第3章外伝 第6話 告白
―――― 暗闇の中 ――――
女神様。俺、この世界に来た時、もう即、もう一回死ぬんだって思ったんですよ。
槍で囲まれるなんて、日本であります? あ、これ死んだわって。でも、新しい世界をせめて垣間見たくて、キョロキョロした様な覚えはあります。
あそこでヒューさんに拾われて……あぁ、そう言えば、ヒューさんが女神様の結界試したんですよね。初めての女神様のお怒りに、俺ビビりました。ホントに。
けれど、何とかヒューさんの命はつなぎ止めることが出来て。ヒューさん、自分の命を軽々捨てる覚悟するもんだから、俺あの後も、事ある毎にヒヤヒヤしました。
でも、そのヒューさんがいてくれて、それで言えば、貴族特権の濫用の仕方を教えてくれたようなものじゃないですか。
そのお陰で、俺は出会えたんです。今回の一生、人生の全部を捧げて、守りたい人を。アリアさんを……
最初の時は、アップダウンの激しいタイプの女性だなぁって位にしか思ってなかったんですよ、実は。
でも、いつの間にか、俺の心の真ん中に、アリアさんがいて。でもそれも一筋縄ではいかなくて。
恋って、思っていたよりは簡単でした。もしかすると、地球でも、俺自身がもう一歩外の世界に踏み出せば、そこに恋はあったのかも知れません。
あの人生は、虚しかったなぁ……今思い出しても、あのダンプが全く憎らしく思えないんです。不思議です。化けて出る気になれないです。
こっちが充実しすぎてるのかなぁ……この世界に来て、最愛の人を、リアルな意味でもこの手の中に入れて。
毎日が明るく輝いてー、なんて、リア充の言う戯言だと思ってました。俺、今その戯言を見事にやってます。楽しいです。毎日が。
フェリクシアさんとの出会いも、ある意味突然だったなぁ……
最初、王宮の与えられた部屋で守ってもらっている時は、そもそもあんまり見てすらいなかったんです。見ちゃ悪い、みたいな感じがあって、メイド服が。
だってほら女神様、地球でメイド喫茶とかでも、あんまりジロジロ凝視するのって、「なってない」じゃないですか。行ったこと無いんで想像ですけど。
そんなメイド服さん達に、イリアドームで鍛えてもらったのも、今年の良い思い出、ですね。今年どころじゃ無くて絶対一生忘れないと思いますけど。
最初フェリクシアさんが雇って欲しいって言い出した時には、さすがにちょっと疑いましたねアレは。だって、アルファが俺の下に? 何故? はてなですよ。
けれど、フェリクシアさんはいつも黙々と仕事をこなしてくれています。オーフェン外遊の時は、まさにアルファ! って感じの活躍をしてくれたみたいですし。
『あらそう言えば、あんたあの大使館戦、伝聞でしか聞いてないのよね?』
はい。伝聞ですね。しかも、戦場の当事者の一人が処刑……ちょっと腹が立ってきましたよ、思い出したら。
あのヌメルスの野郎、女神様に銃を向けるなんてっ。
『ヌメルスがローブに武器を隠していたのは、初めから私は承知よ。
次元のレイヤーが何層かズレてるから物理は完全無効なのに、ヌメルスは私を撃った。愚かだけれど、届かないのを知り得ないというのは、哀れね。
ただ、もし私が気乗りして、あんた達と同じ物理レイヤーにまで存在を下げていたら、間違いなく胸に大穴が空いていたわ』
はっ?! マジですか?! うぅ、ヌメルスの野郎め、女神様が別次元におられたから良い様なものの。
年明けて王宮が開いたら、またあの展示されてる『愚者ヌメルス像』、思いっきりひっぱたきに行ってやります!
『ま、私は別になんとも思ってないんだけどね。まぁお酒でも飲んだら? お菓子もあるわ』
そうっすね。飲みますよ、もう。イライラしたら、飲んで流す! これですね!
