第50話 女神様、正月早々ご満足なさる。
思わずむせた俺の横に、パッとフェリクシアが駆け寄ってきた。
「大丈夫か、ご主人様」
あくまで王様の前という事を意識してか、小声で俺に問うた。
「だ、大丈夫。想像以上に苦かったし、結構強かったから……」
いやしかし本当に苦かった。
それだけで無く、今まで飲んだ事の無い度数の酒、なんだろうな。喉が焼ける様だった。
あんな量しか飲んでいないのに、もう胸から体中に広がる熱さ。熱感が半端でない。
気鬱、つまりうつっぽいのに効くのかな、と思っていたが、うーんその辺りはよく分からない。
「ふむ。マシな顔に戻ったな、シューッヘ」
と、陛下が仰せになった。特に変わったという自覚が無いので、取りあえずお礼兼々頭を下げておいた。
「マギ・エリクサー程の効果は無いだろうが、マギの消耗に効くとされる薬草もふんだんに用いて作った。疲れがあれば、それも消えよう」
……ふむ、確かに。言われてみると、魔法的な疲れが少し軽減されているのに気付いた。
マギ・エリクサーの様に即全快っ、て感じでは無く、ジワジワ満たされていく感じ。今もそれが、酒の熱感と共に続いている。
「王様、大変結構なお手製の薬酒を、ありがとうございました」
実感出来て、改めて俺は陛下に向いて頭を下げた。陛下は苦笑いを浮かべられ、「そんなの良いから」と言わんばかりに手先でちょいちょいと横に払っている。
「ではな、早速女神サンタ=ペルナ様への御献上を頼みたい。良いな? シューッヘ」
「はい、もちろんです。では早速……」
と俺は、どこを祭壇と見立てようかとぐるり見回した。
一番ふさわしいのは玉座のある所だが、そこには陛下がお座りになっているから無理。
降りてくれって、言えなくも無いけれど……まぁ我らが女神様はそこまで形式を重んじられる方ではないし。
となると……そうだな、あの辺りが良いか。
俺は真ん中から左の方へ歩を進め、張り出している玉座の横、ちょうどさっきワントガルド宰相閣下が下がっていった幕の辺りを、祭壇と見立てる事にした。
「ワントガルド宰相閣下、ここに女神様へのお酒をお願いします」
「ここで良いのか? 女神様は、そこにおられるのか?」
「いえ、女神様とはお話しは出来ますけど、実際に御降臨される事は滅多に無いです」
と言ってる内に、ワントガルド宰相閣下が酒を丁寧に床に置いた。
俺はその酒から少し下がって両膝で立って、構えた。
(女神様、女神様。プライバシーとか気にしてくれない女神様)
『ちょっと何よそれ。そのお陰で第二夫人も迎えられたんだから、良いじゃないの』
その御声に反応した我らがパーティー。振り返って見ると、アリア、ヒューさんが片膝を落として跪き、それを見たフェリクシアがそれに続いた。
その様子に女神様が既にいらしている事が伝わったようで、陛下も、ワントガルド宰相も共に、片膝をつかれた。
「えーと。女神様、ローリス国国王陛下より、新年のご挨拶? あれ? 王様、名目は何ですかそう言えば?」
言ってて途中で詰まった。陛下の様子を見ると、焦っておいでのようで、うーんと? それでいいから? と。
「えー女神様、新年のご挨拶だそうです。先ほど毒味をさせて頂きましたが、人間には少々苦くてびっくりしました」
『あら、苦いの? 色もなかなか、しっかり漬かってそうじゃない。これは珍しいから、瓶ごと頂くわ』
と、目の前にあった酒瓶がふっと消えた。
「珍しい、と言うと? この世界って、一升瓶は珍しいんですか?」
『そうじゃないわよ。そこの王がね、私への供物だからと瓶を割らないように、ゴミが入らないようにって、凄く気遣っている様子が見えるのよ、その瓶から』
「なるほど、さすがお手製の薬酒。といったところでしょうか」
『単に手製なだけじゃないわ。その王の、民を思う、国を思う気持ちも"込み"ね。薬草の選別、酒の選別。全てに真剣に向き合っている姿が、瓶の中から見えてくるわ』
「シューッヘ。女神様は何と?」
陛下が頭を下げつつこちらを見て言う。
「女神様が仰せになるに、王様が民を思い国を思う気持ち、そして女神様への供物だからと大切に扱っている姿が、この酒と瓶から見える、とのことです。
通常女神様にお酒をお供えすると、中身だけ抜いていかれるんですが、今回は瓶からも王様のお心を感じられて、瓶ごとお持ちになられました」
ちょっと言ってて自信が無かったので後ろのヒューさんに目を遣ると、深く頷いていた。
良かった、何か間違いがあったらどうしようとか思ってたんだ。酒も入っているし。
「それにしても女神様、瓶をお持ちになられるのは初めてではないですか? そちらの世界の気が淀むとか、以前仰ってた様な気がしましたが」
『雑然とした扱いを受けた物がこの世界に入ってくると、ね。けれどこの瓶は、決してそういう扱いを受けていないし、寧ろ清廉な、清浄な逸品よ、この瓶だけでも』
その物が受けてきた扱いによる、のかな。ヒューさんのメダルも、そのまま女神様の世界に置いて下さってある訳だし。
『あらぁーこれ良いじゃない! これだけ神好みの調合、どこで見つけてきたレシピなのよ!』
おっ? 女神様のテンションが高めだ。お気に召したらしい。
「王様、女神様が、王様がなさった調合がとてもお気に召されたようですよ」
「何、そうか。古典書の中に、神に奉じるに適した薬酒という項があってな、それに準じて組み合わせてみたのだ。そうか、お気に召して頂けたか」
陛下、少し嬉しそうに微笑んでおられる。うん、良かった。
