<第5話>比翼の鳥Ⅰ
藤堂寅次郎が、生まれて初めて戦乙女を生で見た日の深夜――。
高校から帰ってきた彼は、いつものように一人で食事を済ますと、自室に籠もっていた。
今年の春に両親が他界してからは、週末に生活費の足しとして日雇いのバイトをこなす日々。
一人暮らしとなった一軒家は、無駄に広くて寂しい。
祖父が一緒に暮らさないかと申し出ているが、家が親の形見となってしまった今では、なかなか処分する気にもなれない。
漠然とした将来の不安を、遺族年金と高校生活で誤魔化す日々。
彼は今日も特に何をするのでもなく、ベッドの上に寝転がり、近くの机に置いたスマートフォンで今日のネットニュースを流していた。
司会役の女性のはきはきした声が耳に届く。
『――首都圏の明日の最高気温は46.9度。千葉県房総半島では自然発火の可能性もあります。脱水症状だけではなく、山火事にもご注意下さい。星獣の影響かどうかは、現在神社省が調査中とのことです』
『一部低所得者に対する食料配給制に反対する市民団体約五〇名が、国会前で抗議活動を行ない、デモ行進中に八名が熱中症により倒れました。残念ながら、八名の内六名が搬送先の病院で死亡が確認されました。この件に関して、人権保護団体が政府の処置が不十分だったと抗議声明を発表しています』
『東京都で今年三回目の取水制限が発表されました。今回は明日の一二時から三日後の一五時までとなります』
『――続きまして、星獣情報です。本日午後三時に、宮内庁未来予知科の御名戸審議官により、緊急星獣警報が東京二三区、横浜市周辺と横須賀市、三浦市に発令されました。審議官の予知夢によると今日の深夜から明日の朝に掛け、火星から二匹の龍クラスの星獣が襲撃してくるとのことです』
星獣という言葉に反応し、藤堂は首を回して画面に目を向けた。
『政府は対星獣用緊急対処計画を発動。皇居にある世界樹には既に二組のワルキューレとエインヘリヤルが待機してます。現場のメグミンさん、どうでしょうか?』
如何にもと言いたくなるような知的な顔立ちの女性アナウンサーが、現地リポーターへと問い掛ける。
それに応えるように画面に映ったのは、あざと可愛いという線を狙った、高校生ほどの若い少女だった。
『は~い、現場のメグミンで~す! 首都の守護者として名高いブリュンヒルデの神桜さんと、独特の雰囲気が魅力のヒルデガルドの妙法院さんが既に迎撃態勢に入っているようです。どうですか? 見えますか? 出撃前はさすがにお邪魔するわけにはいかないので、お堀を挟んでの撮影になりますが、あの勇姿を見ただけで、もう~痺れちゃいます! 二時間前、命懸けの戦いに向かわなければならないのに、神桜さんは歩いて、こちらに到着しました! 流石の落ち着きっぷり! 現在はコンテナハウスで準備中とのことです! ブリュンヒルデの座に頂いてから既に二年! 星獣単独撃破数は歴代トップの一六体! ぶっちぎりのエースです!』
七月の夜に桜の花を咲かす直径一〇メートルを超える巨大な世界樹が、文字通りに宙へ浮かび上がり始めると、その根元に駐車していた牽引式の大型コンテナハウスの扉が開いた。
タラップのような細い階段を、ライダースーツを着込んだモデルのような黒髪の美女が降り始めると、まるで祝福するかのように桜の花びらが彼女を囲み、それは《《地に落ちることなく》》舞い続ける。
神桜真綾の凛々しい姿を見た群衆は、当初は無言で――数秒後には熱狂じみた歓声を上げた。
『ブリュンヒルデの座、神桜真綾! 遂に出陣です! スタジオの皆さん、聞こえますか!? この大声援!』
続いて美女の背後に、熊と見間違うほどの袴姿の巨漢が表われた。
扉を通るために身を横にして歩くほどの巨躯だが、その身の全ては鋼のような筋肉。
男は気安い調子で美女に続く。
その歩みは水が流れるように自然で体軸にはぶれがない。
見る者が見れば、恐れ戦くほどの技量に刮目せざるを得ないだろう。
『ブリュンヒルデのエインヘリヤル、九門隆一郎も出てきました! 武芸十八般を極めし、現代の侍が続きます!』
――ワルキューレとエインヘリヤル。
正真正銘、文字通りに実在する人類の守護者。
世界樹に選ばれた超人たち。
星獣と呼ばれる、地球を滅ぼそうとする魔物と戦うためにガイアに選ばれし者。
女は槍を手に、男は長弓と大太刀を身に帯び、二人はゆっくりと夜空を見上げた。
「お願いします……」
藤堂は画面の中のワルキューレとエインヘリヤルに、星獣の殲滅を願った。
少年に星獣と戦う術はない。
普通の人類に、そのような力は存在しない。
