「んー、この食事だったら、あたしも蒸留酒にしようかしら」
「かしこまった」
キッチンから戻ってきたフェリクシア。ワインクーラーみたいな金属の入れ物に、瓶が2本。それと左手に、グラスを3つ持っている。
フェリクシアは食べてる人の邪魔にならない絶妙な動きでグラスを配膳し、酒を注いだ。
最後に俺の横にも。グラス、そして、ワイン。言わなくても俺が蒸留酒なんて強いのは飲めないって事、分かってくれていて嬉しい。
「今日の串は、鶏と豚と牛と、それぞれ味わいやすい様に味付けてみた。ヒュー殿の様にまとめて食べても、ご主人様の様に一つ一つ食べても、まず美味しく食べられると思う」
そう言って、フェリクシアがようやく座った。
「ほうひえはぁ、へひあははひははひは」
「アリア。口の中に者を頬張ったまましゃべるでない」
っと、ヒューさんの鋭い視線がアリアさんに刺さる。
アリアさん、反射的にピンと背筋を伸ばして、そのままもぐもぐ。ごくん、と飲み込んだ。
「ごめんなさい……あの、陛下から頂いた薬酒って、どうなったの?」
「あれは私が、今はキッチンに預かってある。それも飲むか? 苦いらしいが」
「飲んでみたーい! ヒューさんは?」
「私ですか? あの薬酒はあくまでノガゥア卿に下賜された物ですので、私如きが……」
「いや、ヒューさんそんな遠慮は要らないって。保存方法とか聞いてきてないから、痛んだりしない内に飲んだ方が良いかなって」
「薬酒に使う程強い酒ですと、しっかり栓をしておけば、痛む事はありません。ただ……漬かりすぎて余計苦くなる事は、あるかも知れませんが」
「だったら早めに、まだ少しでも飲める苦さの内に飲みたいな、ヒューさんも手伝って下さいよ!」
「宜しいのですか? それこそ、女神様にもう1瓶も、なども考えられますが」
「もし女神様が欲しかったら、きっと『あんた、それも供えなさいよ』って絶対言ってますって! だから大丈夫ですよ!」
この一言の軽口が、まずかった。




