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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【ありえるかもしれない狂気】短編集

聴界〈ちょうかい〉消失せし素晴らしき世界

作者: ノタマゴ

「お前耳が聞こえねえんだって!?」


「バーカバーカ!」


 悪い言葉が教室中に飛び交う。


 カーストの上の奴らが無抵抗の男子に暴力を振るう。


「そのまま死んじゃえばいいのに、喋らないんだからさぁ?」


 暴力に乗っかって背後にいた女子が罵声を浴びせる。


「音聴けないなんて、人生10割損してるよ!?」


「ちょっと!それじゃ生きてる意味ないじゃん!笑」


「そうだよ!生きてる意味ねえから!」


「いや、こういうのも聞こえないから、今は得してるな!笑」


 狂気にも似た笑い声が教室中に響き渡る。


 今、教室で起きているのは、いじめそのものだった。


 机を離され、孤島のように1人ポツンと席に座る男子。


 いじめを受けても、一切動じず、やり返すこともない。


 ただじっと前を見ていただけ。


 彼の目を見るたびに、そのいじめられっ子の心情がわからなくなる。


 耳が聞こえないから言われてることがわからないのだろうか。


 そうだとしても、()()()()()()だ。


 助けたい。


 そう思ううちに、小学生活が終わり、中学では不登校、高校で彼は違うところへ行き、みんなの前から姿を消した。


 僕は、結局何もしなかった。


 傍観するだけだった。





 *

 *

 *

 *

 *

 *

 *

 *





「夢、か…。」


 パチっとまぶたが鳴ったかのように快く目を開けた。

 僕の目には見慣れた僕の部屋の天井が映っていた。

 断片的しか思い出せないけど、とても嫌な夢だった気がする。

 小学時代の、黒歴史を思い出させるような何かだった気がする。


「ヤスー!遅れるよー!」

「今行くよー」


 お母さんのモーニングコールとともに、僕は自分の部屋を出て身支度をした。


「いってきまーす」


 今日も、めんどくさい高校の1日が始まる。

 このまま過ごしていては退屈に押し潰されてしまう。

 だからみんなは"ある物"を使って自分の世界を作り出す。

 いわば、現実逃避というものだ。

 ()()()そうする。僕もそうする。

 僕は、"イヤホン"を耳に装着して、今日も退屈な学校までの道を華やかに創り変えた。




 僕は比較的大きな高校に通っていると思う。

 1学年のクラスは8つ。1クラス40人。

 それに小学校と中学校が近い場所にあるせいか、高校に幼なじみが多い。

 30人以上はいるかもしれない。だから寂しさはそんなになかった。

 そして季節は秋になり、新しい仲間との高校生活にも慣れはじめて無難な生活を送っていた。


「ヤスおはよー!」

「おはよう季里(きり)


