第20話 オーフェンへの旅路 全てが予定通りとは行かず。
馬車は街道をゆっくり進み、既に6つの宿場町を後にしている。
それぞれ夜を過ごした宿場町は平穏そのもので、夜は毎夜豪華な晩ご飯。外「遊」という言葉が何となくピッタリくる、なんて思う余裕はあった。
実際、女神様から各宿場を「出た後に」軍が動く事を告知されているが、それらしい報告は入っていない。
もっとも、過ぎた宿場の事を調べて報告する部隊、というのがいない様なので、実際に何か起こっているかは分からない。
ただ少なくとも、それぞれの宿場では怪しい兵士など見かけもしなかったし、そういうのに敏感そうな馬たちも平和そうに草を食んでいた。
「ささ、もう一杯どうぞ。明日からはいよいよ『お仕事』にございますからな!」
と、この6日間しきりに酒を勧めてくるのは、軍務担当のスバルさん。他の2名の官僚貴族さん達は、離れた所で飲んでいる。
「俺も大分頂きました、明日の事を考えると、あんまり深酒は出来ないですよ」
「随分と堅い事を仰いますなー英雄閣下は! 遊べる時に遊ぶ! でないと、後悔しますよ?!」
やはり軍部、体育会系のノリで随分押しが強い。とは言え、本当に明日は朝から歓迎式典があるのだから、深酒する訳にはいかない。
「スバルさん、シューッヘ君がこれ以上飲んだら、明日の『お仕事』に差し支えますから」
アリアさんがそっと割って入り、スバルさんの圧力を留めてくれる。
「ノガゥア卿はぁ、お酒ホントに弱いですもんねぇ~、初日なんてもぉグタグタでしたもん~」
「ホントそう。酒飲めない男が英雄張ってる事実が意味分かんない。酒一つ飲めないで何で英雄なのよ」
陛下の命令で随行してくれたデルタさんとイオタさんも、アリアさんの横から顔を出し身体を突っ込んでくる。
言葉だけ聞くとイオタさんなど特にスバルさん寄りだが、実際はアリアさんと一緒になって、俺とスバルさんの物理距離を押し開け、俺を守ってくれている。ありがたい。
「ご主人様。今のうちに席を外してしまえ。部屋までは追いかけないだろうし、これの始末は我々でしておく」
そっと近付いたフェリクシアさんが俺に耳打ちをする。
これ、と言われているスバルさん……酔い潰されるのかな?
ともかく俺は、逃げるにしかずである。とっとと上に行く事にする。
「あ、ありがとう。じゃ、先に失礼するね」
「あっ! 英雄閣下はこの程度の酒でダウンですか?! だらしないと思いませんか?!」
酔っ払いの戯言に付き合って明日の国家行事でミスでもしたら大変だ。何か大声で言ってるが無視して階段を昇っていく。
ふう……ここはいきなり静かだ。
1階のレストラン部分は、非常に賑わっていた。俺達が座ったVIPルームみたいな半個室だけで無く、フロア全体に人がいて、飲んで騒いでいた。
全体の隊列が何人かは知らないが、彼ら全員が代わる代わる飲む食べるをしているのだから、騒がしいのも当然だろう。
兵士さん達でもある程度の階級の人たちは、宿屋の1階の宿泊スペースに泊まっている。
新兵さんがいるかは知らないが、そのスペースにあぶれた兵士さんは、外のテントで野営だ。
まぁ、単に野営をしているだけでは無くて、周辺警戒も兼ねているんだろう。頭が下がる。
2階は、俺達夫婦と官僚貴族さん達VIPメンバーがそれぞれ1部屋、護衛のフェリクシアさん始めメイドさんたちが1部屋を使っている。
まだ夜もそこまで遅くないので、皆まだ飲んでいて誰もいない。静かな宿泊室、という感じだ。
昨日の宿には大きな風呂があったので、幸い随分さっぱり出来た。ここはシャワー室がある様だが、渦中の1階なので行けそうにない。
俺は部屋に入ってソファーで伸びた。アルコールのせいで少し暑い。
