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竜騎士 ドラゴナイト  作者: 天秤屋
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青空を背に

「ミリィ」

 サウザーウィングは頼りなさそうな顔をして言った。

 私は霞んだ春の空を仰ぎながら、柔らかい草の上に足を投げ出し、そこかしこで芽吹く花の気配を感じていた。彼の隣で春を感じているこの時間は好きだ。これが幾度目の春だろう。

 鳥のさえずりに囲まれた、のどかな丘のようすとは対照的に、サウザーの顔は暗い。もともと薄幸そうだが今日は拍車がかかっている。

 私は首をかしげ、サウザーの言葉に耳を傾ける仕草をした。

「僕、長生きできないかも知れない」

 またそれか。私は目を閉じ、かすかに笑みながら返した。

「どうして?」

 いつものやり取りと浅い嘆息。

 私は兜をかかえて、穏やかに彼の言葉を受け止める。兜にあしらわれた流線形の飾りの輪郭をなぞりながら、いつものように尋ねた。

「どうしてそう思うんだ?」

 サウザーは生来、体が丈夫ではなかった。幼い頃には風邪という風邪を引き、怪我の治りも遅く、何度も死にかけては私たちに冷や汗をかかせてきた。

 立派な成竜になった今も、上背はあるが全体的に華奢なつくりをしている。筋骨も衰えているのか、捻挫騒ぎはしょっちゅうのことだ。おまけに喘息で、まぶたの内側は真っ白、指先にはいつもささくれが立っていた。

 そんなサウザーが「長生きできない」と弱音をはくと、本心ではひどく切ない。それをごまかすように、私たちはいつも笑顔を絶やさない。

「だって、僕は生命線が短いんだ」

 サウザーが悲しそうに左手を見つめた時、私は噴き出してしまった。

「笑うなんてひどいよ、ミリィ」

「だって! ああ、すまない。ドラゴンに生命線だなんて」

 からからと笑う私の前に、サウザーは左手をさし出した。

「ほら、見てよ」

 深刻な顔つきがよけいにおかしい。

 サウザーの爪は細く白く、流れるように孤を描き、とても美しい。つややかな鱗と爪の境に、いつものささくれが2、3ヶ所。5本のすらりとのびた指が、独特のシルエットを草に落とす。サウザーの手はきっと、どの竜より美しい。

「わからない。どこが生命線?」

 私はなめし革のグローブをはずし、自分の左手をサウザーの手に並べてかざした。

「ほら、ここ。ミリィのほうがずっと長いね?」

 サウザーが鼻先で示した掌の端を覗きこむ。サウザーの手はフクロウのように前2本、後ろ2本に指がわかれ、名残のように親指が残っている。人間とはあまりに違う手のひらで、生命線といわれてもいまいちピンとこなかった。

「これ? ここのこと?」

 私がそれらしきシワに触れると、サウザーは子どものように笑った。

「くすぐったいよ!」

 ぎゅ、とサウザーの左手が閉じられる。私の手はサウザーの大きな手にすっぽりと包まれた。分厚く硬い鱗はよく鎧に例えられるけれど、手のひらはしめり気があって温かい。人間の薄く柔らかな皮膚を傷つけたりはしない、優しいてのひらの感触が、私は愛しい。

「ごめん、痛くなかった?」

 サウザーは慌てて手を広げた。するり、サウザーの手から抜け落ちる瞬間、温もりを逃すまいと、私は指を折りたたんだ。その拳をサウザーに隠すようにして、そっと胸に抱いた。

「大丈夫。私は竜騎士だ」

 雲が頭上を過ぎていく。

 四肢を折ってくつろぐサウザーの隣で、目をつむって深く息を吸うと、モクレンの香が鼻をくすぐった。



 かつては、南の国の空も赤かった。

 アルデバラン大陸には無数の勢力がひしめき、領土の拡大のため、多くの血が流れた。戦火が家と畑を焼き、人々の歎きは呪いの声となり、憐憫は憤怒へと変わっていった。

 人々の心が荒みきった頃、天より四柱の竜がつかわされた。竜は乱立する国々を東西南北に等しく分け、四つの大きな国を築いた。竜たちは各国の鎮守として地上に留まり、以降、和合と団結の象徴となった。

 以来、アルデバラン大陸の四つの国は、戦争はもとより天変地異、疫病、飢饉とは無縁であった。



「サウザー。かつてこの世に溢れていた怒りも憎しみも、悲しみも恐怖も、時の流れが過去へ運んでいった。海に閉ざされたこの大陸には争いごとの影もない。それなら我々騎士は、いったい何を守っているのだろう?」

 世界に四人だけ、竜に認められ、一生を側に仕えることを許された人間がいる。彼らは誇りをもって、自ら【竜騎士(ドラゴナイト)】と名乗り、人々からも敬意をもってそう呼ばれた。

 サウザーは何も答えず、寄りかかってくるミリオネアの愛しい重みに目を細めた。傾いた首に木苺色の髪が流れて、刻まれた紋様の一部がのぞく。

 南の国の竜騎士は、体のどこかに【証の紋様】を持つ。赤い痣に似たそれは、己の仕える竜から与えられ、竜騎士自身もむやみに見てはいけない神聖なしるしだ。代々、南の国の竜騎士たちはこの紋様を受け継ぐことで、歴代の竜騎士たちの記憶をも継承してきた。

