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竜騎士 ドラゴナイト  作者: 天秤屋
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再生

再び、愛を与えよう。

 南の国は、北方はほとんど被害が出ていないはずだった。しかし、途中の町村や集落は残らず戦争遺跡のそれとなり、人影はない。ロウェナは食糧を掻き集め、沢水を汲み、焼け残った納屋で一夜を明かすことにした。

 梓は少しずつ、しかし驚異的な速度で回復していった。話ができるようになると、梓は東の国の神子(かみこ)だと名乗った。

「名は梓。東風さま……エストホーン様にお仕えしていた。そちらでいうところの竜騎士だった」

「私は……南の国の竜騎士だった」

「名は?」

 ――ミリオネア・マナージュ・ドラクリア。今なお竜騎士を名乗るのは滑稽だ。だが、今さら……竜騎士なる前の、ロウェナには戻れない。

「それも忘れてしまった。ノノハナとでも呼んでくれ」

 二人は拾いものの外套をきつく巻きつけ、身を寄せ合って夜をしのいだ。海から容赦なく風が吹きつける。

「以前は、こんな風は吹かなかった。竜がいなくなってしまったこの世界は、どんなふうに変わっていくのだろう」

「この世が滅びようと、私は構わない。もう、お仕えする竜がいない。仇は討った。私の役目は終わった……何の未練もない」

 夜風の冷たさが身に染みる。寄る辺のない不安だけが二人に寄り添っていた。ノノハナは梓に背中を預けた。

「私は……今はこうして、語らう相手が居ることが有り難い」


 夢のなかで、ノノハナは粒子の集まりとなって海に漂っていた。背に光を受け、じっとどこまでも透き通る海の中を見つめている。そうかと思えば、明るい水色をした夜空に漂っていた。月のない空には星々が瞬き、刈取ったばかりの綿のような雲が浮いている。

 星の影から別の粒子が集まって、おぼろに輝く少女の姿となった。少女の胸には星が輝いている。

「わたしはアウラのマチルダ。ノーザンネイルに魂をとらわれていた、北の国の精霊です」

 儚げな少女マチルダの表情は悲しみに満ちていた。

「ノーザンネイルとともに解放されましたが、わたしはすでにこの世になきもの。アルデバランをさるまえに、あなたに伝えるべきことがあります」

 マチルダは柔らかく腕をひらき、ノノハナの胸に光を贈った。

「あなたは再生の光。アルデバランがふたたび歩むとき、あなたは礎となる。すべての国とつながる高き山にのぼり、あなたの願いを叶えるのです」


 夜中に目を覚ましたノノハナは、胸をおさえた。

(非存在)

 創世神に等しい力を持ち、星の生命すべての起源。確かに存在して、その命はすべての命と響きあっていた。

 ――人間が現れ、非存在の力を略取し、世界の均衡を壊してしまった。

(それだけではない)

 ――人間を排除しようとして創世神の怒りに触れ、力を奪われ、四柱の竜たちに命を使われ続けた。

(それだけでもない。非存在となった今、この身に湧き上がる焦燥感。孤独、絶望、そして暗く重い怒り……すべてを産む力を持ちながら、何者も受け入れ難かった。ずっと、ただ独りで心地よい孤独の海に漂っていたかったのだ)

 ギルバートはそうだった。しかし自分は、ノノハナは違う。

(私にはサウザーがいた。私には騎士団があり、南の国という故郷があった)

 ギルバートも最期には、心の拠り所を見出して死んでいったのだと感じる。

(私は受け入れられる。アルデバランのすべてを)

 非存在の役割も力もすべて、ギルバートからノノハナが奪ったのではない。ギルバートすら受け入れたノノハナに、彼が托して逝ったのだ。見えざる光が胸の内で熱く輝き始めるのを、ノノハナは静かに感じていた。

