第3章外伝 第5話 人去りし後、大晦日のしきたり
―――― 時刻 23時50分 ――――
「うわヤバいっ、年明けまで後10分しかない!」
と、反射的に叫んで気付いた。この世界は25時間で1日。つまりまだ後1時間と10分、が正しい答えだ。
「どうされたご主人様。チキュウという星は、24時で1日が終わりなのか?」
「あ、うん。そうなんだ。時計の針よく見れば、24の次の25があるのは分かるんだけど、不意だとね」
この世界の時計は、俺にとって直感的に理解出来るものでは無く、針先を読んで理解するものだ。
25時間で1周する針が時刻を示すが、専ら日本では12時間で1周。針の角度で大体の時間をつかんでいた。
それがこの世界では、25の区切りの1周ものである。ローリス国民になってから随分経つが、まだ慣れない。
「しかし、大分飲みに来る人がまばらになったね。案の定夕方過ぎまでは酷かったけど」
俺が3回。フェリクシアさんは2回。アリアさんは4回。
本日のエリクサー使用回数である。アリアさんはマギ・エリクサーも1回使っている。
「年越しはどうする? ご主人様は初めてでもあるし、私としては古典的なものを経験しておくのも良いかと思うが」
「シューッヘ君を連れて行くとしたら、そこいらの礼拝所じゃダメじゃない。レリクィア教会。諸事告白室って2つしかないわよ?」
「レリクィアに詣る者も少ないのだから、2つあるなら大丈夫ではないか? さすがに見くびりすぎているか?」
なんか俺の事を俺抜きで進めようとしている。
「ねぇねぇ、あのレリクィア教会が関連する年越しって、どんななの?」
俺の呼び掛けに、アリアさんがニコッと微笑んで答えた。
「今年一年間のまとめを、女神様に報告するの。誰にも見られない・聞かれない、暗い部屋の中で。たくさん報告出来る程良い、って言われてるわ」
「えーと、一年の総懺悔的な感じ?」
「その『ざんげ』って言うのがよく分からないけど……言うなら、一年のまとめ報告かな?」
なるほど。年の終わりに女神様に、今年もありがとう的な感じでまとめを報告をする訳か。
普通の人だと、まぁお祈りを捧げて報告をして、それで終わる。だが俺はそうも行かなさそうだが。
俺が女神様に呼び掛けたなら、我らが女神様は必ずお応えになられるだろう。酒瓶持って行った方が良いか?
「確か奥様は、レリクィア教会がご出生地だと聞いたが」
「うん、お母さんがそこでおつとめをしてたからね。そう言えば、お母さん元気かなぁ……」
と、不意にアリアさんの声の明るさのトーンが下がった。
見ると眉は下がり、視線も落ちて、さっきまでずっと続いていた陽気な様子が、一時的だろうとは言え、陰った。
「お母さんとの面会、まだ許可が出ないの?」
「うん、そうなの。結婚式も見せてあげられなかったし……せめて今年の内に、顔だけでも見たかったわ……」
肩を落として、随分しょんぼりするアリアさん。
何とかしてあげたいとは思うものの、王宮内医療区画は俺も行ったことすらない。場所も知らない。
しかも、医療区画が面会を許すにしても、さすがにこの時間はあり得ないから、今から行って交渉とかもナシだ。
「アリアさん。年明けたら早い内に、何かお土産持ってさ。新年の挨拶だからって事で、面会を要請してみたら?」
「そうね、今年はもう1時間ちょっとしかないし、諦めるしか無いわよね……うん。諦める」
アリアさんが、はぁーと言いながら目をつむり天を仰いだ。
「今年も終わりかぁー。早かったなぁ、特に後半」
俺も何となく、アリアさんの見ているものが見たくて、同じように天を仰いでみた。
「ねー。俺、11月のあのドタバタは、きっと一生忘れないと思う。人間世界が魔族との融和にほんの少しだけ、近づいた生の瞬間だったもんね」
「そうよね、サリアクシュナ特使はもう魔族領入り出来たのかしら。反乱軍は、相変わらず砦からオーフェン側へは全然出て来てないって聞くし。通れないじゃない、邪魔よね」
「王宮で聞いた噂話程度だが、どうもローリスを経由しその後北東の砂漠を強引に突っ切ってエルクレア入りするルートを模索しているらしい。実現は厳しいと思うのだが」