えーと、この辺に、ピッチャーが……あったあった、上手く注げるかな……うわっ、大分こぼれたなこりゃ。
ま、いいや。飲も。
んー……
相変わらず飲みやすいっ。女神様もいかがですか?
『私はさっきもらったのを、ちみちみやってるわ。今年は、もうそれだけでおしまい?』
いえいえまだまだ。
思い出すのも赤面ものなんですけど、あんなに早くアリアさんって生涯の恋人、生涯の伴侶が出来るって分かってたら、夜伽屋なんて使わなかったのになぁー……しくじった、アレは。
『あら、本気で痛恨みたいね』
そりゃ痛恨ですよ。まぁ、そのおかげで少しは上手く出来たって言えば、まだ少しマシに聞こえますけど……
処女童貞信仰はっ。地球オタク族には、鉄の掟なんですよ!
『一体どーいう信仰よ、それ』
知りません? 初めて同士の男女が、ぎこちなく、けれど積極的に、お互いにお互いの初めてをあげるんです。
ロマンティックでしょ? ロマンティックと思いませんか、女神様!
『そうねぇ、ロマンと言えばそうだけど、その《ぎこちなく》がすっごい引っかかると思うわよ?』
いえいえ、そこは何か不思議な力が働いて、二人は無事初夜なり初体験の夜なりを過ごすんです。
『実際はそんなに上手く行くかしら? 夜伽屋のおかげで女性の扱いを知ったんだから、夜伽屋には感謝じゃないの?』
感謝。うーん、感謝ですかぁ。まぁ、ええ、確かに、俺地球では、女性の肌に触れたことすら無かったんで、うーむ……
『夜伽屋の女性はどうだったの? 覚えてる?』
その女性には申し訳ないんですけど、あんま覚えてないんすよ。手取り足取り教わった『事』は覚えてても、肝心のその肉体とか顔とか、あんま覚えが無いんです。背は低めだった、ってこと位で。
『じゃ実質、女性としてその目が捉えて、女性としてその手が扱った初めては、アリアちゃん。それで良いじゃない』
う、うーん……まぁ、女神様がそう仰るなら? そういう事にしておいても良いです。
『あらあら、大分お酒に押されてるわね。今日だけよ? そんな口を許すのは』
あーすいません、俺自身なんだか段々よく分からなくって。ご無礼があればお許しをっ。
『それであなた、生涯の恋人なんて言ってるけど、身近にもう一人いる女性はどうするのよ?』
フェリクシアさんですかぁ? 俺、一度少しだけ、気持ちが傾いたこと、あったんですよぉ。
ここの地下で、星屑の短剣に反魔法が入ってるって分かったあの時ですよ、あれは。
フレアポール? とか言ったかな? その魔法を、星屑の短剣に見事破られた時の、無理してる表情が、ぐっと来ちゃって。
で、色々こう、探りを入れるというか、話してみたんですけど、ダメでしたね。キレられました、フェリクシアさんに。
『一度キレられたらすごすごと引いちゃうの? 弱虫ね』
弱虫?! いえっ、俺は単にっ、アリアさんラブなんですっ。アリアさんがいれば、他には要らないんですっ!
『でもローリスじゃ昔から、貴族は複数女性を囲うものよ? 子爵なら3人くらいは囲わないと』
いやーでもそれって、アリアさんに悪いじゃないですか。正妻だから、一番だから良いかって、そういう問題じゃないですし。
『ううん、そういう問題なのよ、ローリスの人にしてみれば。寧ろあなたが、それだけフェリクシアを身近に置いていながら何も無い、その方が不自然よ』
ええっ?! ローリスの貴族って下半身そんなにふしだらなんですか?!