「ノノハナ、眠れないのか」

 梓の静かな声に、ノノハナは静かに答えた。

「ああ、少し考え事を」

「答えが出たような顔をしている」

 頷くと、梓は淋しげなため息をついた。

「私は追いすがる後悔の念を振り払えない。忘れられない。いつかは終わりが来ると判っていた……でも、こんな風に」

 言葉を詰まらせた梓の背中に、冷えた手が触れた。

「私も、後悔は尽きない……考え出したらきりがない。もっと時間があると思っていたから」

 ――もう、ここには居ない。取り戻せない。

 肩を組み、二人は廃屋の空天井を仰いだ。無数の小さな星々が頼りなさそうに瞬いている。

 白銀の三つ編みを撫で、梓は呟いた。

「東風さまは神さまだ。敬愛していた。でも、同じくらい深くお慕いしていた。あの気持ちはまやかしじゃない……今も」

 ノノハナは頷いた。

「私も、私の守護竜を愛していた……もっと確かめる時間がほしかった」

 梓は色のない涙を目に溜め、小さな口をわずかに動かした。

「私は己を殺してきた。どんな怪魔よりも入念に殺した。そうすることでやっと東風さまに相応しい神子になれると信じていた……でも、もし、ほかのやり方があったのだとしたら……それを、許されたなら」

 うつむいた梓の顔は、傷ついた十代の少女のそれだった。梓は薙刀を引き寄せ、柄を愛しそうに抱きこんだ。しゃくりあげる小さな背中を撫でながら、ノノハナもまた、透明な雫を頬にこぼした。

「きっと私たちは同じことを考えている。供に死にたかったな」

 生きて大命を与えられるよりも、我が侭に後を追いたかった。心の大切な部分を欠いたまま生きることは何よりもつらい。

「でも生かされた。だから、できることをしよう。私たちの竜が、安心して眠れるように」



 翌朝、ノノハナと梓は手を貸しあい、なだらかな高原を渡っていた。朝露に濡れた足元から、新草(にいくさ)のにおいが立ち上る。踏みしだかれた草花はしかし、彼女たちの後ろで平然と顔を上げていた。

 ――強く在ろうとして在るのだろうか。願うから強く生きられるのだろうか。

 足取りは緩やかに、しかし命は苦しみもがきながら、少女たちは山の頂を目指した。ノノハナは何者かに導かれ、梓はノノハナに導かれて丘陵を登る。その先に何があるのかを、彼女たちは語らない。

「空気が薄くなってきた。傷に堪えないか?」

「東の国ではもっと峻険な山々を渡り歩いてきた。このくらいは平坦な道と変わらない」

「それは頼もしいな。私が歩けなくなったら背負ってもらおう」

 冗談を言い、笑い、傷ついた体と心を少しずつ癒しながら終着点へと向かう。その道程は二人の心に刻まれ、鮮やかに輝いていた。

 災厄に焼かれ、戦乱の傷が焦げついた世界で、この場所この時だけは和やかであった。

 アルデバランの中央に座す高山の頂で、ノノハナは静かに膝を折った。

「ノノハナ」

 不安げに顔を覗く梓に微笑み、ノノハナは大地に寝そべった。穏やかな顔をして、ノノハナは深く息を吐いた。

「私は樹に成る」

 目を閉じたノノハナの体から、朝霧のような光の粒子が立ち上った。粒子は少女の形をとって、ノノハナに光を降らせた。

「彼女は北の国のアウラ、名はマチルダ。私たちと同じ、竜と心を通わせた少女だ。私はマチルダの導きに頼ってここに来た」

「いいえ、あなたはあなたの命のままに、あなたの心のままに在るのです。ノノハナ、そして梓。あなたも」

 マチルダが吹きかけた光に触れると、梓の傷は優しく癒されていった。

「ノノハナはどうなる?」

「私はアルデバランじゅうの傷を癒したい。大地も、獣も、人々も……皆が共に生きられる世界にしたい。梓、私の願いを聞き入れてくれるだろうか」

「聞こう」

 重ねた手の下から、(ひこばえ)が生い立つ。

「これからのアルデバランを、私たちの愛しい竜たちを、頼んだ」

 梓の目前で、ノノハナは蘖の苗床となり、大地から天まで噴き上げるように生じた大樹に呑まれていった。大樹はマチルダの光を受けて、力強い根を張り巡らせていく。

 大地に深々と刻まれた傷の奥底へ、根は入り込み、裂けてしまった命の絆を結んでいった。南の国、西の国、東の国、北の国を繋いで、大樹は凛然と青空に聳える。

 その足元で、梓は呆然自失した。もはやノノハナの声もマチルダの声もない。獣や虫の気配もない。梓は自分の影を見つめ、孤独に過ごした。夜を迎えるころには大樹を守ると心に決め、入り組んだ根の中で眠った。