 朝は時間が合えば長髪の女子がいつも僕の肩を叩いてくる。すぐに幼なじみの季里であるとわかり返事をする。そんな日常。

 お互い"イヤホン"をつけながら挨拶や会話をする。

 今の日本では"音楽"を聴きながら〇〇はもはや常識だ。授業以外で唯一"音楽"から離れる時が睡眠だけだといっても過言ではないだろう。

 登校してくる生徒たちは、ほとんどが"音楽"を聴きながらやってくる。

 それが()()なんだ。



 教室について席に着いても、担任がくる朝の時間までまだ時間がある。それがわかると机に伏せて再び"自分の世界"に入る。

 幼なじみがどれほどいようと外の世界は"僕の世界"に劣る。

 今は後ろの窓際の席だから、外の景色はよく見える。校門とその先に広がる街。でもそれがなんだ。何も動かないものを見ても一つも面白くない。

 それなら"イヤホン"で拡張された世界の方が楽しいに決まってる。


「ねえこの曲すごい良くない?」

「え、なになに?送って?」


 今や"音楽"の共有はワイヤレスで手軽、しかも瞬時にできるようになった。中学校の頃もワイヤレスな"イヤホン"は普及してたが、時代は急速に成長している。

 端末間で曲を瞬時に送れる機能が追加されてからさらに人気に火がついた、そんな気がする。


「あ、間違えて教室のスピーカーに送っちゃった笑」

「おいうっせえぞクソみてえな曲流すなよ!」

「は!?サイテー耳腐ってんじゃないの!?」

「冗談だって!めっちゃいい曲だわ!笑」

「は!?笑 なんなのマジで…笑」


 いつもこんなノリで明るい和やかな雰囲気だ。

 今の人みたいに超安物じゃない限りどんな音響機器でも曲を流せてしまうのだ。間違えてしまうこともあるが、便利になったものだ。

 もし、仮に僕が間違えて教室中に"僕の世界"を響き渡らせてしまったら、確実にすぐ左にある窓から飛び降りてしまうことだろう。恥ずかしすぎる。


 そんな身震いする想像を膨らませていると、廊下から蛍光色のヘッドホンをしたクールな女子が入ってきた。

 紅村(あかむら)那月(なつき)さん。

 実は、最近気になっている女子だった。

 入ってすぐに机の横に荷物をかけると、そのまま和やか女子グループの下に向かっていき、空いている机に座った。浮いた足を前後にバタバタさせて、グループの話を面白半分に聞いている。

 最近、というと、僕が"音楽"を聴きながらボーッと何気なく那月さんを見ていると、突然端末から通知が来た。

 見てみると、那月さんからだった。

 しかも、"音楽"の共有…。

 聴いてみると、僕がよく聴くジャンルにぴったりハマっていた。滅多に聴く人をみないので嬉しくなってしまい、勢いで僕のオススメを送りつけてしまった。反応が気になって今度はじっと見つめてしまったが、少しすると那月さんは、ジェスチャーで僕にだけ見えるようにこっそり親指を立ててくれた。僕だけに教えてくれたんだ。

 人間って意外と単純にできてる。

 あのジェスチャーで心を奪われてしまった。

 僕は、那月さんのことが好きになってしまった。

 もっといろんなこと話したい。

 特に聴いてる"音楽"とかもっと――


「でも、まだ話したことないんだろ?」


「はっ!?」

「だってお前、ずっと那月ちゃんのこと見てただろうよ。好きなんだろ?」

「はっ!?おま、バカいうな!」

「絶対好きじゃんかよ~わかりやすいな~」

「いいから黙っとけよ気持ち悪いな!」


 僕の前の席の中野(なかの)(まこと)は自分の話を聞いてもらうために、僕の"イヤホン"を引き抜いてくる。自分の世界から引きずり下ろされる感覚でいつも不快になる。やめてほしいと何度言っても聞かないのだ。

 それに、こいつは今の時代稀に見る"自分の世界"を持たないやつだ。"イヤホン"はもってのほか、"音楽"を一切聴かない変態である。


「で、どうなん?告るん?」

「ほんとうるさいな~、もう先生来たから、前向けよ」

「くそ~あともうちょいで聞き出せたのに…」


 真は残念そうな顔をして前の方を向いた。

 こいつは"自分の世界"を乱す嫌なやつなんだ。


「はい自分の席につけ~出席とるぞ~」


 また、面倒な1日が始まる。

 早く終わらせて、"自分の世界"に戻りたい…。




 今日最後のコマが終わると同時に、"イヤホン"を装着した。やはり"ここ"が一番心地よい。


「あっ…。」


 那月さんも、すぐに"ヘッドホン"を装着して教室から出ていこうとするのを見た。

 その時に、目が合ってしまった。

 すると、那月さんはすぐに口角を上げて微笑んでくれた。


「!!」


 とても可愛らしかった。さらに一層好きになってしまう。


「あ、すっげーな笑ってたぞ~脈アリじゃんかよ~」

「じゃあなー」

「おい話聞けって!」


 聞こえないフリをして教室から出た。あいつは心を乱す天才なのだろう。真の話は真面目に聞いちゃいけない。

 それにしても、僕はそろそろ那月さんに告白してしまうだろう。那月さんも僕のことが好きなんじゃ…というのは希望的観測かもしれないが。


「ヤスー!帰ろー!」

「お、また会ったな。帰るか。」


 家の近い季里と校門で会ったので一緒に帰ることにした。一緒に帰ろうとも"イヤホン"を外すことはない。最近は"イヤホン"も外界の音の出入りを調整できるようになっている。だから会話中も外す必要がない。とても快適だ。

