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 -6 『初心な心を弄ばれました』

「夕食は町で食べるかどうか、どうしましょうか。野営するならそこで私がご飯を作っても良いけれど」

「町で食べよう! 絶対に!」

「そ、そう。別に手間を気遣って遠慮しなくてもいいのよ」


「大丈夫です! 町のご飯が食べたいんです!」

「わかったわよ」


 意地でも晩御飯を町の中で取ろうと説得して、ボクたちはちょうどよさそうな酒場を見つけて中に入った。


 エイミはやや不満そうだったが、ボクからすれば命を救われた思いだ。

 あの謎汁をまともに食べられなかったせいで、すっかり腹の虫が空腹に騒いでいる。


「へい、いらっしゃい」


 酒場のカウンターに腰掛けると、気前の良い声で店主の獣人が声をかけてきた。


 茶色い毛が濃い、いかつい顔をした男性だ。ずっしとした筋肉質な体格だが、黄緑色の可愛らしいエプロンをつけている。


「まず飲み物を頼んでくれ」

「私はお茶で良いわ」

「あ、じゃあボクも」


 注文をするとあっという間に、大きなジョッキに入ったお茶が出てきた。

 酒場らしい豪快な注ぎっぷりだ。これだけで腹が膨れそうなくらいには量がある。


 エイミが適当に料理を数品頼んでくれた。


 店の中は喧騒に溢れかえっている。

 椅子はほとんど埋まり、酒を片手に持った男達で目の前が埋め尽くされるほどだ。


 こんなに他の誰かがたくさんいる光景を見たのは初めてだった。


 森の中だと、これほどうるさいことなんてそうそうない。

 この店も、給仕する女性や店主は獣人で、客は人間たちばかりだった。


「よく飲んで騒いで過ごせるね」

「そういう経済体型になっているのよ」


 果たしてそれで上手く回っているのか、ボクにはわからない。


 しばらくして「へいおまち」と店主の獣人が料理を運んできた。


 頭の付いた魚の煮つけ、卵黄と絡ませて黒胡椒をかけた湯掻いた麺。隣には野菜が盛り付けられた器も添えられている。


 煮魚は甘たれの良い香りが漂ってきてイヤでも食欲をそそられる。平皿に盛られた麺料理は、纏った卵黄がランプの温かい光に当てられて、黄金色のように輝いていた。


 これは美味い。

 絶対に美味い。


「それじゃあ食べましょうか。いただきます」

「いただきます」


 エイミに続いて食器を手にしようとしたボクだが、ひとつ、重要なことに気付いた。


「あの、エイミさん」

「何よ」

「手、繋いだままで食べるんですか」

「当たり前じゃない。そうじゃないと大変なことになるでしょ」


 確かにそうだ。

 手を離せば一度ここは大惨事になるだろう。


 それはもちろん避けねばならない。

 町で食べたいと我侭言ったのはボクでもあるのだから、それくらいは許容するつもりだ。


 だが少し待って欲しい。


 右側に座り、右手で食器を持って夕食を頬張るエイミを、ボクは恨めしそうに横目で見る。


「ボク、左手で食べないと駄目なのかな」

「手を繋いでいるとそうなるわね」

「ボク、右利きなんですが」

「へえ、そう」


「左手で食べるの初めてなんですけど」

「じゃあ練習しないといけないわね」

「ボクに拒否権はないのっ?!」


 思わず声を張ってしまったが、エイミはそれでも平然と食事を続けていた。


 どうやら拒否権は無いらしい。


 仕方なく左手で食べてみた。


 木製のフォークを掴む。

 よし、ここまでは問題ない。


 次は麺に刺す。そして捻る。

 最初は上手く先っぽに負けたが、ぷるぷると手が震え、ふるい落とすように麺も滑り落ちてしまった。


「無理だ。これ、無理だよ」


 数回挑戦してみて、ようやっと口許に運びこめた。

 慣れない利き手でやるだけのことがこうも難しいとは。


「エイミ、やっぱりきついよ。左手は」


 ボクの泣き言に、ふとエイミの手が止まる。彼女の口許が柔く歪んだ気がした。


 少しイヤな予感がする。


「そう。じゃあ食べさせてあげましょうか」

「え」

「食べづらいんでしょう」

「う、うん。でもいいの?」


 言われ、ボクは瞬間的に脈拍を急上昇させていた。


 エイミが麺を器用に巻きつけ、ボクの目の前に差し出してくれる。


 これはとても気恥ずかしい。

 ボクはされているだけなのに、なんなのかこの羞恥心は。


 心がドキドキして爆発しそうだ。

 周囲の視線すら気になってしまう。


「はい、あーん」

「あ……あーん」


 思わず目を瞑り、口を開いて待ち構える。

 暴れる鼓動の音を感じながら、そのときを待った。


 待った。

 待った。

 待っ……た……?


「あれ?」


 そっと目を開ける。

 そこには、にやりとほくそ笑むエイミの姿があった。

 巻いた麺を自分の口に運び「美味しいわね」と幸せそうに頬張っている。


 弄ばれた! と気づくのが遅かった。


「ねえ、アンセル」

「な、なに」


 まんまと引っかかったボクを嗤ってくるのか、と唾を飲み込む。


 しかしエイミは繋いだ手を目の前に掲げ、


「手汗、やっぱりすごいわよ」

「うわあっ?!」


 ドキドキで大量放出されたべとべとの手を、ボクは思わず手放しそうになって危なかった。


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