<第12話>戦乙女Ⅰ
藤堂寅次郎が鷹峰結華と初めて出会った頃。
別病棟の八階――。
藤堂寅次郎と同様、病院に運び込まれていた加賀美冴子も目を覚ましていた。
消灯時間を過ぎ、常夜灯の灯りしかない部屋は物音一つしない。
何もすることがなく、ぼんやりと天井を眺める。
スマホも星獣との戦いで壊れてしまい、時間を潰す道具も無い。
運び込まれた直後は、極度の疲労で意識を失っていたが今はもう大分回復した。
何よりも大怪我を負った藤堂とは違い、加賀美は大した外傷もなかった。小さな擦り傷や火傷は無数にあったが、それも鷹峰結華が一瞬で全て治した。
それでも医者が念のためにと病室での静養を手配したので、彼女はそれを有り難く受け入れた。
加賀美は何もない病室を見回した。
用意されたのは少し小さめの個室だが、トイレも洗面所も全て有る中々程度の良い部屋だった。
加賀美冴子には身近な親族がいない。
両親も祖父母とも既に死別している。
誰も来ることが無いはずの病室。
加賀美は部屋にある時計を見た。時刻は夜一〇時一二分。
なんとなく、もうそろそろ来そうな気がして、ベットから出ると窓を大きく開けた。
八階の窓から眺める都心の夜景はなかなかのものだったが、柔らかく吹き付ける風は生ぬるく、それほど気持ちの良いものでもなかった。
不意に強い突風が吹き、彼女は顔を逸らして流れる髪を右手で押さえた。
「思った以上に、大丈夫そうで良かったわ」
聞き慣れた涼やかな女性の声に、加賀美は顔を上げた。
「――先生」
八階にある病室の窓の外で、紅毛の美女がいつの間にか浮かんでいた。
彼女――藤堂にトマトを強請った戦乙女は紅い翼を軽く羽ばたかせると、するりと病室に滑り込んだ。
頭を下げようとする弟子を制し、翼を消した美女は優しく加賀美をベットに座らせる。
「はい、お見舞い。これさえあれば、どこでも大丈夫でしょう?」
美女はミラーシェイドのサングラスを外しながら、少女のスマホを手渡す。
「あ、ありがとうございます。私のスマホ。壊れてなかったんですか?」
「当然、壊れてたわよ。半分以上、溶けてたけど治した。データが飛んでいたとしても責任は取らないわよ」
「スマホ本体があるだけでも有り難いです」
加賀美は再度謝意を述べ、先生と呼ぶ美女を見た。
整った顔立ちと紅毛で長い髪。知的で――それでいて強い意志を宿した瞳と形の良い薄い唇。白い肌を惜しげも無く晒すホットパンツとTシャツだけのラフな服装だが、それに見合う抜群のプロポーション。
同性として見ても羨むほどの美女であり、偶然――いや、必然として半年前に出会った師匠。
「お腹、空いてるでしょう? 一緒に食べましょう」
赤髪の美女もベッドの縁に座り、小さなビニール袋からカップアイスを二つ取り出した。
「頂きます。あ、ハーゲン○ッツ。先生、今月のお金大丈夫なんですか?」
「開口一番にそれ? 要らないなら、私が食べるわよ」
「もう食べちゃったから、私のです!」
「食べながら喋らないの。みっともない」
飢えていたようにアイスクリームを食べる弟子を、師匠は微笑みを浮かべながら眺めた。
彼女もアイスクリームを口に運ぶ。
「なんか、ちょっと暗いわね。なにかあったの?」
黙々と二人でアイスクリームを食べる二人だったが、師匠から唐突にそんなことを言われて、加賀美は口ごもった。
「いえ……あの……」
「言いなさい」ぴしゃりと言い切る。
僅か半年の師弟関係だが、彼女の師は、常に弟子が長年苦しんできた問題点を的確に改善して来た。
そんな背景と信頼故に――加賀美はやがて口を開いた。
「今日、ユイに……鷹峰さんに会いました」
「……ああ、昔言っていた仲の良かった友人」
「説明できないで転校しちゃったから……と、いうか、今でも説明できないんですけど」
「そうね、今すぐ説明するのは確かに無理ね。だけど、いつかは理解して貰えるわよ」
「先生がユイに直接説明してくれたら、一発解決なんですけど」
目尻に微かに涙を溜ながら半眼で睨む弟子に、師匠は本当に申し訳なさそうに告げた。
「それだけは無理。それを本気で願うなら師弟関係は即時解消。あの約束を忘れたの?」
譲歩する余地が微塵もない、明確な拒否。
答えは分かっていたけども、落胆を隠せずに加賀美は俯いた。
「忘れていません……」