『ふしだら、って問題じゃ無くて、貴族栄誉の継承の問題よ。子供を産んで、爵位を継がせる。または、たくさん産ませて、その子供を嫁や婿に出して、他の貴族と良好な関係を作る。貴族の基本よ?』
んな、人身売買みたいで良い気分しないっすよ。
『じゃあ、フェリクシアちゃんを手放す? ローリス基準じゃ良い年頃よ、ずっと一人じゃ可哀想じゃない』
ま、まぁ……でも俺別に、フェリクシアさんが恋するのを止めるつもりなんて無いですよ? 誰かを好きになったら、応援しますっ。
『それがもしあなただったら? 差し出された手を優しく取ってあげる? それとも、強く振り払うの?』
お、俺? いや……無いです、無い無い。フェリクシアさんは、俺の事はあくまで雇い主として見てるんですから、無いですって。
『じゃ、本当にそうかどうか本人に確認しなさいよ』
えっ?
――――
不意に、暗闇が一転、すげーまぶしい。目がチカチカするのでつい細めてしまう。
と、後ろを振り向くと……あれ? 二人とも腰掛けて、こっちを、睨んでる?
アリアさんは難しい顔をしてるし、フェリクシアさんに至っては、何故か真っ赤だ。
……アレ? ひょっとしてのもしかして、俺のプライバシーは……
「シューッヘ君、あたしの知らない所で、フェリクに声掛けてたんだね」
ひっ。
静かな声音なんだが、背筋のゾクゾクが、ゾクゾクが。
「ご主人様……」
と、一方のフェリクシアさんは、今まで見たこと無い程に頬を、というか顔全体を、真っ赤に染めているし……
「フ、フェリクシアさん、顔真っ赤だけど、大丈夫?」
「あ、ああ。大事ない。だが、その……」
「あ……その、俺の事を、もしかしてだけど、あくまでもしかしてで聞くだけなんだけど、その、男として見た事が、あったり……するの?」
我ながら腰砕けとしか言い様がない問いかけになってしまった。
だって……テーブルのそっちから飛んでくるアリアさんの目線が怖いんだもん。
しらーっとした視線が、まー刺さる刺さる。視線だけで十分痛い。
「私は……そもそも恋だ愛だのと言うのは、元々興味は無かった。その……ご主人様が現れるまでは」
……えっ?!
今何っ、え、ええっ?!
「アルファとしての残留が認められず、ノガゥア邸で働く事にした。その時は別に、あくまで勤め先の変更くらいのつもりだった。王宮メイドよりうんと楽な勤め先だ。
少し思いが変わったのが、魔導水晶採掘の時だな……ご主人様が近くに寄られた時に、ふと、男性というものを感じた。ただそれは単なる勘違い・思い違いと考えていた。
地下室で、ご主人様から心の有り様を強く心配された。ご主人様は覚えておいでか? その後すぐ、私が働き過ぎだと、えらく詰められた。私もよく覚えている。
その時だな、はぁ……ご主人様が、メイドとしての私を、好きだと仰った。頭では分かっているんだ、あくまでメイドとして、男女では無く単に、好感だ、という意味だと。
だが、その言葉に私の心があらぬ反応をした。胸が急に高鳴って止まらなくなった。顔が赤らみそうになって、慌ててご主人様の言葉に言葉を重ねて止めた。
その言葉は、ご主人様には私がキレたと。そう思われた様だが……ああでもしなければ、あの場で赤面してへたり込んでしまうところだったんだ」
……え、えぇぇっ、ちょこれ、め、女神様!!
