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<第9話>比翼の鳥Ⅴ

 あまりの無反応に訝しげに加賀美を見ると、いつの間にか立ち上がっていた彼女は険しい表情のまま窓の外を凝視していた。


「加賀美?」


 顔には見たこともないほどに険しく、引き攣ったような表情が浮いている。

 少女の視線の先に目を移すが、そこにはようやく落ち始めた夕日があるだけだ。


「……どうした?」


 返事はなく、少女は微動だにしない。

 ただ一心に、見えない何かを凝視し続けていた。


「なにか、あったのか?」


 二度目の藤堂の問いかけも無視された。

 加賀美は弾かれたようにスカートのポケットの中に手を突っ込むと、そこから取り出した髪留めで乱雑に掻き上げた前髪を後ろに止めた。


 その時、藤堂は初めて加賀美の素顔を見た。


 端整な顔立ちだなと思うよりも先に、目に見えるほどの脂汗を額に滲ませていることが理解できなかった。

 加賀美が忌々しげに呟く。


「……まさか……本当に来るなんて、サイテー……」


 突如、彼ら二人の目の前――先ほどまで多くの生徒たちが部活動していたグランドのど真ん中に、静寂を切り裂く轟音と共に一条の巨大な稲妻が晴天の空から落ちた。


 藤堂の網膜に焼き付く稲妻の残像。


 予兆など微塵もない夕空からの光の一撃は、藤堂と加賀美の度肝を抜くには充分すぎた。


「――うおっ!? 雲一つないのに……なんで雷が」


 だが、それは始まりにしか過ぎない。

 続けざまに数条の稲妻が、のたうつ蛇のように降り注ぐ。

 耳を劈く雷鳴が幾重にも重なり、大気は震え、周囲には焦げた臭いが漂い始めた。


「具現化現象……」呆然と呟く加賀美。

「な、なんだ、これ!?」


 藤堂の問いに答える者など誰もいない。


 彼らが正気に返る前に――稲妻が墜ちた地点を中心に風が渦巻き、土埃が舞い上がった。

 それは瞬く間に黒い旋風つむじかぜに変じ、やがて小さな竜巻となって暗い空へと伸びていき、稲妻を纏った竜巻から放たれた暴風は荒れ狂ったように校舎全体を揺らした。

 二人が気付かぬうちに周囲一帯は夜のように暗くなり、空には虹色のに輝く帯のようなもが見えた。

 それは日本では通常発生するわけがないオーロラに見えたが、虹色という本来あり得ない色合いのどぎついさが、見る者を焦燥にも似た不安へと駆り立てる。


「一体なにが……」

 藤堂は額に滲み出る冷や汗を感じながらも、頭の片隅では今見えている光景は現実なのだろうかと自分自身を疑った。


 加賀美は彼の呟きを無視したが、その答えはもうすぐ目の前に現れようとしていた。


 ビリビリと教室の二重ガラス窓を揺らすほどの強風は前触れもなく消えた。

 竜巻も、稲妻も、虹色のオーロラも、唐突に消えた。

 雲散霧消という言葉などでは生ぬるく、世界が切り替わったように、夕日が染める夏の空へと戻った。


 そんな世界の――稲妻が墜ちる前との相違点はただ一つ。


 グランドの中心には、茶色の巨大で首の長いワニのような六脚の生物がいて、その生物の頭上数メートルの空中にはクリスタルような透明な多面体がふわふわと浮いていることだけ。


 藤堂と加賀美のスマートフォンからけたたましい音――地震が起こる前に鳴るのと同じサイレンが鳴り響き、女性の声が教室内に鳴り響いた。


『緊急星獣特別警報、緊急星獣特別警報。ただいま埼玉県全域に緊急星獣特別警報が発令されました。大至急、命を最優先した行動を取って下さい。緊急星獣特別警報、緊急星獣特別警報。ただいま埼玉県全域に緊急星獣特別警報が発令されました。大至急、命を最優先した行動を取って下さい――』


