第38話 美しき黒幕、来たる。
俺の『演説』が終わって、俺は着席して。
しばらくは静寂が続いた。王は微動だにせず、後ろも静まりかえっている。
と、パチパチと1人が拍手をした。そこからパラパラと拍手は広がり、次第にそれが全体となった。
良かったぁぁぁぁぁぁ、演説、思いっきり外したかとヒヤヒヤしたわー……
俺は出来るだけ目立たないようにすっと立ち上がって、身を低くしたまま国王への段を半分ほど登った。
一瞬拍手が弱まったが、真後ろ、俺の仲間達が拍手のブーストを掛けてくれて、全体の拍手消失にはつながらなかった。
「オーフェン陛下、借り一つ、今お返ししましたよ」
「ふっ、ローリスの英雄は世界の英雄となるか。もう少し利子が貯まるのを待ちたかったな」
おお、このオッサンもう十分に元気だな。小声でも言う事は言う。
貸しに利子がセットになってる辺り、生粋の商人だ、本当に。
「ふうっ」
俺は再度席に戻り、仲間達の方を振り返った。
アリアさん。
「良かったよ! 頑張ったね!」
フェリクシアさん。
「ご主人様に政治家の才能がおありとはな。お見事だ」
デルタさん。
「わぁぁー、わぁぁぁーー」
イオタさん。
「ふん、思いっきり外して斬首されれば良かったのに」
ヌメルス将軍。
「ふぁっはっは、見事だ、見事だぁ!」
オアシス大使。
「これからの対応が……胃が痛いですね」
てかイオタさん無駄に手厳しいんだが俺何かしたか?!
デルタさんはなんか拍手人形になっちゃってるし。
まぁ何にしても、この拍手を陛下がどう活かすか、だろうな。
しかしその思いも虚しく、拍手はあるタイミングでサッと引いた。
王の横に据えられた檻の中のサキュバスが、内側から檻を叩いた。
同時に、うめき声とも叫び声とも付かない声を上げて、檻にしがみついている。
会場は、再び凍り付いた。
そして、俺の右後ろから、壮年男性と思われる太い威厳のある声が、ゆっくり、堂々と響いた。
「陛下はその魔物を如何に致すおつもりですかな?」
厳しい設問だ。
4年間も一緒にいては、今の姿を見てもそれまでの『儂の愛妾』の姿がかぶるだろう。愛着は切り捨て難いものだ。
即この場でザックリ斬り捨てる、と言うのが恐らく王権安定の為には最良の方策だろう。だが、果たして……
……
…………
……案の定、だな。
陛下は顔をこわばらせたまま、『英断の一声』を発せられない。
「まさか陛下は、その魔物を生かしておくおつもりか!」
「魔物に心まで乗っ取られた王など、王として認められない!」
あっちゃー……やっぱりこうなるか。
多くの「右側席」から、国王としての資格を問う厳しい声、糾弾する声が聞こえてくる。
「魔法院に検体として回して、解剖しろ! 魔族の弱点をあぶり出せ!」
「王に取り憑いたのだ! 聖魔導師をガルニアから呼んで聖魔法で焼き殺せ!!」
怒りの矛先は、檻の中に囚われたサキュバスにも向く。
ダメか。陛下がサキュバスを安全に取り戻す目も無く、王権を維持する目も無い。
俺の演説も、完全に無駄に終わった。
そう感嘆しているうちに、広間の喧噪は限界に近付いてきた。
どの声も血走り、今すぐにでも魔法を打ち込む輩が出て来てもおかしくない、ヒリヒリする空気だ。
俺は、このオッサンの、女に簡単に騙されて言い様にされる、人間くさいところ、嫌いじゃ無いんだよ。
だがこのまま行けば、そのオッサンも、その女モドキも、この場で討たれておかしくない。
俺に出来る解決は?
何がある? 何か、ある?
[エンライト]強めに打って、目くらましをして2人を連れ出す?
ダメだ、それじゃ単なる亡命者を作るだけで、国は荒れるし、エルクレアとも戦えない。
いっそ王とサキュバスと俺の仲間だけ結界に入れて、女神様の光で全て葬る?
いやいやいや、そんな事したら俺がローリス対オーフェンの全面戦争のトリガーだ。
困った。困った困った、どうしよう、どうすれば、ううう、あああ、ああああああああ!!
女神様!!!!!
『うるさぁぁっい!!! 前にも言ったでしょ!! とんでもなくデカい声出さないでよ! 私の耳にも限度があるのよ!』
ふぇ……あれ、女神様、御姿が。声だけじゃなくて、美しく清楚な白いワンピースに金の腰紐という、いつものファッションで。
えっ? 異国の地で、御降臨?!
