第52話 光の中に消えたひと ―― 帰ってきたらとんでもない事になってた。
「つまり、結界のコツをお知りになりたい。そういう訳ですな?」
ヒューさんに掛かると、俺の悩みは概ね1行程度に圧縮されてしまう。
如何に俺が小さな事で悩んでいるか、というのを毎回痛感させられる。
「そうですね。ただ、女神様の結界、なのかなぁ、今さっき使えた結界も、俺自身の結界魔法なのか女神様が関わっておいでなのか分からないので、伺いながらと思いまして」
「なるほど。それで防諜魔法が必要でしたか。既にこの室内の音は、一切外へ漏れず、扉も開きません。ご存分になさって下さい」
「じゃあ、まず女神様に伺うところから始めようかな、女神様良いですかー?」
俺の呼び掛けに、すぐ、
『なーにー?』
と応じて下さったが……前もあったな、こんな風にリバーブというかエコーというか、響きがあったご返答の時。
「女神様、今お風呂ですか? アレでしたら後ほどで構いませんが」
『別にーシャワー浴びながらでも話せるわよー、どーしたのー?』
「先ほど女神様から結界、出来るみたいな事を伺ったんですが、どうにもコツがつかめなくて。全力で作ったら、妻が怪我する結界になっちゃいました」
『んーー? ちょっとその結界ー? っていうのーをー、もう一度やってみてくれるーー?』
うーん、女神様のお風呂場は結構広そうだ。響きが随分しっかりと響いて、ちょっと聞き取りづらい。
「では、やってみます」
俺は部屋の奥に手を伸ばして、さっきした様にして、結界に足る魔力を放出した。
「結界、生成!」
言葉と共に、またもガラスのドアの様な結界が登場する。
「と、こんなんが出来るんですけれど、反射型の様で、叩くと叩いた人が怪我するんです」
『あらー、なかなか上手に出来てるじゃないー? でもー、結界の性質がー明らかで無い時にー結界をー触ったり、ましてー叩いたりしゃーいけないわよー』
俺がアリアに目を向けると、ちょっとしょぼんとした様な顔でうつむいていた。
『あらアリアなのねー怪我したのー。ちょっと待ってて、今シャワー室から出るわー』
けが人がアリアだと言う部分に何かあったのか、女神様がシャワー室から出られる様だ。
しばしの静寂。決して、衣服を着るゴソゴソした音が中継されるとかは無い。
『ちょっとあんた、何期待してんのよ。女神の着替え見てみたい、なんて言うなら、久々の神罰が待ってるわよ?』
「いえいえ、まさか。ただこう、マイクのオンオフが自在なのかなぁ、的な事は思ってましたが」
『マイクって訳じゃないからね。魔法通信に近い、思念通信の様なものだから。物音なんかは、私が気にしてないものは聞こえないわ』
「そうなんですね。因みに、怪我したのがアリアだと分かったらシャワーを中断なさったのは、何故です?」
『はぁー、あんたはそんな事すら私に聞いちゃうくらいの愚鈍な男なのね。少しは女心を理解しようとしなさい、バカ』
ぎゃん! また女神様にバカ扱いされた!
