第4話:……たぬ……き?
一応、礼儀というものはお義姉さまになーんとなく叩き込まれていますので。
座敷間に入り、足を畳んで正座をして一礼。お初にお目にかかりますなんて神妙に挨拶をしようとしたのです。
ただ、現実はと言いますと。
「……んん?」
疑問の声を上げることになったのでした。女中さんがピシっと障子戸を閉めて下さったのですが、その音を背後に再びの「んん?」です。
きれいな畳敷きのひと間でした。書斎なのでしょうかね? 壁際の文机なんかが目立っていますが、しかし、んー?
本来目立つべきものがありません。いや、いません。何度見渡しても変わりませんでした。だーれもですね。誰もいません。本当、まったく誰もいないのです。
おかしいですね。確かに「入れ」と耳にしたのですが。
これは……そ、そういうことでしょうか? ちょっと身震いがします。そんな見た目のお屋敷でしたが、そういうことなのでしょうか?
実は旦那さまはとっくの昔にお亡くなりになっていて的な? こ、これはマズイです。そんな方に、たってとご所望された私はマズイです。これはもう、そういう世界の入り口に立っているとしても過言ではないでしょう。
なんて妄想はさておき。
私はもう一度室内を見渡します。常識の範疇で考えるならば、どこかに隠れておられるとするのが自然でしょう。
なんとも茶目っ気たっぷりで、お聞きしていたお人柄にはそぐいませんけどね。ただ、考えられる可能性はそれしかありません。
ということで探索です。
とは言っても、目立つのが文机程度の部屋ですのでなかなか難しいのですが。隠れる場所なんてありますかね? 天井裏とか、あるいは畳の下なんて、そんな忍びみたいな可能性にしか思い当たりませんが……って、はい?
私は目を見張ることになりました。
旦那さまを無事発見したわけではありません。文机の下にです。なにかいるのでした。茶色の毛皮をした何か。
しゃがんで覗き込みます。これは……あ、目が合いました。クリっとした黒いお目々とこんにちは。
なんか不思議な既視感を覚えましたが、これはですね。すなわち一般的に言うところの……たぬきですね。間違いないでしょう。
「ふーむ」
そして、私はうなってしまいます。旦那さまを探してたぬきを発見してしまったわけです。
どういうことでしょうね、これ?
どう理解しようか迷ってしまいます。「入れ」と告げられての座敷には、旦那さまの姿が無ければたぬきが一匹。なにか妙なイタズラをしかけられていると理解した方が適当でしょうか。
あるいは試験とか? 朝宮家に嫁ぐのであれば、たぬきの一匹ぐらい平気な顔をしておいしいたぬき鍋に仕立てて見せよと。旦那さまの好物がたぬき鍋なのかもしれませんからね。その可能性は大いにあるとすべきなのかどうか。
まぁ、困りました。
ちょっと処遇に困ります。あるいは、この子は旦那さまの飼いたぬきかもしれませんし。追い出すのか、猫かわいがりするのか、たぬき鍋に仕立ててやるのか。どれを選べばいいのやらです。正解がまったく見えてきません。
しかし、ふーむ?
私はまじまじとたぬきさんを見つめることになります。ちょっと気になったのです。この子、なんか妙に気が弱そうですね。なんかビクビクしてますね、ビクビク。
ちょっと気の毒になってきました。たぬき鍋にしてやるのならば、早々に仕留めて上げた方が良いかもしれませんが……おや?
私はちょいと首をかしげます。にわかにたぬきさんが口を開きました。吠えかかってくるかと思ったのです。威嚇なりをしてくるかと思ったのです。
「……こ、こんばんは」
しかし、結果はこれでした。挨拶されちゃいました。わーお。うわーお。ちょっと、あの、その、さすがにこの童謡まがいの展開には動揺を覚えざるにはいられませんが、まぁ、ともあれ。
「えーと、はい。こんばんは」
礼儀で畜生に遅れをとっては人さまの名折れですからね。実際はただ反射的にでしたが挨拶を返させていただきました。
これがたぬきさんにどう響いたのでしょうか。意外って感じなのかしらん? 「え?」って感じで、口を半開きに私を見つめてきます。
もちろんのこと、ここで目をそらすようでは人さまの矜持に関わります。いえまぁ、これも反射的なのですが見つめ合っちゃいます。じーっと見つめ合います。じーとですね、こうじーっと。
そしてです。えーと、なんでしょうかね? 安堵の息って感じでしょうか? たぬきさんは大きくひと息をはかれました。
「……良かった。覚えていてくれたんだ」
なんのこっちゃって感じでしたが、疑問をはさむ間はありませんでした。たぬきさんはどこか嬉しそうに口を開かれます。
「久しぶり、咲江さん。どうだった? 今まで元気にしてた?」
なんとも親しげな口ぶりでした。どうにもです。このたぬきさんは私のことを友人知人のたぐいだと思っているようなのでしょうか?
もちろんのこと、私にその覚えはありません。なんか最近夢で見たような覚えはありますが、まぁ、夢の話です。記憶の方にはそんな痕跡はとんとさらっさらです。
よってでした。
私は首をかしげつつたぬきさんに応じることになります。
「あの……あなたさまは一体どのようなお方なのでしょうか?」
きさま何者じゃっ! って、そんな問いかけをするしか無いのですよね。だってたぬきさんですし。しゃべるたぬきさんですし。さすがに適当に相槌を打って会話を進めるわけにはいかないのです。
正直、当然の問いかけだったと思います。ただ、たぬきさんでした。「え?」って感じです。ポカンと口を半開きにして黙り込みました。
そして、あら? トテトテ、と。歩き出しました。そのまま私が入ってきた障子戸に向かいます。何をするかと思っていますと、前足で器用に障子戸を開きまして。そのまま、おさらばって感じでした。たぬきさんは夕闇の中に消えて行きました。
「……ふーむ」
私はうなるしかありませんでした。たぬきさんの消えた夕闇をにらみつつ、本当ただただうなります。
現状には疑問点しかないわけです。旦那さまのいるはずの座敷にたぬきさんがいて、それがにわかにしゃべり出して、私と旧知の仲であるようなふるまいを見せてきて。
まったく、なんだったんでしょう?
当然、私の疑問への答えなどどこからも無く。受け入れるだけなんですけどね? そう、受け入れるだけなのです。それが私です。ただ、これは……
私はただただ首をかしげ続けるのでした。