「私の思いなど、ご主人様が奥様に掛けられるお気持ちに比べれば、なんてことはない単なる勘違いも甚だしいものだ。だがふと、一人夜を過ごしていると、あの時の、あの地下室での、ご主人様の真剣な眼差しが浮かぶんだ。
主人がメイドに手を出すのならば分かる。それは、あって良いかという問題では無くローリスでは普通にある事だ。だが、メイドが主人に、恋などというものをして何になるというのだ……
私はあくまでメイドであって、確かに性別は女性かも知れないが、そういう対象では無い。だが私の気持ちは、その理性を心に思うだけで苦しい。今までこんな経験はしたことが無い。
本当はどうしたいのか。私は怖くて、その問いが頭に浮かぶ度に、必死にメイドの仕事に没頭する事にした。働いているうちは、気持ちは変な方向には向かない。だが一人になると……
ご主人様はずるい。私の気持ちも知らないで、どれだけでも私の、メイドとしての、またアルファとしての働きを褒めてくれる。知っているか? そのたびに胸が躍るんだ。心臓が暴れるんだ。そして……凄く、途方もなく、嬉しいんだ。
今の私は、決して叶うことのない恋に、踊らされているだけなのかも知れない。いっときの事なのかも知れない。だが、せめてこれだけは知っておいてくれ。私は、ご主人様の事が、とても好きで、本当に好きでたまらないんだ……」
フェリクシアさんが、俺を真っ直ぐ見つめたまま、両腕で自分の身体を苦しそうに抱きしめながら、その両方の瞳から大粒の涙を溢れさせた。
俺がフェリクシアさんを思うよりずっと俺は、フェリクシアさんに思われていた、という事、なのか……
俺は……何と言葉を掛ける? 女神様は言われた。伸ばされた手を取るのか振り払うのか、と。
今、決めなければいけない。しっかりしろ俺っ。俺はどうしたい? 俺は……
「フェリクはいい女よ。あたしが保証するわ」
俺はその声に、驚きと戸惑いと怯えと、全てまぜこぜになった気持ちで、視線をアリアさんに向けた。
アリアさんの、さっきまでの白けた突き刺さる視線は今は無く、普段通りの、一見冷静な目線が返ってくる。
俺は寧ろその瞳に目線に、余計混乱した。
アリアさんとしては、これはアリなのか?
メイドが自分と同じ「妻」扱いされても、それで良いのか……?
「シューッヘ君は、フェリクの言う通りでずるいわよねー。年頃の娘の気持ちをもてあそんじゃって」
「そ、それは」
「確かにそれは、言葉の掛け違いかも知れない。気持ちがそれほど乗った言葉ではなかったかも知れない。最初はね。
でも、女心をこれだけくすぐるだけくすぐっておいて、ほったらかし? あたしだったら、黙って張り倒してると思うわ」
う……だ、だが、どうしろと言うんだアリアさんは……
「シューッヘ君は、何かを決めるんでも、ちょっとでも大きな決断だと、すぐ迷う。迷って迷って、あたしに聞いてきたり。
チキュウっていうシューッヘ君が元いた世界ではどうだったか知らないけど、男性の決断に女性は従うもの。それがローリスの『普通』よ。
もちろんそれは、シューッヘ君と私の間でもそうよ。シューッヘ君がフェリクを娶ると決断したなら、それにあたしが反論なんてしない。
これまでも感じてきた事だけど、シューッヘ君は本当に優柔不断。自分で決められない。他人任せ。でも好きよ? けれど、格好良くは無いわ。
フェリクがこれだけハッキリと自分の思いをあなたに伝えた。のにあなたは、即答する事も出来ず、うろたえてるばっかり。それでも男なの?
他にも山ほど言いたい事はあるけど、今はフェリクの気持ちにあなたがどう応えるのか、応えないのか。シンプルな二択なのに、あなたは決められない」
「い、いやちょっと、シンプルな二択って。確かに二択ではあるかも知れないけど、人の人生を根本から左右する二択だよ? そんなに簡単に」
「簡単に決めるつもりなの? もちろん違うわよね。重い決断なのはあたしだって分かる。けど、有耶無耶にして済ますの?
そりゃあなたが、『有耶無耶の中途半端の宙ぶらりんにしておく』って決断をするなら、あたしもフェリクも従うわ、それが当然のことだから。
けど、そんな中途半端な結論で済ませたら、フェリクだってここに居づらくなるだろうし、あたしだって何だかモヤモヤするわよ。
女神様も仰っていたでしょ? 子爵なら3人は囲えって。フェリクに気持ちが向いた事もあったんでしょ? 何を躊躇してるの?」
アリアさんは気付いて言っているのだろうか。俺が気にしているのは、アリアさん。
俺がもしフェリクシアさんを第二夫人にしたら、アリアさんの気持ちが穏やかでは無くなるのではと。
けれどそれをストレートに言うのも気が引ける。アリアさんに責任転嫁している事にしかならないからだ。
「だんまり? ますますシューッヘ君の悪い所が出てるわね。黙っていれば、曖昧に出来るし、決断しなくても良い。卑怯よそれは。
それは相手の気持ちを完全に無視した、最悪の行動だって分かってる? 気持ちを明らかにしたのに、反応も返してもらえないなんて。
あたしは、あなたが優柔不断なのは分かっていたし、それも含めて愛しているわ。けれど、あなたを本当に、心から思う人への対応が、返答の保留?