と、とは言え……女心、か。アリアの、心。
昨日の今日で、フェリクシアとの仲が一変し、それに伴ってアリアの立場も変わって。気持ちはきっと、複雑だよな。
『あんたは複雑複雑って言えば何でも解決したかの様に思う、その癖辞めた方が良いわ。複雑だから何よ、複雑だろうがなんだろうが、解決しなきゃいけないんじゃないの?』
「そ、それは仰る通りで……」
『あんたは今、新しく自分のものになったフェリクシアで頭一杯かも知れないけどね、アリアからしてみればどう思うと思うの?』
「……複雑……」
『それはダメ、認めない。複雑、で逃げずに、考えなさい。それからアリア、さすがにあなたがちょっと可哀想だから、私が力を貸してあげる』
と、俺が祭壇代わりと決めて向いているヒューさんの机の奥に、光の柱が降ってきた。
不思議な光景なんだが、チカチカとまぶしい光を放つ柱が、デスクの後ろにある。光は上から下に流れている。
『この中にアリア、立ちなさい。他の人間に言っておくわ、アリアは一瞬消えるけれど、心配は要らない』
俺が頭を抱えている一方でアリアは、光の柱に向けて頷くと立ち上がり、デスクをぐるっと回ってその柱へと近づき、踏み込んだ。
その瞬間、アリアの姿が、消えた。光の柱もすっと上に吸い込まれる様に消えた。
「なっ、奥様は?!」
「心配はないらしい。女神様が俺達に向けて、『アリアは一瞬消えるけれど心配は要らない』って仰せだったから」
女神様の御声が聞こえないフェリクシアが立ち上がり掛けたが、俺は制する様に言った。
とは言え……どこへ消えたんだろう。まさか俺が転生の時に踏み入った、あの領域へ?
もしそうだとしたら、アリアはどれだけでもチート能力を持って帰ってくる可能性がある。
『あんたはアリアの心配をしてるの? それとも、アリアが自分に勝ることを心配してるの?』
女神様に言われて、ハッとした。確かに今俺は、アリアが得るかも知れない『力』にフォーカスしていた。
俺は……俺はあくまで、アリアの旦那だ。しかも第一夫人なんだから、最初の奥さんでもある。
日本は重婚禁止だったし、そうでない他国の文化も知らなかったので上手く適応が出来ないんだが、少なくとも日本の感覚とは違う。
そうか今俺、アリアの事を、そのまんまには見られなくなってるのかも知れない。
フェリクシアが横にいてくれる事になって、少し浮かれすぎてたかも。
アリアは、ああ見えて弱い一面もある。バルトリア工房での一件でもそれは明らかだ。
だから俺がサポートを……と思っても、いつも教わる事ばかりで、サポートすら出来ていないと感じる。
ふむぅぅ……俺がどう振る舞ったりするのが、アリアにとっては嬉しいのか。真面目に考えた事が無かった。
普段通りに過ごして、普段通りに話して。時にはベッドを共にして。その位しか、考えてなかったな……
俺が旦那として、アリアを思う気持ち。旦那としてと言うか、一人の男として、かな。むしろ。
アリアは可愛くて、ちょっとぽけっとしていて、少しおっちょこちょい。けれど、頼れる。
その『頼れる』に傾きすぎて、バルトリア工房の兎人属の一件があったのに。俺、学べてないなぁ……。
「ねぇフェリクシア、それにヒューさん。取り急ぎ教えて欲しい。この国で、第一夫人と第二夫人の決定的な差って、何かある?」
「決定的な差でございますか。一般化するには少々無理はございますが、基本主人を独占するのは第一夫人にございます。第二以下の夫人は、努めて第一夫人と主人の仲を裂かぬ様にと立ち回る者が多いです」
「そうなのか。すると……俺とフェリクシアがあんまり仲良くするのは、アリアにとって気分の良くない事、になるのかな、やっぱり」
「アリアの性格を考えまするに、自分以外の女性が、たとえ認めた相手であってもシューッヘ様との間に居る、というのは、心穏やかではありますまい。それはあまり望ましい性分ではないのですが」
「ご主人様。私の事は放っておいてくれて全然構わないんだ、これは本当だ。自分の思いが、一度しっかり満たされた。それだけで、私は満足できる」
「……ごめんフェリクシア、俺の側が、そんな単純には割り切れない。今でもふと、夜中のその……姿がハッキリ浮かぶし、もっと抱きたいって思う」
