-7 『天使の少女の出番です』
ヴリューセンは既に、兵を連れて町を発った後だった。
兵舎として使われている官舎を訪ねたときには、そこはもうもぬけの殻のように静かだった。ちょうど入れ替わりだったらしい。
話によるとトラッセルの正規兵がおおよそ二百。
傭兵として雇われたのは五十前後だという話だ。
数としては少なく聞こえる。
しかし一つの町を攻めるには十分だろう。
この国は各町ごとに領主が治めているが、それも国を統治する国王が上にあってのことだ。勝手な争いは大事の問題になる。だが此度のヴリューセンの出兵は、その後の外交的な問題すら考えていないような性急さと強引さがあった。
「それほどまでに攻め込みたい理由がある、ということかしら」
エイミがそう推察するのは自然な流れなのかもしれない。
それを確かめるためにも、行動を起こす必要がある。
リュンを町に残し、ボクたちはボードの町へと出発した。
大勢の行軍だ。
間もないのならおそらくすぐに追いつけるだろう。
その予想は、しかし外れることになった。
ボードはトラッセルからほぼ真北の位置にあるが、その間は深い森に遮られていて、地元の人間すら通ることを渋るような場所だという。そのため、街道は大きく弓なりに膨らむ形で迂回している。
それでも半日もあればたどり着けるほどには近い。
緩やかな曲線になった街道を歩いていると、森の方から人影が姿を現した。
体格のいい男たちだ。三人、いや四人か。
革の鎧などを纏っている辺り、正規の軍隊の兵ではなさそうだ。冒険者だろう。
まっすぐに、しかし体を左右に揺らしながらボクたちの方へと歩み寄ってくる。
何かあったのだろうか。
男たちの顔は随分と青ざめたようにげっそりしていて、背もうな垂れている。
「召集された傭兵の人たちかもしれない。何かあって引き返してきたとか」
「森の方から来るかしら」
冷静なエイミの反応に、ボクは確かにそうだと頷く。
だが、なにやら様子がおかしいのは間違いなさそうだ。
「……う、うう」
男たちは呻き声を漏らしながら歩いてくる。
「怪我をしているのでしょうか」とパーシェルが近づいた瞬間だった。
途端、先頭の男がパーシェルへと掴みかかった。
「ひゃあああっ。な、なんですか?!」
急なことに、パーシェルは地面に押し倒され、圧し掛かられる形になってしまった。
「わわ、やめてください! 貴方もパーシェルのお菓子を盗るつもりですかー?!」
涙を浮かべながら必死に振りほどこうとしているが、男はなかなかしぶとく剥がれない。咄嗟にリリオが怪力で男を押し飛ばし、どうにか拘束を解くことができた。
「大丈夫でございますですか、パーシェル様」
「うう、ありがとうございますぅ。お礼に、ちょこっと、ちょこーっとだけお菓子の欠片をあげます」
うわ、せこい。
吹き飛んだ男はすぐに立ち上がり、またのそりとボクたちへと向かってくる。
その異常さに、ボクとエイミも身構え、ミレーナは杖を取り出して対峙した。
ただ実直にボクたちへと歩を進めている。
それにまったく知性など感じられない。
最初の襲い掛かってきた男も、その後ろに続く他の連中にも。
よく見ると、男たちの顔は死人のように虚ろな目をしていた。
まるで血が通っていないような青い肌。
突き飛ばされても痛覚を失くしたように平然と立ち上がる様子。
「こ、これはもしや死霊魔術でしょうか」
「知っているの、パーシェル?」
エイミの問いにパーシェルはこくこくと小刻みに頷いた。
「天使学校にいたときに、禁忌の魔術について教わりました。決して人間が手を出してはいけないと言われているものです。その中の一つに、死者の身体を操って意のままに動かすというというものがあるんです。ですがそれはかなり高度な魔術。並大抵の人間に操れるものではないですですが」