「地上型……なんで、こんなヤツらが」

 加賀美は忌々しそうに呟きながらも、耳障りな警報を消した。

 呆然とする藤堂も消したが、それは半ば反射的な行動だった。


「……硫黄の臭い?」

 藤堂の呟きに、加賀美はハッと我に返った。


 再び周囲が暗くなるとともに空が虹色に輝き、六本脚のワニの頭上に浮かぶ多面体のクリスタルが高速回転しながら徐々に光り輝き始めたことに――。


 同じ光景を目にした藤堂寅次郎の脳裏には、なぜか昨日の聞いた女性の言葉が甦った。


『――また火星の星獣ですので、大型であればあるほど地球の重力に耐えきれず、地上までは降りてきません――』


 ニュースに出ていた、ワルキューレだった女性の言葉。

 その意味は分からない。

 甲高い金属音がどこからともなく耳に届き、その音は徐々に――だが、恐ろしいほどの勢いで大きくなっていく。


「伏せて!!」

 甲高い轟音に掻き消されながらも、微かに届いた加賀美の悲鳴。


「――ッ!?」

 加賀美に押し倒された藤堂の視界が白く染まる。

 突如発生した強大な光と爆発が、彼らを容赦なく吹き飛ばし、藤堂の意識はいとも容易く刈り取られた。



 ――――――――



 次に藤堂の意識が戻ったとき、彼の視界に映ったのは黒煙に縁取られ、真っ赤に染まった夜空だった。


「………………」


 彼は仰向けのまま横たわっていた。

 瞳は紅く染まった空を映していたが、意識はなにも動いていなかった。

 数秒ほど放心状態だったが、五感は徐々に周囲の刺激を感じとり、意識を覚醒させていった。


 まず、焦げた臭いが鼻を突いた。

 次に爆音と突風が吹いているを耳と肌で感じた。

 視界はまだぼんやりと歪み、音はなぜか遠くに聞こえた。


 突然、目の前で光が瞬いて視界が白く染まるが、数秒後には再び綺麗な夕焼けに染まった空が見えた。

 視線を微かに右へと向けると。


 時折虹色に輝く、黒く大きな翼が腰から生えた女生徒の背中が見えた。


「……加賀美……」


 加賀美は呻き声に似た唸り声を上げていた。

 藤堂は体を動かそうとしたが、全身がバラバラになってしまったかのように感覚がない。

 彼は寝返り一つさえ打てず、視線だけを動かした。


「ちゃんと……生きてる?」

 藤堂に背を向け、片膝を付いたままの加賀美が視線を動かさずに聞いた。

 彼女が疲労困憊だということは、荒い呼吸の合間に漏れた声音だけで充分伝わった。


「ああ、生きてる……」

 どうにか捻り出した返事。

 それは藤堂自身が驚くほど掠れていた。


「ごめん、トラ君……助けられそうにない」

「……な、にが――があああぁあっぁあッ!!」


 ぼんやりとしていた意識が醒め始めた途端、右腕から奔った痛みに悲鳴を上げた。 

 目の前が白くなるほどの激痛――まるで傷口に五寸釘でも打ち込まれたような衝撃と痛みに、少年は痙攣を起こしてのたうち回った。

 痛みを堪えられず涙を垂れ流しながら、恐る恐る視線を右腕に向けた時、初めて自分の右肘から先がないことに気が付いた。

 傷口は炭化して焦げており、今もズキズキとそこから目の前が白くなるほどの激痛が走る。


「…………右手が――」

「生き残るのが先よ、自分で止血して。……立てる?」


 加賀美に、受け入れがたい現実に打ちのめされた藤堂を気遣う余裕などなかった。

 彼女自身もここから逃げ出したいし、死にたくもない。

 だが、目の前に小型種とはいえ二匹も星獣がいて、それの一撃を凌いだこと自体が奇跡に近い。


 彼らの薙ぎ倒した閃光――それはクリスタルのような多面体状の星獣から放射状に放たれた熱線であり、それはただの一撃で校舎を全壊させた。


 周辺地域の被害など想像も出来ないが、校舎の三階にいたはずの二人は地上の瓦礫の上にいた。

 加賀美が作り上げた防壁の範囲以外の校舎は、ほぼ焼け溶けてしまい、床の支柱まで完全に失ったために為す術無く落下。

 防壁で生き埋めにはならなかったが、加賀美も藤堂も全身打ち身だらけだ。


 今や二人が居た場所に建物があったことを示すものは教室の床ぐらいしかない。

 校舎は瓦礫となり、コンクリートの破片から覗くのは赤く溶けた鉄骨。

 至る所から黒煙が立ち上り、漂う煤が彼らを囲み、熱せられた空気を吸う度に唇が渇いていく。


 加賀美の細いおとがいから汗が滴り落ちるが拭う余裕はない。

 彼女には星獣を打ち倒す術がなかった。

 それが可能なほど強かったならば、彼女は防衛軍に所属していただろう。

 磁翼で作り出したほぼ透明なドーム状の防壁は今も形を保っているが、初撃を防いだときほどの強度は既にない――加賀美個人の霊素も少なければ、周囲から霊素を集める技量も稚拙だからだ。


