<第8話>比翼の鳥Ⅳ
藤堂は昼休み後も、睡魔に勝つことが出来なかった。
教師たちは机に突っ伏して寝続ける彼を注意することなく、授業の始まりと終わりは加賀美が突いて起こした。
それは藤堂が、既に進学を希望しないことを知っているからだろう。
彼自身がどう思っているかは知らないが、それを後ろで見ている加賀はそう思っている。
そして授業が全て終わり、放課後になれば生徒は各々の部活動等に精を出す。
無論、生徒全員が部活動を行なうわけではなく、俗に言う帰宅部の人間もいる。
加賀美はそういった人物の一人だったが、彼女は誰もいない教室に佇んでいた。
腕時計で時間を確かめれば午後五時。
七月の太陽はまだ高いが、教室のガラス窓越しに眺めるグランドではほとんどの運動部が後片付けを始めていた。
星獣の被害により地球全体の平均気温が上がった今日では、冷房設備がない屋外での長時間の運動を許可している学校はかなり少ない。熱中症や日射病で生徒が倒れたら責任問題だし、元々近年は星獣の被害が酷いので学校から早く親元へ帰すという方針が主流だ。
加賀美は弄っていたスマホのブラウザを閉じた。
昼休みの時、後藤が言っていたことをネットで検索したが、それらは全て事実として広まっていた。
特に、神桜真綾が星獣を仕留め損ねた所為で甚大な被害が出ていると――。
「本当……無責任」
加賀美が独りごちる。
そこには深い嫌悪感が、確かにあった。
不意に教室のドアが開くと、彼女は待ち構えていたように素早く反応した。
「トラ君、自主練お疲れ様」
藤堂は、誰もいないと思っていた教室で声を掛けられて少し反応が遅れた。
「あれ、加賀美。まだ帰っていなかったの?」
「アパートに帰ってもご飯作って寝るだけだし、教室だったら冷房効いてるから電気代掛からないし、貧乏人が時間を潰すには学校って意外に便利なんだよね」
「そっか。まあ、俺も似たようなものだし……」
お互い独りだしな。と、藤堂は心の中で呟いた。
「うん、どうしたの? 何か言い淀んで」
「いや、これから着替えようと思うんだけど……」
藤堂は汗で重たくなったTシャツの裾を摘まんだ。
加賀美も改めて同級生を見た。
全身汗だくで、ハーフパンツとTシャツからは絞れそうなほどの汗が滴っている。今も気温は三五度を優に超えている。そんな中でランニングと筋トレ等をしてきたら、簡単に汗だくになる。
「あ、別にいいよ。気にしないで着替えてよ」
「お前! そこは遠慮しろよ!」
「え~、別にいいじゃん。見ても減るもんでもないし」
「本当に、お前って地味な見た目に反して、とんでもないことを平気で口走るよな」
「童貞臭いこと言わないでよ。いい男が台無しだぞ」
「そんなこと欠片も思っていないだろ」
「あ、バレた?」
加賀美が悪びれもせずに舌を出す。
それを見た藤堂は、仕方ないと溜息を一つ吐いた。
「俺、パンツも履き替えたいんだけどいいんだな?」
「はい!?」
藤堂は可能な限り、真面目な表情で告げた。
「さすがに汗でずぶ濡れのパンツのままズボン履きたくないんだよ。つーか、バスタオルとかも持ってきていないからな。覚悟しろよ」
「い、いや、ちょ、ちょっと待って! それ、セクハラ! セクハラよ!」
藤堂がこれからやろうとしていることを理解して、加賀美の顔は真っ赤になった。
「覗いてるのは、お前。覗かれているのは、俺。つまり、セクハラの被害者は俺。嫌なら後ろでも向いとけ」
「――こ、この馬鹿! 露出狂! 羞恥心ぐらい持ちなさいよ!」
罵倒も気にせず、目の前で藤堂がハーフパンツに手を掛けた瞬間、加賀美は脱兎の如く教室から逃げ出した。
「最初からそうしろよ」
藤堂はぼやきながらも着替え始める。
それからきっかり五分後――。
加賀美は用心深く教室のドアをノックしてから入ってきた。
藤堂はまだ上半身を拭いている最中だったが、加賀美はそれを無視し、彼も気にしなかった。
「まだ帰ってなかったのかよ」
「鞄がまだ机にあるのに帰れるわけないでしょう」
加賀美の席に目を移せば、彼女の学生鞄は確かにそこにあった。
「そりゃあ、そうだな」
少女は先ほどまでの慌て振りとは打って変わって、落ち着いた足取りで自分の席に座った。
頬杖を付き、上目遣いに同級生を見た。
「……トラ君、本当に入隊するの?」
それは教師にもよく言われる。と零し、藤堂は加賀美に向き直った。
「ああ、俺は軍に入隊する」
即座に返した答えは、内に秘めた確たるものを感じさせるだけのものがあった。
「仇討ちのために?」
「それもある」
「それ以外の理由を聞いてもいい?」
加賀美はいつもの遣り取りからは想像出来ないぐらい真摯な声音で聞いてきた。
「金のためっていう身も蓋もない理由もある。衣食住が無料だし、就職するのに特に資格とかも必要ない。だけど、俺、それ以外の自分が想像出来ないんだ。星獣は憎いし、ブチ殺してやりたいと思う。だけどさ、俺って……ただの人間じゃん。エインヘリアルに選ばれたわけでもないし、超能力とかも持ってない」
藤堂は一旦言葉を切って加賀美を見たが、少女は先を促した。
隠すことでもないと言葉を続ける。
自ら宣言することによって、より意志を強固にするために。
ただ、本来の自分より背伸びして格好付けているような気もした。
なんとなく気恥ずかしいので、彼は体を拭きながら視線を合わせないようにして喋り続ける。
「だけどさ、ただ指を咥えて、誰かに――仇討ちをお願いしているだけの人生も我慢ならないんだ。そんなの惨めすぎるだろ。仕事して、飯食べて、寝て、誰かにお願いする。いくら何でも他力本願過ぎるよな。そんな人生なら、少しでも良いから自分で動く。足掻く。自分で倒せないなら、星獣退治の手伝いをする。そう決めたんだ」
「格好良いと思うよ、そういうの。その一環としての筋トレだよね」
「そうだよ。そうじゃなきゃ、こんなクソ暑い中、筋トレなんてするかよ。学校なら筋トレマシーンも使いたい放題だし、部活やってる奴らとも一緒に出来るから効率も上がるだろ」
噴き出し続ける汗を拭くのを一旦止めて、Tシャツを着込む。
どうせ、あとは帰るだけだ。
「もう帰るんだろ? 途中まで一緒に帰ろうぜ」
そう言いながら、濡れたトレーニングウェアを鞄に突っ込み声を掛けたが、加賀美からの返事はない。
あまりの無反応に訝しげに加賀美を見ると、いつの間にか立ち上がっていた彼女は険しい表情のまま窓の外を凝視していた。