さっきも言ったけど、あたしだったら、て言うか、今もすぐにでも、あなたの頬を引っ叩きたいくらい。イライラするわ。我慢するのがもう限界な位。
あたしが愛した人は、人の気持ちを踏みにじる事を平気でする人なの? 受け入れるなら受け入れる、断るなら断るで、せめて何か言いなさい」
アリアさんの命令調の言葉は、俺の心にズシッと重しを掛けた。
確かに俺は優柔不断だ。自分で決断せず、人に頼って決める傾向も強い。
けれど、この場面は。
俺が、今、自分の意志で決断して、それを伝える時だ。
アリアさんのお陰でようやく自覚が出来た。
「俺は」
「ご主人様。今私が言った事は、何も気にされなくて良い。メイドはメイド、それ以上でもそれ以下でも無い」
フェリクシアさんが俺の、ようやく出掛けた声を遮って言葉を出してきた。
「元々私の勘違いが全て悪いんだ。確かにご主人様が少し私の事を女として見た瞬間はあった様だが、一瞬の事だ。
私の戯れ言になど、意見を言う必要などない。無視してくれれば良い。私はメイドとして働ければ、それで満足だ」
「ウソだ、それは」
俺はハッキリと言い切った。
「フェリクシアさんの気持ちは、俺は今までずっと気付くことすら出来なかった。けれど、今日その気持ちを、フェリクシアさんの口から、確かに聞いた。
俺がフェリクシアさんに抱いている気持ちは、アリアさんへの気持ちと少しだけ、何か分からないけれど少しだけ、違う様に思う。
フェリクシアさんはあくまでメイドで、この家の事をする仕事で、って意識が、何処かその違いを作ってるのかも知れない。でもそんなの関係無い。
伝えてくれた気持ち、俺は本来なら喜ぶとか、嬉しいとかなのかも知れないけれど、俺はあまりの想定外で、驚いてばかりだった。うろたえもした。
だからと言って、フェリクシアさんの想いが分からない程は、さすがに俺も馬鹿じゃ無い。俺の事をそんなに深く想ってくれてたこと……寧ろずっと気付けなくて、本当にごめん。
これまで恋愛に興味が無かったフェリクシアさんが、俺にそういう想いを持ってくれたこと。少し気持ちが落ち着いた今、俺の心が、胸の辺りが、じわっと、ほっと、温かくなってる。
俺はあの地下室の時に、フェリクシアさんにはちょっと嫌われてしまったなって思った。学生でしか無かった俺が、働く事なんて分かってなかった俺が、余計な事を言ったから。
あの時以来、俺はフェリクシアさんの事を、恋愛対象の女性として見ないようにしてた。わざとだよ。意識して。アリアさんの言うとおりずるいし、卑怯だとも思う。
だから、今日フェリクシアさんが言ってくれるまで、フェリクシアさんが俺の事を、その……好きになってくれてるのに気付けなかった。ごめん、同じ事言ってるね。
決断。そうだよね、フェリクシアさんの気持ちにどう応えるかは、俺にしか決められない話だ。アリアさん、それを意識出来るようにしてくれてありがとう。そして……ごめん。
俺、フェリクシアさんを娶りたい。あんなに熱い想いを俺にぶつけてくれる、真面目で誠実で、真っ直ぐなフェリクシアさんの事、悲しませたくない。一緒にいたい。
俺さ、フェリクシアさんにはずっと頼ってばっかりじゃん? なのに、俺がフェリクシアさんを娶ったら、余計もっと頼っちゃうと思う。俺、そんなに出来た人間じゃないから……
けど決めたんだ。もう迷わないし曲げない。俺の決断として、フェリクシアさんを俺の2番目の妻として迎える。欠点だらけの俺の事を、あんなに想ってくれて……俺自身すごく嬉しいし、心に響いたんだ。
フェリクシアさん。改めて言うね。
俺の、第二夫人になって下さい。
俺と一緒に、この人生をずっと、俺とアリアさんと、一緒に過ごして下さい」