フェリクシアさんがいつも通りの無表情で言う。
とは言えこの無表情、感情が乗るとすぐ崩れるのは知ってるので、堅苦しくは感じない。
「ま、オーフェンの動き次第では砦も解放出来るし、まだ待ちだね。年越し案件だ」
「そうだな。オーフェン絡みの事柄は、あれもこれも未完結の事柄ばかりで、どうもこう、むず痒いな」
フェリクシアさんが早速表情を変える。眉を寄せ、目を細めている。
「ただ俺、今日ばかりはオーフェンの事は忘れたい。いやアレか、その告白室では思い出す羽目に遭うのか。うーむ……」
「やめとく? シューッヘ君が気乗りしないなら、良いんだよ?」
「いや気乗りしない訳でもないんだけど、25時までに切り上がるかなぁと……女神様と話が弾んだら、さ」
「あっ、そっか。女神様に一方的に報告して終わり、じゃないもんねシューッヘ君の場合は」
「そう、そこ。いやあの時さ、女神様もノリノリで大活躍だったじゃん。間違いなく話弾むと思うんだわ」
「そうよねぇ、女神様こそ当事者でいらっしゃったんだし。そうしたら、時間を決めておいたら? ちょっとご無礼に当たるかも知れないけど」
「んー、そうするか。ただ、その告白室? は、時計はないんでしょ? 持ち歩ける時計なら目覚まし時計になっちゃうから、鳴らすと凄い音だから他の人に迷惑かかるし」
「そこはご主人様、人間より格上である女神様に、時間の管理はお願いすれば良いのではないか?」
「女神様アラームか。お願いして御機嫌悪くなさらなければ良いんだけど」
『御機嫌なんてその程度の事じゃ悪くしないわよ』
突然の御声に、立っていた俺は素早く膝を折り、向きをホール奥の壁に直して頭を下げた。
俺の動きで何があったか悟ったフェリクシアさんが続き、最後にアリアさんが少し優雅に、ふわりと膝を折って屈んだ。
『堅苦しい事は無しで、ね? 場所も別に教会でなくて構わない。けれど一年のまとめは聞きたいわ』
えっ。つまり、ここでそれをしろと言う事?
『そういう事ね。でも恥ずかしいだろうから、結界の中に閉じ込めてあげる。そこなら、誰にも見えないし、聞かれないでしょ?』
「ねぇシューッヘ君、女神様は何をなさるの? 結界に閉じ込めるとか……」
「端的に言えば、ここで一年のまとめを報告しましょうの会、という事らしい。報告の時には、結界で囲って、恥ずかしく無いようにするからってことのようだよ」
女神様の御声が聞けないフェリクシアさんにも分かる様に、何が行われるのか、なんで結界なのか、というのをざっくりまとめて言葉にした。
「なるほど、女神様がお作りになる結界は見たことが無いが、さぞ万全なのだろう」
『今回もだけど、話が通らないのがワタシ的に不便で仕方ないから、端末を出すわ』
言われてハッと机の方を見ると、ずっとそこにあったかの様に、一度見たことのあるタブレットがテーブルの端に出現していた。
「フェリクシアさん、女神様がフェリクシアさんにも御言葉が伝わるようにって」
俺は机のタブレットを指差した。
「こ、これは誠にかたじけない。一度ならず二度もこのような機会を頂けて、感謝に堪えない」
フェリクシアさんがパッと立ち上がり、素早く椅子を動かしてタブレットの前に据え、腰掛けた。
そしてそのまま、タブレットをじっと凝視し始めた。……タブレットの方を椅子に持ってきて手で持てば良いのでは? まぁ別に良いんだけど。
「えーと……俺の、この普通の言葉も、その端末に出てくるの? フェリクシアさん」
「ああ、今話した言葉が一語の漏れも間違いも無く、この光るガラス板に映し出されている。今私が話している事もだ。1秒ほどのズレはある」
1秒の間に文字起こしか。凄いな、AIでも積んでるのかな、あのタブレット。
まぁ、声に出さなければ記録はされないだろうから、そこはそれだな。
「女神様、思いっきり不躾な事を申し上げて良いですか?」
『あら、改まって何よ。あなたの言う不躾とかって、大抵大した事ないのよね。大げさ。酒でも飲みながらまとめたい、とかかしら』
「ぎゃう! な、何故そこまで。俺、酒のことは薄らボンヤリしか考えていなかったのに……」