新年早々女神様の御機嫌が麗しいのは、この上なく吉祥な気がする。
『これだけ良い酒をもらったら、さすがに何か返してあげないと悪いわね。王に問いなさい、何か一つ願いが叶うなら、何を望むか、と』
「へっ?! は、はいっ。王様、あの……女神様がお酒のお礼にと、『何か一つ願いが叶うなら、何を望むか』と仰せになっていますが……」
「なんと。ワシは別段女神様から何か頂こうと薬酒を漬けた訳ではない。あくまで女神様への忠誠と、日々の加護への感謝である。丁重にお断りをしてくれ」
「との事ですが女神様」
『まぁそう言うだろうなとは思ってたわ、今代のローリス王はとっても堅物だから。
じゃあ、今年は昨年規模の魔導水晶を3つ、新たに授けるわ。全部シューッヘ領から。だから国の総取り。
使い道は特に限定しないから、新たにマギ・エリクサーを合成する材料にしても良いし、照明予備にするなりドームの機能強化するなり、自由に使いなさい』
規模の大きな話に、ちょっとぽかんとしてしまう。
とすかさず、ワントガルド宰相閣下がそばに来て、目で、何を仰ったか、と問うてきた。結構その目が怖い。
「えーと、俺が言うと何だか信憑性に問題付きそうなんですけど、女神様が仰せになるに、今年は昨年並みの魔導水晶を3つ、新たにローリスに与える、と。
全て俺の領地からの産出になるらしいので、国の総取り、って部分、女神様は押して言ってました。えーと、それから……
あ、そうそう、使い方に制限は掛けないから、マギ・エリクサーの合成でも照明の予備でもドームの機能強化でも何でも、自由に使いなさい、との事です」
俺が言い終わると、陛下がススッと俺の横にやってきた。
「シューッヘ。女神様はお前が向いている壁にお出ましなのか?」
「……まぁ、そうですね。はい」
俺がそう言うと、陛下は俺より一歩前へ出て、幕の掛かったその壁に向いて、深く頭を下げた。
「ローリス国王として、女神サンタ=ペルナ様の御慈悲には深く感謝申し上げる。女神様の御期待を裏切らぬよう、精一杯国の運営に努める」
そう宣言する様に言って、もう一度深く頭を下げて、元の席に戻っていった。
魔導水晶、3つかぁ。最初の時みたいに簡単に掘れれば、それに越した事はないんだけどなぁ……
『さすがに前回ほど簡単じゃ無いけれど、難しい話でも無いわ。あんたなら出来るわよ、パーティーと協力すれば』
「あ、はい。その……」
『あら歯切れが悪い。結界の事でしょ? 言いたいんなら早く言いなさい』
促されて、うっと詰まった。ここは陛下もおいでになる公然の場。あまり私事の話を持ち出すのも、正直気が……
『あんたの結界が発動しないって事は、魔族との戦い方も変えなきゃいけない事になるわ。それだと私の想定とも変わってくる。
だから、とにかくあんたの口から、結界をどうして欲しいのか、それを言いなさい』
……逃げる道は無さそうだ。陛下には多少失礼かもだが、仕方ない。
「女神様。畏れながら申し上げます。俺の結界、つまり女神様から頂いていた、今は無き結界ですが、アレが無いと魔族相手に戦えません。
更に言えば、可視光線まで全てブロックしてしまうので外の様子も見えません。都合が悪いので、可視光線は常に通す様に、それでいて有害光線や物理攻撃などは全て阻むように。
但し設定次第では以前の様な、強固で融通の利かない絶対的な結界にも出来る、そんな風に、品質の改善をお願い出来ないでしょうか」
俺が言い放ったら、誰がしたか分からないが案の定引き気味の呼吸音と共に場の空気が固まったのを感じた。
『あら、あの品質じゃ不満って事ね。可視光線を通すと、赤外領域も通りかねないから熱かったりするわよ?』
「そこは断固ブロックで、多少可視光線全域より狭くて構わないので、危険な光線域は全て弾くなり吸収するなりして下さい」
『そう。だと多少赤寄りの色と紫寄りの色は、結界内からは見分けづらくなるわ。それ位は良いわよね?』
「それは構わないです。ただやはり、敵の視界を奪いたい時もあると思うので、広域に展開できる可視光線を弾く結界も欲しいです、別口で」
『まーワガママだこと。良いけどね、別にそれは。ただ言っちゃうと、最初からその程度の応用は出来るだけの結界よ? あの絶対結界って代物は』
「へっ?! 絶対だから、全て、可視光線までブロック、とかではなく……?」
『結界、あんただって細々調整してたでしょ? それと同じように、普通の魔法を使うように、定義して出せば良いだけ。
但し、あんたの救命優先の自動発動の部分では、全光線域・全ての力は弾かれるわ。これは融通効かせない方が安全だから』
あらー……つまり、結界に融通が利かないと思っていたのは、単に俺が「融通の利かない結界だ」と思い込んで使っていたから、という事か。
思い込みってのは怖いな。出来る事すら簡単に出来なくしてしまう。
ふうー。何だか、肩の荷が下りた思いだ。なんとなく、結界作成権限を削除されてしまって以来、1度も結界を使っていない。
削除、と明言された事に無駄に挑むのも何だか女神様への反逆……は大げさだが、抵抗的な感じにもなるかなぁって。
「では、結界は再度作成出来るようには、して頂けるんですね」
俺は自分でも分かる程に軽やかな笑顔で言った。
『ううん? その世界にいる人間に、私が顕現せずに権限の付与は出来ないからー、自分で会得してね? 感覚はつかめてるでしょ?』
俺の背中に、冷たい汗が一筋、伝っていった。