下手な同情を見せずに美女は会話を続けた。
「仲直りしたいのなら、一つだけコツを教えておくわ」
「――ど、どんなコツですか!?」
食い入るように聞いてくる弟子に、美女は苦笑を浮かべた。
「素直に謝りなさい」
「えー、それだけですか……ユイは結構、根に持つタイプなんですけど……」
「そうかしら? 後は、貴女次第よ。どうせ、仲直りする機会は来週からたくさんあるわよ。頑張りなさい」
「来週?」
「あの学校は跡形も無く消し炭になったのよ。再開できる見通しも立たないから、無事だった生徒たちは全員他校に転入。戦乙女としての能力を具現した貴女は、訓練校に再入校。手続きは国が勝手にやってくれているから、今週は家で休んでいると良いわ」
「あ、あの、全員無事だったんですか?」
「周辺地域の方々を含めて、死者行方不明者四一名。地上型の星獣を二匹も相手にしたことを考えれば、奇跡的な少なさよ」
「でも……」
「そうね、少ないといって誰もが納得できるわけじゃない。だけど、これ以上は誰も助けられない。これが現実よ」
どう返すべきか分からなくて、加賀美はアイスクリームを無言で口に運んだ。彼女の師匠も同じように食べる。
やがて、全部食べ終えた頃に加賀美が口を開いた。
「あれは、先生の技ですか?」
復元する壁と炎の槍。
加賀美はどちらがとは聞かなかった。
「そうよ。言うまでもないけど、明日からの事情聴取で馬鹿正直に言わないでね。私も貴女も本当に面倒臭いことになるから」
「先生のことは絶対に言いません」
まるで騎士か侍のように断言する弟子に、美女は苦笑を浮かべた。
「あと、最終的に藤堂君が生き残れたのは貴女の力よ。それについては胸を張りなさい」
「はい」
「今回は間に合って良かったわ」
「……今回は?」
加賀美は、その言葉に妙な引っかかりを感じた。
「野良とはいえ、これだけ長く戦っているとね。助けられなかった人は一人二人で済まないもの」
「失礼しました」
「貴女もそんな時がきっと来るわ。だけど、自分で全てを救えるような考えを持っては駄目」
「はい」
そう答えながらも半信半疑――それと同時に訳の分からない衝動に突き動かされて、加賀美は胸中に抱えていた疑問を吐露した。
「先生……先生は、今日の出来事を総て予知していたのですか?」
「本当に、予知が出来たら良いのだけどね」
嘆息のような声音が、美女の薄い桃色の唇から漏れる。
「――ですけど、先生は私と出会った時に断言しました。落ちこぼれで、追放された私に、必ず能力は開花すると! その手助けをするから、トラ君を守って欲しいと! 第一、あの高校への編入手続きをしたのは先生じゃないですか! あの日、消印のない手紙で私を呼び出したのも先生です!」
期待と尊敬を交えた表情を浮かべる弟子に、師匠は大きく苦笑を浮かべた。
「他の患者さんもいるのよ、声が大きい」
「す、すみません」
「私のは、ただの確率。貴女が持ちこたえてくれなければ……いいえ、半年前、貴女が私を信じて弟子入りして、転校してくれなかったら、私たちは藤堂寅次郎を助けることは出来なかったわ」
「それは誇るべきなのでしょうか? 私は結局、トラ君一人しか救えなかった……」
「救えた命の数を悔やむのは、ただの結果論よ。誰かが褒めてくれなくても、私たちにとっては誇るべき結果。忘れては駄目よ。あと予想通り、藤堂君も早乙女に転入するわ。最初は訳が分からないだろうから、手助けしてあげて」
「はい」
「じゃあ、私はもう帰るわ。今日ぐらいは早く寝なさい」
ゴミ捨てはお願いね。と言いながら、気楽な調子で加賀美の師匠は立ち上がった。
来たときと同じようにするのだろう。
彼女は軽い足取りで窓へと向かう。
「最後に一つだけ、いいですか?」
「なに?」
「先生は……本当は、何者なんですか?」
紅毛の美女は、霊素で紅い翼を生み出しながら応えた。
「私は愛のためだけに生きる戦乙女、三峰愛莉!」
「先生。その年齢でそういう台詞を言うのは、さすがにいろいろとキツいというか……少々無理があるのですが」
「――今年でまだ二一よ!」
「きゃっ! 痛っ! 冷たい! や、止めて! せ、先生、ごめんなさい! ごめんなさい!」
師匠が生み出した大きな雪玉を何発も受けて、弟子はベッドの上で平謝りに謝った。