第16話 俺の悩み込み ~原因がないと思っていたら、実は結構デカいのがあった件~
俺しかいないホール。カラン、と手に持つグラスと氷が鳴る音だけが響く。
フェリクシアさんの説得は、かなり強引だったなとは思うが、何とか成功した。
もちろん、オーフェンでそんな事態が起きなければそれに超した事は無いんだが、どうにも心配になって仕方ないんだ。
具体的に何か、誰々が不安だとかどこそこが怖いとか、そんなものは何一つ無いんだが、どうしても不安が消えない。
昔の、地球時代の俺だったら、ただ不安に震えて押し潰されるだけだったろう。それ以外取る策も無かった。
だが今は、備えようと思えば幾らでも、攻めも守りも備える事が出来る。立場が変わった。世界が変わった。
どんなに世界が変わっても、やはり大切な人を傷つけられたり、まかり間違って喪失するなんて事は、絶対避けたいのは変わりない人間としての思い。
もし過剰であっても事前に手が打てるのであれば、出来る全ての手を打ちたい。それが最近の俺の行動力になっている。
ふと、照明が息をする。一瞬明るくなって、戻った。地下の魔法作業の影響だろう。
星屑の短剣の秘めた力には驚かされるばかりだが、不安に対しての処方箋として有効なのは間違いない。
単なる刃物としても最強クラス、魔法剣として用いれば剣の次元を超える。更に魔法そのものを放つ事も出来る、まさに魔剣。
パッと見た感じでは、十字型の金の鍔とか装飾過多の鞘とか、明らかにお飾りの剣なんだけどな。
そこもある意味、敵から警戒されずに所持出来るのは良いかも知れない。いや敵って誰だよってのがそもそもなんだが……
冷茶を注ぐ。ガラスのピッチャーには、透明な氷が浮かんでいる。
フェリクシアさんが作る氷は、地球のコンビニで買う氷と同じく透明度が非常に高く、溶けづらい。
そう言えば先日、燃料管の管理官さんが来たらしく、少し前からガスが使える様になった。
フェリクシアさんはその日にコンロを買ってきて、今はまた一団と美味しい料理を作ってくれている。ありがたい。
しかし……なんでこうも不安なんだろうな。胸騒ぎ、とでも言えるかもだが……
「たっだいまー! おっ? あれ? シューッヘ君だけ?」
「あぁ、アリアさんおかえり。フェリクシアさんは今俺の頼み事してくれてて、地下」
床に向けて指で矢印を作って指し示す。
「地下? 魔法関連?」
「うん。俺の短剣に魔法籠めてもらってる」
「あー、最近ずっと言ってたそれね。でもシューッヘ君、なんでそこまで力に拘るの? オーフェン、平和な国だよ?」
「俺もよく分かんないんだよ。オーフェンに不安を抱いてるのかなって、思ったりはするんだけど、そうだと断言も出来ない」
「うーん、なんだろうね、シューッヘ君の心を乱してるのって。ホントに何かあるのかな、事件や事故が待ってるとか」
「さすがに分かんない。きっと何も無いはず、だってローリスの国を背負って入国するんだし……って、頭では思うんだけどね……」
冷茶をクッと一気に飲み干す。
喉と胃袋が冷たく冷え込むが、頭の中にある『なんだかモヤモヤしたもの』は消せない。
「あ、そうだ。少し前に王宮からの連絡があって、明後日が出発、明日10時に打ち合わせだって」
「そうなの? 結構急なのね、分かったわ。着ていく物も整えたし、シューッヘ君の服も揃えたし」
「そう言えば、俺の新しい服って? 水着は見せてもらったし、使いもしたけど」
「あたしの部屋にあるわ。来てくれる?」
アリアさんに言われるまま、俺は階段を昇り、アリアさんの部屋へと入った。
ここも、入居したばかりの時はがらーんとした部屋だったが、色々家具が入って少し手狭とすら思える。
バルトリア工房でたくさん買ってたからなぁ、ウサギ獣人さんに一杯食わされて。
「シューッヘ君?」
「あ、ああごめん、少しぼんやりしてた」
「ホントに大丈夫かなぁ。あたし、オーフェン行きより今のあなたの方が心配」
「取りあえず、服を見せてもらっても良い?」
「うん、それはもちろん!」
アリアさんが、部屋の隅にある大きな2つの紙袋を引っさげてくる。
「まずはこのシャツ類ね、サラッとしてて着心地が良くて、風通しも良いの。着てみる?」
「ごめん、あんまり今は……」
「そっか。じゃあ見るだけね。シャツ類は、ローリスで着るのとオーフェン合わせと、それぞれ買ってきたわ。それから……」
アリアさんの熱弁が止まらない。とても機嫌良さそうに、たくさんの服を袋から出している。