俺の発言に、フェリクシアは赤面して黙りこくった。
「ヒューさん。また熱湯風呂に入れられるの覚悟で聞きます。アリアに対して、どう接すれば良いですか。
今俺は、フェリクシアの事で頭がいっぱいで、アリアの事を考える余裕が多分無いです。でも、フェリクシアはそれを望んではいない。
でも、望んでるのは俺なんです。もしかすると、一時的な事かも知れないし、そうで無いかも知れないし……」
ヒューさんは、真剣な顔付きで俺を見つつ、幾度か頷いた。
「それではシューッヘ様、一つの可能性ではございますが、これを機にフェリクシア様を第一夫人となさってはどうでしょう」
「えっ?! でもそれだと、アリアの立場が無いって言うか、第一夫人としてのその、居場所が……」
「夫人の序列を変える者は少ないですが、おらぬ訳ではありません。ご主人が夢中になる相手をこそ、第一夫人とすべきでしょう。
端的に申し上げれば、アリアが再び第一夫人の座を欲するのであれば、それだけの魅惑・魅了をもって、つまり実力を持って奪え、という事です」
真剣な、真面目な顔から出て来た言葉が、実力主義社会……それで、本当に良いのか? アリアの『先取り特権』は……
「アリアが焦り、前へ前へ出ようとするのも、アリア自身にシューッヘ様をつなぎ止める自信が無いからにございましょう。
これから魔族領へと向かうのであれば、功を急ぐ者など足手まとい以外の何者でもありません。策無くして飛び出す者から、死んでいきます。
今のアリアは、そういう状態であり、それは同時に、英雄シューッヘ様の第一夫人として不適格である、とも断じる事が出来ます。
アリアの養親として、未だアリアがこの程度の事で動揺する程に幼い事は、深くお詫び致します。しばらく第二夫人に座し、考えを改める時間を与えてやって頂きたい」
そう言うと、ヒューさんは深々と頭を下げた。
俺が、アリアを、第一夫人から外す。
そして、その地位に、第二夫人のフェリクシアを迎える。
……そういう前例があれば、いつかまたアリアが第一夫人に返り咲く事も、あり得る訳か。
女神様は『3人は囲え』なんて言ってらしたけど、もっと増えたとしても、この方法は使えるかも知れない。
「……ごめんアリア、俺、自分に素直にしかなれない。どう取り繕っても、そこは無理だ。聞こえてるよねきっと。アリア。
アリアがいない時に決めるのも卑怯だとは思う。けれどいたらいたで、厳しいと思うから、敢えていない内に決める。
俺はアリアを第二夫人に改め、空位となった第一夫人の座に、フェリクシアを据える。これはノガゥア家当主としての決定だ」
言い終えた時、光の柱が再び現れ、そこにアリアが立っていた。
泣いている。目を開き、唇を咬み、声を押し殺して。涙をボロボロこぼしている。
見ると心が痛む。本当にそれで良かったのかと、俺の中の良心が叫ぶ。
けれど、決してその姿から目は逸らさない。俺の全身全霊を持って、見つめた。
俺は、決めたんだ。今はアリアの事が真ん中にはならない。だから関係も、そうする。
いずれアリアの事がまた真ん中になった時、アリアを第一夫人に。ひょっとしたら、もう俺の元を去って、出て行っちゃうとかかも知れないけれど。
「出て行かないわよ。あたしはしつこいもん」
そうか、アリアはそれだけの粘着質を昨晩も言っていたな。ってアレ? 今俺、口に出した?
「口に出してないわ。あたしがあなたの気持ちを読んだだけ」
……えっ? 何?! 今なんて言った?!!
「何度でも言うわ。あたしは今、あなたの気持ちを読んだの。女神様から賜った、あたしの『力』よ」
なっ……女神様のみならず、身近な女性が、俺の心を、読む、だと……?!
「動揺するのは分からないでも無いわ。女神様が仰ったわ、あたしに足りないのは力。力が無いから、自信も持てない。
けれど、戦闘に使う様な力は、あたしは不向き。素質の問題ですって。だから、家庭内で使えそうな力をって、女神様にお願いしたの」
思わず戦慄の様なものを覚える。つまり、俺がふー……っと考えるあんなことやこんなことも、全部――
「筒抜けってこと。これでようやく、フェリクシアと対等に戦えるだけの力を得た、って思うわ」
……俺の弱体化、一方女性陣は、どんどん強くなっていく……