 季里と何気ない日常的な会話をしながら帰っていると、前を歩く1人の先輩に目がついた。


「ねえヤス、あれって……?」

「あぁ、たしか()()()()()()()()だったよな。」


 "あいつ"。

 そう、中学の同級生だった耳の聞こえない男子、神無月(かなづき)

 そのお兄さんだ。名前は知らない。

 だが小学の頃神無月を迎えに来ていたから、存在は知っていた。久しぶりに見た。僕たちと同じ制服を着ているから…


「先輩、だったのか。」

「それな!びっくりした!」


 季里も知らなかったようだ。お兄さんがこの辺りに現れるのは珍しいらしい。でも僕らの高校は、小学校も中学校も近いからそのまま上がってくる幼なじみが多い。お兄さんがいてもおかしくはない。高校でどこかへ行った神無月は例外だった。


(神無月は今、何をしているのだろうか。)


 ふと、気になった。耳が聞こえないのは、世の中を生きる上でとても不便だ。()()()に思う。"音楽"の共有もできないなんて、人生のどこに楽しみを見出せばいいのか、僕には想像がつかない。


(まあ、いっか。どこかでいじめのないところで過ごしているはずさ。)


 なんだかんだで、生きていける。

 神無月について考えるのをやめて、僕はまた"自分の世界"に潜り込んだ。




 ******************




 悪い夢を見ていたらしい。

 僕はそれほど汗かきでもないのに、ベッドに汗が染み付いている。

 でも、何も思い出せない。

 どうせ悪い夢なら、思い出さなくていい。

 前向きに捉え、僕は気にしないようにした。

 "イヤホン"をつけて今日も僕の世界は華やかになる。

 今日も良い一日が始まる。



「ヤスおはよー!」

「季里おはよう。2日連続の偶然だな。」

「ほんそれ!てかさ聞いてよ!さっきまた()()()()()()見かけたんだよね!これも偶然かな?」

「さあ、偶然だろ。」


 偶然が今日はよく重なる。


「何か、起きるのかな…。」

「やめてよ怖いじゃーん!笑」

「ごめんごめん。」


 そんなわけないか。



 いつものごとく窓際の後ろの席について机に突っ伏した。多分悪い夢を見たせいだと思うけど、朝の気怠さがいつもの倍といっても過言ではない。

 とても眠たい。


「おいーっすおはようヤスくん!」

「真かよ…おはよー…」

「なになに元気ねーなぁなんかあったんか!?」

「うるさいなぁ…口閉じろって…」


 だるい時にだるい絡みする真ほどうざいものはない。


「ほら、お前の好きな那月ちゃんもきたぞ…!」

「え?」


 蛍光色の"ヘッドホン"を身につけた、今日もクールな那月さんがスタスタと登校してきた。

 そして机の上に勢いよく座った。

 かっこいい。好きだ。


「惚れてんなぁヤス…。」

「ほんと黙れよ…!」


 不意に赤くなった顔を隠すように、素早くまた机に突っ伏した。本当に嫌なやつだ。


「はぁ……。」


 …やっと落ち着いた。

 さあ、"自分の世界"に浸ろう。

 軽快なドラムと共に繰り出される重低音。今にも飛び出してきそうな躍動を抑えるかのように、重低音にモヤがかかる。

 ああ、最高だ。

 みんなこんな情熱を密かに溜め込んでいるのだろう。

 "僕の世界"は、静かなる情熱に満ち満ちているんだ。



 ――ズズズッ――



「ん?」


 "僕の世界"にノイズが入った。今までこんなことなかったのに。僕の"イヤホン"はかなり高価な代物だが…。


()()、か?」


 ダメだ、こんなこと考えていては。

