第78話 第2章エピローグ2 新郎側お支度 ~愛を言葉で語るのは、俺は苦手です……~
赤絨毯は、大階段より向こうまで続いていた。開けた大階段から、少し薄く暗くなる廊下へと進む。
ヒューさんの私室の横を通って、更に進む。俺だけではあの迷路回廊は抜けられないから、その辺にヒューさんもいるだろう。
「素敵なお花……」
アリアさんの目は、俺の右手にあるバーシウムの花に釘付けである。
王子様とお姫様の物語は、地球にも当然存在した。
けれどここは、リアルに王子様もお姫様もいる様な世界だ。憧れ方は恐らく段違いだろう。
「お待ちしておりました、シューッヘ閣下、アリア妃閣下」
丁度迷路回廊の入口に、ヒューさんがいた。
ヒューさんはいつもよりゆっくりとした口調で言うと、非常に恭しく、俺たちに向けて頭を下げた。
「ヒューさん。今日の日を迎えられたのも、ヒューさんが指導してくれたからです。ありがとうございます」
俺は、『アリーシャ騒動』の時に、一度はアリアさんとの関係を絶とうと思った身だ。
そこに、対話を勧めてくれ、その上アリアさんに剃髪までさせて俺の覚悟を決めさせてくれた。
優柔不断の俺でも、きっちりどうするかを分けさせてくれた。そのお陰で今日がある。まさに恩人だ。
「ヒューさん、あたしからも、ありがとうございました。あの時、仲裁に入ってくれなかったら……」
「祝い事に『たられば』はご無用でございます。さあ、陛下がお待ちです。御案内致します」
アリアさんも、やっぱりあの時の事を思っていた。そうだよな、あの時が一番『俺たちの危機』だったものな。
「あっ、でも……あたしたち、まだ寝間着で……」
「そのご様子ですな。次にお召しになるのは、花嫁衣装にございます。下着も含め、ご用意してございます」
そこまで言って、ヒューさんはゆっくり前を向いた。
今日も回廊を右左へ歩いていくのは変わらない。ただ、「進まない方の道の入口」に衛兵さんが立っていて、敬礼してくれていた。
敬礼に対してどうすれば良いのかよく分からなかったので日本人スマイルで応じたが……アリアさんはニコニコで小さく手を振っている。こっちが正解なのかな?
歩いて、階段を昇って。昇りきった先の視線に、2名の銀甲冑がいた。謁見の間の前だ。
「お支度は、シューッヘ様はあちらの部屋、アリア閣下はこちらのお部屋です」
ヒューさんが指したアリアさんの支度室? は、階段上がってすぐ右手の部屋だった。
「アリア閣下のご準備は、メイド長カッパがお手伝い致します。シューッヘ様は、わたくしが」
「じゃシューッヘ君、また後で、になるのかな?」
「そうなのかな? 取りあえず、準備に入ろっか」
俺とアリアさんは手を振り合い、俺はアリアさんが準備室に入るのを見届けた。
「……ヒューさん。俺、本当に感謝してるんですよ、アリアさんの……アリーシャと分かった、あの時の」
「それはそれは……今日はシューッヘ様が主役の、誠めでたき慶事にございます。お礼はありがたいですが、程々になさいませ」
ヒューさんも、穏やかな笑みを浮かべている。そうして、また歩いて行く。
謁見の間の前を通る。銀甲冑は微動だにしない。そのまま進み、叙爵の時と同じ控えの間。ヒューさんがドアを開けてくれた。
「ありが……うわっ、何これ?!」
そこにあったのは、何十着もある白いタキシード風の服。いや、モーニングもか? 混ぜ混ぜだ。
奇抜なデザインのも数着あるが、大体は日本でも新郎が着る様な、バチッとした格好いい服だ。
「シューッヘ様の体格に合わせてご用意致しましたが、どれをお召しになりますか」
「どれをって……あ、それよりこのお花、ちょっと傷つけない場所に置きたい」
「こちらの机の上にどうぞ」
淡いピンクのバラなバーシウムの花を、静かに丁寧にテーブルに置く。
「で、婚姻の儀にふさわしい衣服は、どれです? これ? それとも、こっちの系統?」
タキシードとモーニングをそれぞれちょっと持ち、聞いてみる。
「どちらでも構いません。白一色で整える事が、婚礼の儀にての礼装にございます」
「うーん、どっちでも良いのか。これはこれで悩むなぁ……あ、でも王様もこういう服じゃないですか。かぶるのでは?」
「婚礼の儀を陛下の御名の下でなさる場合の陛下の御衣装は、普段のスーツないしはそれに準ずる服とは異なります。ご安心ください」
陛下とかぶらないのであれば、失礼は無いか。うーん、どれにしよう……
正直この国の常識が無いから、どれが『よりふさわしい』のか分からない。
「ヒューさん、この中で、婚礼衣装としてスタンダードなのはどの辺りです?」
「標準的なのは、こちらの6着でしょうか。ただ、英雄、子爵、陛下の媒酌とあれば、あまり地味なのもどうかと思います」
地味?! ハッキリとまぶしい白のこの衣装たちに、地味ってあるの?!
