第16話 悩み尽くした末にあったのは、こんなことまでやっぱりヒューさんに助けられてしまったってことだ。
扉の外で、ヒューさんがさっきから俺を呼んでいる。入って良いかと聞いている。
けれど俺は、完全に無視している。因みに入れないように、ドアノブには暖炉に掛けてあった棒を立てて止めておいた。
俺は、最低だ。
アリアさんが「やらかした」のが理解出来た時、そして罰を与えられると分かった時。
俺は想像した。想像だけじゃないかも知れない。願ったのかも、望んだのかも知れない。
もしここが日本だったら、そんなの単なる妄想に過ぎない。妄想だから良いって訳でも無いけれど、
妄想は決して権力は持たないし、実現することも無い。単なる頭の中の遊びの様なものだ。
けれど、今回の『妄想』は、そもそも妄想と言って良いのかすら分からない。実現可能な願望……なのかも知れない。
貴族が、平民に対して色々無茶を言って、その人の娘を取り上げていったり。その人を犯したり。
物語の中だけの話、のはずだった。この異次元の世界に来て、貴族位がどうのとなる前は。
「シューッヘ様、失礼を承知で入らせて頂きますぞ!」
ひときわ大きな声でヒューさんが言ったのが聞こえた。そして、俺が籠もっているベッドの横、部屋の中央に、突然ヒューさんは現れた。
きっと、転移魔法とかそういう類のものだろう。ドアは閉じたままだ。
「シューッヘ様。アリアの件では、ご不快な思いをされた事と存じます。しかしシューッヘ様、ここまで落ち込みなさる程の事があったのですか」
ヒューさんが問うてくる。そりゃそうだ、アリアさんは別に悪くない。
この国のマナーとか、貴族のルールでは「悪い事」をしたのかも知れないが、そもそも貴族なんていなかった世界から来た俺にとって、アリアさんが言ったことが何か悪い事とも思えない。
「ヒューさん。俺……貴族になりたくないです」
「それは如何なる理由にてございますか。シューッヘ様のお悩みに寄り添うのも、シューッヘ様よりただ長らえてはおりまするヒューの役目かと。何でも仰せ下さい」
ヒューさんが俺のベッドの横まで来て、膝を折る。
さすがに転がったままでは失礼だなと思い、身体を起こした。
「貴族になったら俺、きっと自分の欲望に負けます。罰の件も……」
「アリアの件ですな。シューッヘ様は、何か罰する事を強く嫌悪されておられる様にお見受け致します。されど、規則に反する者に罰があるのは当たり前の事です」
「確かに、殺人とか強盗とか、犯罪にはそういう罰が付いてきても当たり前だと俺も思います。けれど、貴族の……あ、でも」
ふと思いついた。幾ら罰を与えるとかって言っても、規則があるってことは、その刑罰も、日本だったら懲役と死刑、みたいな感じで、「何でもあり」じゃない。
そもそも俺の欲望をどうこうなんてのは、規則が許さないかも知れない。
「ヒューさん、貴族がその……アリアさんを罰するって言っても、何を命じても良い訳じゃないですよね?」
「いえ、貴族の方のお気の済むように何でも。百叩きなり、首晒しなり。その場で斬り捨てることも規則が許します」
……甘かった。この世界の貴族の力って、とんでもないんだな。
だからこそ、俺の……今回は思いとどまる事が出来たが、欲望を我慢できる気がしない。
俺は全然、聖人君子なんかじゃない。単なる若いだけの、我慢も知らないガキだ。
「シューッヘ様、恐れながらこのヒューお察し致しますに……アリアを手込めにしたかったのでは?」
ぶはっと俺は思わず吹き出してしまった。余りにストレートに図星だったからだ。
「やはり左様にございますか。規則の上では、それも勿論可能ではございますし、死罪とそれとどちらが良いかと迫れば、まず間違いなくアリアはシューッヘ様の自由に出来ましょう」
ヒューさんは、ひとつコホンと咳払いをした。
「若き貴族ともなれば、皆誰しも一度は、ハーレムの様なものを手にしたいと思うものでございます。