 三日目の朝、大樹を眺める梓のもとに、隻腕の男が歩み寄った。

「君ももしや、竜騎士だろうか」

 男の問いに、梓は振り返って頷いた。

「では君も声を聞いたか?」

「声?」

 梓は首を傾げ、これまでの経緯をかいつまんで話した。

「そうか……私は声に導かれてたどり着いた。懐かしい声に」

 男がひざまづいて木の根を撫でると、樹皮の内から柔らかな光が広がった。光は琥珀の色をして、抱える大きさの卵の形をとった。

「ここに居たのか」

 男は涙して光に語りかけた。

「一緒に帰ろう。ハルも、故郷できみを待っている」

 ――瞬間、梓は必死に耳を澄まし、かすかな声を心に聞いた。まだ幼い、面影のない赤ん坊の泣き声にそれは似ていた。だが、間違うはずがない。

「東風さま」

 すがりついた根の中で、白い光が瞬く。

 ――私たちの愛しい竜たちを、頼んだ。

 ノノハナの言葉が脳裡によぎる。

「ああ、ああ……」

 言葉にならず、梓は根と光とを抱きしめた。


 大陸全土に根を張り巡らせ、大樹は竜の亡骸を優しく抱いた。根にくるまれた亡骸は大樹の幹に集い、それぞれ卵となった。卵は自らの力だけで生きることはできない。やがて孵るその日まで、温もりを与え、守ってくれる存在が必要だ。

「私たちはもう一度、竜騎士となろう。私は西の国の竜騎士、ガウェン・フォンテンシュッツァー」

「私は東の国の神子、梓だ」

 かたく手を握り合うと、梓の腹の虫が不平を言った。東の国を出て以来、何か月かぶりに聞く、生きようとする意志の声だった。

「まずは我々も強く生きねば。食糧を調達してこよう」



 雨が降り、風が吹き、陽光が降り注ぐこと幾年月。

 いつしか、大樹のもとには青天井の神殿が形作られ、参道が整備された。人々は供物を持って参拝し、親しみを込めて、大樹を「母代樹(ぼだいじゅ)」と呼んだ。

 透き通る青空から参拝者の背中へ、ぽつりぽつりと雫が落ちる。東風に吹かれて、人々は目を細めて空を仰いだ。

「おやあ、東風さまのお渡りかねえ」

 東の国では、小さな白竜の影を追い、白衣(びゃくえ)の神子が霧ヶ峰を駆ける。

 西の国では、黄竜の傍らに漆黒の竜騎士が立つ。

 北の国では、幼い女王(アウラ)を若い黒竜が守っている。


 ――南の国では、騎士団の新しい長が、華奢な青竜を恐々育てていた。

「こんなことなら、もっとミリィのサウザー語りをまじめに聞いておくんだったな」

 頭の後ろをバツがわるそうに掻いて、新任の騎士団長は藁の寝床を整える。鎧もまとわず、武器ももたないその姿は、厩舎の下働きのようにしか見えない。

「サミュエルさん、昼飯ができましたよ」

「おう。ちゃんと鱗と骨とヒレは取ったんだろうな?」

「料理人が三度確認しましたから大丈夫です」

「そう言ってお前、以前も小骨がだな」

 若い騎士は苦笑して、バケツの中身を木さじでかき混ぜた。

「すっかり良いお父さんですねえ」

 サミュエルが苦労顔でため息をつくと、幼い竜が服のすそをついばんだ。

「何だサウザー、腹が減ったか?」

 申し訳なさそうに身じろぎする竜の頭を、サミュエルはぐりぐりと撫でた。

「そんな顔をするな。何も心配することはない……ミリオネアが見守ってくれているからな」

 サミュエルは小さなサウザーウィングを抱き上げ、丸太小屋の外に出た。

「ほら見ろ、いい天気だ」

 サウザーウィングは細い首をのばし、じっと竜の丘の上を見つめた。青空を背に、愛しい人が笑いかけている気がした。

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