ローリスのは半袖メインで、オーフェンのは長袖メイン。
ローリスのは、見た感じちょっと良い感じの普段着。オーフェンのは、襟付きシャツの襟に刺しゅう入りなど、目立つ服だ。
上着だけで無く、パンツもあった。こちらもローリス向けとオーフェン合わせで、テイストが違う。
ただどちらのも、生地に柔らかい光沢があるのは、シルクとかそういう素材なのかな? 確かにしなやかそうな素材感が見て取れ、着心地は良さそうだ。
「あとこれ、必要かは分からないけど、オーフェンは少し寒くなる季節に入ってきたから、もしかしたら、いるかもと思って」
袋の底から出て来たのは、割と重たげ色なグレーのコート。
オーフェン合わせなだけあって、そこそこフォーマル寄りのシルエットでもある。
「ありがとね、アリアさん。これだけ選ぶの、結構大変だったよね」
「ううん、あたしお買い物好きだし、シューッヘ君が着て似合いそうな服選ぶの、楽しかったよ?」
「そうなんだ、負担になってたら嫌だなって思ってたから……」
俺が言うと、アリアさんの目が丸くなる。
「シューッヘ君、どこか体調悪くない? いつものシューッヘ君と、何だか違う……」
「えっ、そう? 俺は……確かにちょっと気分は優れない感じだけど、いつも通りだよ?」
「気分かぁ。フェリクが戻ってきたら、エリクサー飲んだ方が良いと思う。ローリスの代表がそんな暗い顔じゃ、ちょっと良くないと思うの」
「そんなに顔に出ちゃってる? うん、分かった。アリアさんの言う通りにするね。俺も元気が出れば嬉しいし」
そうして部屋を出て、ホールに戻る。
と、魔法陣の階段の方から、ブーツの足音が聞こえてきた。
どうやら魔法籠める作業は終わった様だ。無事に出来ていれば良いんだが。
「フェリクシアさん」
「ご主人様。作業は無事終了した。試運転もしてきた。刃の無い方を振るえば、短剣自体がそのモードに入る」
「ありがとう。お疲れ様。フェリクシアさん、もし消耗が激しかったら、マギ・エリクサー使ってね。あと俺も、エリクサーの方を使いたい」
「恐縮だがお言葉に甘えたい。かなりの魔力を使ったから、明日までに完全回復出来る自信が無かったのだ。ご主人様はエリクサーか」
「うん。いま感じてる『何となく、な不調』に効くかは分からないけど、アリアさんにも指摘されちゃう位、表情とか暗くなってるみたいでさ」
「そうだな。何かに怯えた目をしている。エリクサーでどうなるかは分からないが、空元気でも無いよりマシだろう。今用意する」
そう言い、テーブルの上に短剣をそっと置いて、フェリクシアさんはキッチンへと歩いて行った。
「ねぇアリアさん、メンタル講座の講師さんとして、俺のこの、なんて言うか頭のモヤモヤ? 心のモヤモヤ? 正体、なんだと思う?」
「そうねえ……不安が強くのしかかってるのは分かるけど、不安と安心って正反対じゃないのよね。安心してても不安な事もあるし」
「そっか……俺、正直言うと、オーフェン行くのが無性に怖いんだよ。何か凄く、嫌な予感がして」
ホールの椅子に腰を下ろす。自然と口からは深い溜息が漏れた。
「根拠の無い自信って最強って言うけど、根拠の無い不安は悪い意味で最強だからね……シューッヘ君が参っちゃうのも無理ないと思うよ」
「根拠の無い不安、か……そうだよな、別に何か悪い情報とか噂とか、何一つ無いんだよ。でも、押し潰されそうな思いなんだ」
「やっぱりきっかけはオーフェンの王様かしら。ただそれはきっかけで、そこから不安がどんどん拡大してって感じかなぁ」
「そうかもね……オーフェンに転移したあの時は、いきなり槍兵に囲まれて、串刺しにされるって怖かったけど……そんなの最近まで忘れてたし」
「ご主人様。エリクサーセットだ。これでご主人様の気分が晴れると良いのだが」
いつの間にやら床を見ていた俺だったが、フェリクシアさんの声で視線は俺の後ろに立っていたフェリクシアさんへと向いた。
フェリクシアさんの手に銀盆。その上に、箱。それと、ガラス棒と、水の入ったトールグラスが2つ。
「まずはご主人様のエリクサーだ。今すぐ用意するから、口を開いて上を向いていてくれ」
俺は頷き、上を向いて口をパカンと開いて待った。
すっとガラス棒が口の上に差し出され、ポタッと1滴、舌先にエリクサーの液体が落ちる。
「……」
相変わらず味はせず、かすかなハーブのような風味だけがする。
一瞬タイムラグがあるんだよな、エリクサー。
……
…………
あれ?