 不吉な予感しかしない。

 机に伏していて視界が暗いにもかかわらず、目をギュッと固く閉じて、"僕の世界"にさらに深く入り込もうとした。

 ノイズが収まるまで――



 ――ズズズズズズズズ――






 ――――プツン――――







 ノイズが止んだ。


 "自分の世界"に深く入り込みすぎたか。


 もういいや。


 目を覚まそう。


 僕は、"自分の世界"から少し離れるように、目を開けた。


 目の前に広がっていたのは――






 席から外れ、耳を押さえてうずくまっている、真だった。


 僕に向けて何か喋っているようだ。


 残念ながら何も聞こえなかった。


 拒絶をしすぎたのだろうか。


 いや、僕はこう見えて真を嫌いというわけではない。


 しかし今なんで真がこんなにうずくまっているのか。


 疑問を頭に浮かべながらあたりを見渡すと、真っ先に目に飛びついたのは――



(あああああぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!)



 目から、鼻から、"ヘッドホン"の隙間から、顔の穴という穴から血を流す、那月さんだった。


(なんで…!!?何があったんだ…!!?)


 突然の凄惨な世界に、僕は言葉が出せなかった。

 いつものクールな那月さんとは思えない大きな口で、痛みから逃れるように叫んでいた


 ()()()()()()


 ここでようやく僕自身の異変に気づいた。

 何も聞こえない真の喋り声。

 あんなに苦しんでいるのに僕の耳元には一切届かない那月さんの叫び。

 彼らのせいではなかった。

 僕のせいだ。

 焦りから急いで"イヤホン"を強引に引き離す。


()ッッ!?)


 痛かった。

 でもその原因は強く引っ張ったことではないことはすぐに分かった。

 僕の耳の穴からも、血が体に伝っていった。

 鼓膜を、破られたんだ。

 もしくはそれ以上かもしれない。

 僕の耳は、使い物にならなくなったようだ。


(キャアアアアア!!)

(あああああぁぁぁぁぁぁぁあ)


 耳が使い物にならなくなったのは僕だけではなかった。

 "自分の世界"が突如として消失したとみられるクラスメイトたちが、耳から血を流しながら一斉に暴れ始めた。

 口を大きく開けて何かを叫び、()()()が混乱しているように見えた。

 しかし、いくら必死に叫ぼうとも、教室にいるクラスメイトには絶対に届くわけがない。

 "聴覚の世界"を失ったのだから。

 僕が今視界に捉えていたのは、この世の何よりも静かな混乱だった。


 1人の男子が混乱に精神を壊され、窓ガラスを割って飛び降りた。


 ――何も聞こえない。


 2人の女子が逃げようとして揉み合いになり、体と顔がぶつかり血を噴き出す。


 ――何も聞こえない。


 目と耳を壊され血を流し痙攣する那月さんをみてクラスメイトが悲鳴を上げている。


 ――何も聞こえない。


 この惨状を、僕は視界でしか捉えることができなかった。


(あぁぁ……ああああああ!!!!)


 ついに僕も無音の惨劇による底知れぬ恐怖に発狂した。


 あぁ、そうか…。

 だから()()()そうしたんだ…。


 腹の内から死に物狂いで叫ぶと、体の中で伝わり自分のこもった声が微かに遠くの方に聞こえてくるのだ。

 僕は安堵した。

 ()()()安堵を求めてあんなに叫んでいたのだ。

 僕は、さらなる安堵を求めて発狂した。


(あぁぁぁぁぁははは…!!!あぁぁぁはぁぁああ!!!!)