「じ、地味なのはじゃあ除外するとして……さすがにこの辺りは奇抜ですよね」
入って一番最初に目が止まったタキシード風。
金モールで端が装飾され、更に白地の部分にも赤い刺繍がされたその服を、俺は指した。
「奇抜と言えばそうですが、貴族の衣装としてはそれ程飛び抜けて目立つ、という程の物でもございません。良いかと思います」
「こ、これを着こなせるのかなぁ俺……でも、一生に一度のことだし……俺、これにします」
「では、下着はこちらの籠にございますので、全身お着替えをお願い致します」
「えっ? 下着も?」
「はい。厚手の生地を使っておりますのでそう心配はございませんが、透けますとみっとうのうございます」
あ。白は確かに透けるわ。今日履いてるパンツは、確か色付き……変えねば。
そうしてヒューさんは、ソファーに腰掛ける。俺は、ソファーの後ろに置かれていた籠の近くで、下着だけまず変えた。
替えの白い下着の下に、日本にもありそうな白いYシャツ風の服ある。襟の形は、カットがなだらかで幅広く、ネクタイが前提には無い感じだ。
白いYシャツに袖を通し、プチプチとボタンを止めていく。少し香る……清涼感のある香りだ。
「この白シャツに、香水か何かふってあります?」
「仕上げの洗浄をする際に、衣服に影響しない無色のハーブ液を少し混ぜて仕上げてございます。香るのはその為です」
「うーん、爽やかな香りだ。なんか気持ちが落ち着く感じ」
「そういう作用のあるハーブでございますよ。緊張緩和に一役買います」
なんと。日本で服が香ると言えば柔軟仕上げ剤だが、緊張緩和効果のある柔軟剤なんて聞いた事が無い。
「お取り致します」
俺がボタンを止め終わって衣服に手を伸ばすと、ヒューさんがさっと立ち上がりハンガーごと衣服を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「いえいえ。主役はどんと構えていて頂けば、それで良いのです」
ハンガーに掛かっていて見えなかったが、赤の刺繍は表側の両脇腹周辺だけでなく、背中の一番下端にもあった。派手だ……
ヒューさんに着せてもらって、俺自身はちょっと襟の辺りを直して。ボタンは……1つ留めかな、2つかな?
「上着のボタンは幾つ留めますか?」
「今日は常に立位にございますので、2つ留めをお勧め致します」
「リツイ?」
「陛下の前でも、今日は屈む事はございません。謁見の間では終止立ったまま、その『立位』にございます」
へぇ……陛下を前にしても今日は膝折らないんだ。
「それと、バーシウムの花でございますが、花が花でございますので、儀式に一つ項目が追加されます」
「儀式が……さすがおとぎ話の中の花……」
「儀式は『花の誓い』と申します。陛下の前に並び、陛下からの成婚宣言の前に、花を新婦に渡します。その際、一言述べるのが通例です」
「な、何を言えば良いんですか?」
「難しいことではございません。新婦への愛の誓いでございます。大切にするですとか、あなたを生涯守りますですとか、その様な文言が一般的です」
「大切に……生涯守る……」
「ただ、シューッヘ様の場合貴族でいらっしゃるので、アリアを『第一夫人として』迎える意味合いの言葉が入ると尚良いかも知れません」
「第一……あぁ、貴族は奥さんが何人もいるもの、でしたね」
「左様です。故に、もちろんそのお気持ちがあればのお話しではございますが、あなたが一番、あなたの他にないと言った様な言葉が入ると、愛の誓いとしては品が良く、それでいて意味的にも良いかと存じます」
悩むなぁこれ。大切に、とか、守りますとか、そういうのの類似は、結構テンパってる今でも意外と浮かんでくる。
ただ、あなた一人です、という意味合いの言葉、そして言い方・言い回しが、ちょっと難しい。
『あなたが一番です』のつもりが『あなたが一番目です』とか言っちゃったら、まさにドン引きだしな。
「もっとも、花の誓いで黙って花を渡すだけ、という者もおります。花に全てを託す、という意味として見られ、それはそれで宜しゅうございます」
余計ややこしい事になってきた。言葉を出しても良い、出さなくても良い。言うなら考えて言わないといけない。
黙って渡すのは……俺とアリアさんの、いつもの雰囲気を考えると、ちょっと似合わない気がする。
「花の誓いの言葉、どの位の長さですか? やっぱり一言程度?」
「これは人それぞれでございまして、一言の者もいますし、浪々と愛を語る者もおります」
どうしよう、何言おう……
「新婦側からの返答というか、会話になっちゃうのは、はさすがにナシですよね」
「そうですな。稀にありますが、あくまで誓い、宣誓にございますので、一方的に言い伝える方が、儀式的にも雰囲気が良く、また洗練された感じもございます」
まさしく困った。正面切って愛を伝える、『愛してる』だけでも苦手な日本人だ。
それが、愛を誓う? いや内心誓うだけならいくらでもするが、それを言葉にするとなると、ハードルがガツンと上がる。なかなか厳しいなこれは。




