第18話:朝宮さまと私
お義姉さまが去っての沈黙が、客間には満ちているのですが。
「あのー……朝宮さま?」
説明の方をということでお顔を見上げさせてもらうのでした。ただ、え、えーと?
なんとも説明が望め無さそうな気配が。朝宮様は笑っておられました。いえ、笑った表情のまま固まっておられました。そして、その表情のまま、全身をぐらりとされてまして、
「ちょ、ちょっと、朝宮さま!?」
慌てて支えさせてもらうのですが、体重差はどうしようもなく。
幸い、後頭部がバシーンみたいなことにはなりませんでした。と言うのもですね、朝宮さまは気がついた時にはたぬきさんになっておられたのです。
そこまで重くなければ、畳に下ろすことに成功します。そしての朝宮さまですが、べたりといった感じで腹ばいになられました。
「……ひ、ひぃー。き、緊張したぁ」
見下ろす私の耳には、そんな死にそうな声が届いたのでした。
えーと、はい。現状が物語っていることですが、一連のこの行動は朝宮さまにとって大変な心労だったようですね。
気の毒なほどに疲れ果てたご様子であれば、すぐさまお床を用意して差し上げたくもありますが……すみません。それだと、私は眠れなくなってしまいそうですので。
この現状はなんぞやってことです。
お疲れのところ申し訳ないのですが、尋ねさせていただくとしましょう。
「あのー……朝宮さまでよろしいのですよね?」
まぁ、このたぬき姿を見れば分かりきった話ではありますが、一応尋ねかけさせてもらいます。朝宮さまは私を見上げながらに頷かれました。
「う、うん、そうだよ。いや、そうだよね、ビックリしたよね。ごめんね、いきなりこんな感じで」
「い、いえ、そんな謝っていただくようなことはございませんが……」
私はあらためて、あの朝宮さまの姿を脳裏に浮かべることになりました。以前の朝宮さま……あの貫禄たっぷりのお姿とはかなり趣を異にされていましたが。
「……あんな姿にもお成りになられるのですね」
朝宮さまは、腹ばいのままで器用に頷きを見せられました。
「だよね、驚くよね。あんな姿にも成れるっていうか、実際はあっちが本当だっていうかだけど」
「はい? そうなのですか?」
「うん。いつものは作っての姿って感じかな」
私は首をかしげることになりました。以前のものが偽で、先ほどが真ですか。一般的な美醜の感覚は分かりかねますが、しかしですね。
「普段着は以前のお姿なんですね?」
思わず尋ねてしまうわけです。こちらの方がはるかに生きるのは楽そうであり、かつ楽しそうに思えるのですが。
ただ、この方にはこの方なりの理由がありそうでした。
「君の言うことは分かるけど……ほら。庭で前にも話したけどさ」
「あぁ。なるほど。そういうことですか」
すかさず納得でした。この方は化けたぬきとして、バレたら嫌われると悩んでおられたのです。
「先ほどのお姿であれば、多くの方が近づいてこられるでしょうしねぇ」
「さすが咲江さん。うん、そういうこと。普段の方だったら、話しかけてくる人なんてまずいないし」
そういうことらしかったです。世の容姿に悩む人々が聞いたら、刀を両手に襲いかかってきそうだなんて思うわけですが……はい。
そうしてあの姿を隠してこられたこの方が、あえてその姿を見せて下さったと。
その理由はと言えば、おそらくは、
「……申し訳ありません。気を使っていただいたようで」
そんな結論しか得ようがないわけですが、朝宮さまはどこか苦笑の雰囲気で首を左右にされました。
「いや、気を使ったわけじゃないよ。こちらこそ申し訳ないけど、しばらく部屋の外で話を聞かせてもらっていてさ」
「そうだったのですか?」
「そうそう。実は、久松の娘さんの後を追って帰ってきたぐらいでさ。でも、割って入る勇気が出なくて、たぬきの姿でじっと話をうかがっていたんだけど……久松の娘さんは、元の姿の僕を望んでいたっぽいよね?」
「はい。そのことは間違いなく」
「だよね。だから、これは僕のためだから。僕と一緒に咲江さんを笑ってやろうって魂胆が見え透いていたから。それが嫌でさっきの姿だったら馬鹿に出来ないだろうって、全部僕のため」
正直、それのどこが私のためではないのかって話でして。もちろん、私に気を使わせないための方便なのでしょうが、ここで頭を下げない選択肢は私にはありません。
「ご配慮いただきありがとうございます」
「ははは、だから良いってば。本当、僕のためだから」
なんでもないように朝宮さまは首を左右にされるのですが、それを見て私はえーと……嬉しいと思っているのでしょうかね。
この瞬間に浸りたいような気はしました。ただ、気を使ってもらってボケーとしているのは私にとって居心地が悪いことこの上ないですので。