 僕の心は恐怖と安堵が混じり合い、混沌を生み出していた。

 笑いの混じった発狂をしていた。

 僕は完全な安堵を求めて、さらに当たり散らすように叫び続けた。

 恐怖の海に溺れないように、必死にもがくように、"音"を探し求めた。

 一体どれほど発狂し続けたら、神様は僕に完全な安堵をくれるのだろう――。




 何分叫び続けたのだろう。

 ついに叫ぶ体力が尽きた。酸欠でめまいが起きる。

 教室に残っていたのは出血して倒れたクラスメイトだけだった。そこには那月さんも含まれていた。


(那月さん…那月さん…)


 自分のこもった声が頭に響くだけ。

 外界の音は一切入らない。

 那月さんのもとへ這いつくばって近寄る。

 那月さんと初めてこんなに距離を詰めた。

 でも、彼女はもうピクリとも動かなくなっていた。

 合うはずの目も、破裂してしまっていた。

 もう、叫ぶ気力もなかった。

 窓ガラスもほとんどが割れており、そこで初めてここは無法地帯となってしまったのだと悟った。


 疲れ切ってふらふらになりながら教室を出ると、さらに衝撃的な光景を目にした。


(あ、あぁぁ……)


 奥まで続く廊下、そこは、鮮血に塗れていた。

 教室の戸から流れ出てくる赤色の液体。

 そこに手形や足跡がこべりつく。

 同級生たちもあちらこちらに転がっている。

 どれだけ混乱していたかを物語っていた。

 学校全体が、混乱の渦に巻き込まれていたのだ。

 生徒も、先生も、これを見る限り到底無事でいるとは思えない。

 こんな大それたこと、誰がやったのだろう。

 そして、どうやって…?

 学校内の人々全員を死に陥れるのは、相当の気力がなければできないだろう。

 それは、怒りなのか。嘆きなのか。

 誰かがそれらを植え付けたに違いない。


(僕らが……?)


 謎だ。仮に僕らだとしてもここまでするようなことをした覚えがない。なおさらわからない。


 とにかくこの惨状を外に知らせて、助けを求めなくてはならない。

 視覚と触覚を頼りに階段を駆け下りて玄関へ向かう。

 聴覚を失い、さらに血で滑りやすくなった廊下で若干足がもつれる。

 同級生や先輩たちがあらゆるところに転がっている。

 そんな変貌した学校の中を駆け下り、やっと玄関へ到達した。


(季里!!!!!)


 玄関を出てすぐに季里が耳から血を垂らしながら立ち尽くしていた。

 叫んだがやはり聞こえないようだった。


(季里も聞こえないのか…くそ!!)


 いつまでも悔しがっている時間はない。何でもいいからコミュニケーションを図ろうと季里に近づこうとした。

 しかし――


(えっ………?)


 季里が、突然後ろに倒れ込んだ。


(季里!!どうしたんだよ!!)


 声が届かないとわかっていながらもこの状況で叫ばないなんて冷静な判断はできなかった。急いで季里の元へ行き、様子を伺う。


(なんだよ…これ!!!?)


 季里の体に信じられないものを見つけた。

 穴、だ。

 銃弾が貫いてできた、穴だった。

 銃声すら聞こえぬ世界で、季里は撃たれた。


(嘘だ…!銃なんて誰が持ってるんだよ…!?)


 ここに銃社会は存在しない。なのに、持っている。

 どれだけ大きな恨みがあるのか。

 もう訳が分からなくなっていた。


 季里が何かを伝えようと、涙を流しながら口を動かしていた。

 何か、僕に想いを伝えようと…。


(なんだよ……!!聞こえない…!!なにも聞こえないんだよぉぉ!!!)


 感覚を1つ失うと、こうも人は壊れてしまうのか。

 人は、こんなにも(もろ)かったのか。


 非現実的すぎる世界に唖然としながら、僕は銃弾が飛んできた方向に目をやった。


 銃を構えた異常者を僕の視界が捉えた。


 ――そいつを見てすぐに気づかされた。


 ――恨みを植え付けた犯人は


 ――紛れもない()()だったのだと。



(神無月………?)



