第41話 俺ほど馬に蹴られた方が良い馬鹿もいないと思った。
「陛下っ、本当に、もう良いですから! 私の事はもうお忘れになって、いなかった事になさって下さい!」
震えが少し落ち着いて来たか、次の鍵は真っ直ぐ鍵穴に入ったようで、単にカキッと、また鍵が合わない音を立てるだけだった。
「サリアクシュナ。儂はな……都合上愛妾にせざるを得ないのだが、お前の事は妃だと思っている」
「だったら尚更! 王を騙した妃は、どうかご処刑を……あなたにそんな顔をさせてまで、鍵なんて……」
サリアクシュナさんの言葉に王の顔色をのぞき見ると、白い。壁の白とはもちろん違うが、人の顔色ってここまで白くなるんだ、って程白い。
ローリスでもオーフェンでも、肌の色の違う人間はいた。けれど、多数派は俺と同じような顔色を元々はしている。だからこそ、俺がローリスに溶け込めるのも早かった。
だから日本人感覚で、肌色は理解出来る。その判断で見て、あの顔色。両膝を付いて前のめり。その姿勢でずっと鍵と戦っている。いつ倒れても不思議じゃない。
だが、あれだけ異常に蒼白な顔をしつつも、さっきから何本も鍵を試しては次、試しては次とやっている。
そっか、ようやく、俺にも分かった。あの時……オーフェン王の前で正体が暴かれた時は、サリアクシュナさん、強がってたんだな……
言葉にするサリアクシュナさん。
言葉よりは行動、合わない鍵とあくまで格闘してでも、そのサリアクシュナさんを檻から出そうとするオーフェン王。
何だか……愛妾と言われて浅薄な事しか浮かばなかったが、普通にお似合いのカップルじゃないか。
もちろんそれはあくまでも、この世界で魔族と人間の交際が「あり得る事」であるならば、なんだが……
その時、違う音が響いた。カチャンカーン。キィー……そんな音を立てて、柵状の扉がゆっくり開いた。
と、懸命に鍵穴と戦っていたオーフェン王が、横倒れに倒れた。ドサッと重たそうな音と共に。
「陛下っ!」
「近寄るな魔族! ぶ、文官の私には何の力も無いが、陛下はお守りする!」
『あらあら、慕われているわね、ワイルドブーフーは。私が顕現している中では、私がルール。忠心は微笑ましいけれど、下がりなさい』
「か、神よ! しかし、王を欺き、しかも4年に渡り! 許されるものでは無い!」
『つい先ほど人間にも発言の機会を与えたわ。その時は言わず、今になって言い出すのは、私への反逆。許さないけど良い?』
「くっ……ローリスの邪神め! 私はここまででも、いずれ魔族とローリスの邪神、共々に人間が討ち取る日が来るだろう! せいぜいそれまでの天下を楽しんでおけ!!」
『演説ごくろうさま。それじゃ、あなたはここまでね』
その御言葉の瞬間、倒れた王と、ようやく檻から出たサリアクシュナさんの間に立ちはだかっていたその人は、ふらぁっと何歩かよろめいていって、そのまま崩れるように倒れた。
「神。ありがたいって言えばありがたいけど、自力で人間1人くらいなら、この姿なら倒せるし。わざわざ殺さなくても良いのに」
『今回は殺してないわ。無茶苦茶眠いだけ。幸い綺麗に倒れてくれたから、怪我もしてないでしょう』
「今回"は"ねえ……あんた、人間から邪神呼ばわりされて、それでも別に良いの? 不敬の人間は死、なのに?」
『私なりに線引きがあるのよ、これでも。神を畏れて出た暴言は良いの。神に刃や指を指し向けたり、軽々に扱うのはダメ。分かりやすいでしょ?』
「だったらあんたの横か後ろに、そう看板でも立てときなよ。凄い数死んでんじゃん、そこら辺とか」
サリアクシュナさんは牢から出て立ち上がり、その白い爪の付いた赤い指で、右側席の方を指さした。
『仕方ないじゃない。端的に言えば、あなたのワイルドブーフーより愚か』
「ワイルドブーフーって呼ばないで!!」
サリアクシュナさんの叫び声は轟く程の大声で、女神様の御声すらかき消した。
「あたしの王様には名前もあるし、ブーフーみたいに四つ足でも無いし! あぁ、陛下……」
邪魔者が昏倒していなくなり、サリアクシュナさんは倒れた王の横に駆け寄った。
王が膝の上に乗せていたバスタオルを、サリアクシュナさんは愛しそうに抱きしめ、それから身体に巻いた。
見るからにぐしゃっと倒れてしまっている王の姿勢をサリアクシュナさんは直し、何度も陛下、陛下、と声を掛けている。
『あらまぁ、なんて微笑ましいんでしょう、特使《様》?』
「陛……あのさ神、あたし、まだそれ受けるなんて一言も言ってないんだけど」
『じゃ、受けないの? そうしたらさすがに、魔族領に戻ってもらわないといけないから、王様とはお別れね』