「何物だ! これも魔族か!」
「う、浮いてるぞ?! 飛行出来るのか?! 衛兵!!」
俺の横に浮かんでいる女神様に、衛兵が駆け寄ってこようとする。
甲冑がやかましくガシャガシャ鳴る音。振り返ると、槍を真っ直ぐ構えて突っ込んで……ダメだ! これは女神様であって!!
『不敬ね』
女神様が兵士に向かってさっと手を払う様に振られた。
と、兵士の持っていた槍が、突然真っ赤に光り出した。
「熱っ!」
「ぎゃっ!」
兵士たちが持っていた槍を次々落とす。
『しかも、揃いも揃って頭が高い』
冷え冷えしたその声に俺は、自分が椅子に座っていた事にハッとして、急いで女神様を向いて跪いた。
が、時を同じくして周りは既に惨事だった。
重力が余計に掛かっているのか、目の前の、中身の入っている甲冑が、めきめき音を立てながらヘコんでいく。当然甲冑衛兵は抗う事など出来ようも無く地面にねじ伏せられている。
そして、右の席も左の席も皆等しく、椅子から崩れ落ちて頭からつま先まで地面に押しつけられ、一部は折り重なるようになって、もう既に息も絶え絶えに見える。
「こ、こちらの御方は、女神サンタ=ペルナ様です! 皆様最敬礼を!!」
『あんたとオーフェン王はいいわ。身分に免じて許してあげる。あんたの仲間もね。畏まらなくて良いわ』
人々の折り重なりが、ふっと重力から解放されるように、「ふわっ」とふくらんだ。
動ける様になって、立ち上がって声を大にしてた人たちにも、急ぎ片膝を折る者もいた。だが、再び立ち上がって女神様を指差す者の方がかなり多い。
だ、大丈夫かこれ……女神様相当怒っておみえだぞ……
『いい度胸してる馬鹿がたくさんいるわね。そういう人間は、永久に床と仲良くしてなさい』
女神様が左右ぐるっと見回して、パッと手を上に掲げられた。
と。
立ち上がり叫んでいた数多くの者たちの頭が、漏れなくピカッと1回光った。
表面が、ではなく、頭自体が電球のように。
頭を光らせた者たちは、そのまま硬直した形で、バタバタと床に突っ伏していった。
絶命、だろう。恐らく。
『この中に、オーフェン王を退位させたいと思う者はいるかしら』
右側、大惨事だな……。おおよそだが3分の2が「床と仲良し」だ。
椅子に座ってた人は助かっている、これが、6名か。残りの3名は膝を折り、ダラダラと脂汗か冷や汗か、顔中3人とも水浸しだ。
椅子の方も無事という事でも無く、6名中3名は泡を吹いて首があらぬ方向を向いているし、股を濡らしてしまってガタガタ震えている人も2名いる。
左側は? こちらは大臣と呼ばれた人がいた席だから、貴族側でない方、即ち国家運営の人たちか。
向いてみると、ほっ? と思った。倒れている人の方が圧倒的に少ない。貴族席とは対照的だ。
さっきの「ピカッ」の前までは座ってたんだろうな、今まさに続々と、椅子を降りて膝を折って頭を下げている。
『私は親切だからもう一度だけ繰り返してあげる。この中にオーフェン王を退位させたいと思う人間はいるの?』
白亜の間。上から差し込む光。それに照らされる女神様。
まさに神々しく、畏まらなくて良いと言われた俺だが、膝を戻して立ち上がる気にすらなれない。
女神様が御降臨されて、オーフェンでは失礼ながら無名であらせられた故に、若干の悲劇は起きた。
30名とか言われてた上位貴族が9名を残して死を課せられた事は、普通であれば大惨事。
だが、もしペルナ様が本気でお怒りになったなら……うう、ちょっと考えるだけで背筋がゾクッとする。
『いないようね、《人間の》中には。あなたにも決定権をあげるわ、下級サキュバス、リコリシュット・サリアクシュナ』
女神様の思わぬ御言葉に、思わず俺は女神様の御顔を見上げてしまった。
女神様は檻の中のサキュバスを真っ直ぐ見据え、更に指を綺麗なまでに真っ直ぐ指していらっしゃる。
魔族は敵方では? て、敵に聞けば、王は殺せと言うだろう。女神様は何をお考えに……
対して……女神様のお美しい指先の向こうにいるサキュバスは、あれは呆然としているのかな。
目を大きく開いて、女神様を見ている。ちょっとだけ口先が閉じてないのが、人間側の感じるキツい緊迫感とはズレてるように感じる。
『サリアクシュナ。あなたが4年も連れ添って、幾ら下級とは言えサキュバス、性の力を自身の命の源とするあなたが、よ?