俺の言葉は、哀しげな諦観の表情になっていたフェリクシアさんの表情を変えた。
フェリクシアさんは、明らかに潤んだ瞳で、しかもとびきりウブな驚きの表情になった。口の先が少し開いて、勢いに押されたのか、後ろに傾いている。
「アリアさん。本当にごめん。今までずっと、アリアさんの事だけを愛してるみたいな事言ってたのに、俺は」
「はいストップ。良いじゃない、あたしは主人が決断した事に従う。それがローリスの『普通』で、あたしには当たり前の、当然のことなの」
「でも」
「シューッヘ君、あたしへの裏切りみたいに思ってる? だとしたらあたし、シューッヘ君から見たら相当嫉妬深い、達の悪いハズレ女よね。違う?」
「それは違う! アリアさんは、言葉にうまく出来ないけれど、俺の最愛の人だっ」
「その最愛の人の根性や性格が、タチが悪く見られてたって事よ。あたしには、フェリクが新しくシューッヘ君の奥さんになることより、シューッヘ君にそう思われてた事の方が、とってもショック」
「あ、う……」
「そこよ。すぐ押し黙る。あなたが流暢に話さないタイプなのは分かってはいるわ。けれど、肝心の時にまでそれって、嫉妬深いハズレ嫁よりタチの悪いハズレ男じゃないかしら」
「……はい、そう……です。俺は所詮……その程度なんだよ。アリアさんが美化して見てるだけだ。俺の本性を知られたらって、そう思うと、俺も怖いんだ。アリアさんが、俺の下から離れてしまうんじゃないかって……」
俯いた俺に、アリアさんは堂々とした声で言った。
「離れないわよ絶対。言ったでしょ? あたしは嫉妬深くて根性悪で、実はしつこくて粘着質で、それでいて強引で、自分の幸せしか考えられない位バカなの。
言うなれば、ハズレもハズレよ。大ハズレ女。あたしもシューッヘ君と同じ。何かあったら捨てられるかもって、不意に不安になるわ。でもバカだから、考えないの。考えない事にしたの。
でも、フェリクの幸せを踏みにじるのは、親友として許せないわ。断るって決断なら、それはあなたの意志の方が優先だから、仕方ないって思う。でも保留はホント、ナシだわ。
もちろん、フェリクがあたしと同じ『妻』になる事に、抵抗感が無いって訳じゃない。あたしだけのシューッヘ君、だったのに。独占したい。誰にも渡したくない。そう思うわ。
でも、良いの。シューッヘ君は魅力的だから。ちょっとハズレ男かも知れないけど、愛らしいハズレよ。そんな人の、ずっと近くにいて仕えてて、好きになるなって方が無理よ。
だからバカなあたしは、自分の立場が危うくなるかも知れない危機なんて気付かなくって、親友のフェリクの祝福をするの。フェリク、おめでとう……思いが実って、本当に良かったね。
あたしも、ちょっと気持ち複雑だけど、フェリクが想いを寄せた人と結ばれて、メイドの仕事だけじゃない幸せに生きていけるなら、どんなにでも応援するわ」
「奥様……」
フェリクシアさんのふわふわした表情が、少し緊張した様な、こわばった表情に変わった。
「奥様。私はご主人様を……シューッヘ殿を、奥様から奪うつもりはない。シューッヘ殿の気が向いた時に、気が向いた様に構ってくれれば、それで十分だ」
「あら殊勝な考えね。でもそれじゃあ、いつまで経ってもあなたとシューッヘ君は一つになれないわよ? あたし達が一つになれたのだって、あなたが後押ししてくれたからじゃない」
「そ、それはそうだが、私は……親友の夫を奪い取る様な、そんな女にはなりたくない。それこそ、たった一晩限りで、私はいい。それだけでもう、私は満足できる」
アリアさんが、鼻で笑った。
初めてだ、そんなの。迫力があった。