「う……で、でも! 受けたところで、どのみちあたし自体はこの姿だし、この都市に居られないでしょ?!」
ちょっとキレ気味なサリアクシュナさん。
『幾つか方法はあるわ。選んでもらう程度しか無い、とも言えるけど。あなたと王様が一緒に、ずっと居られる方法。知りたい?』
「し……知りたいっ」
怒り気味な雰囲気だったサリアクシュナさんだが、女神様が笑顔で指をひょこっと立てて仰ったその御言葉に、荒いテンションが一転した。
『一つ。あなたをそもそも人間にしてしまう。一つ。破れた魔王の変化魔法を復活させて人間姿に戻る。一つ。その姿のままで居られる様にオーフェン側を変える。さあ、どれかしら』
指を3本お立てになった女神様が、変わらずにこやかに、サリアクシュナさんに問いかけた。
「そ、そりゃあ、あたしだってこの姿のままでいたいし、サキュバスで無くなるなんて嫌。でも、あの痛む目でいるのも嫌だし、あの目じゃ活動なんて何も出来ない」
『そうよね。新たに変化魔法で、目の怪我の無い状態を作れれば良いんだけれど、私あなたの元の姿、見てないのよ、一度も。さすがは魔王様、ってところかしら』
「見てないって、ローリスの神なんだからローリスしか見てないのは当たり前じゃないの? 他国まで覗き見してんの?」
『覗き見じゃなくて偵察ね。そこの英雄ちゃんがオーフェン入りする前に。その時国王の周辺も時間を掛けて観察してたけど、見えてないのよ、あなた』
「見えてないって……陛下の事は見えても、あたしが見えないって、そういう意味?」
『そう、そういうこと。神に対する認識阻害でも掛かってたのかしらね。英雄ちゃんの美容コースで突然何か出て来たから、私の方が目を疑ったわ』
美容コース、という言葉が出た瞬間、サリアクシュナさんが俺をギロッと睨んだ。
睨まれて、当然、だな……
思ってしまう。
4年間もの間、人間同士として平和的に過ごしてた、仲睦まじいカップルを、だ。
反魔法の照射を浴びせて無理矢理その正体を暴き立てて。その仲を引き裂いて。
これで、王がげっそりしてるとか、意識を乗っ取られてるとか、そういうのがあるならまだしも。
何も無く、王と愛妾という世間からは微妙にウケの悪そうな、けれどそうしか出来ない不自由さもあっただろう。
その不自由さの中で辛うじて『二人の絆』が外からのバッシングも何もはねのけてたんだと、俺は思う。
それを、俺が……
ことわざ、あったな。狂歌かもだけど。
【人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ】
全くだよなぁ……当事者からすれば、俺の方こそ死ねバカアホと罵られても文句言えない。
さっきの文官の人みたいに、あくまで今の人間社会サイドに立てば、俺の行為は正当かも知れない。
けれど、もう少し深く、絶対的に正義であったか? と思うと、俺自身困惑を禁じ得ない。
魔族の方が、文化的に進んでいるのは、権利の擁護意識の高さからして、明白。
人間が魔族を受け入れなくても、逆に魔族が人間を受け入れる事なら、下手すれば普通に起こりそう。
それこそ、人間の居住区域を魔族領の中の自治区辺りにした方が、人間側の文明の進歩にすらなるだろう。
だが……
ローリスでもそうだけれども、長年の、積年の恨みみたいなものが全く無ければいいのになぁ……
支配されていた時代の恨み・憎しみがあるからこそ、魔族は決して許せない、一歩も譲れない絶対的な敵であり、滅ぼす対象なんだろう。
……あれ?
いや待てよ?
確かにローリスは、魔族の支配下で魔導水晶採掘場の奴隷扱い、みたいな話を聞いた。オーフェンは?
いやいや、仮にオーフェンでも同じだったとしたとしても、今のオーフェン王の時代で、直接被害を受けるか?
この世界に来た頃に聞いた、三国同盟があって、魔族領と直接領地が接触していて軍事の強いエルクレアが防壁になって……
もうそのエルクレアは魔族領に飲まれて、それでようやく今日、アッサス将軍の部隊が魔族側の戦闘部隊として現れた。
となれば逆に、エルクレアが健在だった当時は、ローリスもオーフェンも守られてて、魔族の直接の侵攻を受けていないんじゃないか?
もしそうなら、今のオーフェンで魔族との融和を言い出したとしても、そこまで強い反発は受けない様な気がするが……
『シューッヘちゃん。ようやく考えが追いついてきたみたいね。だからこその、サリアクシュナ特使様、なのよ』
あー、あーっ、そうかっ、なるほど! だからオーフェン発で魔族の中でも人型のサキュバスを特使にする話、なのか!
