第5話:あれの翌朝
寝つきの良さと、寝起きの健やかさ。
この2つが悲しいかな、私の最大の長所であったりするのですが。
「……うーむ」
見慣れぬ天井に、私は目をしばたかせることになります。正直、眠いです。寝つきも寝起きも最悪でした。その理由はと言えばもちろん……おや?
なんとなく物音がしたような気がしたのです。顔だけでその方向、障子戸へと視線を向けます。
気のせいでは無かったようです。黒い影がひょいと横切っていきましたが……ふーむ。
普段であれば気にならないことでした。久松家における私の離れにおいてもままあったことですし。帝都の中心地であっても、野のけものはけっこう身近な存在でしたから。
ただ、今日は思わず眉をひそめてしまいます。
思わず昨日のことを思い出してしまいますからねぇ。たぬき……しゃべるたぬきさん……うーむ。
◆
立派に惰眠をむさぼることになった私は、なんと朝食をごちそうしていただくことになったのでした。
客間に御膳を運んでいただいてのお朝食です。なんかお義姉さまにぶち殺されそうだなとか思いましたが、それはそれ。
人さまに作っていただいたありがたいお朝食です。麦飯にお味噌汁にお漬物。完璧なお朝食です。私は喜び勇んでお箸を動かし……って、そうしたかったのですが。
「……あの、咲江さま?」
朝食の面倒を見て下さっているのは、昨日と一緒の女中さんでした。その女中さんは心配の目を私に向けられています。
理由はと言いますと、私のお箸が空をつまんで止まっているからに他ならないでしょう。
別におかずに不足を覚えて霞をつまんでいるわけではありません。思わずの物思いにふけった結果です。その対象はと言えばもちろん……そりゃもちろんですね。
ぽんぽこぽんです。
昨夜のしゃべるぽんぽこぽんです。
アレですよねー。さすがに引きずりますよ。アレはまったく現実の出来事だったのかどうか。
「大丈夫です。お気になさらずに」
ひと言ことわって、私は再び箸を動かします。ただ、発言ほどには大丈夫感を演出出来てはいないでしょう。やはり気になります。あの出来事をどう理解したらいいのかって考えちゃいます。
旦那さまに入れと言われたはずが、出迎えてきたのはくりくり目玉のぽんぽこん。しかも、その畜生殿は人の言葉を悠長にあやつって、私に親しげな様子を見せてきて。
悩ましいです。
本当悩ましいです。アレは本当に、一体何だったのでしょうね?
「……あのー、咲江さま? よろしければ、布団を引き直しましょうか? やはり体調が優れないように見えますが」
そんな私を、女中さんは心底の様子で心配して下さいました。
いえ、別にですね、そこまでの危ない挙動を披露しているはずでは無いのですがね。この原因もまた、あのたぬきさんでした。
当然尋ねさせていただいたのです。たぬきさんが夕闇に消えたその後です。私は女中さんに疑問をぶつけることになったのです。
朝宮の旦那さまは、おたぬきさまなのですか?
そんな尋ねかけです。そこからですね、女中さんは非常に心配の表情を見せられるようになりました。
ひらたく言ってしまうと、コイツ大丈夫か? ってそんな感じのあつかいを受けているのです。頭の出来を疑われているのでは無くて、体調を疑われているのがせめてもの救いでしょうか。
しかし、これは1つの判断材料になりますよね。
昨夜の出来事が何だったのか? それを理解するための材料にです。どうにも女中さんは、旦那さまをたぬきだとは思っておられないようなのです。
とりあえず、再びの「大丈夫です」を披露させていただきまして。そして私は、さらなる判断材料を求めて問いかけをさせてもらうのでした。
「えー、朝宮さまは朝食はいかがされているのですか? お1人なのですか?」
疑惑が体調から頭の出来に移らないようにと、配慮を尽くした上で探りの尋ねかけをさせてもらいました。かなり自然な尋ねかけではなかったでしょうか? 女中さんもそう思って下さったようで、特に顔色を変えることなく口を開かれました。
「はい、いつもお1人です。あのお方は食事はそうして召し上がられるのがお好きのようで」
「そうでしたか。御膳は部屋にお出しされるのですか?」
「えぇ、もちろん」
「その時の朝宮さまのご様子などはいかがでしょうか? 朝は不機嫌な方も多いかと思われますが」
「普通……だと思います。あの方はいつも同じ表情なので、感情の動きは正直分かりかねますが」
上手いこと聞き出せた感がありました。そうですか。あるいは、女中さんは朝宮さまに直にお会いしたことが無いのではとか思ったのですが。そうでは無いようです。直にお会いした上で、たぬきなどであるはずが無いと確信されているようです。
朝宮さまは人間。
これは間違いなさそうでした。だとすると、昨日のアレは何なのかという話になってしまいますが。
なんでしょうね? 世の中には、猿回しなる芸事があるそうですが。旦那さまはたぬき回しなる妙技を会得されていて、その成果を私に披露されたのでしょうかね? 実は天井裏など隠れておられて、声の方を付けられていたとか?
ぶっちゃけ、アホみたいな推測です。私の頭の出来が疑われても仕方ない滑稽さです。ただ、実は旦那さまの正体はしゃべるたぬきなのだ! みたいな結論よりかは、はるかにマシでしょうかねぇ。
まぁ、モヤモヤです。
すっごくモヤモヤします。
「朝宮さまは、日中はこの屋敷にいらっしゃるのでしょうか?」
これはもう直に確認するしかあるまいて。
そんな決意を込めての質問でしたが、どうやら熱意は空回りするみたいです。女中さんは静かに首を左右にされます。
「いえ、旦那さまは朝食からすぐにお出かけになられますので。すでに屋敷にはおられず、お帰りになるのは夕方になるかと」
残念ですけどね。
こればっかりはえぇ、どうしようも無いということになりますね。がっかり。