「一度で満足できる訳がないじゃない。シューッヘ君は、別に夜の腕前が上手いとか、そういう事は無いわ。本人がいるのに言うのもなんだけど、普通か、若さを考えたら控えめ過ぎるくらい。
けれど、すごく優しいの。一度ベッドを共にしたら、あなたは必ず、もう一度だけ、って思うわ。身体がじゃなくて、心が。それでもう一度だけしたら、また今度こそはもう一度だけ、って思うの。
あたしにはそれが、もう絶対間違いないってレベルで分かるから、あなたのその控えめな、あたしに過剰に遠慮してるのが徐々に崩れて、それでも遠慮との板挟みで苦しまれるのが、本当に嫌なの。
シューッヘ君は、あなたを第二夫人にすると決めた。対外的にはともかく、家庭内では第一夫人も第二夫人も無いわ。ただただ、シューッヘ君の妻。私もそう、あなたも間もなく、そうなる。
そりゃあ、あたしは性格悪いから? 奪い合いになる事もあるかも知れないわ。嫉妬だって勿論するわ。でも、排除しようとは思わない。だってあたしは、フェリクにも幸せになって欲しいから。
それに、フェリクと親友でいる事も辞めたくない。気軽に話せて、悩みも聞いてもらって、フェリクの悩みも、しっかり向き合って聞いてあげたい。妻同士だからって、出来ないことじゃないじゃない?
あたし達同士の関係は、フェリクが変に遠慮したりしなければ、今まで通りでいられるわよ。ただちょっと、シューッヘ君の取り合いが加わるだけ。
でも、それでする嫉妬は、タチが良い嫉妬よ。きっとフェリクも、あたしの嫉妬の気持ちが分かる日が、すぐ来ると思うわ。フェリクの嫉妬する姿、あたしちょっと楽しみよ?
その嫉妬は、お互いシューッヘ君が妻として認めた者同士だけのもの。外の、訳の分からない女に取られるって訳じゃないもの。危険も無い、危機も無い。そんな嫉妬。可愛いもんでしょ?
だからフェリク、あなたも第二夫人になるんだから、シューッヘ君についてはあたしと対等よ。さっきも言ったけど、対外的には第一夫人って序列が付くけど、そんなの私は要らない。そんな特権、あたしは望まない。
お互い、もっと魅力的になれる様に、シューッヘ君に好かれる様に、シューッヘ君の好みになれる様に努力すれば、あたし達だけじゃなくシューッヘ君も幸せが増すと思うの。みんな幸せになれる。きっとね」
ああ……アリアさんは、やっぱり大人だ。ずっと苦労してきただけある。器の大きさが、俺の比じゃ無い。
フェリクシアさんは、アリアさんの言葉にずっと真剣に聞き入っていた。先輩妻からのアドバイス……ってところだろうか。
とその時、外からガラーン、ガラーンと鐘の音が2度鳴った。何だ?
「あら、丁度決着が付いたところで年が明けたわね。これも女神様の御加護かしら?」
アリアさんがいつもの笑顔を俺に向けた。
うん。俺、この笑顔好きだ。もう俺も、失う事を心配するのは辞めよう。アリアさんを信じよう。
フェリクシアさんとは……ローリスの通例だと、婚姻とかより寧ろ「二人が一つに結ばれる事」こそが、成婚の条件らしい。
俺が、フェリクシアさんを、抱くのか。想像したことが無い、というと、さすがにウソだ。だがリアルにそういう事になるとは思ってもいなかった。
年明け寸前に、俺はつまり、プロポーズをした訳か。大胆だったな、俺にしては。
フェリクシアさん……
フェリクシアさん……
意識すると途端に顔が熱を持つ。
やっぱり俺も、フェリクシアさんの事、好きだったんだな……
これから、メイドさんとしてフェリクシアさんを見ることが出来るだろうか。自信が無い。
『さあ年が明けたわよ。あなた達今年は何を変えるの?』
へっ? 突然の女神様の御声だったが、何を「変える」?