 部屋着とみられる上下灰色の服装、背丈はかなり高い。一見誰か判別できなかった。

 しかし、顔を見てすぐにわかった。

 この状況でもなお何を考えているのか分からない眼光、僕は確信した。

 確実に神無月の眼だった。

 高校生になって大人びても、あの眼だけは一切変わっていない。

 僕は驚きのあまり、呆然と立ち尽くしてしまった。

 そして


 撃たれた。


 一切の躊躇なく。


 横腹を銃弾が貫通した。思わず膝をつく。

 銃声はもちろん僕の耳には届かず、聞こえたのはグチャッ…という銃弾で体の肉が潰れる音だけだった。

 僕は何かを叫んだらしい。しかし疲労からか、もうそれすら聞こえなくなっていた。

 聴覚無き今、触覚が洗練され、感じたことのない強烈な痛みが襲っていた。

 もう、僕の目に映る世界を理解できなかった。

 理解することを諦めた。


 神無月が持っている銃。

 警察官のものらしき銃だった。

 たぶん、警察官もこの学校と同じくやられたんだ。

 辺りに逃げ場はない。撃たれて死ぬのを待つのみ。

 神無月は銃口を僕に向け続けていた。

 理解を超えた神無月の所業に、僕は死を悟った――。



 ――思い出した。

 今朝の悪い夢のことだ。


 小学校のころのある一時とよく似ていた。


 というより、ほぼ過去の出来事そのままだった。


 神無月のために手話を覚えよう、と。

 簡単な挨拶くらいの会話はできるようにと先生が提案したのだった。

 ()()()は簡単な挨拶でさえも面倒臭がって覚える気は全くなかった。

 聴覚を失うなんて誰も考えていなかったのだろう。

 僕も面倒くさかった。

 でも、その時神無月の眼の奥に怒りが見えた気がしたのだ。

 そのことに少し恐怖を感じてしまった。だから最低限の手話は覚えておこうと努力したんだ。

 これが今朝の夢(過去)だった。


 僕は、そんな不純な動機で覚えた、一つの手話を、彼に初めて披露した。




『 ご  め   ん 』




 残り限られた体力を振り絞って、震わせながらも手を動かして神無月に伝えた。

 極限の恐怖による命乞いなのかもしれない。

 でも僕は、ずっと謝りたかったのかもしれない。

 いじめを傍観して、一切助けなかったんだ。

 恨まれて当然なんだ、僕らは。


 それでもなお神無月の眼の奥の心情は、わからなかった。

 容赦のない虐殺に一切耳を傾けない。

 神無月は元から聴覚を持たないのだ。

 動じるはずがない。

 惨劇の空間で狂気にのまれぬ、たった1人の人物。

 惨劇が起きてなお凛としていて完全たる風格であった。

 