シューッヘ様は健全にお若い。それだけの事でございます。何も思い悩まれる事ではございません」
と、断言する口調で言った。
「でも俺……」
「まぁまぁシューッヘ様。シューッヘ様は実際に手を出された訳でもございません。立派にご自制なさったのです。それで十分ではございませんか」
ヒューさんが笑う。馬鹿にされてる感じは全く無い。
人生経験豊富な人が、小さな事を笑い飛ばしている……そんな印象だ。
「その……貴族でそういう事しちゃう人って、いるんですか」
「おりますともたくさん」
ぶはっと、また俺は盛大に吹いた。
「たくさん?!」
「ええ。貴族男子はその家の繁栄を誇るためにも、たくさんの妻や妾を持ちます。街の娘としても、中にはその様な玉の輿を狙って貴族にちょっかいを出し、孕んだといって妾の末席に滑り込む者もおります」
「えー……」
俺はベッドに入ったまま、天を仰いだ。俺がこれをする時って、大抵頭の理解が追いつかなくなった時だな。
うん、自己分析は出来てる、まだマシだ。
「若い貴族の人たちって、その辺り……どうしてるんですか?」
「貴族専用の夜伽屋がございましてな。まぁ若い貴族は概ね皆、少なからず世話になっておりますよ」
はっはっと口を開いてまた笑う。
日本とは貞操感とか、かなり違うのかも知れない。
日本だと、風俗はちょっと「よくないところ」みたいな扱いをされがちだけれど、夜伽屋、なんて堂々とソレな名前が付く位だから、それはそれで立派な、社会に認められた職業なのかも。
「早速今宵、呼んでおきますかシューッヘ様」
ぶはっと。もう3回目だ。
異世界はイコールで異文化、というのが今更ながらに理解出来た気がする。
「あの……お、おねがいします……」
声は消え入るようになってしまった。
俺は、男になる事にした。
***
昨日は忙しかったなぁ……
まずあれから、王様主催の晩餐会があった。貴族の人たちがとにかくたくさんいて、リアル中世ヨーロッパだこれ、みたいな衣装でとにかく派手。
俺の衣装も派手。着替え係が3人部屋に来たくらい豪勢で面倒な衣装。中世ヨーロッパと違ったのは、変なかつらだったり髪型だったりした人がいなかった事くらいか。
パーティーの定番の酒は、とても弱いことをここに来るまでに思い知ったので、ヒューさんに付いてもらってグラスには常にハーブ水か果実ジュースをお酌として受けた。
英雄職からの貴族、という新しい「俺」に興味津々な人はかなり多く、相当たくさんの人からあいさつを受けたけれど、全然覚えられなかった。
途中、王様に呼ばれてテラスへと出た。王様からは、この国に永住して欲しいと言われた。
なんでも、英雄職は大抵、一国に留まらずあちこち行ってしまって、たとえ貴族位を与えてもなかなか留まってはもらえないんだそうだ。
俺は永住云々まで考えてもいなかったので、この国は好きです、とだけお伝えした。王様は少しだけ残念そうに笑っていた。
晩餐会の後半で、ヒューさんに連れられてお風呂。というか一緒に入った。カタレアの時にも思ったが、この世界はバスタブもシャワーもあり、ちょっと香りとか弱めだけどシャンプーもある。
特に風呂好きという訳でもないけれど、異世界でも休息タイムが普段通り、というのは気持ちが楽になる。
ヒューさんの背中には、幾つもの傷跡があった。大きいものだと右肩から腰の辺りまで一筋に。きっと、傷の一つ一つに色々な思い出があるんだろうな……と思いながら湯船に浸かって話し込んでいた。
少しのぼせた感じで湯上がりのローブに着替えて部屋に戻ると、ベッドが花だらけだった。
香油の類でも焚いたのか、香りもとても甘い、けれど甘すぎる訳でもない柔らかい香りが満ちていた。
照明も薄暗くしてあって、ふと見るとベッドの横のイスに、しなっともたれ掛かるようにしていたあの
「昨晩はおたのしみでしたかの?」
ぶっと吹き出しそうになったが今度ばかりは我慢した。
丁度思い出してる最中に聞いてくるヒューさんって!