 だが、ミリオネアはうなじから背中にかけて刻まれた細いすじが、肝心のしるしを傷つけていた。負った怪我がもとで、ミリオネアのしるしは不完全となり、彼女には大きな記憶の混濁が起きている。

 サウザーに体を預け、ミリオネアは目を閉じて休む。サウザーはミリオネアの前髪をそっと鼻先で分け、無防備な表情を見つめた。

(何も守らなくていいよ、ミリィ)

 サウザーは切ない思いでミリオネアを見つめた。彼を象徴する蒼い翼をひろげ、そっとミリオネアを包もうとした時、丘陵の端に金色の光が見えた。

 視力のおとろえたサウザーでも、それが誰かはすぐにわかった。金髪の騎士は表情豊かに、がちゃがちゃと金色の鎧をわめかせて走ってきた。太陽の光を四方に反射しながら、彼は大きく手を振る。

「やあサウザー、ミリィが一緒だろ?」

「ギル、久しぶりだねえ。ここにいるよ」

 サウザーが翼をどけると、ミリオネアは不機嫌きわまりなく、怒りを顕わにした。

「ギルバート・ギュンター。馴れ馴れしいぞ」

「はいはい、スミマセンでした」

 反省の色を見せないギルバートに、ミリオネアは抜刀しそうな勢いで怒鳴った。

「此処は守護竜と竜騎士にのみ許された聖地。むやみやたらと部外者が立ち入ってよいものではない!」

 ギルバートは肩をすくめ、そろそろと後退しながら用件を伝えた。

「昼寝の邪魔してごめんよ。火急の用件で、各将に招集がかかっています。ミリオネア中将殿にもご同席願います」

 ミリオネアは渋々立ち上がった。

「ミリィ、気をつけてね」

 サウザーを振り返り、ミリオネアは微笑んだ。

「直ぐに戻る」



 サウザーウィングをいただく南の国は、丘陵地帯と平原、豊かな河川の刻む渓谷など、起伏に富んだ地形を有する。

 家屋や建物のほとんどはわずかな平地に密集し、人々は家畜を追って暮らしていた。畑が流行らないのは、土の性質や降雨の少なさ、段畑すら開墾が難しい地形などが要因だ。

 ここに暮らす人々の顔はいつ見ても清々しい、とミリオネアは思う。暮らしは決して楽ではないが、誰もが生き生きとしている。ミリオネアは、この故郷を誇りに思っていた。

 馬の背に揺られながら、ふとミリオネアは呟いた。

「今日は風が凪いでいるな……」

「何か言った? 少し急ごう、騎士長は気が短いから」

 二人の騎士は馬の足を急がせ、中央都市の西端に位置する議会館に乗りつけた。門をくぐり、噴水広場から石灰の階段を下ると一面の白、大理石の床と花崗岩の壁とに囲まれた、巨大な円形議会場がある。天窓からそそぐ陽光に合わせて設えた円卓は白色ガラス製で、床に陽だまりを投影していた。

 その円卓を、鎧をまとう厳めしい騎士たちが取り囲んでいた。各々、適当な位置に立ち、神妙な面持ちで議長の到着を待っている。

「お連れしたか」

「ミリィ、君はこっちだ」


 ミリオネアはもともと召使いの娘として産まれ、身分は奴隷にひとしい。剣の腕だけで苦労して騎士見習いとなった彼女を、たたき上げの騎士たちは快く迎えた。一方で、由緒ある家系の一派からの風当たりは強かった。

 そんなミリオネアの人生を大きく変えたのは、サウザーウィングの騎士に選ばれたことだった。先代の騎士が退き、当時無名だったミリオネアに白羽の矢がたった。理由は妙齢で純潔の乙女であることが主だが、ミリオネアは剣技の才覚もあり、取り立てて異をとなえる者はいなかった。

 竜騎士を名乗るようになって以来、彼女を批判する声はない。



 ミリオネアは昔なじみの隣に立った。

「サミュエル、議題は?」

「君の引退の時期について。もし温かい家庭をお望みなら、いつでも僕を思い出して……なんてね」

 きざな優男を自称するサミュエルは、胸にさしていた一輪のバラをミリオネアに渡した。

「刺があるから気をつけて」

 バラの茎には湿らせた綿がくくりつけてあった。遊び人で通しているサミュエルの実態は、花を愛する、妙に家庭的で一途な男だ。ミリオネアはバラをそっと円卓に横たえた。

「枯らさないよう、努力してみるよ」

 石畳を踏む重厚な足音に、自然とお喋りの波は静まっていった。白いヤギ髭を生やし、赤いマントをなびかせて、騎士長ロドラスは威風堂々と入室した。

「昨年の末、北の国、西の国が相次いで悲劇に見舞われた。そして今年の初め、東の国も闇に沈んだ。いまや災禍は我が国にも及ぼうとしている」

 各国を襲う未曽有の災禍については、ミリオネアたちの耳にも届いていた。

「日々の鍛練にて培った己の強さを、今こそ示せ。我らの手でこの国を守るのだ」

 騎士たちは一斉に天高く右手を挙げ、宣誓した。

「国を愛し、これを守る。故に我らは騎士である」

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