 僕が手話で伝え終えると、神無月が僕に向けていた銃口を下げた。

 許してくれたのだろうか。それを計り知ることはできない。

 神無月の目線は僕の少し横に動く。

 僕の横を誰かが通りすがる。

 お兄さんだった。

 劣等種を見下すかのような眼で僕を見ていた。

 聴覚を消した実行犯は、神無月とそのお兄さんだったんだ。

 全てを悟ると同時に、僕は力尽き、地面に倒れ込んだ。

 お兄さんは手を神無月の背中に添えて寄り添った。

 神無月の静かな怒りを収めるかのように…。

 そして2人は高校を去っていった。


 視界が暗くなっていく…。


 聴覚視覚聴覚触覚視覚聴覚触覚嗅覚味覚聴覚


 意識が朦朧とし始め、僕の頭の中に五感の単語がグルグル駆け巡る。


 視覚聴覚視覚聴覚視覚聴覚聴覚聴覚聴覚聴覚


 僕は"聴覚の世界"を失った。


 聴覚視覚聴覚視覚聴覚聴覚聴覚聴覚聴覚聴覚


 僕に残されたのは視覚の世界だけだ。


 聴覚視覚聴覚聴覚聴覚聴覚聴覚聴覚聴覚聴覚


 目から構築される世界、『視界』だけ。


 聴覚聴覚聴覚聴覚聴覚聴覚聴覚聴覚聴覚聴覚


『"聴界(ちょうかい)"』。


 "耳から構築される世界"。


 "僕が失った世界"。


 "神無月が生まれつき持たない世界"。


 僕は神無月によって、同じ"聴界消失せし世界"に堕とされた。


 得体の知れぬ言葉を創り出し、僕の意識はそこで途絶えた。




 *

 *

 *

 *

 *

 *

 *

 *

 *

 *

 *




 ――様々な音が普及した世界。

 ――誰もが"イヤホン"で音を聴き、そこに内在する世界に入り浸る。

 ――今や視界と対をなす、"聴界"が存在する。

 ――誰もが幸福となるように見えた世界。

 ――ある者は、それを許さなかった。

 ――果てしなき怒りを持って、全ての"聴界"を破壊した。

 ――"聴界"はある時間を境に街から全て消失したのだった。



 某日、朝、事件は発生した。

 突如発生した生物の許容を大きく上回る強大な音場により、大多数の聴覚損傷者、そして死者が発生した。

 爆心地は、高校だった。

 高校から半径1kmの範囲全ての音響機器がジャックされ、そこから一斉に強力な音波が放出された。街から離れた1km圏外の人々には、強大な音場は何者かの叫びに聞こえたとの報告もある。

 事件発生の時間帯は、通学してくる生徒が多く、"イヤホン"を身につけていたことが今回の被害の拡大の大きな一因であった。

 偶然範囲に入っていた車の中など、音響機器に囲まれた空間にいた人々は、反射による増幅でさらに音波の強度が増したことで、体の一部、または全てが破裂損壊し無残な姿となった。


 しかし、事件はこれだけではなかった。

 死者のうち、36名は()()による失血死であった。

 何者かが混乱に乗じて殺害したと思われる。

 これらの死者の共通点は、その36名と小野沢(おのざわ)泰樹(やすき)を含んだ37名が、鳥海(とりうみ)小学校の児童、そして鳥海中学校の生徒だったということである。

 そして、この小野沢泰樹も被弾していた。

 彼だけは一命を取り留めている。

 強大な音場と銃弾、どちらも同一犯である可能性が高い。

 憎悪にまみれた計画的な犯行と考えられる。

 

 警視庁は事件解決に向けて奮闘しているが、事件当時の情報の少なさ、()()()()()()()()と、予想を遙かに上回る被害者の聴覚障害、ショックによる精神障害により、捜査は難航しているという――。