『別に考えを読んでじゃないわよ。あんたのいつもの行動パターンから簡単に推測出来るわ。
酒、いいわよ。年が明けるまでに報告を終えるのが慣わしだから、多少ぐだっても構わないし。まだ24時だからね』
女神様が今日は何だかお優しい。
『今日はって何よ、今日はって』
「今のは考えを読んでですよね。慣れましたけど、ちょっとヤです」
『まー人間のワガママなこと。でも良いわ、今日は大晦日。全ての清算の日。無礼もチャラよ。
フェリクシア。椅子と酒、それに、酒を置ける台をあなたの主人に。あんたは、今の樽の中身を私に捧げなさい』
俺は頷き、立ち上がった。1秒のラグがそうさせたのだろう、俺に一拍遅れてガタッと椅子を引いて立ったフェリクシアさん。
樽まで歩を進め、樽前に立つ。うん、俺の手、魔力は変に溜まったりしてないな。安全。
樽の横腹を叩いてみると、中身がまだ相当ある事が、叩いた時の響きで分かった。
「女神様へ、この樽の中の酒を」
「ちょっと待ってくれ、ご主人様」
「うぉ?!」
突然俺と樽の間にフェリクシアさんが割って入ってきた。
「今樽の中身を全て捧げてしまうと、ご主人様の分の酒が無い。今ピッチャーとグラスと、つまみも用意するので、少しだけ待って欲しい」
言われれば確かにそうか。
フェリクシアさんがキッチンにダッシュしていったと思えばすぐ帰ってきた。手にはピッチャー、もう片手には皿とワイングラス。
俺は一歩下がった。そこへフェリクシアさんがスッと入り、樽からピッチャーに酒を注ぐ。更にグラスにも注いだ。
見ると、女神様の場所として俺が勝手に定めているホール奥の壁から少し手前の所に、アリアさんが椅子を運んでくれている。
「助かる、奥様」
「他に出来る事は?」
「菓子にナッツを混ぜて皿に出してくれ。外のはもうナッツが全部拾われてる」
「え、えーと……続けて良いのかな?」
俺が言うと、二人が俺をじっと見て、強く頷いた。
そうか、俺の「一年のまとめ」の環境作りの為に動いてくれてるんだもんな。
俺は、俺にしか出来ない事の続きをしよう。
「改めて、女神様に樽の中の酒を全てお捧げします」
跪き、頭を下げる。
顔を上げて樽を見ると、大きな樽全体から、キラキラした光の粒の様な物がふわふわと出て来ており、しばらくそれが続いた。
『思ったより量があるわね。受けきれない程ではないと思うけど』
「まだワインならこのサイズの樽で12樽、強いのなら8樽ありますけど」
『一度に飲む量じゃ無いわね。今回はこの樽の分だけで十分よ』
どうやら量はご満足頂けたらしい。
俺は、アリアさんが用意してくれた椅子に進み、腰掛けた。
真っ正面、女神様スペースと見立てた所を見据えて、ちょっと深呼吸。
と、俺の横にベッドサイドテーブルの様な小さな棚をフェリクシアさんが持ってきた。
それに引き続き、ワインに満たされたグラス、スープ皿一杯の「柿の種風」、それにおしぼりが、その棚に乗せられた。
『じゃあ準備は良いかしら? 結界で包むわよ』
その御言葉を合図に、スーッと光がトーンダウンしていき、やがて真っ暗闇になった。
「女神様、これ、酸素もちます? 酸欠死とか勘弁ですよ」
『いやぁねぇ。あなたが作る融通の利かない結界とは、ひと味もふた味も違うわよ』
「なら良いんですけど。ちょっとお酒の力借りまーす」
俺はそう宣言して、慎重に手を伸ばした。想定した通りの場所にグラスがあり、つかめた。
そのまま口まで運び、一気に呷る。
うむ……赤だがスッキリとした口当たりで、酒初心者の俺にも飲みやすい、いつも飲んでる味だ。
今回の酒は、ふるまい酒をはしごする人を想定して、あまり強い味で無いのにしようと考えた。
その結果行き着いたのは、酒にまだそこまで慣れていない俺が晩酌に使っているワインだった。
まぁ……凄い大樽で来たのは、完全に想定外だったが。12樽も残してしまったが、どうすりゃいいのやら。
『あんた、心の中で話しても私に伝わらない事も無いけど、口に出すのが年越しの告白のしきたりよ?』
「あ、そういうものなんですね。失礼しました。では……」