いぶかしむパーシェル。
しかし彼女の言ったとおり、死霊魔術だというなら納得はいく。彼らにまるで生気が宿っていないことに。
だが操られているというのなら、うかつに彼らを攻撃するわけにもいかない。彼ら本人にはなんの罪もないのだから。
ゆっくり迫り寄る男たちに、ボクたちは下がって距離をとる。
死霊魔術であるとわかったとして、さすがのエイミもバツが悪そうにどうしたものかと考えあぐねている様子だ。
「その死霊魔術に対して何かいい方法はないの?」
「えっと。確か……えっと、なんだっけぇ」
パーシェルは頭を抱え、それきり黙りこくってしまった。
そんな彼女に、ボクは懸命に声をかける。
「頑張って、パーシェル。キミだけが頼りなんだ」
「パーシェルだけが……頼り……」
にへ、と彼女の頬が緩む。
「……悪くない響きですね」
「いいからさっさと思い出しなさい」
エイミにお尻の肉をつままれ、パーシェルから「にゃぴぃ!」と奇妙な悲鳴があがった。
そして、
「あ、思い出しましたよ! 死霊魔術には、神聖のある食べ物を口から流し込めばいいとありました」
「神聖?」
「はい。死霊魔術というものは呪いの一つなのです。天使族は神から、邪悪な物を振り払う力を授かっているんですよ。その天使族の加護を受けた物を体内に注ぎ込めればおそらく何でもいいでしょう」
「つまりは、天使族が持っている物を与えればいいということね」
いまひとつ具体性には欠けるが、そういうことだろうか。
「その通りです!」とパーシェルが胸を張って頷く。
ふと、全員の視線が彼女に向いた。
「ねえ、パーシェル」
「はい、なんでしょうか!」
エイミの声に元気よく答えるパーシェル。
そんな彼女に、エイミは冷ややかな笑みを浮かべて尋ねる。
「貴方が持っているものなら、つまりは神聖があるということよね?」
「はい。……はい?」
天使族。
持っている物。
――懐に隠してある桐の箱に注目が集まる。
それにやっと気付いたのか、パーシェルは自分の身体を抱きかかえた。
「だ、駄目ですよ! この黄金色のお菓子はパーシェルのなんですから!」
必死に叫ぶ。
しかしエイミの静かな笑みは崩れない。
「とりゃあ!」とすかさずミレーナが後ろから抱きつき、動きを止めたところでリリオが服の中をまさぐる。
「ああ、パーシェルのぉぉぉ!」
抜き取られた霧の箱に涙を流し、パーシェルがその場に崩れ落ちた。まるで目の前で親でも殺されたかのような反応だ。一抹の罪悪感を抱いてしまいそうになる。
「男達を取り押さえなさい。代わりとして、後でミレーナに美味しいご飯を作らせるから」
「了解です!」
一瞬でパーシェルの涙が引っ込み、けろりとした顔で男たちへと組みかかった。
前言撤回だ。
パーシェルが単純なアの付く子でなによりである。
腕を掴み拘束した先頭の男に、すかさずリリオが飴を口へと投げ入れる。
「ぐぐぐ……どうですかぁ」
必死に男の動きを抑えながらパーシェルが声を漏らす。
しかし男の様子はまったく変わっていないのを見て、エイミが無慈悲に一言。
「駄目みたいね」
「そんなぁ……パーシェルのお菓子がぁ……」
パーシェルは悲嘆に暮れ、大粒の涙を流していた。
たかがお菓子の飴ひとつとはいえ、これはボクも申し訳なくなる。
「ごめん」と謝ろうとした時だった。
突然、組み合った男の口許から光が噴き出る。
「ふわぁ、なんですかこれ?!」
パーシェルが慌てて手を離すと、脱力した風に地面へと倒れこむ。
陸に打ちあがった魚のようにビクビクと身体を震わせ、直後、男の血の気を失った白い肌がゆっくりと色味を取り戻していった。
本当に飴が効いたのだろうか。
地に倒れた男はそれきりすっかり沈黙していた。