街道を随分進み、もう砂漠は無く開けた草原なので風通しも良いのだが、それでも慣れない酒を飲んだ後は暑くて仕方ない。
と、ドアがノックされる。
「はーい」
「シューッヘ君、体調はどう?」
アリアさんだ。アリアさんも下の喧噪から抜け出してきた様だ。
「幸い、暑いだけで問題はないよ」
「そう、良かったわ。明日、いよいよオーフェンだもんね。万全で行きたいもんね」
「そうだね。女神様の御言葉もあって、正直火中に飛び込む気分だけどね」
「事前に色々知れる、っていうのも、良い事ばかりじゃないかもね。不安感とか、大丈夫?」
「うん、今のところは。ただ寧ろ、『前の宿場が襲撃された』とかそういう知らせも無いのが少し気になるんだけどね、気にしても仕方ないとは思うんだけど」
「どうなのかしら。戒厳令みたく情報統制をしてるのか、それとも接収に失敗したのか……まぁ、あたし達じゃ想像する事しか出来ないんだけどね」
アリアさんが苦笑いをする。
確かに言われればそうだ、俺達が宿場町接収の心配をしたところで、進むのをやめる事も無いだろうし。考えるだけ無駄か。
「そう言えば、ヌメルス将軍、どうなったんだろ」
俺はふと、あの小柄な老人を思い出して、口にした。
「陛下からは何もお言葉は無かったから、ダメだったんじゃない? 軍を退いて隠居して、あのお店やってる感じだったし」
「機械化兵って言うから、なんか凄いのが出てくる様な、ちょっと楽しみだったんだけどな」
「んー……でもその瞬間ってきっと、シューッヘ君いない時だけど?」
「そうだった……俺のいない時に襲撃来るんだっけ。うーん……」
「シューッヘ君。襲撃まではまだ日にちもあるし、グレーディッドも3人揃ったんだし。余計な事は考えず、あなたはあなたが為すべき事を頑張って!」
「そ、そうだね。俺が心配しても始まらないのは、間違いないもんね……うん、俺は俺の領域で頑張るよ。そろそろ寝る?」
「んー、もう少し飲んでこようかしら」
「お酒強いってのはなかなかメリットだね。俺、これ以上飲んだら明日頭痛で使い物になんないよきっと」
「あはっ、お酒はそれぞれの適量を、ってね。保健省が広報してるわよ。じゃ、先に休んでね、おやすみ、シューッヘ君」
「おやすみ、アリアさん」
俺はドラゴンブーツを脱いで、ベッドにごろんと横になった。
余談だが、ドラゴンブーツは何故か足が臭くならない。一日中履いてるのに。
ワイバーンの皮は不思議と通気性が良く熱もこもりづらいが、それでもずっと履いてるから臭くて当たり前と思うんだが……マジカルとしか言いようが無い。
そんなどうでも良い事を考えつつ、俺は腰の短剣を外して枕の横に置き、まぶたを閉じた。
***
「敵襲! 敵襲!!」
俺はベッドからガバッと起き上がった。枕横の短剣を握る。まだ夜は明けていない。
兵士のざわめきと共に、金属を叩くけたたましい音が辺りに響いている。
「ど、どうしたの? 敵? 予定外じゃない!」
横のベッドに寝ていたアリアさんも起きて、窓をうっすら覗く様にして外を見ている。
当然だが、照明を付けると狙われかねないので室内も外と同じ暗さ。真っ暗だ。
俺は、もし強烈なのが直撃すればオートで結界が発動する立場なので、アリアさんの様には隠れず、堂々と窓の真正面に立って、外の様子を見た。
丁度窓から見える方向に、幾つものたいまつらしき明かりが見える。と共に、魔法攻撃なんだろう、宿周辺に向けて光の筋が幾つも飛んできている。
「ご主人様! 大事ないか!」
バタンっとドアが開かれた。フェリクシアさんだ。
「こっちは大丈夫、でフェリクシアさん、一体何事?」
「どうやら野盗の類らしい。ただ向こうに魔導師が複数いるようで、一般陸兵が攻めあぐね、防戦に回っている。助力に行ってくるが、良いか?」