そうなると、見た目は寧ろサキュバスのままで、語り口調とかをもう少し、つい少し前までの人間姿の時くらい丁寧にすれば……
「ちょっとあんた。何変にきらきらした目であたし見てんのよ。あんたも女神と同意見で、あたしに特使やれっての?」
「あ、ああ。俺はサリアクシュナさん、あなたが魔族と人間の間に入れば、もしかすると世界が、いや部分的な世界かも知れないけれど、もっと良くなると思う」
「その『良くなる』は人間にとって、単に『都合が良くなる』の良くなるでしょ? あたしら魔族に何のメリットがあんのよ」
「それは……あっ、例えば俺だけでも、魔導水晶を掘れる。魔族が魔導水晶を使うのかどうかは知らないけれど……」
「はぁ? 魔導水晶なんて危険物、掘ってもらっても専門家じゃなきゃマトモに扱えないわよ」
「えっ? ローリスじゃ普通にって言うか、魔導冷庫にも、照明にも、他にも色々な用途で使ってるけど……」
き、危険物? そんな危ない物だっけアレ。
「そりゃ、都市照明とか大型冷凍室に使うような安定結晶体なら、まだ分かるわ。でも何? 魔導冷庫? あのサイズを、魔導水晶でやってるの? 人間は」
「う、うん。俺の屋敷にも、こう、これ位の大きさの魔導冷庫が2台ある。魔族にもそれ位の技術レベルがあるんだろうと思ったけど、違うの?」
「技術の問題じゃ無いわよ、魔導冷庫程度の機能に合わせる様な小さな欠片じゃ、あの粉体が出るじゃない。その猛毒性をどうするかってこと」
「粉体? え? ど、毒性……?」
聞いて知っているだけの俺は言葉に詰まった。
すると、俺の後ろの席から、フェリクシアさんの声がした。
「私が答えよう」
「あんたは? メイド?」
振り返ると、フェリクシアさんが立ち上がって、サリアクシュナさんを真っ直ぐ見据えていた。
良かった、フェリクシアさんは魔族憎しに染まっている雰囲気では無い。女神様の御意向も、理解してくれるかも知れない。
「ああ、基本職はメイドだ。ローリスに於いては、上級の魔導師でもある」
「ふーん……で、メイドならその魔導冷庫の仕組み位は分かるわよね。何使ってんの?」
「屋敷にある2号と呼ばれる比較的大型な魔導冷庫では、統一規格として、縦横5ミルレムの正方形に加工した、厚さ3マリルミルレムの板状魔導水晶が、駆体1つにつき2枚搭載されている」
フェリクシアさんが胸元で小さい正方形を描く。
……ミルレムは確かセンチとほぼイコールだから、縦横5センチか。小さいな。
マリルミルレムってのは初めて聞くけど、多分その下の単位、ミリメートルかな。
つまり、分割タイプだけれどデカい、あの2号の魔導冷庫は、そんな薄板4枚でフル稼働してる訳か。凄いな。
「5ミルレム? えーと……分かったわ。単位が違うと迷うわね。え? じゃ今でもローリスは、5ミルレム以上の一枚板がどれだけでも取れるだけの、大きな結晶体を採掘出来てるの? ローリスからはもう採れないように、過去の魔王様が尽力されたって聞いてたけど」
「そんな大型の結晶体は当然採掘出来ない。いや、ご主人様……英雄様なら、掘れるかも知れないが。基本的には、過剰使用時に出る粉末を、圧縮して固めた物を使う」
「はぁぁぁ?! あんなヤバい危険物、人間の技術力で扱えるっての?! ウソでしょ? あり得ないわ」
「き、危険物? 別段あの粉末が危険だとは、聞いた覚えが無いが……」
フェリクシアさんの目に、戸惑いの色が濃く出た。
たしか魔導水晶って、使いすぎると粉吹いて、その粉を各国まで集めて回って、ってのがローリスの主産業って……言ってたのはヒューさんだっけ?
「はぁぁ……。呆れるしかないわね。あの粉体は他の何とも違う、異質な物よ。触れても、吸い込んでもヤバい。布越しだろうがなんだろうが、ヤバい。そんな代物よ」
フェリクシアさんが困惑顔で目をパチクリさせている。
それはそうだろうな、俺もその粉末がそこまでヤバいなんて話は聞いた事が無い。
それに、布越しでもダメ? 吸い込んじゃダメな物は色々普通にありそうだけど、布越しで触れてもダメなの?
俺自身はその粉を見た事がないけれど、布の目を抜ける程に細かい微粉末なのかな、接触毒性のあるような。