「なんか、変化が無い?」
何かがおかしい。前回、元気な時にエリクサーを含んだ時にすら、歴然と『効果』は感じられた。
しかし今日は、何の変化も感じる事が出来ない。元気さが足りない気がするのに、それを補ってくれてはいない感じだ。
「変化が、ない? ご主人様、もしかすると魔力枯渇の方かも知れない。マギ・エリクサーも試そう」
「あ、あぁ」
再び口を開け上を向いて待つ。フェリクシアさんがトールグラスの水でガラス棒をすすいだ様で、カラカラとガラスが当たる音がする。
「では、マギ・エリクサーを……」
ポトン、と舌の真ん中に落ちた。いつも思うが、エリクサーは無味に近いのに、なんでこうマギ・エリクサーは苦いんだ。
ただこれは、タイムラグ無しですぐ効く。
……効く。
……効くはずだ。
…………あれ?
「どうだ、ご主人様。変化はあったか?」
「い、いや……魔力が沸いてくる感覚は確かに少しあるんだけど、頭の重さは解消されてない」
俺の言葉に、アリアさんとフェリクシアさんが互いに目線を交えた。
「……あっ! 思い出した、俺の不安の元凶!」
効いた実感は無かったが、エリクサーとマギ・エリクサーのダブルは確かに効果があったようだ。
俺は、あの日効いた緊張と疲れですっかり聞き流してしまった『不安な事』を、はっきり思い出した。
「何があったのだ、ご主人様。支障が無ければ聞いても良いか?」
「あたしも聞きたい。なんで思い出せなかったのかも」
「うん。実は……」
俺は、結婚式の後で貴族院長が俺の待機室を尋ねてきて言った言葉を、アリアさん達に伝えた。
【曰く『オーフェン国王は外交使節団を利用してローリスを落とす画策をしておる』と。単なる与太話やも知れんが】
あの時は、それを何ら不安とも思わなければ、まさか現実になるとも思っていなかった。
だからこそ、意識にすら浮かばずに今日まで過ごしてしまったが、俺は警告されていたんだった。
無意識ってのはなかなかややこしいもので、忘れてるつもりでもしっかり「無意識が」覚えている。
恐らく、それ故の不安だったのだろう。
「ローリスを? オーフェン軍は騎馬隊中心の機動部隊。対ローリスでは騎馬が砂地に足をすくわれ、正面ゲート側からしか入れないぞ?」
「だからこそ、貴族院長閣下も『与太話』かもと言ってたんだと思う。けど、分かった。俺の不安の核は、間違いなくこれだ」
「ねぇシューッヘ君。それだけ重要な案件だったら、女神様のご助言を受けたらどうかしら。何かご存じかも知れないわ」
おっ。なるほどナイスアイデア。
万能な女神様だから、既に敵が配置されていれば教えてくれそうだし、それ自体が証拠にもなる。
いなければいないで安心出来るし、これに越した事はない。