「あー……はい、とても。俺、実は初めてだったんですけど、その、安らぎも……するものなんですね」
「そうですな。男など、所詮女がおらねば半人前の枠から出られませぬ。男ばかりでは得られぬ喜び、安らぎ、楽しさ、愉楽。それらを得て、男はいっぱしの『男』になっていくものでございます」
何か悟り人の様なヒューさんの目が、何だか深い。
きっとヒューさんも、若い頃はモテたんだろうなぁ。そういう「境地」を理解してるって事は。
ヒューさんは、俺の好みすらもう把握していた。
アリアさんの様な明るさと、豊満過ぎないボディに、リムさんみたいな可愛らしい声。
目がキラキラした、可愛い子。まさにストライクゾーンど真ん中。
そしてその子は、不慣れな俺を馬鹿にする事もなく、優しくリードしてくれた。
元の世界でも、そういう雰囲気の女子ばっか好きになったけど、告白とか出来なかったなぁ、陰キャ過ぎて。
「さて、昨日は色々と夜までお忙しかったですが、本日はいかがなさいますか」
「えーと……俺、アリアさんに、罰しないよと。正式にそう伝えたいです」
俺は、昨日までのうずうずした心から解き放たれて、ハッキリそう伝えた。
「それは、困りましたな……昨日も申しましたが、規則を破る者には、罰が必要でございます」
「うーん……罰の内容は、俺の気が済むなら何でも良いんですよね?」
「はい。それが貴族憲章、市民憲章に共通して記された『罰』の中身です」
「それじゃ、アリアさんを俺の、専属の魔法の先生にしたい。これならどうです?」
昨晩、寝る前に考えたんだ。何かを強制的にさせれば、それで罰になるんじゃ? と。
「ほう、そう来ましたか。確かに、働き口を奪う『罰』にはなりますな」
「ただ、アリアさんは病気のお母さんがいると言っていたので、適切な給金は支払いたいです。俺、この国のお金は持っていないですけど……借りる事とかって出来ますか?」
「お待ちください、それでは罰になりませぬ」
「いえ。俺が俺のわがままで、働き口を変えさせるんだから、罰です」
「う、うぅむ……シューッヘ様も、存外頑固でいらっしゃいますな」
ヒューさんが頭をかく様な仕草をした。顔は大分困り顔だ。
「英雄様は、もちろん私的な金銭も所有出来ますが、基本的に英雄様に掛かる全ての費用は、国家が負担致します。
これはどの国でも古くから、英雄様をお迎えする際の基本事項として伝わっていることにございます」
ふんふん、と俺が頷いていると、
「故に、アリアの雇用も、英雄たるシューッヘ様が個人的にお雇いになるのであっても、国庫負担となります」
「国庫、という事は、国家予算で、という事ですよね?」
「左様にございます。ですが難しいことはお考えなさらずに、自由になさって下さい」
と、ヒューさんは言う。
けれど……国家予算は、市民の人たちが働いた血税で、俺一人が勝手な使い方とかして、ホントにそれで良いものなのか?
少し悩んでいると、
「わざわざ言うようなものでもございませぬが、昨晩の夜伽も国家予算から出ております。勘定項目は『英雄様諸費』としてございますが」
あぐぁ!
俺の本当に個人的な「おたのしみ」を、国家予算に付けてしまった!
「まぁ、かのようなものも当然の如くに国家が持ちますので、アリアの雇用についてもどの位の給金を与えるか、お考え頂ければと存じます」
俺は頷いた。俺の意見が通って、アリアさんも傷つかない。
意識してなかったが、口角が上がって、にまにましてた、俺。
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