「息子さんが目を覚ましましたよ…!」

「ヤス…!!お母さんだよ…わかる?」

「……。」

「ゆっくりでいいから、ね?落ち着いて話を――」


「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」


「落ち着いてください!!大丈夫ですから!!」

「ヤス…どうしてそんなになっちゃったのよ…?どうして…?」

「ああはははは!!ああああぁぁぁははは…はぁ、はぁ」

「落ち着いてください…その調子です…。」

「どうして…なんてひどいことを…」

「は…あぁ……


 …


 ご    め  ん 」



 かなり長く眠っていたようだ。

 僕は約半年の昏睡状態から目を覚ました。

 覚醒後、僕は安堵を得ようとひたすら発狂していた。

 赤ん坊が産声をあげるように、安堵を求めて叫んだ。

 そしてすぐにそんな安堵がこないことに気づいた。

 諦めとともに次第に冷静さを手に入れ、徐々に"聴界消失せし世界"に慣れていった。


 しばらくして、あの事件について様々なことを伝えられた。

 文字や簡単な手話、視界で捉えられるもので。

 幼なじみは全員"聴界"もろとも消失し、同級生もほぼ全員が意思疎通の図れない状態が続いている。

 未だ"聴界"をもつ同級生は、皮肉にも"音楽"を嫌っていた()()()だけになったらしい。


 僕は、あの大事件を起こした神無月を思い浮かべた。

 神無月は、ただ寂しかっただけなんだ。

 苦しみをただ知って欲しかったのかもしれない。

 それを、耳が聞こえないという()()()()()()()が、勝手に自分の中で神無月の心をわからなくさせたんだ。

 誰も、寄り添おうとしなかった。

 少しでも寄り添っていれば、こんなことにならなかったのかもしれない。

 憎しみの波は、孤立した体の内で増幅していったのだ。

 そして"音"がさらに普及していくの目の当たりにして、さらに孤立していくと思ったのだろう。

 だから、神無月は自分の望む世界に創り替えた。

 紛れもない僕たちのせいなんだ。殴ったやつ、暴言をいうやつ、悪いに順位などない。いじめが起きていた教室にいた全員のせいだ。

 そして、"聴界"を重要視しすぎた世界のせいでもある。

 発達しすぎた"聴界"が存在していた時点で、起きるべくして起きた事件なのかもしれない。

 僕らは依存しすぎた。


 僕は力尽きる直前、神無月と"音"のない対話を試みた。

 伝わったのかはわからない。

 ただ、そのおかげで神無月は僕をこの世界につなぎ止めてくれたのだ、と今は思っている。

 本当に、幼なじみは会話すらしようとしなかったのか。

 今となってはこんな体にされながらも、心の何処かで神無月に同調してしまう自分がいた。

 

 神無月は、この事件で唯一喜ぶ人物だろう。

 

 絶対に叶わぬはずだった念願が叶って、この事件によって人生で初めて心の底から喜んだことだろう。


 これで初めて、()()()の一員になれたのだ、と。

 

 ここは、素晴らしい世界になったのだ


 "聴界"の一切ない、素晴らしい世界になったのだ、と――。

 

























「……うるせええなあああオォォイイ!!!?


 なんだよ…いきなり教室からでっけえ音が…!!

 めっちゃ耳鳴りするんだが!うっせえのガチで嫌いなんだよ!!!

 おいヤス!!ほんとどうなってだよ困った…


 …お、おいヤス…お前耳から血が出てるぞ!?

 話聞けよ!真面目に心配してるんだけど!!おい!!

 聞けよ!!!!


 というか、ちょっ、なんだよみんな発狂して!うるせえうるせえうるせえ!!

 なんか()()()血流してやがるし…!とりあえず外でよ外!!混乱しちまうわこんなん!!

 カオスだよカオス!!!

 あぁ~ほんとうるせえの嫌いだ…。だから"音楽"とか聞いてらんねえんだよなぁ!



 とりあえず玄関にでたが…誰もいねえ…


 ってうわぁ!!?人が落ちてきた!?


 なんだマジで…何が起きてんだよ…。

 みんな耳から血流してよぉ…。


 …鼓膜破れたんかな?


 あーなるほど、あの機械全部乗っ取られたんだな。

 そりゃそうなるだろ。あんなもんあいつらにとって便利すぎたもんな。いつかやられると思ってたよ。

 あんなもんなんかなけりゃ…。


 …ん?誰だあいつ…。

 すみませーん!ちょっと助けて欲しいんですけど~


 っておいおいおい!?銃!??

 いや、俺なんかしたか!?

 ちょっとー?向けないで欲しいんですけどー!?

 ちょっと?全然反応ないんですけどー?

 んー聞こえないのか?こいつもか?

 でもやけに全く反応しないな…。


 あ、わかったよ。


 この状況でその冷静さ。


 あんたは、()()()なんだな。


 そんで、あんたはこんなことをやった張本人、て感じか。


 なんでこんなことしたのかさっぱりなんだけど…

 なんか今は、すごい静かだな。

 うるさくなりすぎた世界が嘘みたいだ。

 はは…なんかちょっと笑えてきたよ。


 俺、実はずっとこんな静かなのを望んでたんだわ。

 みんな俺の話ろくに話聞かねえからさみしかったのかもしれんわ。

 すっかり叶わないもんだと思ってたけど、願ってみるもんだな…。



 なんか、()()()()()



 あんたは、俺の神様、だな――。」






 ―聴界〈ちょうかい〉消失せし素晴らしき世界―




いかがでしたでしょうか。

短編2作目でした。

ご高覧ありがとうございました。

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