「ほら、シューッヘ君がローリスの知らない習わしに戸惑ってるわよ? 新妻として、教えてあげなよフェリク」
「に、新妻……んん、その、旦那様」
「かたーい。あなたの夫よ? 様なんて付ける?」
「う、うむ。では、シューッヘ殿」
「殿もダメー」
「うう、む……では何とお呼びすれば良いんだ? 想像も付かない」
お局様が新しい側室をいじめるの図?
いや、そんな悪意は無さそうな声の調子だが。
「普通に、シューッヘ君でも、シューッヘさんでも良いんじゃない? いっそシューッヘ、とか」
「で、では、その……シューッヘさん。ろ、ローリスのしきたりで、年が明けたら、去年のままでなく何かを1つ変える、というのがあるんだ」
「何かを? 例えば?」
「何でもありなんだが……例えば目覚まし時計の置く位置を変えるとか、普段履く靴下の色を変えるとか。本当に何でも、些細なことでも良いんだ」
「へぇ、面白いね。変える、か。何かあるかな、変えるものって……」
「ねぇねぇ! せっかくこんな機会なんだから、お互いの呼び方を変えない? フェリクには特に必要だと思うの」
「呼び方か。良いかもね、関係性も変わった事だし、心機一転って感じもするから、俺は賛成」
「フェリクは?」
「良いとは思うが、私は融通があまり利かないので、時に古い呼び名で呼んでしまうかも知れない。それでも良いか?」
「良いんじゃない? それくらいは。じゃあたしは、シューッヘ君の事を今年からシューッヘ、って呼び捨てにしまーす。良いよね?」
「うん、もちろん。じゃ俺も、アリアさんってさん付けをやめて、アリアって呼ぶ」
「フェリクは? 夫を何て呼ぶの?」
「シューッヘさん……ではダメか? 奥様の様に呼び捨」
「そこも変えようよ。私たち、お互い奥様よ? 変じゃない、片方だけがそう呼ぶの。アリアって呼び捨てで良いわよ」
「そうか。では、アリア……私はどうしても、自分はメイドだ、という意識が、だん……シューッヘさんと結ばれても、消えないと思うんだ」
「ふーん、そういうものなんだ。凄いしっかりした職業意識ね」
「職業と言うよりは、メイド、というのが私自身を表している、位に感じている。だから、何とか頑張っても、シューッヘさん、が限界だ」
「うーん、でもそれだと、あたしは呼び捨てにして、フェリクはさん付けって、序列っぽくない? 何とか頑張れない?」
「そうか、確かに序列的に聞こえはするな。……分かった、ご主人様の事を呼び捨てに出来るよう、努力してみる」
「さすがに『ご主人様』は今後禁止ね。まだ一つになってはいないけど、それ確定なんだから。シューッヘって、試しに呼んでみたら?」
「試しに……し、シューッヘ」
「ん? フェリクシアさん。俺の、新しい奥さん。何かな?」
俺がそう言うと、ぼんっ、とでも音が鳴りそうな程、一気にフェリクシアさんが真っ赤っかに赤面した。
「シューッヘもだよー、フェリクのことも呼び捨てにしないと。あなたの奥さんなんだよ?」
「そ、そっか。フェリクシア。これからも色々、特に生活面とか助けてもらうから、よろしくね」
「は、はい、ご……シューッヘ」
真っ赤になったまま、フェリクシアさん、改め、フェリクシアは俯いた。
今年はこれにてお仕舞いです。ありがとうございましたm(__)m
新年1月1日0時からまた投稿しますので、よろしくお願いします。