「……お茶を淹れて参ります」
せめて、このぐらいはさせていただきましょうとも。私は朝宮さまから離れて、立ち上がろうとしました。ただ、
「あ、ごめん。その前にちょっといいかな?」
私は軽く目を丸くすることになります。
畳には腹ばいのたぬきさんの姿はありませんでした。変わって、美男子姿の朝宮さまがきちんと正座をされています。
「あの、どうされました? そのお姿は何故?」
「一服した後だと、口にする気力を失いそうって言うか……今、話したいことがあってさ。この姿は、たぬきの姿でする話じゃないかなって思ったからで……とにかく、座ってもらってもいい?」
よく分かりませんが、そう言われて否定する理由はありません。朝宮さまが正座であれば、私もまた正座をさせていただきます。
「それであの、なんでしょう? 話されたいことですか?」
「うん。さっきも言ったけどさ、君とあの娘さんの話を僕は最初の方から聞いていたんだよね。それでちょっと気になることがあってさ」
「気になること?」
「そう。咲江さんはさ、いつもあんな感じなの?」
あんな? 私は再び首をかしげることに。
「あんな感じとはその?」
「はい、しか言わなかったでしょ?」
「え?」
「本家の娘さんの言うことにさ、全部はいって肯定してたってこと」
あぁ、でした。
その話なのですか。でしたら、私の反応は頷きとなります。
「はい。まぁおよそ、あんな感じですが」
「本心なの?」
「本心?」
「色々無茶苦茶言われてたけどさ、本心から頷いてたの?」
まぁ、それはって話です。本心からと言われますと、返答は当然のこと、
「そういうわけではありませんが」
と、なるわけです。よく分かりませんが、朝宮さまの表情が険しくなったような感じがありました。
「それでも頷いてたの?」
「はい」
「……理由なんかは聞いてもいい?」
それはもちろんです。受け入れるだけであれば、それはもちろん。
「首を左右にして、何か変わったりしますか?」
「……あー、それはどういう意味かな?」
「妾の子で、唯一後ろ盾になってくれそうな当主からもそっぽを向かれている女がですよ? 否定したところで何か変わりますか?」
「……あー、そういうことか。なるほどね」
朝宮さまは納得を見せられましたが、そういうことです。私は頷きを見せます。
「否定したところで、嫌なことがもっと嫌なことに変わるだけです。だから、肯定するんです。そこに何かおかしなことでもあるでしょうか?」
端的に説明しきることが出来たようでした。朝宮さまは、今度は頷きの仕草で納得を見せられます。
「理解した。君は素直というか、一切不平不満を言わない娘だなとは思っていたけど……そっか。そういうことだったか」
ご納得いただけて何よりでしたが、どうにも朝宮さまの胸にあるのは納得ばかりでは無いようでした。今までに見たことの無い強い目を私に向けられます。
「ただ……僕はそうであって欲しくはないかな」
「朝宮さま?」
「嫌なことにはちゃんと嫌って示して欲しい。本家の娘さんの言う不条理なんかには決して頷いて欲しくなんか無い。その上で、君には望むところをしっかり頷いて欲しい。僕はそう思ってる」
「…………」
「君はすぐに久松の人間じゃなくなる。今までの君じゃなくなる。だから……もっと僕を頼って欲しい。嫌なことは嫌と、やりたいことをやりたいと言ってほしい。それじゃだめかな?」
私はにわかに返事が出来ませんでした。
不思議な感覚でした。まったくもって久しぶりの感覚ですが、大事にされている感覚とでも言いましょうか? そんなものを、私は確かに感じているのです。
そして……本当に不思議な感覚です。
心に暖かさを感じる一方です。妙に、頭の芯がさめざめとしているよう感覚があって。ありがたいと思っているのです。ただ、私はこうも確かに思っていたのでした。
何も知らないやつが分かったように偉そうに。
私は口を開きます。
「あの……私の生き方にケチをつけないで下さいますか?」
私と、そして私の母の生き方に。その生き様に。死に様に。
それが幸せなはずなのですから。
母が教えてくれて、私が証明すべき幸せな生き方のはずですから。
ただ、うーん。どうですかねぇ。
えーと、翌日です。
お義姉さまはやはり怒っていらっしゃったみたいでした。私を久松の本家に連れ戻すと、この朝宮の屋敷に人が出されまして。
まぁ、私は受け入れるだけなのですが、そこはともかくとして。
朝宮さまです。
特に何もおっしゃられませんでした。黙って私を見送られまして……ふふ。まぁ、良いですかね、そんなことは。ふふふふ。