壮年、いえ、老年の入口の王の精力からその生命力を吸うんだから、普通だったらあなたの王は、とっくの昔に干からびて、死んでるはずよね。
なんで生かしたの? 精を吸いたい本能に抗うの、相当大変だったでしょう。そこまでして生かせと、命じられた? 違うわよね、きっと』
サリアクシュナは表情を、良くも悪くも変えない。ぽけっとした様子、に見えるんだが、サキュバスの通常の表情とか知らないのでそう見えるだけかも知れない。
ただ少なくとも、魔族の一派であるサリアクシュナ、サキュバスでも、女神様という光の代表格みたいな存在が近くにいても、魔族「だから」苦しむ、みたいな事はない様だ。
『あなたが発言する事を遮るバカはもういないわ。自由に言葉を紡ぎなさい、あなたの【思い】を』
女神様が、それまでとは打って変わってお優しい御声でもって、サリアクシュナに発言を促された。
「……あんたが、神?」
檻の中から、比較的しっかりした声で聞こえた第一声はそれだった。
思わず腰の短剣に手が行きかけたが、目の前の女神様がただ無言で首肯なさっているので、俺が先走ってはいけない事に気付けた。
神様と魔族は、初の遭遇なのだろうか。それとも単に、サリアクシュナとの遭遇が初なだけなのか。
『私は、ローリスを守護領域とする女神、ペルナ。まぁ、女神も男神も神である事には何ら変わりは無いから、神か、と言われれば、そうよ、と答えるしか無いわね』
「ふーん……ローリス、守ってて楽しい? あんな独裁・偏屈・気まぐれ王の支配する、中央大陸で最も思想的自由の低い国」
えっ?! 俺の美顔作戦に引っかかるほど単純でバカだろうと思ってたサリアクシュナ、ローリスをそこまでコテンパンに評価するの?!
えっ? ええ?? 魔族は力押しで攻めてくる脳筋とかそんなイメージだったけど、まるで違うのか? 少なくとも俺より国際理解度が高い。中央大陸って何よ。俺、知らんよ?
『別に楽しいから守ってる訳じゃ無いわよ。うんと昔から、それこそ動物っていうより細胞しかいない時代から、その領域を預かってるのよ』
「へぇー……気が長いのね。あたしだったら、5年で飽きるわ」
『神と魔族の時間感覚は違うし、いつも私がいる場所は時間の進み方が地上とまるで違うしね。そんなに飽きないものよ?』
「そうなんだ。で、その神がなんであたしなんかに慈悲掛けてんの? 魔族は殺せ、が神の思想じゃないの?」
『別に魔族だから殺そうとか滅ぼそうとか、そういう峻別は付けないわよ。行き過ぎを調整する、そちらの方が中心的な考え方ね』
「行き過ぎ、ねぇ……人間ののさばり方の方が圧倒的で、行き過ぎだと思うけど。それを始末しないのは、やっぱり神は魔族とは組みしないの?」
『かなり前の文明のいくつかで、魔族と神が共同路線を取った事はあったわ。けれどことごとく結果が悪くてね。その教訓から、魔族に手を貸す事はしないの』
「今の、これは? 人間が誰も発言しない中で、あたしが殺せと言ったら殺しそうな雰囲気じゃん。手を貸してる事にならないの?」
『それは解釈次第ね。そうはぐらかしておくわ。あなたもはぐらかしてる事、そろそろ話してよ』
女神様がちょっと小首をかしげる様な仕草をなさった。
言葉と声音だけ聞いていると、なんとも平和的な談話っぽいんだが、ペルナ様が何もしないのもある意味不気味だし、サキュバスが随分論理的だし、認知が追いつかない。
『そこで固まってるハゲ冠、《あなたの王様》でしょ? あ、勿論魔王ガルドスは、真に魔族の王って意味の方での王様ではあるけれど、そうじゃなくて、ね?』
ますます分からない。あなたの、とまで仰ってしまえば、決定権はそれこそサリアクシュナの一言に乗りそうだ。
ペルナ様は何を狙ってみえるんだ? ローリスからすれば、オーフェン王の生き死には凄まじく重大事項のはず。
そのローリスをお守り下さるはずのペルナ様が、オーフェン王の首を魔族に委ねている、様に聞こえる。
俺の考え違いで、実はオーフェン王はいない方が事が上手く回るのか?
いや、実際王と話してみて感覚として分かったが、オーフェン王は本当に根っからの商人で、それでいて公僕の精神を持っている。
確かに、女にそそのかされて動いてしまう軽率さはあるけれど、とは言えその女張本人に命を選択させるのは危険過ぎる、と思えるのだが……
「そうじゃなくて……なによ」
ん? サリアクシュナの声音が変わったぞ?