 多面体の星獣は時折気紛れのように熱線を放ち、周囲一帯を火の海にしていたが、ワニのような星獣は明らかに加賀美を見据えるように顎を向けて様子を伺っている。

 獲物の隙を待っているのか、こちらの実力が分からず様子見をしているのか、判断が付かない。


 加賀美はジリ貧の状態ではあるが、このまま時間を稼ぐことにした。戦乙女たちと国軍等で構成される防衛軍の到着まで、粘るしか生き残る手段はないという判断。

 本音を言えば、藤堂だけでも逃がしたい。

 彼が安全な場所まで逃げられれば、彼女も敵の攻撃を回避することが出来るからだ。


 だが、不可能だろう。


 右腕を失った藤堂の止血さえ出来ていないし、立ち上がる気配もない。もし仮に応急手当をしようと隙を見せれば、敵は即座に襲いかかってくるだろう。

 何よりも、彼女には防壁を維持しながら別のことが出来るほどの技量がない。


 一緒に逃げるのも事実上不可能。


 全身全霊で防壁を張ることにより、多面体型星獣が時折放つ熱線をどうにか防ぐことで、この状況を維持しているのだ。


 藤堂は気を失いそうなほどの痛みと、呼吸さえ苦しくなるほどの熱さで状況を認識した。

 苦悶の声を気合いだけで噛み殺しながら、加賀美の背中の向こう――爆発前に見た二匹の星獣を見た。


「……くっそ、野郎が……」


 流れる涙で歪む視界の中、六本脚のワニもどきの星獣を睨む。

 黒煙と瓦礫で焼け野原のようなになった学校の中で、舞い落ちる火の粉を纏うように佇むワニのような星獣とその上に浮かぶ光る多面体。

 藤堂は意識せずに身体を捻ったが、痛みと共に右腕以外は機能的には異常がないことを知った。


「親の仇を取りたいのでしょ! だったら、立ちなさい!」

「言われなくても……」

「振り向かずに全力で逃げて。あれは私が防ぐから」


 意識が飛びそうになる激痛に歯を食い縛り、藤堂はよろよろと立ち上がった。


「……加賀美は、どう……するん、だよ」


 荒い呼吸のまま、自分を守るように立つ少女の背中に問い掛ける。

 今は逃げるべきだと本能が囁いている。

 それは彼女も一緒に連れて行くべきだと囁いている。

 だけど本心では、あの星獣をぶん殴りたいと思っている。


「トラ君が足手まといだから邪魔。先に逃げて」


 苛立ちを滲ませながらも、その声に藤堂に対する怒りはなかった。

 それが諦観から生まれたものであることは、藤堂にも分かる。

 同じものが彼の中にもある。


 だけど、このまま逃げたらどうなるか?

 加賀美が死んで、俺だけが生き残る?

 そんな結末――真っ平御免だ。


「……」


 藤堂は唇を噛みしめると、後退あとずさりを始めた。

 いきなり背を向けて走り出すのは下策だと本能が囁いている。

 星獣の目がどこにあるかはっきりとは分からないが、間違いなくこちらを見ている。

 そんな中、横に(・・)一歩動くだけで時間が掛かる。

 加賀美が二匹の攻撃を受けているなら、俺が囮になれば――。

 せめて彼女の負担が、一瞬でも半分に出来れば――。


「――早く逃げて!」


 再び強い光を発し始めたクリスタル状の星獣を見て、加賀美が叫ぶ。

 両手を突き出して精神を集中させ、「多層電磁障壁、多重展開」と小さく呟く。

 その直後、彼女の前に青白い雷と突風を纏った半透明の障壁がさらに数枚具現化した。


 だが、藤堂の足はろくに動いていなかった。


「誰だよ、お前!?」

 藤堂が何かを探すように喚く。


「この馬鹿っ!」

 この時、加賀美は本当に心が折れそうになった。


 藤堂の頭の中に昨日の夜、夢の中で聞いた少女の声が響く。


(――どこ!? どこにいるの!? 返事して! 生きてるんでしょ! 私のエインヘリヤル!)


 切羽詰まった声音が脳裏に響く。それに縋るように叫んだ。


「埼玉県新座市――!」


(――!? 聞こえた! あと三分持ちこたえて!)


 会話できたことを不思議に思うよりも、周囲を灼くように照りつける光が少年の意識を塗りつぶす。


「それ、無理……」

 誰に伝えるわけでもなく、藤堂は呆然と呟いた。


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