「構わない、蹴散らしちゃえ!」
「蹴散らしちゃえ、か。まぁ新しい魔法の試射には丁度良い、前方障害物無し・遮蔽物無しのロケーションだ。敵の数ばかりは多そうだがな。では行ってくる」
「フェリク、頑張って!」
アリアさんの声に頷いたフェリクシアさんが、軽い足音で素早く消える。
「さて……女神様の魔法の試射、どうなるのかな」
俺は窓辺に腕を乗せ、そこに顎も乗せ、のんびりと見物を決め込んだ。
外は相変わらず怒声・大声の命令でごった返しているが、暗闇の中の兵士達の間を縫うように、フェリクシアさんが素早く先陣に入るのが見えた。
と、暗くてはっきりは見えないが、フェリクシアさんがいると思われる場所に、相当な直径の魔法陣が現れた。
しかも、通常の魔法陣と異なり、ゆっくり回転している。外周部が左回り、内周部は右回りに。
その魔法陣のうっすらした輝きのおかげで見えたが、フェリクシアさんは魔法陣の手前にいた。両手を魔法陣にかざしている。
次の瞬間。魔法陣から強烈にまぶしい光の柱が立ち上がった。光柱は高く、宿の2階など遙かに超え、10メートルでは効かない高さだ。
そして、その光がふわっと霧散した。まぶしい光が消えたところに、全身が炎に包まれた、光の柱と同じ高さの巨人が、腕組みをして立っていた。
アレが、属人大魔法・【炎の精霊】イフリートか。考えていた以上にデカいな。
精霊って言うからもっと小さいかと思っていた。
イフリートはゆっくりと右手を天にかざした。そして少しして、その手を勢いよく振り下ろした。
何が起きるのか、と思ったのは一瞬だった。突然空に無数の火の玉が出現し、地表に一気に降り注いだ。
火の玉、と言っても、1つ1つのサイズがとんでもない。窓から見ても明らかに巨大な、避けようも無いサイズの火の玉が、地表を埋め尽くす様に降ったのだ。
地表はあっという間に火の海となり、もうそこは隙間すらなく、炎の大地となっていた。窓際すら、かなり熱い。
更に、遠方の敵もロックオンされていたのか、かなり離れた所にも炎の玉は降り注いで、炎の飛び池みたいな有様だ。
フェリクシアさんの前に立つイフリートは、まだ相変わらず腕組みをして立っている。
よく見ると、遠くの炎の中で何かが動いている。アレは……人か。焼き殺されていくしかない炎に囲まれ、もがいて……倒れた。
窓があるから聞こえないだけかも知れないが、炎の中は恐らく阿鼻叫喚の火炎地獄なんだろう。
単発の魔法としては、威力がデカすぎてシャレになっていない。
これ大使館が襲撃されたからと言っても、簡単に使える規模の魔法じゃないな。
イフリートが振り向いて、スーッとそのサイズが縮んでいった。見ると、フェリクシアさんの前に膝を折っている。
何やら会話でも成立しているのか、フェリクシアさんが身振りして、それに応える様に炎の精霊が頷いたりしている。
さすがに言葉までは聞こえないので詳細は分からないが、魔法なのにコミュニケーションが取れるらしい。凄いな精霊。
そうして、精霊は突然パッと消えた。と同時に、平原を埋め尽くしていた炎も勢いを失い、たき火程度の炎が幾らか残る程度になった。
俺は窓を開け、熱っ、た。取っ手がやけどする程熱かった。
「フェリクシアさーん、敵は全滅?」
「ご主人様! まだ確認が出来ていないので顔を出さないでくれ、危険だ!」
「いや、上から見ると、あの坂の下までずっと火の海だった。的さえ当たってれば、生き残れる生き物はいないと思うよ」
「分かった、ではそちらへ戻る!」
フェリクシアさんが周囲で腰を抜かしている兵士さんに何やら声を掛けると、早足で宿へと戻ってくる。
さっきまで真っ暗だった外は、あちこちに残る炎の残骸で、ぼんやりと明るくなっていた。