親の仇である星獣を殺すことが出来る人間など限られているのだ。
自らの無力を認めたくなくて、彼は画面から目を背けた。
『現地では今夜にも星獣が来襲するという予測は、ちゃんと伝わっていますでしょうか?』
『はい! 一部の方々の予想ですが、そう言っています。あ、ヒルデガルドの座、妙法院静香も合流です!』
『ワルキューレ以外の、政府関係の動きはどうでしょうか?』
『東京湾にはイージス艦が二隻展開、上空では戦闘機が既に来て待機していると聞いています』
『一般の方々の避難状況はどうでしょうか?』
『都心の地下都市群への避難は、今のところ三〇%程だとのことです』
『分かりました。該当地区にお住みの方は地域の指定シェルターに避難するようにお願い致します。では、一旦CMを挟みます』
ふと視線を画面に戻すと、映っていたのは近頃お馴染みの政府広告。
柔らかい女性の声が少年の耳に染み込んでいく。
『――貴方だけに、戦乙女から手渡される何か。貴方はそれを夢だと思うかもしれません。都合の良い夢を見たと思うでしょう。ですが、それがあまりにも現実的な夢ならば……まるで目が覚めている時に見ているような夢ならば、思い切って神社省の募集事務所にまでお越し下さい。プライバシーは完全に保護されています。いつでも貴方を、戦乙女、戦巫女に選ばれた貴方を、お待ちしております。公共広告機構からのお知らせでした』
広告が終わり、画面が再びネットニュースを映し出すと、司会役の女性の他に妙齢の女性が一人増えていた。
『今回の襲来は火星からの龍ということですが、戦乙女たちの勝算はどうでしょうか? 今夜は第六代オルトリンデの座であった伊藤さんに来て頂きました。よろしくお願いします』
『宜しくお願いします』
『では、早速ですが、今回の星獣は如何でしょうか?』
『非常にテクニカルな戦いが要求されると思います。龍クラスともなりますと相当強力ですので、今回の人選はすごく妥当です。主軸が最強のカテゴリーとして名高いブリュンヒルデの中でも最強の神桜さんと、戦闘力よりも柔軟性に定評のあるヒルデガルドの中でも特にトリッキーな妙法院さんのペアで、防衛軍としては短期決戦を狙っているのかもしれません。また火星の星獣ですので、大型であればあるほど地球の重力に耐えきれず、地上までは降りてきません。必然的に、高高度での迎撃戦になると思います』
『長引いた場合の影響はどうでしょうか?』
『おそらくですが、二酸化炭素濃度の急上昇があり得ると思います。火星はすでに木星に隷従する惑星意識体ですので、敵が環境破壊型を送り込んできた可能性は捨てきれません。ブリュンヒルデとヒルデガルドのペアが勝つのはほぼ間違いないと思いますが、時間が掛かるかもしれませんね。それが気掛かりなのと、高いところで討ち滅ぼした敵の残骸はどうしても地上に落ちます。警戒地域の方々は必ず地下シェルターに避難して下さい。今回のペアには、ただ討ち滅ぼすだけでなく、可能な限り洋上で撃破することも要求されていると思います』
二人の女性の声を聞きながら、少年は目を瞑った。
――俺には縁の無い世界の話し合い。
そう思いながら眠りに落ちた藤堂寅次郎は、その夜、一人の少女が現れる夢を見た。
同い年ぐらいの少女は、少し細身の中背中肉。
モデルのような小顔に高い等身。
端正な顔立ちは凜々しさを纏い、大きな瞳には内に秘めたる激しさと情熱を感じさせる光を宿している。
絹のように艶やかな赤みがかった髪は、肩口で揃えたボブカット。
端的に言えば、少女は誰でも綺麗だと言い表す美少女であり、輝くような瞳には燃えるような情熱を宿しているのが特に目を引いた。
この前見た美女に、少し似ているような気がした。
藤堂が少女の顔立ちをはっきりと認識した直後、彼女は藤堂の目を見据えながら、鼓膜が破れそうなほどの大声で喚いた。
『――早く私に会いに来てよ! この、浮気者っ!』
「―――うわッ!?」
耳元で怒鳴られたと錯覚した藤堂は、短い悲鳴を上げて飛び起きた。
その彼の目に映るのは月の光が照らす、見慣れた自分の部屋。
夏特有の蒸し暑い空気が、汗だくの身体に纏わり付く。
自分自身の激しい鼓動を感じながらも、深呼吸を繰り返して心を落ち着かせる。
ここには、他に誰もいない。
正確には、この家にはもう藤堂寅次郎しか住んでいない。
藤堂はもう一度横になって気持ちを落ちつかせた。
だが、どうして、この前公園で出会った、あの美女が夢に出てきてくれなかったのだろうかと考えると、少し残念な気持ちになった。